諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

映画「メッセージ」観てきました① 決定論と「自分の幸福は自分で決める権利」について。

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王が王であるために…太陽王ルイ14世 | kiki的徒然草

その歴史を「ローマ教皇の領主化」や「主権国家の台頭」が始まった14世紀にまで遡る「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマ。

この限界を乗り越えようという試みは正直、20世紀末に至るまで大した成功を収める事は出来ませんでした。21世紀に入ってなお「究極の処方箋」は見つかっていません。とはいえ別に人類は同じ場所で足踏みしてるばかりでもなさそうなのです。螺旋軌道を描きながらじわじわと「前進」そのものは続けてきた…そう要約するのが適切とも。

中国系アメリカ人のSF作家テッド・チャン(姜峯楠)の手になる「あなたの人生の物語(Story of Your Life、1999年)」を原作とするドゥニ・ヴィルヌーヴ監督映画「メッセージ(Arrival、1016年)」は、日本において「史上最大の傑作」とも「史上最大の駄作」ともいわれていますが、確実にこうした流れの一環に位置付けられる作品。なので相応に時間をかけて解釈を試みたいと考えています。

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螺旋階段を進む事は、ただ単に同じ場所をグルグル回ってるだけでなく昇降運動を伴うものなのです。それは既に中世前期のアイルランド神学において確立されていた考え方でした。千日手(堂々巡り)は単なる千日手(堂々巡り)に留まらず、既存価値観の破壊や新たなる価値観の創造につながる事もあるというポジティブかつアグレッシブな思考様式。

19世紀フランスにおいて花咲いた「(フランス革命前夜からナポレオン戦争に至る時代における価値観混乱の陰画ともいうべき)サド侯爵の暗黒文学」や「(7月革命(1830年)から二月/三月革命(1848年〜1849年)に至る価値観混乱の陰画ともいうべき)フランス政治的浪漫主義」において活写されたロマン主義的英雄像は、大量生産・大量消費を旨とする産業革命導入により消費の主体が王侯貴族や聖職者からブルジョワ階層や庶民階層に推移すると「オペラ座の怪人」「ドラキュラ伯爵」「フランケンシュタイン博士」「狼男」といったハリウッド怪奇映画黄金期を彩る「怪物」への変貌を余儀なくされた。

*「異邦人(L'Étranger、1942年)」や「カミュ=サルトル論争(1952年)」で有名なアルベール・カミュが指摘している様に彼らの「神に対するダンディズム(反逆精神)」は「エゴイズム(自分中心主義)の追求=他者にとっての幸福の徹底的黙殺」と表裏一体の関係にある。怪物視されても仕方のない側面なら最初から備わっていたのである。

ただし1970年代末から次第に「ただしイケメンは例外」なる付帯条項が台頭してくる。今から思えばフェミニズム台頭によって女性が次第に「主体的に選ぶ側」という意識を強めていったプロセスと、デビッド・ボウイやデビッド・シルビアンやマイケル・ジャクソンといったカリスマ的アーティストの人気沸騰は表裏一体の関係にあったのかもしれない。
*まぁ1980年代の女性にとっての自己投影の対象はマドンナであり、シンディ・ローパーであり、ナウシカだったのである。「ピーターパン・コンプレックス(Peter Pan Syndrome、1983年))」や「ウェンディーズ・ジレンマ」が大流行した時代でもあった。

当時における「いかなる状況下においても自分の事しか愛せない究極のエゴイスト」の孤高を貫くスタンスに対する再評価には「口では「みんなの為」と他愛主義を標榜しつつ、実はそれを利用しての金儲けの事しか考えてない偽善に満ちた商業至上主義の横行」に対する反感の高まりという側面もあったのかもしれない。この時代にはアングラ前衛演劇も大流行。「統計学やメディア・ミックスなどを駆使してのマーケティング戦略」の氾濫が、かえって「自分の理解を超越した世界がもたらす不条理に対するアンビバレントな憧憬心」を高めたという側面も。

