諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】おそらく七人岬システム。

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おそらく七人岬システム。しかも水面下は「獲物」が現れる都度バトル・ロワイヤルTry Out)状態に突入し、生物として強い存在から抜けていく…

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七人ミサキ - Wikipedia

高知県を初めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊。災害や事故、特に海で溺死した人間の死霊で、その名の通り常に7人組で、主に海や川などの水辺に現れるとされる。

これに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう。1人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の1人が成仏し、替わって取り殺された者が七人ミサキの内の1人となる。そのために七人ミサキの人数は常に7人組で、増減することはないという。

この霊の主は様々な伝承を伴っているが、中でもよく知られるものが、『老圃奇談』『神威怪異奇談』などの古書にある土佐国現・高知県)の戦国武将・吉良親実の怨霊譚である。

  • 安土桃山時代、吉良親実は伯父の長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親の死後、その後嗣として長宗我部盛親を推す元親に反対したため、切腹を命ぜられた。そのときに家臣たち7人も殉死したが、それ以来彼らの墓地に様々な怪異があり、親実らの怨霊が七人ミサキとなったと恐れられた。

  • これを耳にした元親は供養をしたが効果はなく、怨霊を鎮めるために西分村益井(吾川郡木塚村西分、現・高知市春野町西分字増井)の墓に木塚明神を祀った。これが現存する吉良神社である。

  • また『土陽陰見奇談』『神威怪異奇談』によれば、親実と共に元親に反対した比江山親興も切腹させられ、妻子たち6人も死罪となり、この計7人の霊も比江村七人ミサキとなったという。

また広島県三原市には経塚または狂塚と呼ばれる塚があったが、かつて凶暴な7人の山伏がおり、彼らに苦しめられていた人々が協力して山伏たちを殺したところ、その怨霊が七人ミサキとなったことから、その祟りを鎮めるためにこの塚が作られたのだという。

ほかにも土地によってはこの霊は、猪の落とし穴に落ちて死んだ平家の落人、海に捨てられた7人の女遍路、天正16年(1588年)に長宗我部元親家督相続問題から命を落とした武士たち、永禄時代に斬殺された伊予宇都宮氏の隠密たちなど、様々にいわれる。

*実際の怪談は「とあるラブホテルに泊まったカップルが心中を遂げると、翌週から落ち武者の幽霊が現れる様になった」とか訳が解らない理不尽な内容が多い。「人類の認識可能範囲外を跳梁する絶対他者」は、そう簡単に尻尾を掴まれる様な振る舞いは見せないもの?

山口県徳山市現・周南市)では、僧侶の姿の七人ミサキが鐘を鳴らしながら早足で道を歩き、女子供をさらうという。そのために日が暮れた後は女子供は外出しないよう戒められていたが、どうしても外出しなければならないときには、手の親指を拳の中に隠して行くと七人ミサキの難から逃れられたという。

渋谷七人ミサキ

 1990年代後半に語られていた都市伝説。

渋谷のあちこちの坂で女子高生7人が、立て続けに死に至ったとされるもの。これは援助交際を行なっていた彼女らが妊娠した子供を中絶した後、その子供たちの怨念が七人ミサキとなり(または子供たちの怨念が伝承上の七人ミサキを甦らせ)、母親である女子高生たちに復讐したといわれている。

最後の渋谷七人ミサキの話とか、PIXIV経由で海外に視覚的イメージだけが女子アカウントの間で広まった妖怪「二口女」が「無理なダイエットが祟って顕現した食欲の化身」なる新たな特徴を獲得し「どうせ私達は一生、この決っして逃れられない自らの内面に潜む魔物と共存していかなきゃならないの。だったら互いを敵視せず仲良く一緒に暮らしましょう」なる人生哲学を添えて語られる様になった顛末を思い出しました。

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その一方で、1990年代特有の殺伐とした雰囲気の貴重なエビデンスという側面も。

榎本ナリコセンチメントの季節(1997年〜2001年)」3巻後書きより

この作品はセックスをテーマとし、しかもその対象を少女達におけるそれに志して限定しているのですが、なぜそうしているかというと言うまでもなく彼女達(または彼達)が、セックスというものに初めて立ち向かう年頃にあるからです。子供時代の世界はとても狭いものです。その狭い世界で子供は初め世界は自分のものだと思っています。それがそうではない事、自分の知らない世界が存在する事を知るのが少年少女時代。その時になって初めて彼らや彼女達の視線は「世界の外側」に向けられますが、まだ大人達が自分達と同じ人間である事など思いもよりません。セックスとは、そうした彼らが世界と最初に切り結ぶ刃なのだと私は考えています。政治経済文学社会全てが、まだTVの向こう側に過ぎない頃から、将来の夢より愛する人より先に何かが自分の身体の奥から自分自身の欲望として込み上げてくる。他人が他人の顔をしていても驚くには値しません。自分が他人の顔をする事、それこそが胸騒ぎを引き起こすのです。だから例えばどんなにそれが大人になった祝福だと説明しても、もっと美化して尊い命を育む為の神聖な行為だと教育しても、その体験が傷心を残す事は避けられないし、大人になったって誰もその古傷を完全に忘れてしまう事は不可能なのです。セックスは快楽なのに、どうしてそれは常に後ろ暗い影を引き摺っているのか。こうした経緯のせいだと私は考えています。

私はあなたのその傷口に触れたいのです。これは悪意です。傷口に触れられたら痛いと思って欲しいとも考えているからです。それは心を動かして欲しいとも思っているからで、つまり卑しくも感動して欲しいとも思ってるからなのですが、その為に私が選んだ手段が自分の古傷を開いて見せる事だったのです。私がセックスを描くのは、それが私にとって最大の傷跡だったからで、これが悪意でなく何でしょう?

日本でも大塚英志原作/田島昭宇作画「多重人格探偵サイコ MPD PSYCHO1997年〜 2016年)や上遠野浩平ブギーポップシリーズ1998年〜)』辺りがそれなりに頑張ってはいましたが、実際にIMF介入を受けた韓国の方がGoth度では上回ったとも。

この様に、今はありふれた何かとしか感じられない様な体験が、未来には断片だけ伝わって「貴重な時代証言」と目される事になるのです。だから、もしかしたらこの話も?