諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ブギーポップ】「ヒッピー文化」と「グランドホテル方式パニック映画」の思わぬ落とし子。

1990年代をあれほど席巻したマルチメディアCD-ROMタイトルは、どうして後世に爪跡一つ残す事なく消え去っていったのでしょうか?

ヒストリー| INFOCITY

 1992年 、マルチメディアCD-ROMタイトル「L・ZONE」が、㈶マルチメディアソフト振興協会主催マルチメディアグランプリにて“最優秀賞”を受賞。

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庄野 晴彦(1960年〜)

CGアーティスト。CGプロダクション 有限会社ウイル(WILL,ltd.)代表。

  • 1985年に原田大三郎とビデオ・パフォーマンス・ユニット“RADICAL TV”を結成。

  • 1990年代からソロ活動開始。東芝EMI(株)から発表された、1990年の金子國義加藤和彦両人と『不思議の国のアリス』の世界を再構築したCD-ROM作品「Alice」、1995年のCGにより独自の世界を構築したCD-ROM作品「GADGET」などが海外でも高い評価を受ける。

    http://chenjesu.up.n.seesaa.net/chenjesu/image/ks_gadget1.jpg?d=a2

1995年3月のNewsweek誌(US版)で「50 for the Future(未来を創る50人)」に選出された。

「日本ではよくある事」。まぁその一言で要約してしまうのは簡単。

ところが、こうした話について興味深い同時代証言が存在するのです。

上遠野浩平ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター Part2」あとがき

小説でもマンガでも映像でもゲームでも音楽でも、要するに何でもいいのだが、いわゆるポップ カルチャーというものがある。芸術、とゆ ーには少しアレで、しかし人の心 を揺さぶるということにかけてはハンパなファインアートよりも強かったりする、というようなものであろうか。この ポップカルチャーの判断基準というのはムチャクチャ 単純で、つまり「売れたものが勝ち」というミもフタもないものだ。売れる、という表現ではアレなので、受け手に認められる、と言い換えてもいい。受け入れられてはじめて成立するのがポップカルチャーらしい。

まー、それはそうで、それを言ったらなんだってそうじゃねえかよ、とか言われそうであるが、世の中には他人がどう思おうがこれはいい、というものだってやっぱり存在するのであって、そういうものはポップカルチャーとは言わず幻の名作とか伝統芸能とかいろいろな言い方をされるわけだ。別にそれらはすぐれていないわけではなく、ただポップでないだけだ。

誤解されることを承知で言ってしまうのだが、ほとんどのポップカルチャーというのはつまるところ「手抜き」というもので成立している。「ホンモノは堅苦しい感じがするからニセモノの方がいい」というところであろうか?ホンモノを作れるだけの力のある人でも、わざと力を抜いてニセモノをつくったりする。これはなにかのたとえなのであろうか?つっつくとコワイ話になりそうなのでやめるが、しかしこの「手抜き」というヤツは、実は「すでに硬直化した過去がほどよく抜けて未来への可能性がひらける」とゆーよーなものでもあるのだった。

ポップカルチャーの最も良いところは、何と言っても権威が存在しにくいところである。皆無とは言えないが、まああんましない。ついこないだまで大御所だったものが、あっというまに陳腐でつまんないということになって、とっくの昔に時代遅れとされていたものが「新鮮だ!」「これを忘れた昔のヤツはバカだ」とか言われて甦ったりするのもポップだ。実にいい加減であり、しかしなんとなくその渦中にあるときはそれにある種の必然性を感じていたりもする。あっというまに巨大になったかと思うと突然はじけてキレエさっぱりなくなってしまう。泡(ポップ)とはよく言ったものだ、ここには安易に頼れるわかりやすい基準などなく、たとえば小説の公募で大賞を取ったりしても、それだけではちっとも偉いことにはならないのだ。

まさしく「新米編集者」三木一馬が、ベテラン編集者から継承したという「面白ければ何でもあり」精神そのもの?