日本における「究極の個人主義」を求める動きは、むしろ戦前の1910年台〜1920年台前半にピークを迎えた感がある。それはインテリや文学青年の「無政府主義」と「ヘル・イム・ハウゼ(Herr im Hause)」式の資本家温情主義が激突した時代であった。
*ただむしろ「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」終演後に回帰すべきは当時の心理状態という指摘もある。特にネット社会は「社会不在」という点で重なる部分が多い。

大杉栄「僕は精神が好きだ(1918年2月)」

僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭いやになる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。

精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生れたままの精神そのものすらまれだ。

この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。

社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。

僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神さえ持たないものがある。

思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。

与謝野晶子 激動の中を行く(1919年)

巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。

しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。

雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。

私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。

大杉栄「新秩序の創造 評論の評論(1920年6月)」

『先駆』五月号所載「四月三日の夜」(友成与三吉)というのがちょっと気になった。

それは、四月三日の夜、神田の青年会館に文化学会主催の言論圧迫問責演説会というのがあって、そこへ僕らが例の弥次りに行った事を書いた記事だ。友成与三吉君というのは、どんな人か知らないが、よほど眼や耳のいい人らしい。僕がしもしない、またいいもしない事を見たり聞いたりしている。たとえば、その記事によると、賀川豊彦君の演説中に、僕がたびたび演壇に飛びあがって何かいっている。

しかし、そんな事はまあどうでもいいとして、ただ一つ見遁みのがす事の出来ない事がある。賀川君と僕との控室での対話の中に、僕が「僕はコンバーセーションの歴史を調べて見た。聴衆と弁士とは会話が出来るはずだ」というと、賀川君が「それは一体どういう訳だ」と乗り出す。それに対して僕がフランスの議会でどうのこうのと好いい加減な事をいう、というこの最後の一句だ。何が好い加減か。この男は自分の知らない事はすべてみんな好い加減な事に聞えるものらしい。

僕らの弥次に対して最も反感を抱いているのは警察官だ。

警察官は大抵仕方のない馬鹿だが、それでもその職務の性質上、事のいわゆる善悪を嗅かぎわけるかなり鋭敏な直覚を持っている。警察官の判断は、多くの場合に盲目的にでも信用して間違いがない。警察官が善いと感ずることは大がい悪い事だ。悪いと感ずることは大がい善い事だ。この理屈は、いわゆる識者どもには、ちょっと分りにくいかも知れんが、労働者にはすぐ分る。少なくとも労働運動に多少の経験のある労働者は、人に教わらんでもちゃんと心得ている。そしてそれを、往々、自分の判断の目安にしている。いわばまあ労働者の常識だ。

僕らの弥次に反感を持つものは、労働者のこの常識から推せば、警察官と同じ職務、同じ心理を持っている人間だ。僕らは、そんな人間どもとは、喧嘩をするほかに用はない。

元来世間には、警察官と同じ職務、同じ心理を持っている人間が、実に多い。

たとえば演説会で、ヒヤヒヤの連呼や拍手喝采のしつづけは喜んで聞いているが、少しでもノオノオとか簡単とかいえば、すぐ警察官と一緒になって、つまみ出せとか殴れとかほざき出す。何でも音頭取りの音頭につれて、みんなが踊ってさえいれば、それで満足なんだ。そして自分は、何々委員とかいう名を貰って、赤い布片でも腕にまきつければ、それでいっぱしの犬にでもなった気で得意でいるんだ。

奴らのいう正義とは何だ。自由とは何だ。これはただ、音頭取りとその犬とを変えるだけの事だ。

僕らは今の音頭取りだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけが厭なのじゃない。音頭取りそのもの、犬そのものが厭なんだ。そして一切そんなものはなしに、みんなが勝手に踊って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。

それにはやはり、何よりもまず、いつでもまた何処どこにでも、みんなが勝手に踊る稽古けいこをしなくちゃならない。むつかしくいえば、自由発意と自由合意との稽古だ。

この発意と合意との自由のない所に何の自由がある。何の正義がある。

僕らは、新しい音頭取りの音頭につれて踊るために、演説会に集まるのじゃない。発意と合意との稽古のために集まるんだ。それ以外の目的があるにしても、多勢集まった機会を利用して新しい生活の稽古をするんだ。稽古だけじゃない。そうして到る処に自由発意と自由合意とを発揮して、それで始めて現実の上に新しい生活が一歩一歩築かれて行くんだ。

