諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ネタバレなし】「ひるね姫」観てきました① 神山健治監督にとっての「星を追う子ども」となる?

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併せて小説版も読破しましたが、作品そのものについて普通に語れる部分は、他の人が語り尽くしてる感があります。

なので、ここでは「国際SNS上の関心空間の観点」という別アプローチをば。割と回乱数で人気・不人気が如実に明らかとなる過酷な世界…

国際SNS上の関心空間の評価はまことに残酷で、新海誠作品ですら、ほぼ「秒速5センチメートル(2007年)」「言の葉の庭(2013年)」「君の名は。(2016年)」しか存在しない事になってます。
*ディズニーが「塔の上のラプンツェル(Tangled、2010年)」以降正統派ラブストーリーを手掛けなくなったので恋愛至上主義系女子アカウントが大量流入。しかも別の何かに目覚めて「さ〜く〜ら〜さ〜く〜ら〜」とか「あ〜め〜あ〜め〜」みたいな呟きが中心の「情景派」に変貌して「料理派(アニメ作品中に登場する料理画像ばかりを回覧しているグループ)」「爆発派(同様に映画などの爆発画像ばかりを回覧しているグループ)」同様Queer集団のサブグループたる「フェティッシュ閥」の仲間入りを果たす展開に(国際SNS上の関心空間では「コスプレイヤー閥」トランスジェンダー集団のサブグループに位置付けられていたりと、LGBQA集団とエンタメ・ファン集団の複雑な交錯があちこちに見受けられるのである)。

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  • そもそも2007年は「国際SNS元年」に該当。国際SNS上の関心空間においても、同年ブレイクした「初音ミク」や「ジャスティン・ビーバー」は「元祖コンテンツ」として長年特別な地位を占めてきた。
    *意外にも「Belieber(ジャスティン・ビーバーの熱狂的ファン層)」が当人のスキャンダル続きで衰退すると、対立関係にあった国際SNS上の関心空間きっての武闘派だった「Naruto派(「NARUTO -ナルト(1999年〜2014年)」「Avatar: The Last Airbender(2005年〜2008年)」「The Legend of Korra(2012年〜2014年)」などの熱狂的ファン層)」も自然に対消滅していった。党争は相手があってこそ成立する?

  • ほしのこえ(2002年)」や「雲のむこう、約束の場所(2004年)」は「それ以前の作品」に分類される。そもそも国際SNS上の関心空間において意外なまでに評価が低いのは、こう事情に由来する部分も大きい。
    *その評価のされ方も「秒速5センチメートル(2007年)」「言の葉の庭(2013年)」「君の名は。(2016年)」からの逆算という印象が強い。

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    *ただ「Serial experiments lain(1998年)」みたいに「絵師」安倍吉俊の国際的人気に支えられてサルベージされた作品も存在するし「俺はFateシリーズ(2004年〜)がエロゲーだった頃から知ってる世代」みたいな独特の言い回しもあるし、例外なら幾らでも見受けられる。

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こうした特徴を有する国際SNS上の関心空間上の観点においては、神山健治監督は何といっても「東のエデン(Eden of The East、2009年〜2010年)」でその名を知られる存在。「国内における不評を海外での高評価がひっくり返した」なんて評価まで見掛けた事があります。

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*ちなみに国際SNS上の関心空間から観察「東のエデンの海外での高評価」の背景には、キャラクター原案を手掛けた羽海野チカを支持する分厚い少女漫画ファン層の応援もあった。要するに女子アカウントの選好が鍵を握った成功だった。
でも「ひるね姫」については同様の「海外女子のフォロー」が当てに出来ません。それというのも「レッドタートル ある島の物語(The Red Turtle / La Tortue rouge、2016年)」同様、彼女らが絶対に看過しないタブーを踏んでしまっているからなんですね。

実は「ひるね姫」のケースについては「極めて示唆的な先例」が存在したりします。

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桜色の海 まどか4コマ投稿。

魔法少女まどか マギカ」最終回別バージョン事件(2011年4月22日)

