諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【未来を花束にして】【与謝野晶子】その頃、日本の女性解放運動はどうなってた?

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「未来を花束にして(Suffragettes、2015年)」が日本でも封切られ、テロをも辞さなかった女性参政権運動サフラジェット(Suffragettes)が話題となってますが、この運動自体は、欧米目線では「現代日本人の観点から見た幕末尊王攘夷志士」みたいな存在なんですね。

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①あくまで「男女同権の精神」の起源はこれ。

近代社会は、生まれではなく功績によってその人の評価が決まるという原則に基づいている。この原則を実質化するためには、法律によって外的に規制するだけでなく、家庭で子供に男女の同権感覚を育ませる必要がある。これは彼が大人になったのち、他者を一個の人格として承認するために必要な素養だ。

だから、実際に男女で真の権利的平等が実現するには相当の時間がかかるが、そうしたプロセスによってこそ、近代社会の正当性である「自由」は空文化せず、実質的なものとなるのだ。

公教育の原理」を著したコンドルセは「公教育の父」とされる。

  • 法律さえ立派につくられていれば、無知な人間も、これを能力ある人間となすことができ、偏見の奴隷である人間も、これを自由ならしめることができると想像してはならない。

  • 天才は自由であることを欲するものであって、いっさいの束縛は天才を委靡させるものである。

  • 法律を愛するとともに、法律を批判することができなければならない。

コンドルセはまず「公教育は国民に対する社会の義務である」と主張する。

  • 「人間はすべて同じ権利を有すると宣言し、また法律が永遠の正義のこの第一原理を尊重して作られたとしていても、もし精神的能力の不平等のために、大多数の人がこの権利を十分に享受できないとしたら、有名無実にすぎなかろう」。つまり彼にとって公教育とは、権利の平等を実質化するのが本質と認識されていたのだった。

  • フランス革命を経て、市民は法律によって「自由」と「平等」を手に入れた。しかしコンドルセは言う。この「自由」と「平等」は、教育によって初めて十全なものになるのだと。「権利の平等の実質化」、そして、そのためにすべての子どもに「知識および品性とその獲得の手段を保証する」こと。これがコンドルセの提示した公教育の原理である。

  • その一方でコンドルセはこうも主張する。「公教育は知育のみを対象とすべきである」「公権力は思想を真理として教授せしめる権利を有しない」。専制政治からの解放によって、市民は思想の自由を手に入れた。それゆえこの思想の自由を保障するために、公教育は思想教育を排し「知育」に限定するべきであると考えた訳である。

また彼は男女共学の思想の先駆者でもある。「男子に与えられる教育に、女子も参加することが必要である」。市民の権利は皆平等だ。だからそこには男女の区別はない。コンドルセはそう主張した。ルソーですら「エミール」の中で男女の教育は別々が当然だと書いているにも関わらず。その意味で、コンドルセのこの思想はきわめて先駆的なものだったといっていい。

②そしてジョン・スチュアート・ミルの遺志を継承して地道なロビー活動を続け、最終的にロイド・ジョージ連立政権から「1918年国民代表法(Representation of the People Act 1918)」を直接勝ち取ったのは、あくまでミリセント・ギャレット・フォーセット(Millicent Garrett Fawcett、1847年〜1929年)率いる穏健派の女性参政権協会全国連盟(National Union of Women's Suffrage Societies、NUWSS)だったという事。

③でも日本でも「明治維新慶喜将軍率いる徳川幕府薩長土肥ら倒幕側の政治的駆け引きの産物」と断言したら、必ず「本当に尊王攘夷志士達は歴史上何の役割も果たさなかったのか?」と言い出す人が現れます。同様に「例えばこうも考えられるよね」と提案的に提出された作品が「未来を花束にして(Suffragettes、2015年)」だったという次第。

現代日本に「尊王攘夷志士達こそ最終勝利を飾り、新政権を築くべきだった」と考える人間がほとんどいない様に、欧米にも「最終的勝者はサフラジェット(Suffragettes)たるべきだった」なんて考える人間自体はほとんどいません。だが。それはそれとして「こうした人々の生きた世界とは、一体どういうものだったのか?」についての関心は尽きず、まさにその要求に対して一切の虚飾なく緻密でシャープな切り口で応えたのがこの作品だったという事になります。
*一番興味深いのは、別に「国内外のラディカル・フェミニストあたりが絶賛」とか、そういう動きも別に見られないという事。彼女らにとって「(運動継続に支障が出るので)できれば表沙汰にして欲しくなかった側面」みたいなものも相応に映像化されてるらしいという事。

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それでは同時代日本の女権運動はどうなっていたのでしょうか? その気になれば誰でも与謝野晶子1878年〜1942年)の同時代証言に目を通せますね。
*多分「未来を花束にして(Suffragettes、2015年)」を鑑賞して「同じ問題に対する同時代の別アプローチ」を知った後の方がスラスラ頭に入ってくる。

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【未来を花束にして】【マグニフィセント・セブン】【幕末太陽傳】まさかの英国発「本格派Samurai Movie」?

