諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【踏み絵としての「シン・ゴジラ」】21世紀におけるリベラル派と保守派の「役割交換」について

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 全然中道派を動員出来ないリベラル層…その一方で21世紀には全体構造としてリベラル派が保守主義的思考様式を奉じ、保守派が進歩主義的思考様式を奉じる時代になったとも見て取れる展開となりました。

世界観が真っ向から対立することの多いリベラル派と保守派だが、実際、脳の構造が異なっていたとする研究成果が、7日の米科学誌カレント・バイオロジー(Current Biology)に発表された。

ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(University College London、UCL)の研究チームは、健康で若い成人90人を対象に実験を行った。自分の政治的志向を1の「非常にリベラル」から5の「非常に保守的」まで5段階で評価してもらったあと、脳をスキャンした。

その結果、リベラル派であるほど前帯状皮質灰白質の容積が大きく、保守派であるほど右へんとう体の容積が大きい傾向があることがわかった。

帯状皮質は複雑性の理解に関連しており、不確実性や対立をチェックする機能を持つ。そのため、前帯状皮質が大きい人ほど不確実性や対立への認容性が高く、リベラルな物の見方を許容しやすくなると考えられるという。

一方、へんとう体は恐怖心の処理に関連しており、これが大きい人ほど、反感や脅すような表情に敏感で、危機的状況に際してはリベラル派以上に攻撃的に反応する傾向があるという。

これまで、一定の心理的特性でその人の政治的志向を予測できることは知られていた。政治的志向を脳活動と関連付けた研究はあったが、脳の構造と結びつけた研究は今回が初めて。

こういう研究もありますが、第二世代フェミニズムと大三世代フェミニズムの対立に典型的な形で見て取れる様に、現実の世界においてはリベラル派が伝統的守旧派と同じくらい価値観の異なる相手や環境の変化に不寛容で戦闘的態度を剥き出しにする様になる一方で、新世代の保守派はその漸進主義ゆえにあらゆる展開に穏便な対応を望む様になりつつあるのです。

ただしこうした変化はそもそも一般に国際的には、社会を「左翼と右翼の対立」として把握する従来の価値観を放棄し「(従来の価値区分における極右と極左を中心とする急進主義的な)現状懐疑派と(従来の価値区分における中道派を中心とする漸進主義的な)現状維持派」の対立」という新たな区分に移行するものと目されています。

なにしろ一般に「宗教右翼」と目される事が多い「アメリカの福音派」でさえ「(一刻も早く米国全土に自らの正しい価値観を強制したいと考えている年配者中心の)急進派」と「(いきなり他人に自らの価値観を押し付けるのは不可能という諦観と分別を備えた若者中心の)漸進派」に分裂してしまいました。こういう時代には確かに全体を現状懐疑派と現状維持派に二分するくらいしか全体像を俯瞰する方法がなくなってしまうのかもしれません。
リベラルと福音派の見分け方

それにしても、どうしてこんな「役割交換」が起こってしまったのでしょうか。

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【黒澤明】【石原慎太郎】【三船敏郎VS石原祐次郎】【宝塚】1950年代におけるドストエフスキー「白痴(1868年)」に関する2つの解釈

昭和は遠くなりにけり…ですか。

おそらくアロハ・シャツに慎太郎刈り(角刈り)の「太陽族の時代(1955年〜1956年)」と、レザー・ジャケットやウェスタンにリーゼントの「ロカビリーの時代(1958年以降)」は、決っして混同してはいけないのです。実際には両方の時代がかなりの程度まで重なってるとしても。
ウエスタンからロカビリーの時代

太陽族映画三部作」の掉尾を飾る石原慎太郎原作映画「狂った果実(1956年)」では「太陽族=裕福な家庭の出身ながら、大人達への失望から堕落を望んでる大学生の若者達(ただしマリンスポーツ好きで体を鍛えており、割と体育会系)」の中心的存在となっている年長の日系人平沢フランク(岡田眞澄)だけがリーゼント姿。

