最近時々思う事があります。現代人は本当に「ルネサンス以降」を生きてるのかと。
ここでいう「ルネサンス」とは何か? 当時まで人々は様々な次元で伝統的共同体に分割されて暮らし「主権概念」を備えていませんでした。
- 「主権概念」が存在しない世界…冲方丁は「微睡みのセフィロト(2006年)」の中でこう語っている。「中世とは誰もが笑いながら歌って踊りながら楽しく暮らす世界だった。何故なら「もしかしたら心から一緒に楽しんでない?」と周囲から疑われた次の瞬間には「異端者」の烙印を押され一族郎党ことごとく私刑で惨殺されたり、密告で魔女狩りや異端審問に検挙されて火炙りにされてしまう緊張感が常に表裏一体で漂っていたからである」。そしてさらには同時に「Game of Thronesシリーズ」において克明に描かれた様に「領民と領土を全人格的に代表する領主や教区長や都市参事会メンバー」にとっては「誰もが隣人を公敵認定して抹殺する機会をお互いに虎視眈眈と狙い合う陰険な陰謀社会」でもあったという次第。
ここでいう「主権概念」とは「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」「個人の自由は周囲の他人全ての屈服によってのみ実現する」ジレンマを抱え、その弊害は勢力均衡によってしか緩和し得ないと諦観する態度を指しています。そしてこのコンセンサスを踏み台に国際的にはハンガリー出身の経済人類学者カール・ポランニーが「大転換(The Great Transformation、1944年)」の中でのイングランドにおける囲い込み運動の研究を通じて到達した「運動推進側も反対側も同じくらい正しく、かつ間違っていた。しかしながら歴史上重要だったのは、両者の衝突が現地住人の価値観変遷に必要な時間を稼ぎ出す事に成功した事、それのみだったのである」なる見解が積み上げられてきたのです。
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