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もしかしたら世界に向けて「Samurai Movie」が発信可能なのは日本と英国くらいなのかもしれません。そう思いついたのは「13人の刺客(1963年)」リメイクの「アイアンクラッド(Iron Clad、2010年)」を鑑賞してからでした。

騎士の誓いを立てたが故に私のこの手はエルサレムで民衆虐殺の血に染まった。だが騎士の誓いなしに今の私の存在もまたない」と苦悩するテンプル騎士団所属の主人公(「七人の侍(1954年)」における勘兵衛(志村喬)、「13人の刺客(1963年)」における島田新左衛門(片岡千恵蔵)の役)。悪役ジョン王の「国王に対する悪逆は容赦なく罰されねばならぬ」の決め台詞…続編における勘兵衛 /島田新左衛門役が「フランス嫌いの若きリュジニャン家の一員」なのもまた渋い選択。

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【與那覇潤】【中国化する日本】【未来を花束にして】そもそも中国の最近の躍進は「中国化」のせい?

そもそも 與那覇潤「中国化する日本」の抱える最大の胡散臭さ。それは「世界には(閉じられた部族社会的な)日本型国家と(開かれた自由社会的な)中国型国家の2種類しかない」という前提から出発している点にあります。 

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與那覇潤「中国化する日本」Amazon書評より

中国は本当にメリトクラシーの国ですか? ねっとてんぐ2012/6/15

挑発的な表題と、いささか軽薄な物言いが気になりますが、著者のいうことはだいたい納得がいきます。中国は宋代に近代が始まり、都市市民社会をベースにしたメリトクラシー実力主義)の国になったという評価は、トンデモ説でもなんでもありません。

ただ、著者はあえて無視しているのだと思いますが、『科挙と近世中国社会―立身出世の階梯』にあるように、中国社会は決して誰にでもチャンスが約束された機会平等の社会ではありませんでした。科挙に挑戦できるのは、経済力のある一部郷紳層に限られ、事実上の身分制が形成されていたのです。
何炳棣「科挙と近世中国社会―立身出世の階梯 単行本 – 1993/2」

メリトクラシーの反対はアリストクラシー(貴族制)ということになるでしょうが、両者は截然と分けることができるものではありません。そもそも科挙自体、はたしてメリトクラシーの原則から作られた制度であるか疑問です。もしそうであるなら、科挙はもっと実学的な基準からえらばれたことでしょう。著者は諸々の歴史事象を二元論で説明しようとしているので、いろいろなことを見落としている。 

メリトクラシー(meritocracy)に アリストクラシー(Aristocracy)?
メリトクラシー - Wikipedia
貴族制 - Wikipedia

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【與那覇潤】【中国化する日本】ここでいう「中国」はオスマン帝国やフランス絶対王政の事でもある?

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那覇潤が「日本は中国化しつつある」という時の中国とは宋朝(960年〜1279年)の事です。さらには、当時の宋朝産業革命一歩手前まできていたとします。

でも実際に示唆してるのはオスマン帝国(1299年〜1922年)やフランス絶対王政(17世紀後半〜18世紀)の事かもしれません。調べれば調べるほど両者はよく似ているのです。で、これらの国はかえって産業革命導入時に大変な苦労する羽目に陥ったのです。

そういえばトルコには「オスマン帝国の復活」を望む声がある様です。おそらく実現は不可能でしょう。というのも、オスマン帝国の前身ともいうべきセルジューク朝(1038年 〜1308年)の成立に不可欠だった最重要ピースが失われてしまっているからです。
*多民族帝国を統合してきたスンニ派古典思想が(朱子学的鋭敏さを備えたタウヒード原理主義運動たる)ワッハブ運動台頭によって全面否定されるに至った事を意味する。

一方フランスは「絶対王政の軛」に丸1世紀近く振り回され続ける羽目に陥り、むしろそうした伝統と決別する形で産業革命導入に成功します。一方、それが出来なかったロシア帝国やハプスブルグ帝国やオスマン帝国や東欧諸国は産業革命導入に失敗し、後進国への転落を余儀なくされる展開に。

共産主義諸国は、原則としてこうした時代の徒花として誕生し、そして消えていったとも。

本当に宋朝は「産業革命の一歩手前まで来ていた国」だったのでしょうか?

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【與那覇潤】【中国化する日本】【世界三大発明】「中国宋朝こそ近代の起点」なる主張の死角。

那覇潤が「日本は中国化しつつある」という時の中国とは宋朝(960年〜1279年)の事です。そしてこの主張は「そもそも近代は中国から始まったと世界中が認めつつある」という歴史的真実に立脚しているとされています。

 與那覇潤「中国化する日本:日中文明の衝突一千年史(2011年)」

最新の思想史研究では、ヨーロッパの近代啓蒙主義を、宋朝(960年〜1279年)で体系化された近世儒学のリメイクとして考えます。「神」の概念抜きで純粋に人間の理性を信奉する宋明理学の教えが、西洋近世の哲学者たちが中世のキリスト教的世界観を脱する上でも触媒になったからです(井川義次『宋学の西遷』)。また「西洋ルネッサンスの三大発明(火薬・羅針盤活版印刷)は、実はどれも宋代中国の発明だ」という話は、高校の先生でも気の利い利いた方なら教えてくれたでしょう。しかしプロの経済史研究者はそこからさらに進んで、