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  • 舞台は逗子海岸のヨット・ハーバーで、拠点となるのは彼が管理を預かってるヴィッラ(villa=別荘)だが、おそらく彼が好き放題使ってる車もヨットも預かり物。ちなみにヴィッラの語源は古代ローマ帝国時代、すなわち地中海沿岸の、あの空ばかり青い渇いた地中海沿岸の景色をイメージさせる。
    *それは国際的にアメリカの西海岸と日本の逗子海岸を結びつけるキー・イメージでもある。

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  • 太陽族の連中が争う様にウィスキーを飲みたがるのを横目に、自分は焼酎。太陽族の若者達と異なり、彼自身にはアメリカ文化への憧憬などなく、だからこそ日本に活路を見出そうとしている雰囲気が見受けられる。
    *物語の進行過程で「スノビズムからウィスキーを飲みたがっていた太陽族の連中」は一人残らずヴィッラ(villa=別荘)から消え失せてしまう。彼らは期待に胸を膨らまして新しく出来たクラブに馳せ参じたもの、他のクラブと何ら変わらない事に失望し「どこへ行っても日本は日本ですよ」と嘆く。しかしながらフランク側からすれば、単純極まりないアメリカへのスノビズムに陶酔する彼らの存在こそが「どこへ行っても日本は日本ですよ」状態だったのかもしれない。映画の進行は、それがフランク側の堪忍袋の尾が切れて追い出した結果か、それとも「太陽族の連中」側の堪忍袋の尾が切れてフランクと決別した結果について、観客に判断を委ねる体裁を取っている。

  • 女は世間の回りもの」と達観し、人から容赦なく奪う一方で、何の躊躇もなく手放す。その態度はこの物語において滝島夏久(石原裕次郎)・春次(津川雅彦)の人生を狂わす「魔性の女」恵梨(北原三枝)の浮気を容認する外国人の夫(ハロルド・コンウェイ)のスタンスに通じる。
    *フランクいわく「女と魚はいつの間にかいなくなるものさ」。しかし両者はその「軽薄な」スタンス故に「魔性の女」恵梨(北原三枝)と、夏久(石原裕次郎)・春次(津川雅彦)兄弟の破滅を食い止められない。どちらも「さらなる深淵」には近づかない事で命脈を保っているリアリストなのである。これが当時の日本人の目に映ったアメリカ?

  • 意外にも射撃の名手。射撃に興じている瞬間だけ、心の奥底に抱えている鬱屈を垣間見せる。GHQ占領時代(1945年〜1952年)には、多くの日系人米兵が通訳として来日した。元その一人だったか、あるいはその息子という設定?
    日本人部隊「442連隊」の活躍 | 日系アメリカ人の歴史 | 現地情報誌ライトハウス

おそらくフランク自身は生粋の上流階層ではなく「日本の上流階層に取り入って立身出世を果たそうと考えている下賎の出自」といったイメージなのでしょう。まさしくスタンダール「赤と黒』(Le Rouge et le Noir、1930年)の世界。当人にエリートとしての驕りはありませんが、それでも、いやむしろそれ故に「太陽族の連中」には(少なくとも一時的には)眩しい憧憬の対象となった訳です。こういう複雑な人物がオスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray、1890年)」におけるメフィストフェレス役、すなわち「逆説的道徳家」ヘンリー・ウォットン卿を演じるのですから、坂口安吾が「堕落論(1946年)」でいくら「まず堕ちてみよ」と煽ったとしても、その堕落にはおのずから限界があったとも。いやむしろ、こういう展開を見据えたからこその「堕落論」だったとも。

坂口安吾 堕落論

映画「狂った果実」の予告編では思いっ切り「背徳の世界に乱れ狂う若さ!!、若さ!!、若さ!!」とか煽ります。しかしながら「メフィストフェレス」のフランク(岡田真澄)や魔性の女」役の恵梨(北原三枝)が見知った深淵と比べれば、彼らの求める退廃など所詮は「お坊っちゃまの悪戯心」の域を出るものではなく、それ故に逆説的に安全だったりしたとも。

