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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【まず君が落ちつけ!!】【エドガー・アラン・ポー】【H.P.ラブクラフト】【悪魔のいけにえ】【マリリン・モンロー】そもそも「アメリカン・ルネサンス」とは、何を意味する言葉なのか?

ネット上における「アメリカン・ルネサンス(American Renaissance)」に関する議論には若干の混乱が見られる様です。というか、そもそも本国における使われ方自体が滅茶苦茶だからとも?

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要するにこの言葉(英国植民地として出発し、当初は固有文化など持たなかった)アメリカ人が「欧州文化への劣等感の克服」について触れる時のスローガンみたいなもので、全然特定の表現様式に紐づけられてないのです。それでは日本人の言ってる「アメリカン・ルネサンス(American Renaissance)」とは一体何なのか? すなわち、その意味するものも決っして一つではない様です。

Madame Gautreau Drinking a Toast, 1882-83 John... : art collecting

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 ①建築様式としての「アメリカン・ルネサンスAmerican Renaissance)」

19世紀後半から20世紀初頭にかけてアメリカの公共建築で多く見られた建築様式。1893年のシカゴ万博で披露されアメリカ各地に広まっていった。

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  • リチャード・モリス・ハントをはじめとして、フランスのエコール・デ・ボザールで学んだアメリカ人建築家たちが中心的な役割を果したことから「ボザール様式」とも呼ばれている。

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  • その特徴はヨーロッパ古典主義の復興様式に倣った荘厳で装飾的な建築である。特にマッキム・ミード&ホワイト社が手がけたボストン公共図書館やマンハッタン市庁舎、リード&ステムとワレン&ウェットモアの二つの設計事務所による共同設計であるニューヨークのグランド・セントラル駅などが代表的な建築物とされる。

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  • 形式美や統一感を重視したため、その思想は都市計画にも応用され、都市美運動につながっていった。さらに、この様式は公共建築だけでなく個人の邸宅にも採用されていく。ロードアイランド州ニューポートには、アメリカン・ルネサンス様式の別荘群(マンション)が今日でも多数保存されており、一部は一般公開されている。

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  • 20世紀半ばには、アメリカの建築様式はフランク・ロイド・ライトの系譜を継ぐモダニズム様式が主流となり、古典的な様式は時代遅れと見なされるようになった。

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ブルックリン美術館が開催した展覧会「アメリカン・ルネサンス:1876-1917」(1979)はアメリカン・ルネサンスに歴史的な文脈を与え、再評価する契機となった。

アメリカ建築様式史的には、以下の流れと連続的に扱わないといけない模様。

南北戦争までに、ナンタケットの捕鯨は衰え、島は大不況に苦しんだ。島の人口は減り、20世紀半ばまで開発されず孤立したままであった。孤立の結果、南北戦争前の建物の多くが手をつけられないままとなり、1950年代までに、積極的な不動産業者が島の多くの地区を買い占め、米国北西部の裕福な人々のための高所得者向けの旅行先を創るために修復を始めた。この高度に秩序だった開発は、近隣のマーサズ・ヴィニヤードに比べることができる。マーサズ・ヴィニヤードの開発は、ナンタケットの開発業者が避けようとするモデルとなった。

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現在は観光地となり、有名なリゾート地でもある。島の人口は、観光客と別荘を持つ人のため、夏の間は約10,000人から50,000人に増える。マサチューセッツ州で地価が最も高い地域もある。

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米国国立公園局は、ナンタケットとシアスコンセットの入植地に特別な配慮を示し、島全体を国立歴史地区 (National Historic District) に指定している。米国において南北戦争前の構造物が最も集中している地域の一つであるという特色を有する。

割とこれってエドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊(The Fall of the House of Usher、1839年)」や、H.P.ラブクラフト「一枚の絵/家の中の絵(The Picture in the House、1919年頃)」や、「悪魔のいけにえ(The Texas Chainsaw Massacre、1974年、2003年)」に登場する「古い家」とは何かという話に重なってくる様です。