新しい生活は、遠いあるいは近い将来の新しい社会制度の中に、始めてその第一歩を踏み出すのではない。新しい生活の一歩一歩の中に、将来の新しい社会制度が芽生えて行くんだ。

僕らのいわゆる弥次は、決して単なる打ち毀しのためでもなければ、また単なる伝道のためでもない。いつでも、またどこにでも、新しい生活、新しい秩序の一歩一歩を築き上げて行くための実際運動なのだ。

弁士と聴衆との対話は、ごく小人数の会でなければ出来ないとか、十分にその素養がなければ出来ないとかいう反対論は、まったく事実の上で打ち毀されてしまった。

怒鳴る奴は怒鳴れ、吠える奴は吠えろ。音頭取りめらよ。犬めらよ。

権力者,支配者が被支配者,従属者からの権利要求あるいは外部からの強制によることなく,いわば自主的に恩恵的諸財を与え,そうすることで被支配者の不満,反抗を曖昧にして階級的対抗関係 (労使関係あるいは地主=小作関係) を隠蔽しようとするイデオロギー,あるいは支配者の政策のことをいう。したがって階級的対抗関係を表面化させようとする動きに対しては強力な弾圧をもってのぞむ。必ずしも日本に特殊なものではないが,第2次世界大戦前の日本では家族主義イデオロギーという形で存在し,大きな役割を果した。
*この様に「社会現象の一種」として解説される事が多いが、むしろ温情主義(paternalism)の最大の特徴は「(全てを身内問題に還元する事による)社会性の排除」といってよい。米国においては(「ジェファーソン流民主主義」を心理的に支え、南北戦争(1861年〜1865年)勃発の原因となった)家父長制(Patriarchy)と奴隷制を守り抜くべく中央政府に逆らった開拓地農場主の無政府主義と関連づけて語られる事が多い。

以降は軍国主義マルクス主義が衝突し「社会の勝利こそが全てに優先する」総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)とその衣鉢を継承した産業至上主義時代(1980年代〜1990年代)に突入。両者から挟撃された「絶対個人主義」や「小市民主義」は否応無く後退を余儀なくされてしまう。

反撃が始まるのは「第三世代フェミニズム」が台頭し、インターネット世界なる新たな「社会性不在のフロンティア」が登場して以降となる。

*今から思えば「Facebookの国際的大流行」の背景には「社会性不在のフロンティア」たるインターネットを既存社会に取り込みたいという強い願望が存在したのかもしれない。

そして、こうした時代性が交錯した1980年代とはポストモダニズムの流行期でもありました。ここにもやはり「ロマン主義(主観至上主義)の復権」という側面が見て取れるとも。

ネットサーフィンをしていたら見つけた、ヘレン・プラックローズ(Helen Pluckrose)という人文学者による、『How French “Intellectuals” Ruined the West: Postmodernism and Its Impact, Explained(フランス知識人はいかにして西洋を台無しにしたか:ポストモダニズムとその影響を解明する)』という記事について、軽く紹介しよう。

アンチ-エビデンス主義とアイデンティティ・ポリティクス

この記事の前半にて、著者のプラックローズは主にジャン=フランソワ・リオタールミシェル・フーコージャック・デリダの思想について、説明しながらポストモダニズムの思想に含まれる特徴について論じている。上記の論者に共通して挙げられるのが「すべての知識や認識は相対的で等価なものであり、科学的認識が他よりも客観的な認識であるとはいえない」「科学的で客観的な認識を是とする発想は近代主義的なものであり、西洋中心主義や男性中心主義が背景にあり、女性や非白人などの弱者に対する抑圧につながる」という相対主義及び反近代主義・反啓蒙主義である。そして、科学的・客観的な認識も個人的・主観的な認識も等価であると主張するポストモダニズムは「これまでは近代主義啓蒙主義によって貶められて抑圧されてきた弱者の認識を、むしろ科学的な認識や客観的な認識よりも優れたものとして扱おう」という発想をもたらす。このような科学的・客観的な認識への反対と主観的な認識の称賛が生み出すのは、学問や議論において事実やエビデンスを軽視して個人の意見や感情を好き勝手に主張すること(アンチ-エビデンス主義)であり、また発言者が属するアイデンティティを重視するアイデンティティ・ポリティクスであるのだ。