*現代人の感覚では「ホウボウの様に美しいが棘だらけの魔性の女と出会いたい」という表現が今ひとつピンとこない。でも、まさにその率直な感想こそが「不良だけど肉体だけは鍛え上げたマリン・スポーツ青年だった太陽族」を読み解く鍵とも。そういえば大正時代、学生ゴロやヤクザを叩きのめした「華族愚連隊」も、正体は案外「ボクシング・ジムに真面目に通うスポーツ青年」だったりしたのである。その起源はさらに幕末、身分を問わず解放されて独特の空気を醸成した剣道道場にまで遡るとも。

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*そういえば黒澤明監督映画でも「生きる(1952年)」に登場する小説家(伊藤雄之助)、自称「代償を求めない善良なメフィストフェレス」も、岸田國士が「最大の悪党」と表現した「どん底(1957年)」における遍路の嘉平(左卜全、原作では巡礼のルカに相当)もそういう存在が現世と半次元ズレてる感じのキャラクターながらそれなりに「安全」な存在として描かれている。マルキ・ド・サドの如き、鬱屈のあまり近づく者全てを堕落させ餌食とし、同等の相手とは騙し合いと殺し合いしか存在しない18世紀リベルタン(Libertin)的暗黒ロマンティズムはむしろ無縁なのが、フランス人にとってすらある意味心地よかったとも。

40夜『ドリアン・グレイの肖像』オスカー・ワイルド|松岡正剛の千夜千冊

学生時代、サド裁判(1959年〜1969年)というものがあった。

ぼくが初めて公判という場に行ってみた裁判である。サドの『悪徳の栄え』の翻訳が猥褻罪であるということで開かれた裁判だった。まだ若かった澁澤龍彦が裁かれるのである。

マルキ・ド・サドが裁かれるという、当時の思想者たちがやたらに興奮していた“思想的話題”にはそれほど関心がなかったぼくは、ただ澁澤龍彦を見るために公聴券を手に入れた。当時の澁澤龍彦が、ぼくの当面のヘンリー・ウォットン卿だったからだ。

その後、澁澤龍彦とは土方巽アスベスト館や神田の美学校で出会い、さらに鎌倉の書斎で何度も話しあうことになった。

ところが、その澁澤さんと最初に話してみたかったことはヘンリー・ウォットン卿のことだったのに、ぼくはついに一度もその話題を交わせなかった。

その話題を持ち出せなかったというより、持ち出さないほうがずっといいように思えたからだったろう。それに澁澤さんはちっとも悪魔主義的ではなかったのだ。ちなみに、ぼくが澁澤さんと交わした話題は、澁澤さんとよく話しこんだのが亡くなる十年前ほどの時期が多かったせいもあるのだが、むしろ中世日本の神仏習合についてのことだった。
*またもや鎌倉!!

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【オルタナ右翼】本拠地の一つredditスレを失陥。だが国際SNS上の関心空間は動かず。

ふむ、そうきましたか。

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掲示板redditが「alt-right(オルタナ右翼)」のスレッドをアクセス禁止にしました。

アクセスが禁止されたのは「r/altright」と「r/alternativeright」のサブディレクトリで、白人至上主義や反フェミニズムなどの極端な思想を持ついわゆる「オルタナ右翼」のユーザーが利用していたスレッド。これらのオルタナ右翼御用達のスレッドにはドナルド・トランプ大統領の熱烈な支持者が集まっていることでも知られていました。

redditは有名な2つのオルタナ右翼のスレッドを閉鎖した理由について「個人情報や不確かな情報の書き込み」がサイトのポリシー違反であることを挙げています。redditの運営によると、「オルタナ右翼はコンテンツポリシー違反を繰り返したのでbanしました。この種の問題についてはただ一つの解決策はなく、私たちはredditユーザーすべてのユーザー体験を改善するべく善処していきます」と述べています。

今度はどこに寄りつくのかな? 因みにTumblr上の反応は以外と冷淡。国際SNS上の関心空間ばかりか、ここを本拠地とする左翼諸派も猫またぎ。

Twitter上でも関連ニュースの回覧があるだけで、特に論争は起こってない模様。

ただ「今度はTwitterの番だ!!」という声が少しずつながら大きくなっている様です。

Science as a Candle in the Dark

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その一方で「オルタナ左翼(Alt-Left)」がネット上から(一時)撤収したせいで孤立感をより深めてるのがNation of Islam崩れのBLM(Black Lives Matter)急進派のみなさん。 Facebook拷問Live事件を起こしたのも、カナダでモスクを焼いたのも、どうもこのグループらしいと目されている。リベラル派のみなさん、こんな連中を擁護してる限り何時まで経っても中道派は動かせませんぜ?

