ウィキペディアの記述があまりにカオスだったので少しまとめてみた。
また新しいカオスを生み出しただけに過ぎないのかもしれないのだけれど…
プラトンの『テアイテトス』は、「知識」の定義についてソクラテスとテアイテトスが議論して3つ挙げている。、
「知識とは知覚することに他ならない」
「知識とは真なる思いなしである」
「知識とは真なる思いなしにロゴスを伴ったものである」
- 「真なる思いなし」とは…どうやらプラトンは「イデアの裏付けなき認識エラーの様な知覚」が許せなかった様である。その不寛容さは「国家」における「詩人追放論(観客の顔色を覗いながら本人の欲求の赴くまま奔放に展開する詩や叙事詩は全て唯一の真実たるイデアから逸脱しようとする振る舞いなので許せない)」とも不可分の関係にある様に見える。
*クリストファー・ ノーラン版「バットマン3部作(2005年~2012年)」では「Idea」は「実践不可能な理想」というニュアンスで使われてて、バットマンことブルース・ウェインは常に「俺は単なるIdearist(空想的理想主義者)じゃない!!」と自分で自分に言い聞かせながら戦い続ける。こういうプラトンには、そんなバットマンに対してジョーカーが投げつけた「ルール、ルール、ルール、御前は結局そればっかりだ!!」という台詞が似合いそうである。 - 「ロゴス(logos)」とは…古典ギリシア語の λόγος の音写でミュトスの対語。ミュトスはしばしば「神話」と翻訳されるが、原義としては「人が語る“物語”や“お話”」全般を指し、ギリシャ悲劇や喜劇、アイソーポス(イソップ)の寓話の題材などが該当。これに対比した時、ロゴスはそれぞれ「空想に対する理性」「語り口調に対する論証」といった意味を備える。
*一般には①概念、意味、論理、説明、理由、理論、思想などの意。②キリスト教では、神のことば、世界を構成する論理としてのイエス・キリストの意。③言語、論理、真理の意。転じて「論理的に語られたもの」「語りうるもの」という意味で用いられることもある。
一方、アリストテレスは「ニコマコス倫理学」のなかで、知識を「Σοφια ソフィア(智)」と「φρόνησις フロネシス(実践倫理)」の2種類とし両者を明確に区別し、人間の行為や感情における超過と不足を調整するメソテース(ギリシア語: μεσοτης、 Mesotes、中間状態を保つ徳)をその代表格とした。英語ではGolden Mean(又はHappy Mean)といい、日本語訳に際しては中庸という儒教用語が当てられた。
- とどのつまりアリストテレスのそれは勇敢(蛮勇と臆病)、節制(快楽と苦痛)、貴富(放埒と論色)といった両極端の状態を避けて初めて顕現する美質を引き出す実践知という事になる。
*逆をいえば天然の形で自然に存在する訳ではない。 - 一方、儒教における伝統的中心概念の一つたる「中庸」も「過不足なく偏りのない状態を保つ」徳を「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と称揚されている点では似通ってる。ただしこちらの方は「民に少なくなって久しい」「修得者が少ない高度な概念」「聖人でも難しい半面、学問をしなくても発揮出来る」「非凡でなければ実践不可能だが、現れる結果は平凡でなければならぬ」といった禅問答が延々と続くばかり。朱子に到っては「中庸章句」の中で「(どうせ実践は不可能なのだから、実践可能な)誠の方が重要」と開き直っている。
*要するに(礼儀作法の正しさや、宮仕えを効率よく乗り切るノウハウの共有が主目的で普遍倫理や実践知の追求に無関心の)伝統的儒教や(大学「格物致知」から導出した「居敬窮理」の理念を掲げる主知主義的な)朱子学との相性が最悪なのであろう。仏教だと入門編の「四門出遊」説話当たりでもう「死も、病も、老衰も、怖がっても、怖がらなな過ぎても負け」みたいな話になるのに。
中世まで多くの宗教家が伝統的に信仰と実践知を一体のものとみなし、知恵はそれを追証する内容でない限り「百害あって一利なし」と考えていた様にも見える。ただし7世紀から12世紀にかけてイスラム教圏は、獲得した広大なヘレニズム文化圏を懐柔する為にギリシャ・ローマ哲学を研究し、これをイスラム教学と擦り合せる必要に駆られる事になった。
- 旧約聖書の創世記に登場するアダムとイブは、神から善悪の知識の木の実を食べてはいけないといいつけられていたにもかかわらず、蛇にそそのかされイブが、それに続いてアダムまでそれを食べてしまい、その結果人間は神から隔てられてしまった、とされている(創世記 3:22)。
*知恵の樹の実は俗説ではリンゴとされるが、旧約聖書にそうした記述は無く、また実際寒冷な中央アジア原産のリンゴはエデンの園があったとされるペルシャ湾岸では育たない。またアラビア語で書かれたコーランに出てくる楽園の禁断の果実「talh」はバナナとされる。 - カトリシズムや聖公会などのキリスト教では、知識を 《 聖霊(Holy Spirit)の7つの贈り物》の1つとしているが、「主を知る知識」はあくまで「主を愛する心」や「主への畏敬の念」とセットでなければならず、そのうちどれが欠けてもいけないとする。