当時マルチメディアCD-ROMタイトルのクリエーター達には、明らかにこうした姿勢を侮蔑する選民意識の様なものが存在していました。一方、おそらく流行を生み出す側に回ったクリエーターの目にはゲームの全体構造がテキサス・ホールデムの様に映っていた様です。

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  • 場に晒されてる札…誰でも公然と使える「流行の種」。これを一切使わず、勝手に役を組み立てても流行は生み出せない。一方、それだけで組み立てた流行なんてすぐに模倣されてまくって飽きられてしまう。

  • 手札…オリジナリティというより「他人を出し抜く為の隠し駒」。ただし1度使うと場に晒され、人の模倣材料に加えられてしまう。

実際のルールとは随分違ってますが、イメージ的にはまぁこんな感じでしょう。チップに該当するのは「広告宣伝費」とか「メディア・ミックス展開」あたり? 「手札」の部分は各作家の個性とも関わってくるので、まずは「各時代に、場にどんな札が存在したと推定されるか?」に傾注していく事にします。

 1990年代は「テクノロジー小説としても成立していない限りSF小説として認められない」風潮が強まっていった時代として知られています。そして「テクノロジー小説元祖」といったら、この人。

マイケル・クライトン(John Michael Crichton、1942年〜2008年)

作家デビュー作はジョン・ラング名義で出版された「華麗なる賭け(Odds On、1966年)」。コスタ・ブラバの隔絶されたホテルでの強盗事件の顛末を描いた215ページのペーパーバックだった。強盗計画にクリティカルパス法のコンピュータプログラムを使うが、予測不能の事象が発生する。

  • 翌年の1967年に同じくジョン・ラング名義で「殺人グランプリ(Scratch One)」出版。1965年に執筆したものでこちらが処女作。美男子の弁護士を主人公とする話で、ニースで暗殺者に間違われ危機に陥るというストーリー。

  • 1968年「ファラオ復活(Easy Go、ジョン・ラング名義)」と「緊急の場合は(Case of Need、Jeffery Hudson名義)」出版。「ファラオ復活」はエジプト学者を主人公とし、ヒエログリフを解読して未知のファラオの墓の場所を知るという話。一方「緊急の場合は」はボストンの病理学者を主人公とする医療スリラーで、友人の産科医が不正な人工妊娠中絶を行い、若い女性を死なせた事件を追う。この作品がクライトンのターニングポイントとなり、以降テクノロジーが作品の重要な主題になっていく。本作で1969年のアメリカ探偵作家クラブエドガー賞 長編賞を受賞。

  • 1969年には3作品を出版。まず「生存率ゼロ(Zero Cool、ジョン・ラング名義)」はアメリカ人放射線医が休暇でスペインに滞在中、貴重な美術品を捜しているギャング間の殺人的抗争に巻き込まれる話。次が「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain)」で、この作品でベストセラー作家として認識されるようになった。致死性の地球外微生物を研究する科学者チームを描いた小説で、この微生物に感染すると血が固まり2分で死にいたる。そのコード名が「アンドロメダ」で、成長するに従って生物学的性質を変化させる。ベストセラーとなり、2年後にはロバート・ワイズ監督で「アンドロメダ…」として映画化された。2008年には『アンドロメダストレイン』としてテレビシリーズ化されている(製作総指揮はリドリー・スコットトニー・スコットフランク・ダラボン)。

    3作目は「毒蛇商人/スネーク・コネクション( The Venom Business)」で、医学的研究のために製薬会社や大学で使う蛇の輸入業者が蛇使いとしての特殊な技能(メキシコの貴重な工芸品を蛇に飲み込ませる)を利用して密輸する話だった。また同年にはJ・マイケル・クライトン名義でカート・ヴォネガット・Jr.「スローターハウス5(Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death、1969年)」のレビューも執筆。
    *「スローターハウス」が出版された頃には、カート・ヴォネガット・Jr.自らが捕虜として経験した第二次世界大戦終盤のドレスデン無差別爆撃(Bombing of Dresden、1945年2月13日〜15日)は、にかけて連合国軍)はまだ広く知られておらず、退役兵や歴史学者によって語られることもほとんどなかった。この本は、無差別爆撃の認知度を高め、大戦中の連合国によって正当化された都市空爆の再評価へとつながった。

  • 1970年にも3作品「エデンの妙薬(Drug of Choice、ジョン・ラング名義)」「ジャマイカの墓場(Grave Descend、ジョン・ラング名義)」「Dealing: Or the Berkeley-to-Boston Forty-Brick Lost-Bag Blues」を出版。「ジャマイカの墓場」は翌年のMWA賞にノミネートされた。