This literal #Tea tho☕ | PERFECT DELUSION

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とりあえず国際SNS上の関心空間上の中道右派も無反応ってことは、思うよりユーザー・アカウントが重なっていなかったって事。これが今回仕入れた一番重要な情報とも。その一方で「バレンタイン大喜利」では中道右派が大躍進…

あとは以下続報… 

【反歴史修正主義の大源流】【ハレンチ戦争】【デビルマン】【戦争と人間】保守主義的思考とスペクタル史劇

ハリウッドが1970年代に量産した大規模パニック映画。

その前史には1950年代から1960年代にかけて国策的に量産されたスペクタル史劇の存在がありました。両者をつないだ「顔」はこの人。

チャールトン・ヘストン(Charlton Heston, 1923年〜2008年)

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アメリカ合衆国イリノイ州エヴァンストン(Evanston)出身の俳優、社会運動家。身長191cm。妻は女優のリディア・クラーク、長男は映画監督のフレイザー・ヘストン(Fraser Heston)。

  • イリノイ州の中心部シカゴの北に隣接するエヴァンストンに生まれ、ノースウェスタン大学卒業後はアメリカ陸軍に入隊し、第二次世界大戦には爆撃機の搭乗員として参戦していた。

  • 退役後1950年に最初の映画に出演、『ミケランジェロの彫刻のように美しい』と称された肉体美と精悍なマスク、格調高い演技力でいくつもの名作に出演し、1959年には映画『ベン・ハー』でアカデミー主演男優賞を獲得した。ハリウッド黄金期後期を支え、日本人にも馴染み深い大作やSF映画の主演も務めた。

  • 1966年から1971年までは、俳優組合の会長をつとめた。

  • 演じる役柄、出演作が幅広かったことで知られ、とくに当たり役となった歴史劇『十戒(1956年)』『ベン・ハー(1959年)』『エル・シド(1961年)』『華麗なる激情(1965年)』等では歴史上の英雄を、『ハイジャック(Skyjacked、1972年)』『大地震(Earthquake、1974年)』等に代表されるパニック・アクションのタフガイな主人公をそれぞれ演じ分けた他、更には『猿の惑星(Planet of the Apes、1968年)』や『ソイレント・グリーン(Soylent Green、1973年)』などの娯楽作、異色作にも登場しイメージを一新した。1980年代以降は『ピラミッド』などのオカルト的作品の悪役で性格俳優の一面も見せ、90年代も個性的な名脇役として親しまれ晩年まで出演を続けた。

  • 『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(2001年)ではゼイウス(猿側の将軍セードの父)役でカメオ出演した。

  • 『MY FATHER』(2003年)ではアルツハイマーに苦しみながらも「死の天使」と恐れられたヨーゼフ・メンゲレを圧倒的な存在感で演じた。

社会運動家としても相応の実績を残す。
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私生活は大変堅実で、ハリウッドスターとしては大変珍しく離婚歴はなく、20歳の時に結婚したリディア夫人と自身が亡くなるまで64年間連れ添った。2008年4月5日夜半過ぎ、自宅にて夫人に看取られ84歳で死去。アメリカのメディアはトップニュースでヘストンの死去を報じた。

アメリカにおける「黄金の1950年代」のイメージは当時封切られたスペクタル史劇、すなわち主に聖書や古代ローマ時代の世界に題材を求めた大作群と深く結びつけられており、その起源はさらにセシル・B・デミルの「十誡(The Ten Commandments、1923年)」「キング・オブ・キングス(The King of Kings 、1927年)」「暴君ネロ(1932年)」「クレオパトラ(1934年)」といった大作路線にまで遡ります。

こうした動きはアメリカにおける保守主義の形成過程に大きな影響を与えたばかりか、その影響を共産主義圏や日本にまで伝えたという点で各国の歴史観を構成する重要要素の一つだったりするのでした。

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【芸術と権力】【北朝鮮】迂闊に資本主義社会は手放さない方が良い見本?