魔法少女まどか マギカ」最終回が放映された2011年4月22日、海外掲示板で「親」側に自己投影したアカウント群が「この物語はまどかの母親がほむらとまどかを殴り倒して気絶させ、自分が魔法少女に変貌して世界を救うべきだった」「父親はこの肝心の時に一体何をしてるんだ?」などと騒ぎ出してネットが騒然となった事件。

【ファン必見!】鹿目詢子のセリフ・名言集

  • 真っ先にブチ切れて特攻を掛けたのは「娘」側に自己投影したアカウント群だった。ウォー・クライとして連呼されたのは「どうして世界中のママ達は、娘から主役の座を奪おうとするの? まだ自分だけは純真な少女のままのつもりなの?」「まどかパパへの攻撃は許さない!!」なんてスローガン。当時の彼女らは色々あって恐ろしく殺気立っており、軽く千人〜万人単位の動員力を誇ってたから、そりゃ恐ろしい景色が現出する事になった。
    *「まどかパパへの攻撃は許さない!!」…「親は元気で留守がいい」は世界共通の子供側の願望らしい。いや「主夫」のまどかパパはずっと家にいるけど…
    https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTAZHlKmvm7GDJdlfPGwkWSY8hYmgTKP19R4PhSK4kJVDq2fMjf
  • どうやら「アメリカの親子関係は日本よりずっとギスギスしてる」のが背景にあるらしい。特にアジア移民家庭では文化ギャップも加算され、しばしばネタにされるほど酷い状況を呈するものらしい。「女子高生が制服のスカートの丈を短くしたがるのは、色気で母親と対抗する為」なんて話もあったりする。
    *興味深いのは子供が親に日本のアニメを見せて「教育」したりする場面が存在する事。かくして「ママを食ったのスティーヴン・タイラー事件(「進撃の巨人」第1話)」とか「戦慄の緊縛展開事件(「花咲くいろは」第3話)」などがネットを賑わせる展開が生み出されてきた。
  • *「親子でMMORPGを楽しむ」みたいな海外文化、日本では「どうぶつの森」みたいな専用ゲームじゃないと到底無理かと思ってたら、思わぬ新展開が…

    本当に「別バージョン」を実践して誰得展開となり、消えていった作品も存在した。中平正彦破壊魔定光(1999年〜2005年)」。そもそも主人公と結ばれるヒロインが死んだ母の分身という困った設定…

    http://decadeview.ocnk.net/data/decadeview/product/971-3.jpg

ちなみに以下の様な内容の作品も同種の作品拒絶を引き起こすトリガーとなり得る。

  • スーザン・コリンズ「The Hunger Games(原作2008年〜2010年、映画化2012年〜2015年)」の様に「大人社会の矛盾を清算する為、子供が革命遂行を強要される」展開…状況改善の為の不断の努力を放棄し、責任逃れの為に仮想敵を創造し、しかもその討伐を他人に押し付けて自分達は高みの見物と洒落込む。ある意味「子供が大嫌いな大人の無責任」の集大成みたいな有様なので仕方がない?

  • 「眠れる森の美女(Sleeping Beauty、1959年)」のオーロラ姫の様に「金持ちで身分も高いヒロインが何の自己努力もしないままハッピーエンドを迎える」展開…実は米澤穂信古典部シリーズ(原作2001年〜、アニメ化2012年)」のメイン・ヒロイン千反田江留も標的にされかけた事がある。次第に彼女が「王国の窮乏の自力救済を目指す本物の姫様」であり、自由を愛する主人公が自らそれを手放して彼女に剣を捧げそうになる王道展開を迎えるに従い、そうした評価が完全逆転した。