  • 1971年、「アンドロメダ病原体」で星雲賞海外長編賞受賞。

  • 1972年には2作品を出版。「サンディエゴの十二時間(Binary)」は、中流のビジネスマンがアメリカ合衆国大統領暗殺を企て、致死性神経ガスの原料となる2つの化学物質を軍から盗み出す話。「ターミナル・マン(The Terminal Man)」では、発作を起こすと凶暴になりそれが収まったときその間の記憶を無くしている癲癇患者(男の脳には電極が埋め込まれている)を描く。後者は「電子頭脳人間(1974年)」として映画化もされたが、小説も映画も評価はあまり高くない。

  • 1973年、「ウエストワールド(Westworld)」を初監督。監督としても脚本家としても評価を高める。

  • 1975年、「大列車強盗(The Great Train Robbery)」で19世紀を舞台にした歴史小説という新たなジャンルに挑戦した。これもベストセラーになった。1855年ヴィクトリア朝のイギリスで実際に起きた列車強盗事件  を題材とし物語の大部分はロンドンで進行する。この小説は1979年にクライトン自身が監督して映画化され、ショーン・コネリードナルド・サザーランドが出演した。この映画はアメリカではアメリカ探偵作家クラブエドガー賞最優秀映画賞を受賞し、イギリス撮影監督協会の Best Cinematography Award にノミネートされた。

  • 1976年の「北人伝説(Eaters of the Dead)」は10世紀のムスリムヴァイキングの一団と共に旅をし、ヴァイキングの居住地を訪れる話である。古い文献に科学的論評を加えた形式で語られる物語であり、2つの文献が発想の元になっている。前半3章はアフマド・イブン・ファドラーンの北方への旅行記とルーシ族との出会いに基づいており、後半は『ベオウルフ』に基づいている。クライマックスで敵となるグレンデルの正体をネアンデルタール人の生き残りとしている。この小説は「13ウォーリアーズ(13th Warrior、1999年)」として映画化された。当初ジョン・マクティアナンが監督を務めていたが、クライトンが監督を引き継いだ。

  • 1980年の「失われた黄金都市(Congo)」はコンゴ熱帯雨林でのダイヤモンドを求める探検を描いた話で、伝説の都市を発見し、凶暴なゴリラの種を発見する。これを原案として1995年に映画「コンゴ」が製作された。

  • 1987年に出版された小説「スフィア 球体(Sphere)」は、ある心理学者がアメリカ海軍に招かれアメリカ合衆国連邦政府の結成した科学者チームの一員となり、太平洋の海底で見つかった約300年前の異星人のものと思われる巨大宇宙船を調査する話である。この小説はSFとして始まるが、すぐに心理スリラーに変貌し、最終的には人間の想像力を探究するものになっている。この小説は1998年に「スフィア」として映画化され、バリー・レヴィンソンが監督した。

  • 1990年、「ジュラシック・パーク(Jurrassic Park)」を出版。「アンドロメダ病原体」や「北人伝説」でも採用した偽書の体裁で書かれている。さらにコスタリカの西方にある島に作られた恐竜のテーマパークの崩壊した原因をカオス理論やその哲学的含意を使って解説している。コハクに閉じ込められたカが吸った恐竜の血からDNAを抽出し、様々な恐竜が再生されたという設定である。小説はかなり長いため、クライトンは映画化されたのはその10%から20%程度だとしている。映画は1993年に公開され、大ヒットした。

    *当時の日本ではまだまだ角川商法が有効で映画版「ジェラシック・パーク」と「恐竜物語Rex」が同グレードの作品と信じ込んでいた。 角川春樹逮捕(1993年8月29日)によって彼の監督作品「恐竜物語Rex」の日本公開が一斉に打ち切られるまでは。一説によれば、バブル崩壊後も独裁者として採算度外視のイケイケ路線を続ける彼を葬る為の内部からの密告だったとも。

  • 1992年の小説「ライジング・サン(Rising Sun)」は、ロサンゼルスに進出した日本企業で殺人が起きるという話で、ベストセラーになった。「ジュラシック・パーク」とおなじく1993年に映画化。

  • 1994年の小説「ディスクロージャー(Disclosure)」ではセクシャルハラスメントをテーマとしているが、年下の女性上司が男性部下に対して行うという点が目新しかった。結果としてフェミニストから非難されたが、クライトンはそのような反応があることを予期していて、結末部分に反論めいたことを書いている。この小説はバリー・レヴィンソン監督ですぐに映画化された。VR技術が「現実に実現可能な技術」として活写された嚆矢とも。

