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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【レッドタートル】【君の名は】「ブレンダンとケルズの秘密」見ました。③「語ってはならない事については沈黙するのが身の為」?

アイルランド

http://tg.tripadvisor.jp/news/wp-content/plugins/bj-lazy-load/thumb.php?src=http%3A%2F%2Ftg.tripadvisor.jp%2Fnews%2Fwp-content%2Fuploads%2F2016%2F02%2Fskellig-michael-1.jpg&w=720

https://pbs.twimg.com/media/CbTvvEPUsAAk5cO.jpghttp://ukeuristarwars.net/wp-content/uploads/2016/04/old-luke_0f902e2f.jpeg

 このTweet、新海誠監督もフォローしたりします。世界最先端のトレンドがここに?

http://www.greenmanhouse.org/Images/EmpiricistsandRationalists.png

ところでマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督作品「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge、2016年)」は、トム・ムーア監督作品「ブレンダンとケルズの秘密(The Secret of Kells、2009年)」「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(Song of the Sea、2014年)」や新海誠監督作品「君の名は(2016年)」は背景としている古代観ないし宗教観が全く異なります。

「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge、2016年)」の場合はこんな感じです。

https://sociorocketnewsen.files.wordpress.com/2016/05/screen-shot-2016-05-20-at-13-29-43.png

  • フランスの評論家はこの作品に英国作家ダニエル・デフォーロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe、1719年〜1720年)」のアンチテーゼ(すなわちプロテスタント的勤労意識の全否定)を見た。
    *さすが「人間が人間らしさを完全に回復する為には、原子力発電や火力発電や水力発電はおろか火すら捨てねばならぬ」は極論もいいところだが「(文明化によって楽になろうとする)肉体」と「(それによって次第に神の声から切り離されていく)精神」なるテーマは17世紀神義論(theodizee)まで遡る問題。

  • だが実際には同じ英国作家のウィリアム・ゴールディング「ピンチャー・マーティン(Pincher Martin: the Two Deaths of Christopher Martin(1956年)」の主題の継承、すなわち「肉体的死を超越した次元における無神論者の魂の存続願望とこれを否定し全てを諦観を伴った消滅に向かわせようとする神の恩寵の対峙」を見て取る事も可能。
    *最近トレンドの「二つの死(生物としての死と全ての人間の記憶からの忘却)」とはまた別の次元の論点で、そこには「神と人間の直接関係」があるだけで社会性など一切存在しない。

  • どちらも表面的にはフランスの評論家が「夫婦や家族のエデンの園的自然への回帰ビジョン(la vision édénique naturalisée du couple, puis de la cellule familiale)」なるものへと到達するが「ロビンソン・クルーソーのアンチ・テーゼ説」においてそれは「人類全てが最終的には回帰すべき自然」、「ピンチャー・マーティンの主題の継承説においてそれは「それ自体が煉獄で永続するなら地獄」と正反対の内容となる。そしてこの作品はどちらの見立にも肯定と否定の材料をともに与えない。
    *世界中の女性がこの作品から直感的に嗅ぎ取ったマチズモ(machismo、男権主義)の源流を遡っていくと、最後には作中で描かれる「社会性など一切存在しない/神と人間の直接関係としてのみ存在する」夫婦関係や家族関係が暗喩するもの、すなわち「領主が領民と領土を全人格的に代表する権威主義体制」や「社会進化論(Social Darwinism)」に暗黙的に裏打ちされた男尊女卑や父権主義に辿り着く。なにしろ「赤海亀は男に殺される事によって女に生まれ変わって子供を産む」展開なので、この見立てを無下には否定出来ない。

    *そもそも神話世界は「アダムが耕し、イブが紡いだとき、誰が領主であったか?(When Adam delved and Eve span, who was then the gentleman?)」式の「社会分業論(De la division du travail social)」と無縁。真逆の女尊男卑や母権主義は存在しても男女平等は存在しない。

    *そして困った事に「レッドタートル」は類型的にいうと例えば「冥界神エレキシュガルを男性的魅力で屈服させて地上の名代の地位を勝ち取った破壊神ネルガルを描く男権主義的神話」にマッチングしてしまう。実はこの神話、真逆の展開をたどる母権主義的神話バージョンイシュタルの冥界下り」と対になっていて、「レッドタートル」という作品は両者の共有部だけ拾って「平坦化(fraternize)=男女平等」を実現しようという試みにも見て取れなくはないんだけど…まぁ「狭き門にも限度が」状態?
    イシュタル - Wikipedia
    地獄の沙汰も恋しだい