アイデンティティ・ポリティクスとポストモダニズムとの関係

プラックローズがまず指摘しているのは、特にフーコーのような社会構築主義・文化構築主義の思想は人間に備わる主体性や自律を軽視して、人間は自分が属する階級や人種や性別などの立場や属性とそれに関わる権力関係に依存する存在である、という発想をもたらすということだ。このことは、不利であったり少数派である属性を持った人々はその人の自由意志に関わらず常に被害者であり抑圧される存在なのであり、そして有利であったり多数派である属性を持った人の行動にはその人の意思に関係なく必ずや権力が反映されておりそのような人は本質的に弱者を抑圧し加害する存在である、という主張につながる。

また、客観的で普遍的な見方やエビデンスは存在せず、科学的手続きや民主主義的手続きを経たものであっても多数派の意見は少数派の意見と等価であるという考え方は「現在主流とされている意見や認識は多数派の利害や権力が反映されたものに過ぎないし、少数派である私がそれに従う理由はない。どんな意見や認識も等価なら、私は自分が属する少数派の利害に基づいて利害や認識を決めよう」という発想をもたらして、人々の間の意見の一致や建設的な落とし所を成立させることを不可能にして、民主主義の理念とは相反するような政治状況を生み出してしまう。

これに関連するのが、理性や合理的な思考や事実という概念を疑問視・軽視するポストモダニズムは人々の感情を過大評価する、ということだ。たとえば、あるテクストの意味はそのテクストを書いたり発言した者によって決められるのではなくそのテクストを見聞きした者が自由に決めることができる、とデリダは主張したが、このような主張は悪意のない些細な発言や物事ですらも攻撃であり差別行為であると見なす「マイクロアグレッション」の概念に関連している。

また、スティーブン・ピンカーなど数多の論者が主張しているように、データを見れば現代は歴史上で人種差別や性差別や同性愛差別が最も少ない時代であることは明白であるのだが、反エビデンス主義を唱えるポストモダニズムでは事実に関わらず自分が信じたい情報だけを集めてそれを信じる確証バイアスという認知の歪みに対策することができないので、事実に基づかない非合理的な悲観主義を蔓延させてしまうことになる。

そして、個人の経験や感情には客観的なデータと等価であるかそれ以上の価値があるという発想は、学問的議論においても個々人が自分の感情や経験に基づいて好き勝手に発言することを許容するという結果を生み出してしまう。

 リベラリズム権威主義化と教条主義

現状で是とされている物事を破壊し、多数派を否定して少数派を称賛するポストモダニズムの主張は一見するとラディカルで革命的なものに見えるが、現在では啓蒙主義を支持する多数派は 「人種差別や性差別は否定されるべきであるし、全ての人には平等な権利や自由が保証されるべきである」と考えていることを踏まえれば、ポストモダニストの行為は左派やリベラルではなく右翼を利することになるのは明白だ。近代的なものである以上は西洋中心主義的で男性中心的であり弱者の抑圧につながるはずだとして普遍的人権や自由民主主義などの規範を否定しながらも、それに代わる新たな規範をまともに提示することのできないポストモダニズムが真面目に実践されたとすれば、世の中はかなり悲惨なことになるだろう。
*例えば米国黒人公民権運動の時代に活躍したNation of Islamの残党は「白人を皆殺しにするまで人類平等の理念は回復されない」「男尊女卑は黒人が守り抜くべき固有文化」と主張し続ける事によってリベラル化した一般黒人から見捨てられ、圧倒的少数派に転落。平和的デモを暴動や近隣商店街略奪に発展させたり「FacebookLIVE拷問実況事件」を扇動する一揆主義のテロリスト集団へと変貌してなお、その「少数派性」ゆえに米国リベラル層から「彼らは彼らなりの正義を実践しているだけだ」と擁護され続けている。

また、昨今の欧米では左派の社会活動家が自分のアイデンティティや感情に基づいて他者の言論の自由や学問の自由を否定していること、活動家たちは異なる価値観の存在を許さない権威主義的でドグマ主義的な存在になっていることはよく指摘されるが、このような傾向もポストモダニズムによって助長されてきたのだとプラックローズは論じている。人文学や社会科学の諸々の学問分野においてもポストモダン理論を主張する人々は増殖しており、権威や真実を否定するはずのポストモダニズムが一つの権威と成り果てて他の思想や考え方を抑圧している、ともプラックローズは主張する。
*最近では極右も極左も少数化に歯止めが掛からない。そうした現状を背景として「他人の自由が嫌い」という感情を共有する両者が共闘の余地を見出す事例が増えている?

