スイスのローザンヌで毎年行われる、15歳から18歳までのバレエダンサーを対象としたコンクール。スイスの非営利法人である舞踊振興財団(Fondation en faveur de l'Art chorégraphique)によって1973年から開催されている。ヴァルナやモスクワなどの旧来のバレエコンクールとは異なり、若手ダンサーにキャリア形成につながる道筋を開くことを目的に掲げている。
森の丘や古塚での秘儀を伝承するドルイドの末裔が「ダブリンのイケメンに生まれ変わりたい!!」と叫ぶネタ現る。そう、アイルランド人が「君の名を」を見るにはわざわざ都心部まで出向くしかなかったのだった。何たる地域格差!! *そもそもアイルランド人と日本人は自然を崇拝する世界観を共有してるっぽい。 Essence of Nature and Self
もう一つの問題点はWhite Peopleなら全員インディアンやインディオを虐殺し、黒人を奴隷化してきた歴史の連帯責任者で、略奪しても強姦しても殺しても罪にならないと考えている発想の粗雑さ。むしろナチス的優越主義の域にあるとさえ指摘される事がある。もっともこれは、マスコミがマフィアやヒスパニック自警団と黒人ギャングの衝突すら「白人と黒人の衝突」と報道して「またもや黒人の権利が脅かされている」と書き立てて思い上がらせてきたマスコミやリベラル派の粗雑さにも責任の一端がある。 *BLM急進派は、マスコミやリベラル派が敬意を払っているのは「黒人公民権運動の爪痕」に対してだけで、黒人そのものは相変わらず内心では同じ人間と認めていないと考え、彼らすら「白人の例外」と認めてない。その一方で彼らへの「えこひいき」が他のマイノリティの間にマスコミやリベラル派に対する不満を鬱積させてきた。こう考えてみると、リチャード・ホフスタッターが「アメリカの反知性主義(Anti-intellectualism in American Life、1963年)」の中で「傲慢なインテリ=ブルジョワ階層独裁体制は必ずや反動を引き起こす」と警告し、実際それにヒッピー運動と黒人公民権運動が続いた展開の再来は時間の問題だったとも。 guns & puppies
「ロッキー(Rocky、1976年)」「ドゥ・ザ・ライト・シング(Do the right thing、1989年)」「グラン・トリノ(Gran Torino、2008年)」といった傑作群はこうしたアメリカの現実を直視する立場から生まれてきた訳ですが、まだ「ムスリムとの現実的関係」を主題とした傑作は未登場。案外こういう辺りがネックになるのがアメリカ。 *それをいうならロシア系やヒスパニック系も微妙な立場。一応前者にはナボコフの「ロリータ(Лолита - Lolita、1955年)」が、後者にはガルシア=マルケスの「百年の孤独(Cien Años de Soledad)」があるのだけれど、とにかくアメリカにおいて黒人やユダヤ系移民や南イタリア系移民やアイルランド系移民ほどは「文化的強者」ではない…