“I know not how it was—but, with the first glimpse... | Vintage Books & Anchor Books

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ここでややこしいのがゴシック・ホラー色皆無のワシントン・アーヴィングリップ・ヴァン・ウィンクルRip van Winkle、1820年)」や、エドガー・アラン・ポー「エレオノーラ (Eleonora、 1841年)」の人気が今ひとつなあたり。

欧州の古塚」は「妖精さんの住処」だけど、「アメリカの古い家」は人食いさんの住処」で、その想像力は南アフリカ出身で発想が開拓地寄りのJ・R・R・トールキンの筆致によって「ホビットの冒険(The Hobbit, or There and Back Again、1937年)」や「指輪物語The Lord of the Rings、初版1954年〜1955年)」に登場する「塚人(Barrow-wight)」に結実。そういえば宮崎駿シュナの旅(1983年)」とか三浦建太郎ベルセルク(BERSERK、1989年)ロスト・チルドレンの章」にゲスト出演してた様な…ただし映像化に際しては、なぜか省かれる?

Warm Hearths and Space Ports

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塚人 - Wikipedia

実写映画作品では、トム・ボンバティルもろとも一切登場しない。なお、劇中でフロドはアラゴルンより剣を受けて以後もち歩くが、原作では塚人に襲われた後に手に入れる、塚山出土の剣を使用している。本シリーズでは塚人のほか、たとえば柳じじいなど、原作での多くの登場人物が未登場である。

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シュナの旅 - Google 検索

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民間伝承的には桃の種とか炒豆を投げて追い払う様です。

②文学ジャンルとしての「アメリカン・ルネサンスAmerican Renaissance)」

アメリカ文学は17世紀イギリス人の植民とともに始まったことになっているが,荒野に新社会を建設するという困難な仕事をかかえていたから,植民地の報告,年代記,日記,説教などを除けば,文学として見るべきものを多く残すことはなかった。ピューリタンの伝統を特徴とする北部のニューイングランド地方にはA.ブラッドストリート,E.テーラーなどの詩人も現れたが,〈詩の女神は売女となんら変わらない〉というコトン・マザーの言葉に示されるように,一般に文学は危険視される傾きが北部にはあった。

  • ピューリタンたちの信仰に由来する、真摯(しんし)で厳しい自己内省の習慣は、このあとアメリカ文学を強く特徴づける強烈な自己意識につながっていったといってよく、また、彼らの聖書解釈の一つの方法である「予型論(タイポロジー)」は、19世紀のアメリカ・ロマン主義のメタファー(比喩(ひゆ))、アナロジー(類推)、シンボリズム(象徴主義)などによる発想法に少なからざる影響を及ぼした。

  • ピューリタンたちは文学をまったく理解しなかったわけではなく、夫婦の愛情を力強く歌ったアメリカ最初の女性詩人A・ブラッドストリート、死後200年たってその遺稿が発見され、現在ではアメリカ有数の詩人とみなされているE・テーラー、地獄の恐怖を鮮明に描き当時の大ベストセラーとなった『審判の日』(1662)で知られるM・ウィグルズワースMichael Wigglesworth(1631―1705)がいたし、この時代の最大の神学者C・マザーCotton Mather(1663―1728)や、植民地で最初に印刷された書物マサチューセッツ湾植民地賛美歌集』(1640)なども、文学史上、無視するわけにはいかない。

  • 植民地時代も18世紀後半に入ると、独立革命の気運が高まり、ヨーロッパの啓蒙(けいもう)思想、合理精神の影響のもとに多くの政治文書が書かれた。アメリカは、かつての神を中心とした信仰の世界から、自然の法則と人間の理性に信頼を置く人間中心の世界へと移り、デモクラシーの理念、人権思想、植民地の自決権などを雄弁に主張したT・ジェファソンの「独立宣言」(1776)やT・ペインの『コモン・センス』(1776)が文学史上でも重要な位置を占める。しかし、この時代をもっともよく代表するのは「すべてのヤンキーの父」と称されるフランクリンで、彼の合理主義と実践的な功利主義のエッセンスは『富へ至る道』(1758)や『自伝』に盛り込まれ、後世に大きな影響を及ぼした。