自然科学の理論にも「ヨーロッパ中心主義」や「男性中心主義」を見出すポストモダニズムは、「西洋的な自然科学では物事を知るための様々な見方の一つに過ぎないし、科学にはマジョリティの権力が反映されていて少数派を抑圧する。科学ではない、新しい物事の知り方を打ち立てよう」という主張を生み出すことになる。例えば南アフリカでは進歩的な学生たちが「科学は植民地主義の産物であるから否定すべきだ」と主張して、魔術などを代替案として持ち出しているそうだ。もちろん、人々がいくら「新しい見方」を提唱したとしても自然現象や自然の原則に変化は生じない訳だが、自然科学の知識に対する人々の信頼が低下することは、反ワクチン運動や地球温暖化対策の遅れなどの事態を生じさせて人々や環境に対して深刻な危害をもたらすことになる。

*科学的マルクス主義の崩壊は左翼陣営を「反戦左翼」「環境左翼」「人道左翼」「民族左翼」などに分裂させたが、歴史のこの時点において既に(主観的感情を正義と奉じる)右翼と(客観的論理性を正義と奉じる)左翼を区別する意味は失われていたのかもしれない。

また、社会学文化人類学ジェンダー学などでは道徳や規範に関する相対主義だけでなく科学的知識や認識に関する相対主義までもが普及しており、その分野に関連しているはずの自然科学的な知識が無視されるか貶められるようになっている。史料に基づいて研究を行う歴史学者も、現在の倫理観による問題意識が研究に反映されていないと見なされれば「女性や人種マイノリティの無力さを考慮していない」「差別の問題を軽視している」などとポストモダニストから抗議されたりする。

何たる「矍鑠たる混沌状態」? 「スーパーファミコンにもディズニーランドにも負けたくない」とは? そこには「人間の主観的時空間感覚は客観的時空間の展開と全く異なっている」という恐るべき指摘と「それでもなお不可逆的変化は存在する」という悲しい現実が共存しているのです。

*1980年代内においてすら、こうした時代性と「YMOが最終的に体現した何か」の間には飛躍が存在する。ましてやりん・たろう監督映画「幻魔大戦(1983年)」や宮崎駿監督映画「風の谷のナウシカ1984年)」の大ヒットとは一体何だったのか? それは「進歩」だったのか、それとも「退歩」だったのか?

*そこから1990年代前半への流れもまた混沌に満ちている。

とはいえもちろん「計画性を放棄する自由」は普通、悲惨な結果しか生み出しません。
*既にハリイ・ハリスン「人間がいっぱい(MAKE ROOM! MAKE ROOM!、1966年)」やこれを映画化した「ソイレント・グリーン(Soylent Green、1973年)」において警告されていた世界。最近では「多頭飼育崩壊」が社会問題となっている。

ソイレント・グリーン - Wikipedia

*「エルフが菜食主義者としても狩猟民族としてもイメージされる矛盾」も、こうした価値観の混乱が産んだ産物とも。そういえば宮崎駿風の谷のナウシカ(1982年〜1994年)」に登場する「森の人」は火を使わない代わり蟲の卵とかも食べる雑食設定だった。「レッドタートル」における漂流者も魚を生で食べていた。「欧米におけるカニバリズムのイメージの変遷」とか「基本的には菜食だが狩猟肉や魚や卵は食べてきた日本民族」も深く関わってくるらしい。

