諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

日本独特の放送禁止用語「surrender monkeys」について。

ochimusha01.hatenablog.com

ところで日本人はどれだけ覚えているのでしょうか。

  1. 皇帝ナポレオン三世明治維新に際して幕府側に肩入れしつつ大量の割譲地獲得を目指していた事を。
    *現代のフランス狂信者達が「明治維新こそ日本人を堕落させた絶対悪。あらゆる近代文明を放棄して江戸時代の自給自足生活に回帰する事こそ日本に許された唯一の未来ビジョン」と言い出したのはそのせいとも。

    https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Bakufu_French_style_cavalry.jpg

  2. フランスは三国干渉(1895年)に際してロシア帝国ドイツ帝国と名を連ね、日露戦争(1904年〜1905年)に際してロシア帝国側の主要金主となった事を。
    *レーニンですら「日露戦争におけるロシア帝国敗北こそがソビエト連邦樹立の最初の契機だった」と公言してるのにも関わらず(「日本へのルソー紹介者」中江兆民の弟子であった)幸徳秋水が突如「諸悪の根源は軍事力と愛国心でありどちらも国内から撲滅すれば世界平和が実現する」と言い出し、現在の「日本一国平和主義」の基礎を築いた時期に当たる。
    レーニン「帝国主義論(1916年執筆、1967年初版)」

    https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0f/1938_CPA_588.jpg/250px-1938_CPA_588.jpg

    *ところで、この「諸悪の根源は軍事力と愛国心でありどちらも国内から撲滅すれば世界平和が実現する」という発想はどこから来たか。幸徳秋水が「帝国主義(1901年)」の中で「帝国主義はいわゆる愛国心を経となし、いわゆる軍国主義を緯となして、もって織り成せるの政策にあらずや」と主張したのを端緒とするが、その元ネタは英国自由党政治家のJohn Mackinnon  Robertson「Patriotism and Empire(1899年)」。

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    *それは自由党アイルランド自治問題に巻き込まれて分裂状態に陥った1880年代〜1890年代の主張の要約みたいなもの。「大英帝国は今こそ愛国心と軍事力を放棄して全植民地を解放するばかりかアイルランドスコットランドの独立も許してイングランドのみの自然な姿に回帰すべき」なるお花畑スローガンは当人の落選を招いたばかりか、すでに激減していた政党支持層を壊滅させ「保守党が普通選挙に圧勝を続ける状況」の完全定着にのみ役立ったとしか思えない。後世には直後に発表されたホブソン「帝国主義論(Imperialism: A Study、1902年)」しか伝わらなかったのも無理ない話?
    J. M. Robertson - Wikipedia, the free encyclopedia

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    *どうして英国を代表する二大政党は19世紀まで「(トーリー党の流れをくむ)保守党と(ホイッグ党の流れをくむ)自由党」なのに20世紀に入ると「保守党と労働党」になってしまうかというと、この自打球で壊滅的打撃を受けて一旦泡沫政党に転落してしまうからなのである。

    *そもそも前掲のJohn Mackinnon Robertsonにしたって、その自由交易論や関税論は理路整然とした内容で今日なおちゃんと読み継がれている。問題は保守党が「ただの地主利権の擁護政党」ではなくなってしまった事によって、そこが両党の対立軸ではなくなってしまった事。フランス革命期に執政した小ピット(William Pitt the Younger、1759年〜1806年)の頃から「リベラル・トーリー」の躍進が始まり、穀物法(corn laws)廃止(1846年)以降ジェントリー階層が金融業界に進出する様になると保守党はそれまで自由党の得意分野だった政策を自由党の担当議員ごと併呑し始めたのである。それで自由党は慌てて「新路線」開拓に手を出したが「民族主義&平和主義路線」は窮地を救うカンフル剤となるどころか、普通選挙実施によって止めを刺される決定的自殺薬として機能してしまったという次第。

    http://forum.casebook.org/attachment.php?attachmentid=11426&stc=1&d=1298673587

    幸徳秋水無政府主義者も1905年以降は欧州のアナルコ・サンディカリズム運動の影響を受けて「一刻も早く日本も帝国議会を停止に追い込んで軍隊も愛国心も持たない平和な労働者独裁国家に推移せねばならない」とテロをも辞さない反体制運動を展開したが、これも本家の英国同様、結果としては1925年(大正14年)制定された普通選挙法履行以降も保守政党が圧勝を続ける契機を生んだだけだった。そもそも当時の大日本帝国において都市在住労働者の人口はあまりにも少なく、また圧倒的多数を占める農民は保守党政治家の「我田引鉄」政策にあまりにも弱かったのである。

    http://hukayoi78.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_a9e/hukayoi78/IMGP8336_800b.jpg?c=a0