その一方では、かつての宗教的な情熱が年ごとに薄れ、合理的な理神論が有力になるなかで、信仰復活を目ざす「大覚醒(かくせい)運動」が起こり、その指導者であったアメリカ最大の神学者J・エドワーズは、恐怖の説教として有名な「怒れる神の手に捉(とら)えられた罪人たち」(1741)で、急速に世俗化し神を顧みない植民地住民に警告を発した。文学が本来的に、人間の魂の問題にかかわるものであるとするならば、エドワーズのこうした説教や人間の自由意志に関する論考は、19世紀のC・B・ブラウン、ポー、ホーソン、メルビルなどにつながる伝統の源流とみなすことができる。また、フランスに生まれアメリカ生活が長かったクレブクールは『アメリカ農民の手紙』(1782)で「アメリカ人、この新しい人間は何者か」というアメリカについての永遠の問いを最初に問題にし、クェーカー教徒のJ・ウルマンは、自らの内面生活を敬虔(けいけん)に語った『日記』(1774)を残した。

『アメリカン・ルネサンス』(1941)の著者である「マシーセンが選び出したいわゆるキャノン作家たちを中心に、その表現と時代との関わりを考察しようとする」本。マシーセンが選んだ作家はエマソン、ソロー、ホーソーンメルヴィルホイットマンの5人。本書はそのうちエマソン、ソロー、ホーソーンメルヴィルに独立の章を与え、さらにポウ、ジェイムズの章を加える。また、マシーセンそのものも1章を得ている。(他の章でも触れられるのは言うまでもない。)ジェイムズが時代としてはずれるが、一人称複数 we について論じるという問題設定から、部分的にホイットマンをも論じる仕掛けとなっている。まだすべてを読み終えてはいないが、マシーセンの博論にも触れつつ、両大戦間、とりわけ1930年代を生きた彼の内面に肉薄する第1章、『アメリカン・ルネサンス』が対象とする1850年代とその前の40年代との対比を手がかりに『ウォールデン』について考察する第3章、「読みのリアリズム」の重要性を説いたうえで、メルヴィルの短編を対象にそれを実践する第5章ほか、読み応えあり。(増永俊一編)

これは、私のこれまでの投稿に近い認識。ただ日本では「忘れ去られたホーソーンやメイヴィルを再評価しようという動きが活発なのに対し、アメリカでは「忘れ去られなかった」ソローやホイットマンに回帰しようとする呼びがメインとなります。

その一方で、マシーセンの「アメリカン・ルネサンス(American Renaissance、1941年)」には、1930年代に「エロ・グロ・ナンセンス」路線や共産主義路線へと到達した末期進歩主義路線から、何とか脱却を図ろうという意図が透けて見えたりもします。

 ③1920年代からのジャズの広まりを発端とする「多民族文化圏としてのアメリカ」の出発。先陣を切ったのは黒人やネイティブ・インディアンのアーティスト達。
No Brash Festivity, Aaron Douglas, Mural, aspects of negro life from...

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iArt - Jacob Lawrence (1917-2000), The Migration Series,...

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 要するにアメリカにおける「アメリカン・ルネサンス」なる表現には、日本における「文明開化」の用例同様、「それ以前」と「それ以降」を線引きする効果があるのかもしれません。

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  • 建築様式としての「アメリカン・ルネサンス」なる区切りは、それ以前の建築様式に「アッシャー家の崩壊(The Fall of the House of Usher、1839年)」やH.P.ラブクラフト「一枚の絵/家の中の絵(The Picture in the House、1919年頃)」の様なゴシック小説、「悪魔のいけにえ(The Texas Chainsaw Massacre、1974年、2003年)」の様な南部ゴシック小説の系譜におどろおどろしい舞台を与えた。
    *「B級映画の帝王」ロジャー。コーマンがその映像化に結構密接に関係してるのが興味深い。彼の作品が主に郊外のドライブイン・シアターに配給された事とも何か関係が?
    殺人博物館〜殺人一家
    殺人博物館〜バーカー一家