①「ロマン主義運動」が人気を失って自然消滅した19世紀後半以降、産業革命や国家経営への統計学導入が人間社会に不可逆的変化をもたらした。

*「食のグローバリズム」は1960年代以降、メキシコ産ブロイラーやチリ産サーモンの最大消費地が日本となる事で達成されたとも。無論日本も一方的に負けてはいない。

②同様に1990年代に入ってからは「コンピューター技術のコンシューマ化」が決定的トレンドとなり「計算癖の全人格化」が不可避となって、上掲の様な「ロマン主義(主観至上主義)リバイバルの時代」に終止符を打った。

③ところで「伝統(個別的なるものへの執着心)を頑なに守り続ける事しか考えない守旧派は(進歩主義の「対等に抵抗すべく)ロマン主義(主観至上主義)の採用によって自己統合に成功し保守主義への脱皮を果たした」と考えたマンハイムは、そうした「保守主義的思考様式」と実際の保守主義の間隙に「おそるべき飛躍」を見出した。

進歩主義…人間の平等は政治的側面や経済的側面といった限られた指標においてしか達成されないと考え、それ以外の「不平等」についてはあえて目を瞑る立場。
*ここから逆説的に「全てを政治問題化あるいは経済問題化しようとする左翼陣営」という立場も派生。そしてこの路線は「党争における勝利をあらゆる現実問題解決に優先する様になって国民の支持を失う党利優先主義」への堕落を余儀なくされる展開を迎える。

保守主義的思考」…「ありとあらゆる個別的なるものへの伝統的執着心」に立脚する守旧派は、19世紀前半(要するにフランス革命ナポレオン戦争を経験した復古王政時代(1815年〜1848年)において)その限界がもたらす閉塞感から脱却する為に「ロマン主義(主観至上主義)」を採用し、新たな形での自己統合を試みた。
カール・マンハイム『保守主義的思考』: ものろぎや・そりてえる

保守主義…「保守主義的思考」そのものは主権国家の概念を否定する貴族主義(大貴族連合や教会による王権の形骸化)を拒絶しない。「(王侯貴族の実際の意図と無関係に)プロイセン王国主導によるドイツ諸連邦の統合」が待望された復古王政期ドイツにあっては、これを警戒する感情が(その路線を否定する)「民族精神」とも「世界精神」とも呼ばれる「絶対精神」を中核に選んだヘーゲル哲学を誕生させた。
*皮肉にもヘーゲル哲学は当時のドイツ領主や教会領管長には先進的過ぎて、むしろ軍国主義台頭期の大日本帝国において実践される運びとなる。「ドイツ帝国の誕生」も「ナチズムの台頭」も全く別の展開を辿ったのが興味深いといえば興味深い。

そう、ここでゴビノー伯爵やニーチェが執着した「距離のパトス(Pathos der Distanz)」問題が浮上してくるのです。「この世に生を受ける各個人が内包するそれぞれの可能性が全て平等とは限らない」という恐るべき現実との直面。これを「一刻も早く唾棄すべき前近代的貴族主義」と総称して全面否定する立場もあるにはありますが…

実は私がテッド・チャン(姜峯楠)「あなたの人生の物語(Story of Your Life、1999年)」を読んでドゥニ・ヴィルヌーヴ監督映画「メッセージ(Arrival、1016年)」を鑑賞して最初に連想したのはメーテルリンク「青い鳥」における以下のエピソードだったのでした。

【質問】童話のチルチルミチルの青い鳥(メーテルリンクの青い鳥?)について
青い鳥を探しに行く途中でこれから生まれてくる弟に会う場面がありましたよね? 突然思い出して詳しく知りたくなりました。あらすじでいいので、教えてください!

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【答え】第五幕の第十場「未来の王国」に、これから生まれてくる弟に会う場面(新潮文庫195ページ目)があります。あらすじを書きます。

「未来の王国」ではこれから生まれてくるすべての子供たちが、「永遠」の兄「時」が守っているオパールの扉の中にいます。その子供たちは、てぶらでは生まれることが出来ません。生まれるときになにかを持っていかなければなりません。ある子供は生まれたら大きなメロンを発明するといい、ある子供は太陽が弱ったときに地球をあたためる火を見つけるといい、ある子供は寿命を延ばす薬を発明し、ある子供は「死」を征服しにいくとチルチルに言いました。その子供たちの中に、何故かチルチルを知っている子供がいました。チルチルがどうして僕の名前を知っているのかと不思議に思っていると、その子供は言いました。「ぼく、きみの弟になるんだもの」と。チルチルの弟になるその子供が持っていくものは、しょう紅熱と百日咳、それとはしかでした。

