諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【天気の子解析】【2020年版第01回】「どうしても追い付けない壁」について。

リブートに際して、最初の足掛かりとなりそうなのが以下のニュース。

さらにはこういう話も。 

いずれにせよ、どうしてもこういう話がつきまとってくる訳です。

 これについてはこういう話も。

 で、実際問題として、こういう展開が起こる訳です。

まぁ一応、こういう2019年の総括もあったりして。

そもそも昨年までの投稿から、例えばこういう歴史観が浮かび上がってくるのです。

  • 家父長制崩壊によって父親の影が薄くなった状況を受けての武内直子美少女戦士セーラームーン1992年〜1997年)」における「メインヒロイン月野うさぎと「未来の娘ちびうさの、そして後年、同世代作品としてこれと重ねられる展開を迎えるテッド・チャンあなたの人生の物語Story of Your Life、1999年)」における1990年代的母娘関係

    当時「ちびうさ」に共感した世代の女子は、21世紀に入ると「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊Pirates of the Caribbean: Dead men tell no tales、2017年)」の最終場面に新たなる地母神として降臨する「初期三部作2003年〜2007年のヒロイン」エリザベス・スワンを目の当たりにして走馬灯的な感情の波に襲われ「私もママ()になっちゃった!!」と号泣する一方で「美少女戦士セーラームーンCrystal2014年~2015年)」にはもはや限られた範囲の関心しか払わなかった。

  • 母親が自ら最後の犠牲となる事で息子/娘を宿命から解放した中平正彦破壊魔定光(1999年~2005年)」の椿やよい、そしてその延長線上に現れた新海誠監督映画「君の名は。2016年)」の宮水ニ葉。

    スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明けStar Wars: The Rise Of Skywalker、2019年)を鑑賞した結果、このグループにカイロ・レンとレイア姫も加わる形に。

    レンはこの3部作の中で初めての笑顔を浮かべ、そのまま力尽き、ジェダイのように実体を消してしまう。ここでアダム・ドライバーが見せた笑顔の演技を称えるメリアンは続ける。

    「彼にも救済があったんですよ。それも、とても美しい救済が。彼が消えると、レイアも消える。きっと2人は一緒だったんでしょう、そう思いたいです。」 

    もちろん反対意見も。

     さらに踏み込んだネタバレありの詳細はまたそのうち。

  • 母親が宿命から逃げてツケを娘に回した五十嵐大介海獣の子供2006年〜2011年)」の安海加奈子。そういえば吉田秋生吉祥天女1983年〜1984)」における名家同士の争いは女同士の戦いも含み、こういう部分がドロドロと割とネガティブな形で描かれた。むしろ「安海加奈子なる存在」の画期は、かかる存在が(物語上において重要な役割を果たすにも関わらず)登場人物の誰からも特に肯定も否定もされずただそういう存在として描かれ切った事かもしれない。
    ここで興味深いのが、国際SNS上の関心空間に集う匿名女子アカウントの第三世代フェミニズム談義の最古層に高橋留美子うる星やつら1978年~1987年)」の主人公諸星あたるの母への言及、特に息子のアルバムに「我が生涯最大の過ち」と名付けるセンスのmeme化が存在した辺り(レイア姫も隠し持ってて、レイに盗み見られたりする場面辺りを想像すると…いやはやなんとも)。美青年が現れる度に心がよろめいてしまう側面(大源流は山上たつひこがきデカ(1974年~1980年)」における「こまわりくんの母」かもしれない)も含め、和製コンテンツにおける典型的母親像からの逸脱は(夫が職場から帰らないせいで妻の精神的自立が進んだ)1980年代以前まで遡るという話。
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    ただしあくまで家長制が崩壊に向かう過渡期の話なので、男はまだまだ甘やかされていたという側面も。そして20世紀末から次第に採点が厳しくなっていく。

  •  「魔法少女まどか☆マギカTV版2011年、劇場版2012年〜2013年)」のヒロイン鹿目 まどかが自らの身を犠牲にして世界を救う展開をただ背後から見守り続けた母親の鹿目詢子の存在。

    東北大震災の影響で放映延期となっていたTV版最終回が放映された2011年4月22日を契機に「親殺し戦争」とでも呼ぶべき事件が起こった。

    • 国際ネット上で親世代が「ああいう場面では親は、子供を殴り倒して気絶させてでも自分が身代わりになるべき」と言い出したのである。
    • さらに批判は「妻が働きに出て稼ぎ、夫が家で家事を担う」まどか家の役割分担にまで及び「父親がそんな風で頼りないから、娘がそこまで背負ってしまったのだ」とまで言われてしまったのである。
    • 当時の海外ネットは大荒れに荒れていたが、少なくともそれまでは親世代の自己肯定の場としてネット上のあちこちに点在した旧式掲示板(有象無象のネットニュースなどにぶら下がっていた)が巻き込まれる事はなかった。だがこの事件を契機に「狩り」が始まり、その多くが閉鎖に追い込まれる展開を迎えたのである(ただ既にFacebookの普及で半廃墟化していたサイトが多かったとも)。

    今から思えば次第に表面化しつつあったFacebook上における親の子供監視サービス競争の過熱、これを嫌う子供達の匿名SNSサービスへの集団逃亡なども背景にあった様である。

    考えてみればこうした「(子供の自律的判断が重要な役割を果たす新しい親子関係」描写は次第に日本だけでなく海外でも広まり、例えば「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリーRogue One: A Star Wars Story, 2016年)」におけるデス・スター主要開発者ゲイレン・アーソとその不良娘ジン・アーソの関係、「レディ・バードLady Bird, 2017年)」「ローガン(Logan, 2017年)」などにおける独特の家族描写へとつながっていく。

この流れについていけなくなった時代遅れの旧作は次々と歴史の掃き溜めへ…要するに「天気の子」は「君の名は」に次いでこの試練を乗り越えたという話になってくる訳ですが、日本国内の分析はその辺りが甘いので「君の名は」のマーケティング的模倣にすら失敗してしまったのでないかという話…