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  • 文学文学ジャンルとしての「アメリカン・ルネサンス」なる区切りは、1940年代において産業革命導入が本格化する「金鍍金時代(Gilded Age、1865年〜1893年)」開始以前のアメリカへの憧憬心を掻き立てる事で「狂乱の進歩主義時代」以降とそれ以前を分ける新たな時代区分を創造。

    *もしかしたら、ここで制定された「アメリカン・ルネサンス再発見以降」なる時代区分は「米国における1950年代ノスタルジー」と相応に関連してくるのかもしれない。

    *郊外に一戸建てを建て、普段は「アメリカ的文明生活」を謳歌しつつ、適時ワゴンでキャンプ場に出掛けて「ソロー(Henry David Thoreau、1817年〜1862年)的アウトドア生活」に立ち戻って自らの人間性回復につとめる。

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    Random Poetry

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    *そして当時のセックスシンボルだったマリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926年〜1962年)の愛読書はホイットマンの詩集「草の葉(Leaves of Grass、1855年〜1891年)」。
    Diary Of A Radical Conformist — Marilyn Monroe reads Walt Whitman, 1952
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  • その一方で「多民族文化圏としてのアメリカ」が本格的に始動するのはヒッピー運動や公民権運動が盛んとなった1960年代後半以降となる。

    *詳細は不明だが、日本の市民運動家達が1950年代米国の保守的価値観と反差別運動をごっちゃにして「黒人を映像化したり玩具化したりする人々にレイシストのレッテルを張る」運動に熱狂する展開となったのは、まさにこうした過渡期の事とも。

ここで興味深いのは、日本においては「ミステリー冬の時代(翻訳小説ばかり喜んで読まれた1960年代)」後の国産ミステリーのリヴァイヴァル期に江戸川乱歩夢野久作横溝正史といった独特の郷愁を誘う異色の作家陣が選ばれていった事との関連性かもしれません。
*独特の郷愁を誘う…当時の怪奇・オカルトブームが背景にあった事も忘れてはいけないとも。

新田 平泉澄の名前をここで持ち出すのは危険かもしれないけれど、要するにあの人が言ってるのは、上代を仰ぎ見る視線というのが上代との距離・差異を自覚させ、中世を作るという事なんですね。昔あったもの、本当にあったかどうか実はわからないんだけど、その本当にあったかわからないものを、昔は良かったのにと回顧する。そこには当然勝手な解釈も加わってくるわけだが、そういうものとして世の中を見ている。「こうじゃいけない」「じゃあ、どうしよう」という形で伝統を仰ぎ見る。そういう振る舞いが、さていつ頃から始まるかという事なんですが、それは色々なレベルで、いろいろな始まり方をしてるのだと思うのです。

東大安田講堂陥落(1969年1月、大学側より依頼を受けた警視庁機動隊が学生運動家のバリケード封鎖を粉砕。同年の東大受験は中止)を契機として、学生運動家達からバイブルの様に崇められていた「白土三平の忍者漫画」や「近未来における人類破滅を暗示するジュブナイルSF小説」などが一気に人気を喪失。その空隙を埋める形で以下の様な20世紀一杯続くロングセラー作品が一気に出揃いました。

  • 「アニメ版サザエさん…突然打ち切りになった「白土三平忍者アワー」の後番組としてスタート。

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  • 藤子不二雄ドラえもん(原作1969年〜1996年)」…それまで掲載されてきた「人類の滅亡を暗喩するジュブナイルSF小説」に代わって児童誌の顔に。

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  • 山田洋次監督作品「映画版男はつらいよシリーズ全48作(1969年〜1995年)」…「今の人間の感覚には合わない」と弾劾され絶滅寸前だった伝統的任侠物のパロディとして製作されたTV版(1968年)が思わぬ反響を呼んで映画化が始まった。*ちなみにTV版の最終回で渥美清演じる寅次郎は死んでしまったが、それを惜しむ声が殺到したのが発端となっている。