*ちなみに残りは孝愛、畏敬、悟り、判断、勇気、知恵。 - イスラム教においても知識(アラビア語: علم、 ʿilm)は重要である。アッラーフの99の美名の1つに「全知者」 "The All-Knowing" (アラビア語: العليم、 al-ʿAlīm) がある。クルアーンには「知識は神がもたらす」とあり (2:239)、ハディースにも知識の獲得を奨励する言葉がある。「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ」とか「正に知識を持つ者は預言者の相続人だ」といった言葉はムハンマドのものと言われている。イスラムの聖職者をウラマーと呼ぶが、これは「知る者」を意味する。
*スンニ古典思想の大成者ガザーリーは「イスラム哲学のうち数学・論理学・自然学・政治学・倫理学に問題はない。イスラム神学との衝突が起こるのは形而上学の主張」とし「名指すもの=コンピューター言語(アリストテレス哲学でいう「言辞」)」「名指されるもの=CPU(アリストテレス哲学でいう「形相」)」「名指される事によって表される実体そのもの=コンピューター言語がCPUを介して操作する接続デバイス(アリストテレス哲学でいう「個別にあるもの」)」とするモデルを用いて以下の反駁を加えている。①「この世界はコーランにある様に神が特定の計画に従って無から創造したのではなく、その意図と無関係な流出の産物である。それ故にこの世界は神と表裏一体の関係にあり、神が存在する限りこの世界は滅びない」…この世界が想定通り「コンピューター言語駆動」なら、神とは「この世界を流れる時間の概念を超越してプログラムの停止や再開が自在に行えるプログラマー」と規定され、人間側にその行動に制約を加える方法はない。②「コーランの神は全ての人間の善行と悪行を知る人格神だが、アヴィケンナの神は非人格的でその知識も普遍に限られ個物を知らない」…神の意志そのものは完全無欠だが、流出の過程でエラーが蓄積して最期には悪が生じる。これが「個物」であり、無論「プログラマーとしての神」はそれぞれを熟知しているとした。③「コーランは世界終末時には死者が復活して最後の審判が遂行され、全ての人間が天国か地獄に振分けられるとする。しかしイスラム哲学はこれについて死後の霊魂の状態についての比喩に過ぎないとし肉体は復活しないとする」…イスラム哲学は「原子によって構成された儚い物質と異なり、霊魂は非物質的存在」と考えるからそうなる。イスラム神学は肉体も霊魂も全て(神が毎瞬産みだしては破壊し続けている)原子と考えるのでコーランの記載にことさら矛盾は感じない。また「中庸」は、ガザーリーによって神学者と法学者の二足草鞋だった時代には「法学に現世の福利と来世の保証を両立させる機能を持たせる事」、回心を起こしてスーフィー(イスラム神秘主義)と法学者の二足草鞋となってからは「神との合一さえ果たせればどんな奇矯な振る舞いも許されると考えるスーフィーの甘えと、形さえ守っていれば心の在り方などどうでも良いと考える遵法者の甘えを仲裁する事」と、説明された。要するに彼にとってはそれが「実践知」だったのである。
青柳かおる 「イスラームの世界観 ガザーリーとラーズィー」 - グノーシス主義はそもそも「グノーシス」という言葉が「知識」を意味し、知識を獲得しデミウルゴスの物質世界から脱することを目的としている。セレマにおいては、知識獲得と聖守護天使との会話を人生の目的とする。このような傾向は多くの神秘主義的宗教に見られる。
- ヒンズー教の聖典には Paroksha Gnyana と Aporoksha Gnyana という2種類の知識が示されている。Paroksha Gnyana (Paroksha-Jnana) とは受け売りの知識を意味する。本から得た知識、噂などである。Aporoksha Gnyana (Aparoksha-Jnana) は、直接的な経験から得た知識であり、自ら発見した知識である。
結論から言えばオリエントにおける知識の追求は世界論に終始して科学を生み出すに到らなかった。西洋でも近年までは単純に「知識は神と人間(成人男性)だけが備えられる」と見なされ、さらには「コプト文化の持つ知識」といった表現こそあったが「社会が知識を蓄積する」という概念自体が成立していなかった。*また無意識の世界の事象に関する知識」を体系的に扱う事もほとんどなく、それに」先鞭をつけたのは19世紀後半にフロイトがその手法を一般化した後とされる。