  • 1995年には「ジュラシック・パーク」の続編「ロスト・ワールド(The Lost World)」を出版。1997年に再びスピルバーグ監督で映画化された。

  • 1996年の小説「エアフレーム(Airframe)」は航空機業界を舞台にしたテクノスリラーである。リアリティを出すため、アメリカン航空191便墜落事故やアエロフロート航空593便墜落事故といった実際の航空機の事故を引用している。

  • 1999年の「タイムライン(Time Line)」は過去へのタイムトラベルを扱ったSF小説である。2000年にはアイドス・インタラクティブがコンピュータゲーム化し、2003年には映画化された。
    *「北人伝説」もそうだが、マイケル・クライトン歴史小説は「新発見や新ファクター導入により既存のイメージが覆る状況下でのシミュレーション物」という側面が強く、その意味においてGame的だったり、仮想現実的だったりする。あくまで理系アプローチなのである。

  • 2002年の「プレイ -獲物-(Pray)」は科学やテクノロジーの発展に警鐘を鳴らす話で、特にナノテクノロジーを問題にしている。この小説では比較的新しい科学技術の成果である人工生命、創発と複雑性、遺伝的アルゴリズム、知的エージェントなどを扱っている。

  • 2004年の小説「恐怖の存在(State Of Fear)」は、エコテロリズムによる大量虐殺を描いている。テーマは地球温暖化と気候変動で、クライトンは付録の中で地球温暖化と科学の政治化について論じている。疑似科学と政治が結びついて起きた不幸の実例として、優生学ホロコースト、ルイセンコ論争を挙げている。この小説は初版で150万部を売り上げ、ベストセラーとなった。
    *ただし当時過熱状態にあった“過剰な環境保護ブーム”を「環境保護利権」等が煽っている「危険な疑似科学」であるとして批判した為、それまで“権力や科学文明の暴走に警鐘を鳴らす作家”としてクライトンを評価していた読者、団体、メディアの多くが一斉に、“クライトンは右派に転向した”と非難の声を浴びせる様になる。

  • 2006年に出版された存命中最後の小説「Next」は遺伝子組み換えを扱った作品。

  • 最後の小説「パイレーツ -掠奪海域-(Pirate Latitudes)」は、当初2008年12月に出版を予定していたが、2009年11月に延期された。さらに未完の小説が2010年後半に出版される予定だと発表されていたが、リチャード・プレストンが後半を書き足して完成させた「マイクロワールド(Micro: A Novel)」は2012年になってようやく発表された。

ハーバード大学在学時代に「病は気から」が真実と確信するに至る。「インナー・トラヴェルズ」では「我々は自ら病気になる。どんな病気も全てその本人に直接の責任がある」と広言。その後、オーラ、スプーン曲げ、透視といった超常現象も信じるようになった。

 こうした「マイケル・クライトンのテクノロジー小説快進撃」の下地をこしらえたのは「アーサー・ヘイリーの業界物快進撃」だったと考えられています。

アーサー・ヘイリー(Arthur Hailey, 1920年〜2004年)

緻密な取材に基づいて様々な業界の内幕を活写した群像劇でよく知られる英国人作家。1965年『ホテル』がベストセラーとなり、アメリカ合衆国カリフォルニア州に移住。更に1969年には収入の九割を課税するアメリカとカナダの所得税を避けるためにバハマに移住した。2004年11月24日、心臓発作で死去。

  • 「0-8滑走路(Runway Zero-Eight、1958年、邦訳ジョン・キャスル共著「714便応答せよ(1968年)」)」
    講談社ウイークエンド・ブックス(1960年代後半、ヒッピー文学をまとめて紹介)

  • 「最後の診断(The Final Diagnosis (1959年、邦訳1975年)」 

  • 「権力者たち(In High Places、1962年、邦訳1979年)」

  • 「ホテル(Hotel、1965年、翻訳1970年。講談社Weekend Books収録)」
    *知る人ぞ知る石ノ森章太郎HOTEL(ホテル、1990年〜2002年) 」の元ネタ。TBS系でテレビドラマ化し、高視聴率を記録する人気作となった。克・亜樹「ふたりエッチ(1997年〜)」同様、「原作・実証言&統計データ」の体裁をとる。