ここの二人の会話は、とても印象的です。

 チルチル「へえ、それで全部なの?それでどうするの?」

 子供「それから、死んでしまうのさ。」 

 チルチル「じゃ、生まれるかいがないじゃないか。」

 子供「だって、どうにもならないでしょう?」

やがて今日生まれることになっている子供たちが地の上へおりていく時間になり、門を守る「時」が門を開くためにやってきました。

門のむこうには「あけぼの」という舟が見えます。その子供たちが乗った舟の帆が離れていくと、子供たちのお母さんたちの、喜びと希望の歌声が聞こえてきました。オパールの門が閉まると、チルチルとミチルたちは「時」に見つかってしまい、その場から逃げることにしました。その時「光」は、青い鳥をつかまえた、とチルチルとミチルに言いました。

『青い鳥』の第四幕第九場「幸福の花園」のテーマは幸福の類型論で、四つのタイプの幸福が登場する。

第一は、「太った幸福たち」で、具体的には、「金持ちの幸福」「地主の幸福」「虚栄に満ち足りた幸福」 「酒を飲む幸福」「ひもじくないのに食べる幸福」「なにも知らない幸福」「もののわからない幸福」 「なにもしない幸福」「眠りすぎる幸福」などである。彼らが大宴会をくりひろげる部屋に「光」が 射し込むと、互いに顔を見合わせて、自分たちの本当の姿、裸で、哀れで、見にくい姿に、恥ずかしさ のあまり悲鳴をあげて「不幸」の洞穴へと逃げ込んでいく。

第二は、「子供である幸福」で、歌ったり、踊ったり、笑ったりはするが、まだ話をすることはできず、 貧富の区別はなく、この世でも天国でもいつも一番美しいも衣装を着ているが、彼らはすぐにいなくなる。子供の時代はごく短いのである。

第三は、「あなたの家の幸福たち」で、具体的には、「健康である幸福」「清い空気の幸福」「青空の幸福」 「森の幸福」「昼間の幸福」「春の幸福」「夕日の幸福」「星の光り出すのを見る幸福」「雨の日の幸福」 「冬の火の幸福」「霧の中を素足で駆ける幸福」などである。家のドアが破れそうなくらい、家の中に いっぱいいるのだが、誰もそのことに気づかない。

第四は、「大きな喜びたち」で、具体的には、「正義である喜び」「善良である喜び」「仕事を仕上げた喜び」 「ものを考える喜び」「もののわかる喜び」「ものを愛する喜び」「母の愛の喜び」などである。 きらきらと光った衣装を着て、背の高い、美しい天使のような姿をしている。「幸福」という名前は付いて おらず、他の「幸福」たちのように笑ってはいないが、人が一番幸福なのは笑っているときではない。

こう紹介すれば、メーテルリンクの考える「真の幸福」が「大きな喜びたち」であることは誰にでもわかる であろう。彼は「太った幸福たち」を唾棄すべきものとして見る一方で、人々が「あなたの家の幸福たち」 に埋没してしまうこと(私生活中心主義)も懸念していたのである。

*ここでいう「人が一番幸福なのは笑っているときではない」は沖方丁「微笑みのセフィロト(2002年)」における「暗黒時代とは誰もが楽しげに歌い踊っている明るい世界だった。なぜなら少しでも集団の和を乱す者はすかさず魔女裁判に掛けられ、偏見の極みを持って抹殺されてしまう世界でもあったからである」という指摘に対する最大の反駁とも。国家間の競争が全てだった「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」も、当時の精神の衣鉢を継ぐ形で各企業が「国民総動員」を競った「産業至上主義時代(1960年代〜1990年代)」も過ぎ去った後で残されたのはそれだったのである。和製コンテンツが世界に躍進した 時期でもあったが、例えば竹宮ゆゆことらドラ!(原作2006年〜2009年、アニメ2008年〜2009年)」が海外アニメファンの心に刻みつけた最も印象的なセリフが「私は何があっても自分にとって何が幸福か自分で決める権利を手放さない!!」であった事を忘れてはその優位を保ち続ける事は不可能だったりする。