①なぜヨーロッパのような「後進地域」が、宋朝中国という「先進国」を奇跡的に逆転して、産業革命を起こせたのか? を、探究しているのです(E・L・ジョーンズ『ヨーロッパの奇跡』)。

つまり、技術の面でも思想の面でも西洋近世の水準にとっくに達していた中国を、近代(近世の後半期)のヨーロッパは一時的に追い抜いていたにすぎず、現在の中国の台頭なるものはいわば、世界がもとの状態に戻りつつあるだけだと捉えたうえで、

②近代には西洋が中国を凌駕するという、異常な事態が生じたのはどうしてであり、いかにしてそのような、例外的な時代は終焉を迎えたのか?

という問題に答えようとするのが、大学レベルの近代史の新しい基本線になりつつある。こういう「従来の歴史観の下では思いつきもしなかった問い」を立てて、かつそれにきちんと答えることが、大学では歴史学の目標とされているのです。

十七世紀後半の中国に滞在したイエズス会の宣教師、フィリップ・クプレは、儒学の思想を解説し、経典の翻訳を載せたラテン語の著書を刊行している。この新著で井川義次が扱う書物の一つであるが、そこで『論語』の表題は「理性的に論ずる人々の言葉」と訳されているという。これは決して誤訳でも、西欧の哲学用語に無理やりひきつけた曲解でもない。そのことを、この本は古典中国語(漢文)で書かれた原典と、ラテン語訳とを照らしあわせる作業によって、丹念に明らかにしている。

そのころ中国の儒学思想は、全宇宙の運行と生命の営みを支える「理」を中心とした、朱子学宋学)の壮大な哲学体系に、変貌(へんぼう)をとげている。しかも明朝末期には、その「理」をみずからの内に備え、外界の事物に関する「理」を把握できる、人間の「心」の主体性へと、朱子学者たちの関心が向かっていた。これを反映した経書解釈が、人間の理性の力を重視しようとする、同時代の西欧の知識人を惹(ひ)きつけたのである。

ドイツで活躍した哲学者、クリスチャン・ヴォルフは、こうした宣教師たちによる儒学経典の翻訳に基づいて、神の存在を前提とせずに、人間の理性が世界の法則をよみとり、秩序を支えてゆくことを、高らかに説いた。その発想が、フランスの『百科全書』やカントの哲学に代表される、十八世紀の啓蒙(けいもう)思想に大きな影響を与えてゆく。

もしかしたら(フランス啓蒙主義を支えた)理神論(deism)が、以下の様な考え方である事を理解していないのかもしれません。

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  • 理神論とは、一般に創造者としての神は認めるが、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する哲学・神学説である。

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  • 神の活動性は宇宙の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた。

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    *しかも「中華王朝文化の欧州への伝播」のクライマックスは「中華王朝における封禅の儀」を模倣したとも見て取れるジャコバン独裁政権主催の「最高存在の祭典(La fête de l'Être suprême、マクシミリアン・ロベスピエール発案の1794年5月7日法令に基づいて6月8日にテュイルリー宮殿で遂行される)」だったのかもしれない。そしてこうした祭典には華夷序列を再確認し、身分制護持の重要性を参列者に印象付ける役割も担われていたりする。
    最高存在の祭典 - Wikipedia
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本当は中華王朝というより(文化面で先輩格に当たる)イスラム諸国向けの理論武装みたいですが、とにかくそう簡単に韓国の熱狂式愛国者式の「日本のあらゆる文化の起源は韓国なのだから、日本は未来永劫韓国に頭が上がらない」論は成立しないのです。

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【反歴史修正主義】これが「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマへの究極回答?

そもそも「歴史修正主義を許すな!!」と連呼してる側に統一した歴史観って存在するのでしょうか?
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エターナル総書記【忌中】 on Twitter: "いつどこで使うんだこれ… https://t.co/wZnPVUEEgO"

そもそも「今でもマルクス主義は科学的と信じているか否か?」という質問にどう答えるかが最初の踏み絵となりそうです。

「旅の指さし会話帳」シリーズ

そして、もう一つの踏み絵が「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマをどう受容してるか。
*「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマ…父親がイタリア・ファシズムの英雄で、当人は共産主義者だったボローニャ出身のパゾリーニ監督が遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma、1975年)」で示したある種の思考停止ポイント。

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【ネタバレなし】「ドクター・ストレンジ」見てきました。この「またかよ、しょうもねぇ」感こそがマーベル・ユニバース?

エンシェント・ワン(Ancient One)「この現実が唯一のものでないとしたら?」
スティーブン・ストレンジ(Stephen Vincent Strange)「私は御伽話や奇妙な力や信仰の力なんて信じはしない」

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Sherlockspeare

こういうケースでは「いつものフィルター」を通すに限ります。

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