おそらくフランク自身は生粋の上流階層ではなく「日本の上流階層に取り入って立身出世を果たそうと考えている下賎の出自」といったイメージなのでしょう。まさしくスタンダール「赤と黒』(Le Rouge et le Noir、1930年)の世界。当人にエリートとしての驕りはありませんが、それでも、いやむしろそれ故に「太陽族の連中」には(少なくとも一時的には)眩しい憧憬の対象となった訳です。こういう複雑な人物がオスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray、1890年)」におけるメフィストフェレス役、すなわち「逆説的道徳家」ヘンリー・ウォットン卿を演じるのですから、坂口安吾が「堕落論(1946年)」でいくら「まず堕ちてみよ」と煽ったとしても、その堕落にはおのずから限界があったとも。いやむしろ、こういう展開を見据えたからこその「堕落論」だったとも。
演じる役柄、出演作が幅広かったことで知られ、とくに当たり役となった歴史劇『十戒(1956年)』『ベン・ハー(1959年)』『エル・シド(1961年)』『華麗なる激情(1965年)』等では歴史上の英雄を、『ハイジャック(Skyjacked、1972年)』『大地震(Earthquake、1974年)』等に代表されるパニック・アクションのタフガイな主人公をそれぞれ演じ分けた他、更には『猿の惑星(Planet of the Apes、1968年)』や『ソイレント・グリーン(Soylent Green、1973年)』などの娯楽作、異色作にも登場しイメージを一新した。1980年代以降は『ピラミッド』などのオカルト的作品の悪役で性格俳優の一面も見せ、90年代も個性的な名脇役として親しまれ晩年まで出演を続けた。
『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(2001年)ではゼイウス(猿側の将軍セードの父)役でカメオ出演した。
アメリカにおける「黄金の1950年代」のイメージは当時封切られたスペクタル史劇、すなわち主に聖書や古代ローマ時代の世界に題材を求めた大作群と深く結びつけられており、その起源はさらにセシル・B・デミルの「十誡(The Ten Commandments、1923年)」「キング・オブ・キングス(The King of Kings 、1927年)」「暴君ネロ(1932年)」「クレオパトラ(1934年)」といった大作路線にまで遡ります。
ティツィアーノ(Tiziano Vecellio、1488年/1490年頃〜1576年)が時代を超越して数々の扇情的な(寓話性や神秘的装飾を一切排除した純粋にエロティックなだけの)絵画を残せたのは、明日をも知れぬ毎日を送る身上ゆえに本能的欲求に忠実に生き様としたコンドッティエーレ(condottiere、イタリア傭兵隊長)をパトロンに迎えたからだった。その彼らでさえ、そうした絵は閨房や(ルネサンス出版文化の産物ともいうべき)書斎といったプライベートな空間に飾っていたと考えられている。有名な「ウルビーノのヴィーナス(伊Venere di Urbino、英Venus of Urbino、1538年)もまたそうした制作環境の産物だった。