厳しい言い方をすれば、こうもいえるかもしれません。

  • 結局「レッドタートル」という作品は「高畑勲監督が参加してるって事は、究極的には「人間は生きてる事自体が罪」と言いたい作品に決まってる」なる一般人の思い込み(あれこれ考える事なく微積分的手続きで算出された極限値)を一歩も超えられなかった。

  • そして、いずれにせよそれは理性(希: λόγος→羅: ratio→仏: raison→英: reason)すなわち「人間に本来的に備わっているとされる推論(reasoning)能力が導き出した理想主義的(Ideal)ビジョン」に過ぎず「実際に人類が歩んできた精神発展の歴史」とは何の関係もないものだった。

このあたりが「遡るべき原点としての古代を持たない」フランスの鬼門という考え方も。まぁ良くも悪くもそれがフランス文化の特徴…

ただし、もちろん「実際に人類が歩んできた精神発展の歴史」の全てに思い出に値する価値があったり、商業価値がある訳でもありません。逆にアイルランド神話の現代的復活を叫ぶトム・ムーア監督の作品あたりはこちらを問われる事になります。


①実は調べてみたら「アイルランド人はすぐヴァイキングを一方的に悪役にすようとする」という批判、思うより正論なんですね。「アイルランドの諸国との戦争(Cogadh Gaedhil re GallaibhまたはCogad Gaedel re Gallaib、12世紀成立)」の記す「クロンターフの戦い(1014年)」とかに限って言うなら。

ブライアン・ボル - Wikipedia

https://66.media.tumblr.com/tumblr_m6rdtkCPQf1qkekeuo1_500.jpg

日本史界隈でいうと「武田軍は実は騎馬隊じゃなかった」とか「長篠の合戦で鉄炮の三段撃ちはなかった」レベルの大ネタ。要するに後世に入って(なんらかの政治的意図に基づく)誇張が発覚したパターン。それで「ブレンダンとケルズの秘密(Secret of the Kells、2009年)」という作品は、こうした国際批判を振り切る為に「作品の舞台をほとんど修道院と森に絞る」というトリミング戦略を選んだとも。まぁ「8世紀から9世紀にかけて僻地のケルト系修道院を荒らして回ったヴァイキング(北欧諸族の略奪遠征)は、ただ残酷なだけだった」と指摘しても反論は難しいですし「壮麗な装丁だけ略奪して喜び、本の中身には関心一つ示さなかった」は史実に基づいてる訳ですからね。迂闊に突っ込めば突っ込んだ側がオフサイドを取られてしまいます。

②そして2つ目の地雷。実は最近の英国エンターテイメント界でピクト人(Picts)に注目してるのはトム・ムーア監督だけじゃありません。


そうなった背景に最新の考古学が「英国における先住民文化の起源は大陸系ケルト人でなくイベリア人かもしれない」という観点に到達したというのがあります。これ従来は逆だったんですね。そしてこの部分に関してトム・ムーア監督は「図示はするが、それについて一切語らない」というスタンスを貫く事で対応しています。実はあれを見て「ケルトの雰囲気が濃厚」と語ってるのは観客だけという。

http://library666.up.n.seesaa.net/library666/image/kerutocross1.jpg?d=a2

③最後にして最大の地雷は「世界に誇るべきオーパーツ的遺物は、そのオーパーツ性ゆえに後世にどういう影響を与えたか全くわからない」という事。

そもそも当時はイングランドノーサンブリア人修道士のベーダ (Beda, Bade, Bæda, 672年/673年〜735年)の「イングランド教会史(Historia ecclesiastica gentis Anglorum, 英: Ecclesiastical History of the English People 5巻、校了731年頃)」が編纂され、日本で「古事記(713年上梓)」「日本書紀(720年完成)」「万葉集(7世紀後半〜8世紀前半)」が編纂された時代。謎だらけで当然なんです。

それではこの問題にトム・ムーア監督作品「ブレンダンとケルズの秘密(Secret of the Cells、2009年)」や新海誠作品「君の名は」はどう対処したのでしょうか?

結論からいえば「秘すれば花」…まぁ「現代人がノスタルジーを描くべき古代」なんて、ちゃんと描こうとすればするほど破綻するだけなので賢明とも。