YouTubeの歴史において「天使の歌声」ジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)が発掘され「非実在アイドル」初音ミク(Hatsune Miku)が登場した2007年は歴史に残る特別な年だったといえそうなのです。
しかしやがて ニンフェット(Nymphet)世代(概ね女児の成長速度が一時的に男児のそれを抜く9歳〜14歳に対応)が中心となって二つの勢力が形成されます。
- 前者の熱狂的ファン層たるビリーバー(Bieleber)と岸本斉史「NARUTO -ナルト-(原作1999年〜2014年、アニメ化2002年〜2014年)」
- 「アバター 伝説の少年アン(Avatar: The Last Airbender、2005年〜2008年)」「The Legend of Korra(2012年〜2014年)」といった武闘派アニメのファン層
そして、それぞれ徒党を組んでネット上のあちこちで衝突する様になったのです。
*一般に今日でも「ニンフエット(Nymphet)」というと以下の様な耽美な世界観が連想される。
「ニンフェットの森~乙女の聖域」展 (高田美苗講師参加)
*でも当時実際に目の当たりにしたのはこういう景色だった。
*実際、私も男子として、小学生高学年から中学二年生当時は「身体能力的にも男子に優っており、しかも群れて数の暴力を発揮する女子」に圧倒される日々を送っていた記憶がある。
党争(Fandom War)開始の契機となったのは2012年におけるジャスティン・ビーバーのTwitter上における「アニメなんて嫌いだ(I hate Anime)」発言とされていますが、実は後になってから偽造疑惑が浮上してきました。
*党争なので「自分にとって好ましい成果を得たいが為、他人の都合や後先の事なんて一切考えずとんでもない炎上を仕掛ける黒幕層」なんてのも普通に背後で蠢いていたのである。まさしくマキャベリやカール・シュミットの提唱した「仁義なき政治哲学」の世界?
まさしく「党争」ゆえに醜悪な側面も曝しましてきました。実際、当時の国際SNS上における関心空間では数多くのコミュニティが「誤爆」対象になってます。
①ディズニー長編アニメ「眠れる森の美女(Sleeping Beauty、1959年)」のオーロラ姫(Princess Aurora)…突如「何の選択も努力も行わず、周囲が勝手に動いて幸せにしてくれる」ヒロインへの憎悪が爆発。ちなみに擁護派は現れず。
眠れる森の美女 (Sleeping Beauty、1959年) - Wikipedia
物語の内容は以下。
- ヨーロッパのある国に待望の王女が誕生し、「夜明けの光」という意味をもつオーロラと名付けられた。国中の人々がお祝いに訪れる中、生まれたばかりのオーロラに3人の妖精から贈り物が与えられる。1人目の妖精・フローラからは美しさが、2人目の妖精・フォーナからは歌の才能が贈られた。ところが、その場に現れた魔女・マレフィセントが呼ばれなかった腹いせに「16歳の誕生日の日没までに糸車で指を刺して死ぬ」という呪いをかけてしまう。まだ贈り物をしていなかった3人目の妖精・メリーウェザーは、贈り物の代わりに「死ぬのではなく眠るだけで、運命の相手からのキスにより目覚める」という魔法をかけた。
- オーロラの父であるステファン王は呪いが実現しないよう国中の糸車を焼却したが、3人の妖精はマレフィセントに気づかれないように自ら魔法を使うことを禁じ、人と同じように暮らしながらオーロラを匿い育てることを決め、彼女にブライア・ローズという仮名を付けて森の奥の家に移り住む。
- 15年が過ぎ、ローズは16歳の誕生日の日没後に妖精たちの庇護を離れて城に戻ることになっていた。3人の妖精は内緒で誕生日パーティの準備をするため、いちごをつんで来てほしいと言って外出させる。訝しがりながらも外に出た彼女は、たまたま近くを通りかかったフィリップと出会い、お互い相手が誰か気づかないまま恋に落ち、夜に再会する約束を交わして別れる。その夜、妖精たちからオーロラという自分の本当の名前と王女である事、そして既に結婚相手がいるという事実を聞かされ、フィリップに二度と逢えないと知ると、悲しみとショックのあまり泣き崩れてしまう。そこに居場所を突き止めたマレフィセントがつけ込んで呪いが実現し、オーロラは眠りに落ちてしまう。城ではお祝いの準備が進められていたが、3人の妖精はオーロラが戻らないことを知って悲しまないよう城にいる人々に魔法をかけて眠りにつかせた。
- その頃オーロラとの約束に従って妖精達の家を訪ねたフィリップは、呪いを解かれることを危惧したマレフィセントによって拉致され、魔の城の地下牢に閉じ込められてしまう。ヒューバート王の寝言から呪いを解く運命の相手がフィリップだと知った3人の妖精は大急ぎで魔の城に向かい、オーロラを救うために「真実の剣」と「美徳の盾」を授ける。王子が魔の城を抜け出してオーロラの元へ向かった事を知ったマレフィセントは、行く手を阻むために城の周りにイバラを巡らせ、自らもドラゴンの姿になって妨害に行くが妖精の加護を受けたフィリップによって倒される。
- フィリップのキスでオーロラにかかっていた魔法が解け、二人は結婚して幸せに暮らした。
確かにこの物語は「自らは何の選択も努力も行わず、周囲が勝手に動いて幸せにしてくれる」上げ膳据え膳キャラそのもの。
オーロラ姫が国際SNS上の関心空間のディズニー好き女子層(というかアンチ自体存在しない)から徹底して嫌われてしまったのは、まさにこの「生まれつき可愛い女の子ほど、自らが可愛さを利用して成功を納めている現実に無頓着。それどころか逆に「それ禁じ手だよ」と説教してくる厚かましさ」のシンボルに祭り上げられてしまったから。