  • 大空港(Airport、1968年、映画化1970年。オールスターキャストによるグランドホテル方式パニック映画元祖。邦訳1970年)」


    *以降、観客から飽きられた「スペクタクル史劇」の代替物として以降大量生産される流れとなる。

  • 「自動車(Wheels、1971年、邦訳1973年)」 

  • 「マネーチェンジャーズ(The Money Changers、1975年、邦訳1976年)」

  • 「エネルギー(Overload 、1979年、邦訳1979年)」

  • 「ストロング・メディスン(Strong Medicine、1984年、邦訳1985年)」

  • 「ニュースキャスター(The Evening News、1990年)」

  • 「殺人課刑事(Detective、1997年、邦訳1998年)」

 「マルコムX自伝(The Autobiography of Malcolm X、1965年)」「ルーツ(Roots: The Saga of an American Family、1976年、TVドラマ化1977年)」の著者アレックス・ヘイリー(Alexander Palmer Haley, 1921年〜1992年)とは別人で、血縁もない。

 両者を中心に当時の展開を重ね合わせると、当時の「場札の雰囲気」が何となくながら浮かび上がってきます。

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①ヒッピー運動全盛期に該当する1960年代後半には「何も信じてない裕福で虚無的な人々が、持て余したエネルギーを人倫を超えた退廃的で貴族的なゲームに耽溺する娯楽作品」が盛んに作られた。

  • その前夜に一時代を築き上げた英国ハマー・フィルムのカラー怪奇映画や、ロジャー・コーマンエドガー・アラン・ポー物が顕現させた「タイピカルで耽美な恐怖」に観客が飽き足らなくなり、もっと荒々しくて即興的なもの(よりエロティックだったり、グロテスクだったりする何か)が要求される様になった。「ハリウッド映画・大手アメコミ出版社凋落期=インディペンデント映画・コミック全盛期」という側面も。
    *観客の趣向の変化だけでなく「エログロ=大手が手を出せないインディペンデント作品の聖域」という側面もあった点が重要。

  • いわゆる「旧ルパン(ルパン三世第1期、1971年〜1972年)」の序盤やモンキー・パンチの原作(1967年〜)」もこのトレンドを継承。日活ニューアクション(1971年〜1972年)や、東映ピンキー・バイオレンスもこの範疇に入る。
    *日本映画界にとっては「エログロ=TVが手を出せない映画界の聖域」という側面が強かった。こうしたドロドロとした坩堝から南條範夫「被虐の系譜(1963年)」を原作とする「武士道残酷物語(1963年)」、仲代達矢主演「四谷怪談(1965年)」、深作欣二監督作品「仁義なき戦い・シリーズ(1973年〜1976年)」といった後世に大きな影響を残す作品が生み出されていく。
    映画エッセイNO.2「東映東京大泉撮影所の頃 」

    「野良猫ロック」と日活ニューアクションの時代/店主の誘惑

    *当時の「良心的な親達」は挫折した学生運動家達の群がる日活ニューアクションを製作中止に追い込んだばかりか、その儲けを吐き出させる形で「(今日の学生運動家の様に)大陸で強姦と略奪と虐殺に終始した暴虐な日本兵が「正義の軍隊」ソ連に駆逐された」とするプロパガンダ映画「戦争と人間三部作(1970年〜1973年)」を製作させる。それは新左翼に対する旧左翼側の輝かしい勝利宣言でもあったのだった。そしてこの成功に気を良くして「子供に悪いものは一切見せない路線」をあっけなく放棄。以降の子供達は「日本兵の残虐行為」を告発する本多勝一作品や中沢啓治はだしのゲン(1973年〜1985年)」を読まされ「キューポラのある街(1963年)」「サンダカン八番娼館 望郷(1974年)」「泥の河(1981年)」などを繰り返し鑑賞させられながら育ち「警察官や自衛官の子供へのいじめは正義」と教え込まれる事になるのだった。因果関係は不明だが時期を同じくして学校は校内暴力の場へと変貌していく。

  •  マイケル・クライトンの1960年代作品もまた、以外と当時のそうしたトレンドに振り回されている。アーサー・ヘイリーは(苦手分野なのもあって)特に影響を受けていないが、なぜか日本へはヒッピー文学と一緒に紹介される事に。

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②1970年代に入るとハリウッド映画界は「オールスターキャストによるグランドホテル方式パニック映画」によってインディペンス系映画を圧倒する作戦に打って出る。