領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的体制」においては、商品経済未発達の為、芸術家は王侯貴族や聖職者の顔色を窺いながら暮らしを立てるしかありませんでした。そうした時代にユニークな題材に取り組むには、相応にユニークなパトロンを必要としたのです。

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 しかしもちろん、いつまでもこうした時代が続いた訳ではありません。

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【黒澤明】【石原慎太郎】【特攻型ムイシュキン】「太陽族」こそ「オルタナ右翼(ALT-Right)」の大源流?

黒澤明監督映画「悪い奴ほどよく眠る(The Bad sleeps well、1960年)」に登場する 西幸一(三船敏郎)と板倉(加藤武)の「義賊コンビ」には二つの謎があります。

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  • どうして彼らのブローカー仕事の第一歩は「軍需工場から盗み出した菜種油を金持ちの別荘地だった湘南に売りに行く事」だったのか。

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  • 板倉の両親が室蘭艦砲射撃で死んだ事にどういう意味が込められてるのか。

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もしかしたら背後にあったのは、黒澤明を駆り立ててきた、とある作品への執着心だったのかもしれません。その作品の名前はフョードル・ドストエフスキー「白痴(Идиот、1868年)」。自らも1951年に舞台を札幌に移して映像化を試みていますが、皮肉にもむしろ海外(特にフランス)で高く評価されたのは、舞台を湘南に移した石原慎太郎原作「狂った果実(1956年)」の方だったのです。

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【沈黙 -Silence-】ポルトガルと日本は先天的ナチス国家?

はてなブログアクセス解析によれば、どうやら「ポルトガルと日本は先天的ナチス国家」と熱狂的に信じてる人達がいて、私のポルトガル関連投稿はそういう人達に読まれている様です。しかも彼らが考えている問題の最終解決手段は「現政権を打倒しての鎖国再決行」。まるで遠藤周作「沈黙(1966年)」における長崎奉行井上筑後守の再来?

題名未設定

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【テンプル騎士団が形を変えたのがイエズス会 十字軍の世界進出】 - 高度自給自足時代の夜明け 【先進国の未来像】

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テンプル騎士団の最後

聖地エルサレムを奪還するという大義名分で、実際は略奪集団であり、虐殺レイプ集団であり、十字軍の中心であり、一方で現在の金融システムの基礎となったテンプル騎士団がフランスのフィリップ4世により潰されました。テンプル騎士団は莫大な資金を元手に王様たちに金貸しをしていた。返済に困った王様達が、借金を踏み倒し、テンプル騎士団の財産を奪おうとした。これがヨーロッパ全土に広がっていったわけです。

しかし、ポルトガルだけは、イスラム勢力を追い出したレコンキスタに貢献したという理由で、テンプル騎士団は解散されましたが、その代わりにキリスト騎士団として存続を許される事になったのです。一方、フランスのテンプル騎士団の財産はマルタ騎士団に引き継がれます。そして日本の天皇マルタ騎士団のメンバー。それに加え、天皇家は明治からずっとガーター騎士団のメンバーです。

それって最近、アメリカのトランプ・サポーターが穿り出して広めてる有名な陰謀論の一つですよ?

現在国際的に「左翼(リベラル派)と右翼(保守派)」という対立構造が崩壊して「現状維持派(漸進派)VS現状懐疑派(急進派)」みたいな対立構造に再編される動きが顕著ですが、後者は日本においてすらこういう「プロテスタント陣営がカソリック陣営に仕掛けてきた伝統的陰謀論」まで含んでる様です。なるほど、もは「極右」や「極左」といった単語が何を意味するかも分かりません。

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