②私屋カヲル「こどものじかん(原作2004年〜2013年、アニメ化2007年/2009年)」の九重りん(CV喜多村英梨)…漫画翻訳者間で評判が高かったが、突如「幼女を理想視し過ぎている」なる指摘が入って炎上。
私屋カヲル「こどものじかん(2004年〜2013年)」 - Wikipedia
この衝突、実際には上掲の「アニメ武闘派」の指導権をそれより上の世代、すなわち既存コミュニティを支えてきたサブカル・エリート層(アーティストや翻訳者の様な事業関係者)が狙った(あるいは逆に「アニメ武闘派」側が狙われたと認識した)結果、発生した党争という側面も存在したらしい。
ただし「様々な側面で肉体の成長が精神のそれを上回る状況が生み出す諸問題」については明らかにサブカル・エリート層の方が経験豊富であり(男性アカウントも、そのパートナーや妻子が「奴らもう既に勝った気でいますぜ」「ふん、素人の小娘どもが。では教育してやるか」的義憤から「参戦」したケースが少なからず存在)最終的にアニメ武闘派側はサブカル・エリート層に完全に組み敷かれてしまう。そしておもむろに志村貴子「放浪息子(2002年〜2013年、アニメ化2011年)」「青い花(2004年〜2013年、アニメ化2009年)」やいけだたかし「ささめきこと(原作2007年〜2011年、アニメ化2011年)や浅井いにお「おやすみプンプン(2007年〜2013年)」「うみべの女の子(2009年〜2013年)」を読まされる展開を迎えたのだった。
③「ハリー・ポッターシリーズ」のルーナ・ラブグッド(Luna Lovegood)」…それ以前から映画「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(Harry Potter and the Order of the Phoenix、2007年)」と「ハリー・ポッターと謎のプリンス(Harry Potter and the Half-Blood Prince、2009年)」で完全にヒロインの座を乗っ取った事が原作ファンの顰蹙を買っていた。それを受けてか映画「ハリー・ポッターと死の秘宝(Harry Potter and the Deathly Hallows)二部作(2011年)」では大して活躍せず「残党狩り」が遂行されたのである。
④「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない(TV版2011年、劇場版2013年)」の本間芽衣子(CV茅野愛衣)…登場当初は「良い子過ぎる」と誤解された。
⑤京都アニメーション「氷菓(2012年)」の千反田江留(CV佐藤聡美)…登場当初は「何の自助努力も行わず、周囲が勝手に動いて幸せにしてくれる」眠れる森の美女タイプと勘違いされた。
作中で入須冬実先輩が千反田江留に伝授する「女帝の手管」
「大事なのは相手が自分から動いてくれる様に仕向ける事だ。その為には相手に精神的満足感を与えなければならない。色々あるんだが、お前にも使えそうな手は期待だろ。相手に自分は期待されてると思わせるんだ。それが出来れば後は実に簡単に尽くしてくれる。ただし問題はあまり大きく見せない事だ。自分には些細な事だが相手にはそこそこ大事な事だくらいがいい。それともう一つ。出来れば人目につかないところで異性に頼むんだ。」
*千反田江留はこれを「相手に期待してるように見せる」「自分の利益を小さく見せる」「人目につかないところで異性に頼む」と単純化した形でしか把握出来ず実践に失敗。「お前が期待を操ろうとすると、どうしても甘えている様に見えてしまうんだ。そして振りも続けると、まず自分自身が真に受けたりする。下手に画策し続けるのだけは止めた方がいい。単刀直入な言い方しか出来ないのはお前の弱点だが、他では得難い武器でもある」。以降はもっぱら「折木奉太郎専用飛騨女(ひだにょ)」としてその才能を伸ばす事に。
*関谷純(千反田江留の叔父)「強くなれ。もし弱いままなら悲鳴も上げられなくなる日が来る…そして生きたまま死ぬことになる…」
*千反田江留「傲慢なところがまったくない人というのは、自信がない人のことじゃありませんか。誰からも強欲と言われない人は、きっと家族を養うことも難しいでしょう。世界中の人が誰にも嫉妬しなければ、新しい技術が生まれるとは思えません」
ここで興味深いのが(今日なお安定した嫌われキャラであり続けているオーロラ姫と、映画版では以降急速に目立たなくなって話題にも上らなくなっていったルーナ・ラブグッドを除いて)こうした衝突が「雨降って却って地面固まる」効果を生み出した事。そしてこうした状況を理解する上で最も重要なヒントの一つは、彼女達の多くが(「あの花」の制作スタッフと多くが重なる)竹宮ゆゆこ「とらドラ!(原作2006年〜2009年、TVアニメ化2008nn)」の「手乗りタイガー」逢坂大河(CV釘宮理恵)に自分を重ねた事とも。
「パンデミック並みに存在した『釘宮病』患者を見なくなったのは声優としてはとても良い傾向かもしれない説」https://t.co/3zmoWKfO8c
— トゥギャッター公式 (@togetter_jp) June 25, 2019
が伸びてるみたい。みんなに届けぇ〜 作成者:@motoyaKITO
いずれにせよジャスティン・ビーバー人気が失速しビリーバー(Bieleber)の活躍が不活性化すると「対抗集団」という側面が強かった武闘派集団も自然解散に向かいます。
こういて全体像を俯瞰してみると彼女達がいかなるセルフイメージを各物語の登場人物に重ねていたかなんとなくながら浮かび上がって来ますね。で、間違いなくこの層の生き残りが選んだからこそVtuberキズナアイは国際的人気を獲得したと思われるのです。