  • かくしてアーサー・ヘイリー原作映画「大空港(Airport、1970年)」、マイケル・クライトン原作映画「アンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、1971年)」、マイケル・クライトン監督脚本作品「ウエストワールド(Westworld、1973年)」などが脚光を浴びる展開に。その豪華な配役やセットやモブ動員数、派手な爆発シーンなどを売り物とするブロックバスター映画と相性が良かった事が幸いした形。

  • ところでアーサー・ヘイリーが「登場人物達の日常をきっちり描いた上で、彼らが大規模災害といった共通の試練に耐え抜く群像ドラマを前面に押し出す」作風なのに対し、マイケル・クライトンはカオス理論などを援用して「完璧と思われたシステムが些細な瑕疵から全面崩壊に至るスペクタクルを前面に押し出す」作風。その一方でハリウッド製大規模パニック映画の場合は「スターの活躍場面」や「爆発シーンなどの見せ場」などの作中における適切な分布こそが重要。こうした要素が次第に混じり合いながら陳腐化し、やがてジャンル全体が飽きられていく。

③そして1990年代以降、チェルノブイリ原子力発電所事故 (1986年4月26日)やソ連崩壊(1991年12月)、インターネット普及に伴うコンピューター・ウィルスへの恐怖感の高まりなどが重なってマイケル・クライトンが得意とする「(カオス理論などを援用した)完璧と思われたシステムが些細な瑕疵から全面崩壊に至るスペクタクル」が説得力を増す事になる。国際的に「大人社会の自信喪失」と呼ばれた現象。

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  • こうした動きは 「テクノロジー小説としても成立していない限りSF小説として認められない」風潮も受けてのTV系サイバーパンク文学の凋落、ル=グウィンゲド戦記」新章やソフィア・コッポラ監督映画「ロスト・イン・トランスレーションLost in Translation、2003年)」に見て取れる様なヒッピー世代の中年危機の高まりと表裏一体の関係にあった。そして1990年代後半に入ると「1950年代へのノスタルジー」を思いっきり揶揄するFalloutシリーズや「この世界は我々からの安定的搾取を実現する為の仮想世界の牢獄」と断言する「マトリクス(Matrix)三部作(1999年〜2003年)」が大ヒットを飛ばす。

  • さらに米国ではこれに連動する形で「少女の精神的危機」が高まっている、ソフィア・コッポラ監督映画「ヴァージン・スーサイズ(The Virgin Suicides、1999年)」の原作ジェフリー・ユージェニデスヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹(1993年)」、後にラナ・デル・レイ(Lana Del Rey、2008年初デビュー)が歌う事になる様な陰鬱極まりない世界観。

    片渕須直監督がインタビューで自信たっぷりに「「マッドマックス・怒りのデスロード(Mad Max: Fury Road、2015年)」は私の「アリーテ姫(Princess Arete、2000年)」のパクリ」と断言していたが、当時の米国女子はその片渕須直監督脚本作品アリーテ姫」や、CLAMPちょびっツ(Chobits、2000年〜2002年、アニメ化2002年)」を好んだ。2010年代に入ってからはむしろ米国男子が同種の拘束感に苛まれている感がある。

  • そして日本の少年少女は「五感を通じて感じられたり金銭で売り買いされるものしか信じられない」「デスゲームを通じてしか生きてる実感を感じられない」といった閉塞感に追いやられていく。

それでは当時の作品は、こうした「場札」をどう拾ったのでしょうか?

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  • 思うに「L.Zone」や「MYST(1993年)」や「GADGET(1995年)」といったマルチメディアCD-ROMタイトルは、当時「場」にあった「茫漠とした存在不安の高まり」や「これから先何も起こらないという絶望的確信」なら割と上手く拾えていた(だから当時は相応の国際的評価も獲得)。ただしそこから先には何もない袋小路だったので、やがて見放され忘れ去られていく。
    *こうした作品群は否応なく「一見穏健な景色の背後に常に猟奇的残忍さが隠れ潜んでる感じ」に引き寄せらていく一方で、決っしてそれを実際にあからさまに顕現させる事はなかった。おそらくそれはもうGAMEでないばかりかエンターテイメント作品ですらない?

