諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】ルフトハンザ航空のストを非難し、佐野SAのスト破りを黙認してなお左翼でいられるの?

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戦前最大級の無政府主義者の一人たる大杉栄は、(一緒に戦うべき相手たる)労働者でなく(活動資金をくれ豪遊を支えてくれるコミンテルンに寄り添おうとした講座派社会主義者の如きインテリ出身の輩について「温情主義者Paternalistよりタチが悪い」と嫌悪感を剥き出しにしています。時代遅れの「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制いわゆる封建制)」に源流を有する温情主義者とて「親分」として「子分」の被支配への満足度には相応に配慮するものです。その不備を突いて「子分」の忠誠心を奪取してこその社会主義者なのに(要するに展開すべきはサービス合戦であり、最後にどちらが勝っても労働者は得をする構造こそが重要)、終始対象への無関心を貫いてどうする? という指摘。ロシア革命成功に際してボルシェビキの正義を疑う発言を繰り返したのもこの立場から。最終的には右翼側に虐殺されましたが、状況から見て左翼側に暗殺される可能性も十分高かったと推測されています。まぁ如何なる権威主義者とも馴れ合わないのが無政府主義者の本懐なので、それに殉じたともいえるでしょう。

戦前最大級のマルクス主義理論家だった戸坂潤が社会大衆党の応援に入れ揚げたのも、同様のインテリ嫌悪からでした。まさか彼らが率先して翼賛体制下に合流してしまうとは予想だにしていなかったのです。彼は彼なりに政敵を抱えていたので、そこを突かれて戦後、故意に忘れ去られる展開に。

こうした歴史を振り返ると「現在左翼を名乗ってる連中は、本当にこうした先人の末裔なのか」疑わしくなってきますね。

諸悪の根源は、1970年代に入って新左翼/学生運動が衰退して「本当に戦争を戦っていた」最前線世代が「老兵は消え去るのみ。戦争が継続不可能なら我々の出る幕もない」なる判断から次々と自発的に引退していく一方、それまでただ内ゲバの進行とテロリズムの海外輸出プロセスを傍観していただけの第三セクトの連中が「(外山恒一いうところの究極的には被害者に全財産を遺贈しての自殺か、それの出来ない偽善者として醜く生き存える道の二択となる」反差別主義に染まった上に「白ポスト運動」や「(国宗教右派の煽動に乗った公式場面からの黒人追放運動」や「ハレンチ学園弾圧運動」を主導してきた自称日本リベラル層と合流し「過去の学生運動も自分達が主導してきた」なる偽史に立脚する、ある種の「新左翼運動」を始めてしまった点にあるとも。

まぁだからこそ、本物の無政府主義者共産主義者としてその生涯を全うした大杉栄や戸坂潤の名前を挙げると「馬鹿モン、そいつらこそネトウヨの大源流だ!!」とか指摘されちゃうんですね。何しろソレル「暴力論Réflexions sur la violence、1808年初版)」彼らの権威主義への抵抗姿勢は一貫して本物でしたから。権威主義的圧力(フォルス)と、それに対する抵抗(ヴィヨランス)の峻別。その境界線をあえて曖昧にした辺りからファシズムやナチズムは始まるのです。その定義上「体制側からのヴィオランス」とか「反体制側からのフォルス」なんか有り得ないのに、それこそが世界を支配してると言い出す事から全てが歪み始めるのです。

こうした輩は末期大日本帝国における特高警察が(元来の取り締まり対象だった)反体制的な社会主義者国粋主義者無政府主義者を狩り尽くすと、今度は活動範囲を新興宗教団体弾圧や言論統制や国民風俗粛正にシフトしていった様に「狡兎死して良狗烹らる」状況の到来を恐るあまり「無制限に叩いて良い絶対悪」が途切れる事をこそ「人道主義や人類平等の権利への侵害」と捉えてしまうのです。戦前最大のマルクス主義理論家戸坂潤が指摘した「究極の自由主義は、誰かの専制の徹底によってのみ達成される自由主義のジレンマの典型例…

かくして「ストを打つ労働組合」までネトウヨ認定される事態が到来する次第…

こんな有様だから、現在左翼を自称する日本のリベラル層もマスコミもこういう展開を黙認してるんですね。

結論から言えば「パヨクはもはや左翼の末裔ではない。だからあえて労働者もリベラリズムの敵認定する」でOK?

実はこうした展開事態は別に珍しい事じゃないんですね。19世紀末から20世紀初頭にかけて労働者と女性の参政権拡大運動を暴力的手段まで動員して冷徹に弾圧し続けたのは、一般に革新政党に分類される自由党労働党でした。そうなった理由は明白で保守派が彼らの取り込みに成功したせいで「労働者と女性の参政権が拡大するほど保守党の得票率が伸びる」構造になってしまったからです。リベラリズムの現実への対応力の低さは、なまじ「人道主義と人類平等の精神」を大義名分として掲げているせいで、こうした歴史的展開をうまく自らの歴史観に取り込めない辺りに由来するのですね。

ところで、サフラジェット運動で刑務所に収監され、ハンガーストライキを決行した女闘士達の喉に何が流し込まれたか御存知ですか? それは輸送中の黒人奴隷がハンガーストライキによって自殺するのを防ぐ為に開発された流動食、すなわち最近流行のタピオカの原料として著名なキャッサバの薄粥だったんですね。漏斗を喉から差し込めば摂取は免れず、その後嘔吐した分を差し引いても餓死を免れるには十分な栄養量…まさしくキャッサバの薄粥はハンガーストライキ破りの究極兵器だった訳です。

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さて「歴史的経緯」を気にする日本リベラルの皆さん、こういう話をどう思います?