    普通選挙…内地に居住する満25歳以上の全ての成年男子に選挙権が与えられ、有権者数が1920年大正9年)5月現在の307万人程度(人口に対し約5.5%)から改正後の1928年(昭和3年)3月には1240万人(人口に対し20.1%)と4倍に急増。ただし女子参政権は終戦を待たねばならなかった。

    http://nakaco.sakura.ne.jp/sblo_files/nakaco/image/fusen07.jpg

  3. 新左翼運動との対抗上、日中戦争から第二次世界大戦の期間について左翼陣営内より「日本軍の主目的は略奪と強姦であり、面白半分に妊婦の腹を裂いて胎児を取り出したり、女子供を竃に詰めて焼き殺したのも(フランス革命当時にジァコバン派独裁政権が決行したヴァンデ殲滅戦でも、欧州ではスケープゴートとしてその全責任を負わされたナチスドイツでもなく)全て日本軍の犯行だったのであり、全日本人はその責任を負う為に自発的に全財産を中国人と韓国人に譲渡した上で収容所入りして、男女問わず彼らに輪姦されながら喜んで死んでいかねばならぬ」と考える層が台頭し、実際そのコンセプトに基づいて(新左翼運動支持者の牙城と化していた)日活ニュー・アクション映画(1970年〜1971年)や永井豪ハレンチ学園(1968年〜1972年)」映画化作品(1970年〜1971年)などの収益を接収する形で政治的プロパガンダ映画「戦争と人間(1970年〜1973年)」などが制作された事を。
    *その結果「大陸において略奪と強姦と虐殺しかしなかった絶対悪の象徴日本軍」が「全ての行動が国際基準に適う正義の戦士団ソ連」に跡形もなく殲滅されていく物語が作成され「これを実際の歴史として信じない人間は非国民」というプロパガンダが流布する事に(興味深い事に歴史のこの時点では慰安婦問題は存在せず、実際それへの言及は皆無)。当時はソ連及びその忠実な長女と呼ばれたフランス共産党新左翼運動に逆転勝利を飾っていった時代であり、それを記念する内容だったとも。当然「略奪と強姦と虐殺しかしなかった絶対悪」は右翼と新左翼運動の双方をひとまとめにして貼られたレッテルだった訳である。

    戦争と人間 完結篇

    *今日なお1970年代初頭、新左翼運動に同調して日活アクションが稼いだ金を吐き出させる形で「戦前日本軍は中国大陸で略奪と強姦しか働かなかった偽物の軍隊で、本物の正義の軍隊ソ連軍が登場すると虫ケラの様に殲滅されるだけだった」というプロパガンダ映画が撮影された事は情報統制の対象であり続けている。おそらく1980年以上成立した「新左翼と旧左翼の歴史的和解」に水を差す内容だからだろう。1970年代前半の旧左翼はカール・シュミットの「敵友理論」に基づいて新左翼の獣性を旧日本軍のそれと重ね合わせ完全殲滅を目論んでいたのだった。

こうした経緯を振り返ってみると日本でだけ「サレンダー・モンキー」ネタが「人道に反する罪」や「人種差別」と結びつけて徹底的に情報統制されたのも決して偶然でない気がしてきます。

 サレンダー・モンキー(surrender monkeys、降伏するサルども)

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フランス人ないしその軍隊(フランス軍)を指す民族差別用語。「Cheese-eating surrender monkeys(チーズを食べながら降伏するサル野郎ども)」という台詞が全文であり、サレンダーモンキーはその略称にあたる。1995年にフロッグ(蛙野郎、蛙食い)などの伝統的なフランスへの蔑称に続く形で現れ、短期間で広い周知を獲得した。当初は非公式的なスラングであったが、次第に公の場でも使用されるようになっていった。イラク戦争でのフランコフォビア(嫌仏感情)がアメリカなどで高まる中、英語圏のインターネットでも盛んにフランス軍の「敗北の歴史」を嘲笑するエスニックジョークが盛んになった。こうした流れは伝統的なものだが、若い世代に認識を継承させたという点で重要といえる。後にオックスフォード引用句辞典は「サレンダー・モンキー」を政治的用語として登録した。

  • この用語の由来は他のスラングとは異なり、明確に発祥が分かっている。ブラックジョークを特徴とする風刺アニメ番組『ザ・シンプソンズ』で最初に使用されたもので、1995年4月30日放送のエピソード『伝説のジャズマンよ 永遠に』('Round Springfield)において登場。この話で予算削減の為にフランス語の授業を任されたスプリング・フィールド小学校の用務員ウィリーが、縞模様の服にベレー帽(典型的なフランス人へのステレオタイプ)で教壇に立ち、「ボンジュール!俺はチーズを食べながら降伏するサル野郎どもだ」とスコットランド訛りで教えるシーンが登場。同エピソードは日本では差別的であるとして放送禁止指定を受けたが、DVDには収録されており視聴可能である。同話が収録されたDVDに付属しているメイン脚本家のアル・ジーンによる解説で、このエスニックジョークは脚本家仲間の一人であるケネット・ケン・キーラーによって書かれた可能性が示唆されている。ジーンはこのジョークがここまで流行するとは思わなかったと驚いた上で、「フランス人へのエスニックジョークであり、それ以外の意図はない」とコメントしている。フランス語版の同じエピソードでは「surrender monkeys」の部分が単に「monkeys」と訳されていた。