  • 「Matrix三部作(1999年〜2003年)」は、こうした閉塞感を覆すべく「この世界は我々からの安定的搾取を実現する為の仮想世界の牢獄」と断言したまではよかったが、最終的に安易な救世主待望論に堕してしまった為にあっけなく見放され忘れ去られた(フランク・ハーバートデューン(Dune)シリーズ(1965年〜1968年)」の影響が色濃い)。よく考えてみると「少女にリアルを描く」なる断言から始まったケータイ小説Deep Love(2000年〜2003年)」の辿った展開もこれに酷似。
    *その一方で「アメリカにおける1950年代ノスタルジー」は本物なので、それを揶揄するFallOutシリーズの人気は今日まで続いている。

  • J.K.ローリング「ハリー・ポッター・シリーズHarry Potter Series、原作1997年〜2007年、映画化2001年〜2011年)」はシリーズ開始当初は「コンピューターも携帯電話も視野外に追い出してテクノ・ストレスの源を除去する一方、英国パブルックスクールの古き良き伝統を復活させようとする」と大絶賛された。そして、そういう絶賛の仕方をした「自信を回復したがっている大人」に限って2000年代に入って「例え未熟で未完成な存在であっても、闇が光の一部であっても、戦うべき時には戦わねばならぬ」なる主題が明らかになるにつれアンチに回っていく事になる。

    *「コンピューターも携帯電話も視野外に追い出してテクノ・ストレスの源を除去するスタンス」上遠野浩平ブギーポップ・シリーズ(1998年〜)」にも同じ指摘がある。実際にはハリポタの時間軸は1991年から1998年にかけて。ブギーポップ・シリーズ」もほぼ同時期で、これは「コンピューターも携帯電話も登場しなくても不自然でない」最後の時代だった(ただしブギーポップの場合「写真」はしばしばプリントアウトだし、携帯電話やデジカメが登場する回もある)。

  • 上遠野浩平ブギーポップ・シリーズ(1998年〜)」は閉塞感そのものに直接対峙しようとはせず、学校内における売春や麻薬の問題も決っして視野外に追い出さず、その全体像を「(たとえ善意から始まったとしても)やがて世界を滅ぼしてしまう力」と「その被害を未然に防ごうとする力」の拮抗状態と再定義する事で(2000年代に多数の模倣者を出す)独自のドラマ構造を生み出した。また展開形式としては「そもそも何が起こったか/起こらなかったか」について「オールスターキャストによるグランドホテル方式パニック映画」の残骸ともいうべきザッピング方式を採用。多元解釈導入により(選民意識の拠り所になりそうな)固定概念が作品全体を支配する事がない様に配慮している。
    *「選民意識に勝利の根拠を与えない」…選挙戦に敗北したオウム真理教サリン散布事件(1994年〜1995年)や「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗1997年)」への配慮とも。こうした事件が起こる以前から小野不由美魔性の子(1991年)」で使われた手口。原作大塚英志、作画田島昭宇の「多重人格探偵サイコ(MPD PSYCHO、1997年〜2016年)」は逆に「誰が本物のカリスマか」複製人間同士が競う展開。今から思えばどちらもいかにも1990年代的想像力の産物という感じがする。

    https://68.media.tumblr.com/91751ad3d5f0c055ca69b3dc772f5e68/tumblr_o43aeqKken1slc69to1_540.jpg

  • 重度のMMORPG中毒でもあった河原礫は、仮想空間の概念の専有権を主張する「中年危機に陥った元ヒッピー層」から引き剥がすべく「ソードアート・オンライン(2002年〜)」の構想に着手する。

  • ところでこの時期のマイケル・クライトンは、当時の時代性に迎合した作品より「前半でどんなに緻密な技術論を展開しても、後半は単なるモンスター・パニック物やや脱出物や未知との遭遇」物など在り来たりの展開に出してしまう」ハリウッド作劇法を逆手に取った作品において、より大きな成功を収めている。
    *なにしろ「売れたら勝ち」がポップの王道。「飛来した遊星の影響で失明した人類の大多数はトリフォドに食べられて淘汰されてしまう」なんて作品だって売れたら「当時のポップ」だった事になる。

ところでこうした「場札と手札の比喩」が、これまであまり注目を集めてこなかったのは、おそらく以下の様な当時を代表する作品の分析にそぐわないから。

あえて分類するなら「手札で勝負したタイプ」とも。まぁ所詮は「売れたら勝ち」がポップの王道なので、それぞれの勝ち方も全部アリです。というか「人の用意したルールで勝負している限り、絶対に真の意味での一等賞にはなれない」とも。