今回の投稿の発端は以下の投稿。
このスレッド凄い。陰謀論系の偽史がどうやって生み出されていくかをほぼ完璧にトレースしてて大変貴重なサンプルになってる>RT
— 酔鏡仙 (@suikyosen) 2021年5月25日
純度高い偽史、やはり強固な偏見といっぱしの正義感と一方的な被害者意識とをミキサーかけて生半可な知識とおれはこれだけ勉強したぞ的な自信過剰のフレーバーきかせて陰謀論風味に仕立てたやつが最も味わい深い
— 酔鏡仙 (@suikyosen) 2021年5月25日
大本の母娘説はこれです pic.twitter.com/H4mbMKU4Mx
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
エボシとサンが母娘であるという説がある。それを是として父親を考えると、サンは15才、僕の考察では当時が建武元年(1334年)その15年前となると元応元年(1319年)これは後醍醐天皇即位の年でエボシと後醍醐は関係があったと考えるからサンの父親は後醍醐天皇ということになる、つまりもののけ姫は pic.twitter.com/EDR96dRnXn
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
つまり『もののけ姫』は父と娘と母の戦争ということになり国家レベルの戦争をたったの一家族でやっていることにもなるわけだ。これは不朽の名作の構造だ
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
この説を補強する証拠は、エボシが娘をモロ(山犬)に向かって投げたということ、つまり捨てたということでなぜ娘を捨てたのか、それは自分を犯した憎い男の子であるからという可能性が大である
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
エボシが後醍醐天皇と関係を持っていたであろう証拠は、エボシが勅書を女達に見せることである。これは大変な不敬行為であるが天皇と男女の関係にある女ならできそうだし、男から来た手紙を女友達に見せるという行為はいかにも好かぬ男への仕返しという感じがする pic.twitter.com/JqRJIdTQrx
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
また、エボシを犯した天皇が後醍醐であろう証拠は、通常天皇は下賤の者とは交わらないこと、しかし後醍醐天皇だけは下賤の者とも親しく交わり民衆のパワーを自分のものにしようという一種のオカルト思想を密教から得ていた pic.twitter.com/7oAPIPgmON
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
後醍醐帝が耽溺していた密教の立川流は性交より悟りに至るというセックス教団で密教で言う悟りとは超能力である。エボシは海賊の頭であったらしいのでそれと交わることで自分も強くなれると考えた可能性は高い。 pic.twitter.com/NZJnZCUv0I
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
シシ神の首を食えば不老不死になれる、という発想自体が密教の思想である、珍しい生物や初物を食べると寿命が伸びたり病気が治ったりする、すなわち神を食べれば神になれるというわけだ。この発想をしてこれだけの戦争を惹起できた天皇は後醍醐しかいない pic.twitter.com/HmhrRKZ9pB
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
後醍醐天皇に密教を吹き込んだのが師匠連である。師匠というのは芸事の先生という意味の前に仏教の師弟がある、孫悟空が三蔵法師のことをお師匠様と呼ぶあれだ、師匠連はその師匠が何人かいて連合しているということ、それが後醍醐のブレーンであり最大の黒幕ということになる
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
エボシとサンが母娘としてサンの年齢からたたら場にエボシが派遣されて15年が経つということが分かる、15年もの間シシ神の首を取るために森を焼いてシシ神を追い詰めてきた、製鉄も貴重な収入源であろうがついでのこと、師匠連は後醍醐即位の直後からこの計画に巨費を投じてきたというわけ pic.twitter.com/ycGq0iPchA
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
唐傘の衆と石火矢の衆は寺社の尖兵だがその出自は捨て子である、捨て子は山門に捨てるものと決まっており社会不安が増大すると捨て子も数も増え結果として寺社は軍隊を持つに至る、彼らは親がいないため寺社こそが家であり神こそが親なので結束力と忠誠心が異様に高い pic.twitter.com/5yqihLiHe6
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
長老のセリフから大体の年代が分かり、即位期間が最低15年はある天皇で密教に心酔し強力な隠密軍団を動かせる天皇となると、もう後醍醐しか考えられず、しかしシシ神の首を取ることに失敗したのだから、この後は凋落すると考えるとこれは建武元年(1334年)に推定される
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
アサノ公方軍の兵士はそれまで登場した足軽主体の軍ではなく全員が侍でありそれは裸足の兵がいないことからわかり騎兵は後ろ向きに騎射できるほどの精鋭である。これは坂東武者、足利尊氏の御家人であるとみてほぼ間違いがない pic.twitter.com/L6UgCSW7sg
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