- しかしイタリア・ルネサンス期には、ボローニャやパドヴァの大学医学部で「医学者はギリシャ語やラテン語やヘブライ語やアラビア語などで執筆されたヒポクラテスやガレノスなどの医学書を読み解いて講義するのみ。肉体労働者に過ぎない外科医はそれに従って執刀を担当するのみ」という伝統が覆されて「自ら執刀を担当し、次々と旧文献の誤謬を暴いたり新発見を行う解剖医」が花形として登場する。
*そして建築学や解剖学にも興味を持つ様になった画師達(レオナルド・ダビンチなどは自ら執刀まで担当して精密なスケッチを残している)、正確な知識を素早く広める役割を担わされた印刷業者や人体模型制作者がこれに続く。 - 無論、それまで自分が胡座を搔いてきた権威を揺るがされた「医学者達」の反論は凄まじかった。「1人2人解剖したくらいで何が分かるか」という立場から「全ての人体が同じ構造である保証など何所にもない」「百年前の人体と現在の人体の構造が同じという証拠など何所にもない」と主張する論文が次々と猛烈な勢いで発表される様になったのである。ある意味全てはそこから始まらねばならなかった。
*パドヴァ大学で「実地の直接の観察が唯一の信頼できる情報源」とする立場から自分自身で実際の解剖を執り行う様になり、次々と新発見をしてその成果を1538年から図版で発表する様になった解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius,1514年~1564年)は抹殺を免れる為に神聖ローマ皇帝カール五世(同じフランドル(ベルギー)出身だったりする)の侍医となっている。実は中央アジア出身のアヴィケンナやコルドバのアヴェロスといったアラビア哲学者、異教徒迫害のせいでコルドバからカイロに逃げたマイモニデスの様なセファルダム系ユダヤ人ラビも通った道だった。
最初に「認識に基づく知識の蓄積過程そのもの」に踏み込んで論じた1人がフランシス・ベーコン(1561年~1626年)である。彼はその著作において知識とその獲得方法について帰納的方法論を確立して一般化し、現代の科学的探究の礎となった。「Meditations Sacrae(1957年)」 に記されたその金言「知識は力なり (knowledge is power)」はよく知られている。
- 現在でこそ科学的方法(scientific method)は「観測や実験によるデータ収集と、仮説の定式化と、検証から構成される」「科学とは計算された実験によって得られた事実に基づいて推論する際の論理的に完全な思考法」とされるが、彼がその著作中で用いたスキエンティア(scientia)という用語はそれまで「知識」という以上のニュアンスは一切含んでいなかった。要するに彼は「科学」を発明したのである。
- ベーコンの時代以降、scientific method(元の意味では「知識に関する方法論」)が徐々に発展し、さまざまな経緯を経て「知識の探究の方法は、観測可能で再現可能で測定可能な証拠を集め、それらに具体的な推論規則をあてはめていく形で行われなければならない」となっていき、やがて科学や科学的知識の性質というのも哲学の主題のひとつとされるようになっていく(科学哲学)。
- ちなみに学問の壮大な体系化を構想していいて、その一部はフランス百科全書派にも引き継がれる。ヴォルテールもフランシス・ベーコンついては「英国経験哲学の祖」として賞賛している。
またアラビア哲学の英国への波及を考える上で「オッカムの剃刀」で有名なコラ学者のフランシスコ会会士オッカムのウィリアム(William of Ockham,1285年~1347年)は外せない。
*この人物は信仰と理性が矛盾しないと考え「科学のみが発見の方法であり、科学のみが神を唯一の存在論的必然物とみなすことができる」と信じていたが、それこそがアヴィケンナやアヴェロスやマイモニデスといったアラビア哲学者達がスコラ学者の手を経てキリスト教圏が継承し、その後イスラム教圏で途絶えた次の時代への鍵となったのだった。
ちなみにアラビア哲学を継承したスコラ学者達自身も16世紀スペインで国王の庇護下、サラマンカ学派を形成。(新大陸で得た金銀が無制限に流入し続ける結果起こったインフレを背景に)貨幣数量説を発表したり、南米におけるインディオ虐殺を弾劾して人類平等説を提唱したりしてる。解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスの業績と合わせてスペイン王国全盛期を代表する歴史的偉業である。
ただ、それを認める立場にあるのはハイエクの様なマックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(1904年~1905年)」打倒を目論むフランクフルト学派(「自由からの逃走」でお馴染みのエーリヒ・フロムとか「権威主義的パーソナリティ」のアドルノとか「公共圏のコミュニケーション論」のハーパーマスとかいる)に限られるとも。
「非科学的な事はなんでも否定するのは非科学的」というテーゼがここにも?