*大陸的勢力均衡論の世界にあっては、自ら爪や牙を捨てた「優し過ぎる獣」は軽蔑されながら死に絶えていくのみ。そして、むしろ相手をそういう状況に追い込む扇動者の方が「サバイバルの上級者」として賞賛される世界でもある。

当時は村上龍コインロッカー・ベイビーズ(1980年)」に込められた盲目的破壊衝動を思い出したりもしたものです。本当に直視に耐えない現実にどう向き合うか? 実は正面から向かい合う方法なんて人類は備えていんじゃなかろうか? それはカート・ヴォネガット.Jr.の手になる「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを(God Bless You, Mr. Rosewater、1965年)」や「スローターハウス5(Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death、1969年)」における主要テーマではなかったか?


そして人類は改めてそうしたほとんど「過去の遺物」として葬り去られる事に成功していた時代精神を思い出させられる展開に…

原作者テッド・チャンは『あなたの人生の物語』の〈作品覚え書き〉の中で、こう書いている。

この話は、物理学の変分原理に対する興味から生まれた。はじめてこの原理を学んだ時からずっと魅力的な原理だと思っていたのだが、乳ガン闘う妻を題材にしたポール・リンケの一人芝居、〈生きている君といると時が立つのを忘れる〉を見るまで、小説のなかにこの原理を生かす方法が見当たらなかった。芝居を見て、人が避けられない事態に対処する話のなかで、変分原理を使えるかもしれないと思いついた。

数年後、その考えと、新しく母となった友人が生まれたての赤ん坊について口にしたことと合体して、この話の核になった。

ポール・リンケはTVシリーズ『白バイ野郎ジョン&パンチ』などに出演していた俳優で、妻が余命宣告された時、夫妻は子どもを作ろうと決めたのだという。この夫妻の決断が、物語の中でのルイーズの決断につながっている。テッド・チャンは更にこう続けている。

この話のテーマをもっとも端的にまとめたものは、『スローターハウス5』二十五周年記念版の自序でカート・ヴォネガットが語っている次の文章といえようー
スティーヴン・ホーキングは……われわれが未来を思い出すことができないのをじれったく思っている。ところが、未来を思い出すことなど、いまのわたしには児戯に等しく思える。わがよるべなき、疑うことを知らぬ赤ん坊たちがどうなるか、わたしにはわかっている。なぜならば連中はもうおとなになっているからだ。わが親友たちがどんな最期を迎えるのか、わたしにはわかっている。なぜなら彼らの多くが引退したり、死んじまっているからだ……。

スティーヴン・ホーキングや、ほかのわたしより若い連中にこう言ってやりたい。「しんぼうしていたまえ、諸君の未来は、諸君が何者であろうと、足下に寝そべるだろう」と』

 カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』は、現在、過去、未来という時間概念を持たない宇宙人に攫われた主人公が自身の現在、過去、未来をデタラメにタイムトラベルする話。第二次大戦中ドイツ軍の捕虜となっていたヴォネガットドレスデン連合国軍(味方)の大空襲にさらされるという自身の経験が色濃く反映している作品。

1990年代に入ると1960年代におけるニューウェーヴSFや反体制ファンタジーに端を発する「TV系サイバーパンク文学」の作家達が年老いて社会的決定論に屈する黄昏の時代を迎えます。そうした基本的流れがあるからこそ陰鬱なJ.P.ホーガン「仮想空間計画(Realtime Interrupt、1995年3月、邦訳1999年)」から(一見希望に満ちているかの様に見える)河原礫「ソードアートオンライン・シリーズ(2001年〜)」への流れは国際的注目を集めたのです。

テッド・チャン(姜峯楠)「あなたの人生の物語(Story of Your Life、1999年)」からドゥニ・ヴィルヌーヴ監督映画「メッセージ(Arrival、1016年)」に至る流れも時代的にはほぼ重なっています。それではこの系譜は一体何に触れたのか? 要するにそういうことについて、これから何回かに分けて投稿を試みようと考えているという次第。