デイダラボッチの大爆発は火山の噴火と捉えられるが1334年に東北で噴火があった記録は見つけられなかった。しかしたたら場のある湖は円形で典型的な火口湖でありその周辺にはいくつもの火山があることが多いので突然の噴火によりたたら場も包囲軍も壊滅したと考えてもいいだろう pic.twitter.com/W3VXX1P8eX
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
後醍醐天皇の建武の新政はすこぶる評判が悪くわずか二年で崩壊、足利尊氏に破れ後醍醐の御代は終わったかに見えたが後醍醐天皇はその後もゲリラ戦を続け天皇が二人いる南北朝時代を拓くことになる、そんなカオスの中エボシもサンもアシタカも東北はむしろ平和になり生きていったと考えられる pic.twitter.com/CjrQIEtFxK
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
めちゃくちゃな父親がいて、犯された母親がいて、捨てられた娘がいて、捨てられた他所の子がアシタカ、これは日本を舞台とした壮大な家族の物語である
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
続もののけ姫考 おわり
後醍醐の女、父王の軍と戦う pic.twitter.com/BAqHTT4atf
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
今回のもののけ姫考察は一年以上も仕事ができない講談師の私が、ゲーム作りに本腰を入れるため日本史を勉強し直す必要に迫られこれらの本を読みまくった成果であります。全部声を出して読んだのでヘトヘトになりましたがやはり勉強は一番の近道かもしれません。僕の作るゲームにもご期待ください。 pic.twitter.com/UOghB30TLU
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
個人的には京都と坊主が嫌いでこれまであまり勉強してこなかったわけだけど、桃崎裕一郎さんの「平安京はいらなかった」に出会えて本当に京都に興味が湧きました。平安京を再現して公家の屋敷を襲って回るゲームも作りたいと思っています。応仁の乱もいいですね。
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
今月の読本『平安京はいらなかった』(桃崎有一郎 吉川弘文館)プライドをかなぐり捨てた「張りぼての首都」が演じる未来highlandfeet.wordpress.com
海外から到着した大使が最初に向かう儀式。その人物を大使として認めてもらうために、本国から与えられた信任状を着任した国家の元首に手渡して、自らを大使として承認してもらう事。このような手続きは意外な事に、時代を越えて、洋の東西を問わず似たような形式が用いられれるようです。
そして、現在の日本に於いては、東京駅に差し向けられた迎えの車両に乗って皇居に向かうのですが、この際に新任の大使には二つの選択肢が用意されます。車による送迎と、何ともクラシカルな馬車による送迎。
世界的にも珍しい、馬車による大使の送迎を行うルートとなる東京駅から皇居までの道路。馬車が通過する際には交通規制もされているため、その広々とした空間を粛々と馬車が進むシーンをTV等でもご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、接受国、特に王国を名乗る立憲君主政体を採る国にとっては君主の威信が試されるシーン。もちろん奉呈する側となる大使にも自国の威信がかかっている事に変わりはありません。
もののけ姫は室町時代の話だと僕も思っていたのだが槍が一つも出てこずに全部長巻(薙刀)なので室町であるはずがないのだ、槍は楠木正成の家来が発明したという逸話が残っており室町時代には槍に代わっているはずなのだ、一つも槍が見られないという所が重要である。刀が全部陣刀なのも鎌倉テイスト pic.twitter.com/0OVkrc8mQN
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
また室町時代でこのように合戦をやってるならばそれは応仁の乱以降の室町でありもう戦国時代と言って良い、この場合田舎侍の軍あるいはアサノ公方軍に一つも鉄砲が見られないのは不自然で、エボシ側も石火矢なんて古いもん使ってるのは不自然極まりないことになる pic.twitter.com/IqPPqsf8dv
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
乙事主が鎮西(九州)から来たという狩人のセリフがおそらくもののけ姫岡山説を誘引したものと思われるがシシ神の森に参集する猪の大群は実は日本中から集まったとも狩人は言っている、全ての猪が九州から来たわけではない、岡山県は蝦夷の村の存在可能地青森県からあまりにも遠い pic.twitter.com/60JvRQhn6f
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
そして僕は乙事主の援来ルートをこの様に考えた、長駆1000キロをほぼ直線に人間のテリトリー避けつつ五度の渡海をして最短距離でやってきたと、乙事主ならできる pic.twitter.com/qqbQIUylPH
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
悲しみと怒りにひそむまことの心(もののけ姫の歌)
— 七井コム斎 (@nanai_komusai) 2021年5月25日
この映画に登場する、あらゆる階層のあらゆる人(動物も)が、悲しみと怒りを抱えて生きているのだと気付いたら、もののけ姫一生観れます pic.twitter.com/mMqtfgcaTL
そんな感じで以下続報…