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 肝心なのは人はその時何を日常から切り離し、何を新たに日常の一部として迎えいいれたかという部分。

その一方で1960年代末から始まる怪奇/オカルト/超能力/UFOブームに乗って何故か江戸川乱歩夢野久作横溝正史に加えて「エドガー・アラン・ポーの怪奇世界」も市民権を獲得。ロジャー・コーマン監督の怪奇耽美映画が思わぬ入口となった形に。

*そう、まさしく少年向け漫画週刊誌の特集記事やジャガーバックス(1972年頃〜83年頃)や、ドラゴンブックス(1974年〜1975年)が子供達の関心を主導した時代だったのである。同時にハマー・プロの怪奇映画の知名度なども高まった。
怪奇系児童書コレクション

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どうやら「近未来における人類破滅の暗示への関心」そのものは形を変えて生き延びた様なのです。そして70年代後半頃から次第に少女漫画の世界にも「耽美」の波が…
楳図かずおの「口が耳までさける時(貸本短編誌『虹』29号、1961年)」や『週刊少女フレンド』に1966年連載された「ねこ目の少女」「へび少女」といった「少女向け恐怖マンガ」が呼び水になったとも。このあたり源流を遡ると、戦前から少女向け月刊誌に掲載されてきたシャーロック・ホームズ「まだらの紐」「ブナ屋敷」などの翻案小説に行き着く。

全体の基調としては「罰があるから、逃げる楽しみが生じてしまった」というか「あえて視野外に追いやる事に成功した何かがパワーアップして戻ってくる繰り替えし」とかそんな感じ。さて、こうした過程において当時の日本は、いかなる「時代区分の線引き」を獲得したのでしょうか? 一見「アメリカン・ルネサンス」の原型も残ってない様にしか見えませんが、それでも歴史のこの時点において、それがその余波の一種だった事実までは動かない様に思えてならないのです。
*何となくイメージ的に「エドガー・アラン・ポーの怪奇ゴシック趣味」といった神秘主義的演出をニューロマンティックに橋渡ししたのは当時のプログレバンドやハードロックバンドの一部だった様な気がしてる。レッド・ツェッペリンLed Zeppelin、1968年〜1980年)も一時期ケルト神秘主義的演出に凝ってた時期があった。まぁファッションというかパッケージというかそんな次元の話だけど。

無論、ここから先の展開についてどう考えるかは、また別問題。

超能力ブーム

いずれにせよ、1970年代を怪奇/オカルト/超能力/UFOブームで染め上げたある種の漠然とした存在不安の様なもの」は1980年代もしっかり潜在的に存続を続けます。そういえば月刊ムー創刊が1979年。次第にそれらは疑似科学というか、擬似宗教というか、あえてそういう体裁を被る様になっていくのです。

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  • 1980年代前半におけるアニメ版「幻魔大戦(1983年)」や劇場版「風の谷のナウシカ(1984年)」の大ヒット。

    今でこそ世界的に知られている大ヒットアニメで、1984年の同時期に公開された大林宣彦監督作品「少年ケニア」こそ大差で下したものの、アニメ「ドラえもん のび太の魔界大冒険」に興行収入で倍以上の大差をつけられて敗北。ウィキペディアによると、約1年後のテレビ放送でその人気に火がついたようです。

  • 1980年代後半における荒俣宏の伝奇小説「帝都物語(1985年〜)」のヒット

まぁ一般に「オウム真理教サリン散布事件(1994年〜1995年)」や「新世紀エヴァンゲリオン(TV版1995年、旧劇場版1996年〜1997年)」大ヒットの背景にもあったとされる事が多い心理。しかし1990年代後半に入ると「日本の大人社会」はそれを打ち消す様な影響力を発揮しなくなっていきます。この時、如何なる感情が「対消滅」を起こしたかが、結構問題。

詳細はともかく、何かこう一気に「憑き物」が落ちた感じがするんですよね。それなら取り憑いてたのは一体何だったのか…