  • 異性恐怖症(Heterophobia)を拗らせた結果としての同性愛」「無性愛(Asexuality)を拗らせた結果としての性表現規制」…国際SNS上の関心空間は、なまじ「誰もが匿名性に守られて欲望開放に励む空間」として発展したきたが故に、こうした自由がいかなるトラブルを引き起こすかにも直面させられてきた。そうした状況から自然発生的に形成されたルールで「"リベラルな福音派"問題(The problem of "Liberal CHRISTIAN"、進化論を信じてなくても世界の終末を信じてても別に誰も気にしないが、その価値観の共有を周囲に強要し始めたら排除対象になるというルール)」とも縁が深い。ディズニーはこれに関連して「アナと雪の女王(Frozen、2013年)」においてイエローカードを、「マレフィセント(Maleficent、2014年)」においてレッドカードを渡された。

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    *「誰もが匿名性に守られて欲望開放に励む空間」の発展は「(それが先天的なものか後天的なものかはともかく)異性愛者も多くは同性愛的趣向を有し、同性愛者も多くは異性愛的有するのがむしろ健全な状態」といった事実、「だからこそ当人の最終判断はSamuraiが主君を選ぶプロセスの様に尊い(この境地に一人でも多く到達させる為にも「勢いに流されやすい若者の動揺」はもっと慎重に扱われるべき)」といったルールの発見も主導してきた。まさしく「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」の世界、アメリカ人が尊重する開拓者精神(Frontier Spirit)の世界。親世代の夫婦・夫夫・婦婦が集まって真剣に「どうすれば我々は子供達に「真の選択の自由」を保証出来るのだろう?」と話し合ってるのも涙を誘う展開だったりする。ある意味これこそが本物筋金入りのリベラリズム、真の親子愛なのかもしれない。

完全に完全なる筋違いなら黙殺されてそれでおしまい。「なまじ本当に観たいと思ってる内容に近付けてるだけ憎さ百倍」という心理が背景にあるとも。

 ネタバレになるので、あえて「ひるね姫」本編との関連については触れませんが、こうした国際トレンドを予備知識として備えた上で鑑賞すると、終始「ああ、取り返しのつかない事を…取り返しのつかない事を…」と、ハラハラしっ放しの末にエンディング・ロールにおいて「ああ、遂にやっちまった…本当にもうどうなっても知らないからね!!」と絶望感に浸れる事請け合い。

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それともう一つの難点。それは最近のヒット映画において必須要素となりつつある「Over Drive感」に欠ける事。むしろそういう展開を忌避する形で「夢場面」が挿入される意気地のなさが、さらなる絶望感をつのらせます。

新海誠監督映画「君の名は。(2016年)」における彗星ティアマトの美しいながら容赦というものを知らない自然現象ならではの超越的残酷さ。

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庵野秀明監督映画「シン・ゴジラ(Shin Godzilla、2016年)」において首都圏壊滅がもたらす圧倒的絶望感。

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こうの史代原作・片渕須直監督映画「この世界の片隅に(2016年)」におけるすずさんの絶叫。この監督の国際評価の基準が「筋金入りのフェミニスト」なのも興味深い。

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その片渕須直監督が「これアリーテ姫(2001年)のパクリだよね?」と断言した「マッドマックス 怒りのデス・ロード(Mad Max: Fury Road、2015年)」。

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そして「ハリー・ポッター・シリーズ(原作1997年〜2016年、映画化2001年〜2011年)」において既にその存在が予告されていた「オブスキュラス(Obscurus)」の設定の残酷なまでのリアリズム。

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そして著者自身が国際SNS上の関心空間の常連で「東京喰種(Tokyo Goul、2011年、アニメ化2014年、2015年)」においても微調整を繰り返してきた「グールなる存在の宿命的悲しさ」。

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ある意味、こうしたトレンド展開を見抜いて利用出来なかった事こそが「ひるね姫」の最大の敗因だったかもしれません。

ちなみに新海誠監督映画「星を追う子供(2011年)」の国際SNS上の評価…

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なまじ露骨な完全黙殺でなく「景色はさすが綺麗だった」「料理場面は良かった」みたいな「Nice boat.」評価なのが、かえって生殺し感を引き立てます。

ひるね姫」は、おそらく神山健治監督にとっての「星を追う子ども」となる? いやむしろ、ファン層からすれば「そうなる事を希望する」というのが本心とも。