諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「右翼と左翼」定義を巡る誤謬① 本当は恐ろしい「三色旗の青の秘密」。

この投稿についてですが… 

はてなブックマーク経由で「記事中で使われてる「学べるニュース」の画像がコラ後のもの」との指摘を受けました。

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なるほど…迂闊でした。以降気をつけます。 ところでこの誤謬が過去投稿に与えるインパクトはどれくらいでしょう? これから数回に渡って確認していきたいと思います。

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そもそも「右翼と左翼」概念の起源はフランスにおける(白旗に象徴される)王党派と(赤旗に象徴される)急進共和派の対立とされています。ところが実際のフランス国旗は「三色旗(Tricolore)」。一色多いのですね。何故か一色多く、その理由についてフランス人は決して黙して語ろうとしないのです。

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  • そもそも当時の実際のフランス史において「右翼と左翼の衝突が歴史を動かしてきた」事実そのものが存在しない。

  • 何しろ選挙では伝統的共同体の組織票によって必ず圧勝する「右翼(王党派)」は既得権益の墨守と(フランス革命によって失われた)特権の回復にしか興味がなく、左翼(急進共和派)は選挙で大敗したり、革命や戦争で国内が混乱した隙を突いて蜂起しては殲滅されたり、アルジェリア島流しにされたりしてきただけ。どちらも国民からの支持など到底受けられる筈がなかったのである。

  • それでは実際にフランスの近代化を支えてきた思想とはいかなるものだったのか? 実際に7月革命(1830年)を主導し、2月/3月革命(1848年〜1849年)後の産業革命導入を主導したのは「王侯貴族や聖職者といったランツィエ(rentier、不労所得階層)でなく、実際に生産活動に携わる産業者同盟(les indutriels)こそが国家経営の実権を掌握すべき」と提言したサン=シモン主義、とりわけ「馬上のサン=シモン」と呼ばれた皇帝ナポレオン三世(在位1852年〜1870年)が実践した革新的諸事業だったのである。

  • 実はドイツ帝国大日本帝国中華人民共和国ベトナム社会主義共和国の資本主義的発展はこの路線に倣ったものという解釈すら存在する。

    逆をいえば、かかるある種の開発独裁状態から共和制に移行するには①独裁的な強権体制が馬鹿な戦争に熱狂して自滅する。②左翼が馬鹿な蜂起をして自滅する。③右翼が分裂してまとまらない、の三条件が満たされ、その隙を突く形でそれまでの資本主義的発展が産んだ新興産業階層が全権を握ってしまえばいい?
    かくしてフランスは「共和制」と呼ばれる「権力に到達したブルジョワ」あるいは「ニ百家」と呼ばれる政治的エリート集団による寡占体制に移行して今日に至るが、彼ら自身は「政治的に矢面に立たされる事のリスク」を十分承知しているので決して表舞台には出てこない。かくして「三色旗の青の秘密」は今日なお厳密に保たれ続けているのであった。

    *この展開、英国貴族主義が最終的に「ジェントリー階層の教育機関」に辿り着いた展開もと重なる。こうした「新貴族制度」においては「時代の変遷が必然的に生み出す経済的成功者には門戸を開き、経済的敗者は容赦無く追い出す」流動性の維持こそが重要なのである。

それでは最先端トレンドはどうなってるかというと…「互いに殴り合う事で周囲の耳目を集めようとする」極左と極右の区別がほぼ消失し、両者から距離を置いた中道左派中道右派の緩やかな融合が進行中といった具合。いわゆる「現状懐疑派(急進派)VS現状維持派(漸進派)」の図式ですね。この観点からは既に「右翼と左翼の衝突が歴史を動かしてきた」なる認識自体が古いとしか…

あれ、ならば冒頭に掲げたパネルの「右翼と左翼」概念は何処から来たの?