  • ザ・シンプソンズ』での使用以降、この言葉は急速に番組製作国のアメリカを中心に広がっていった。そしてそれは一般人の間だけではなく、メディアや評論家達の議論にも使用される程の知名度を得た。放送から数年後となるテロとの戦い、特に2003年のイラク戦争を巡るフランス政府・フランス人の反米運動が盛んになるとこの勢いは更に増した。『自由主義ファシズム』などで知られる評論家ヨナ・ゴールドバーグが中心的な役割を示し、ナショナル・ジャーナルは「イラク戦争の中、彼によってこの蔑称は完全に大衆化された」と評している。彼は嫌仏的な記事の中で「サレンダーモンキー」を何度も使用した。ゴールドバーグはイラク戦争に先駆ける1999年の時点で「サレンダーモンキー」を使用し、『ナショナル・レビュー』紙に掲載した『フランスが嫌いな10の理由』でその背景にある嫌仏主義について解説を行った。第一に「彼らはまともに銃も撃たず(without firing a shot)に白旗を振ってパリを引き渡し」、にも関わらず「四大戦勝国(ビッグ・フォー)という概念を一人で主張して、自国がアメリカ、イギリス、ソ連に並ぶ貢献をしたと思っている」こと、第二に「その上で西側諸国としての使命を果たさずに勝手な行動を取り、NATO諸国とも協調しない恩知らずさ」を挙げたのである。2002年7月頃から「サレンダーモンキー」の輪は他の雑誌や評論家にも広がり、ゴールドバーグは差別用語としての大流行については「テロとの戦いとの関連は無視できない」と論じた。一方で2003年頃からゴールドバーグ自身は「大衆化で新鮮味が薄れた」として使用していない。

  • 2006年12月7日には『ニューヨーク・ポスト』紙で2006年のアメリカ軍引き上げについての記事で大きく使用された。2007年、『タイムズ』紙でベン・マッキンタイアは「サレンダーモンキー」について「恐らくシンプソンズが元となった数多くの流行語で最大のものであり、今や嫌仏主義の報道や発言における決まり文句となった」と評している。『デイリー・メール』紙は「サレンダーモンキー」はフランス人の態度、およびビンラディンの死についてのヨーロッパにおける消極的な報道についての記事で使用された。近年では2011年に英仏軍事協定の締結についての『デイリー・テレグラフ』紙の記事でも使用された。

  • 『ガーディアン』紙はイラク戦争前後におけるこの「サレンダーモンキー」の広まりについて言及し、『スレート』紙は大きく高まった嫌仏主義への関心を集める役割をこの用語は果たしたとした。2003年5月7日、新たに定着したスラングの中でも顕著な広まりを見せた「サレンダーモンキー」について、『ナショナル・レビュー』紙は以下の様に総括した。「イラク戦争のおかげで、我々はフランス人を取り扱う最良の手段を見出した。――ジョークの対象にすることだ」。評論家ローラ・イングラムを初めとして、政治・軍事に関する専門書でも使用された。主なものとして『対テロ戦争におけるアメリカの文化』(スチュアート・クロフト、オックスフォード出版社、2006年)、『新しい政治と古い戦争』(スティーブン ・チャン、Potomac Books、2004年)、 『銃弾の報告――戦況報告の与える政治的影響』(ポール・L・ムーアクラフトとフィリップ・M・タイラー、Potomac Books、2008年)、ネッド・シェリン(大英帝国勲章受勲者)によるオックスフォード・ジョーク辞典への採用、及び2008年のオックスフォード引用句辞典への登録などが挙げられる。小説家ダグラス・クープランドの2009年の著作においても紹介された。

サレンダー・モンキーという言葉は風習に関する風刺が多いエスニックジョークの中で、軍隊の戦歴に関する風刺が含まれている部分が特徴となる。従って先述したスラングの使用は同時にフランス軍への様々なジョークを展開させ、特にインターネットにおいては様々な画像やサイトを用いたジョークが流行した。「strategypage.com[24]」(軍事問題の専門家による情報収集を目的とするウェブページ)では幾つかの例が紹介されている。

他に英語圏の画像掲示板では「未使用のフランス銃売ります」「フランスの軍用ナイフ」などの画像を用いたジョークも作られた他、動画によるジョークも存在する。

 まぁザ・シンプソンズ』は恐れる所を知りません。

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そして…

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エマニュエル・トッド「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告

「財政のゴールデン・ルール」と呼ばれている概念は、人間活動のうちの一つの要素をいわば「歴史の外/問題の外」に置いてしまおうとするもので、本質的に病的だと言わなければなりません。それなのに、フランスの指導者たちはこの病理を助長し、励まし、ドイツの権威主義的文化をそれがもともと持っている危険な傾斜の方へと後押ししたのです。

 なるほど、こういう状況を表す時にはフランス人も(自らの内側から親独派を切り離す為に)「surrender monkeys」的表現を使うのね。