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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】ネット上で発見した「マレ主義者」

こういう考え方もあるんですなぁ…本当に「稀」だと思います。

http://3.bp.blogspot.com/-MQXVol-u3zI/VANZR_PNjHI/AAAAAAAAAVo/wdfi7ZcOeDw/s1600/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE1_0000.png

「マレ主義=マルクス・レーニン主義」なんて表現、これまで一度も見た事ありません。検索にも一切引っかかってきません。本当に「稀」な存在と思われ。

http://www.alive-net.net/wildlife/domestic/bear/images/bear-map.gif

一体どういう集団でどういう意味合いで運用されている用語なんですかね?

http://bloggingtips.moneyreigninc.netdna-cdn.com/wp-content/uploads/2016/08/Wikipedia.jpg

とりあえずWikipediaで検索してみました。

 スターリニズムまたはスターリン主義(Сталинизм)

https://www.marxists.org/subject/stalinism/pictures/no-picture.jpg

1924年から1953年までソビエト社会主義共和国連邦ソ連)の最高指導者を務めたヨシフ・スターリンの発想と実践の総体で、指導者に対する個人崇拝、軍事力や工作活動による暴力的な対外政策、秘密警察の支配を背景とした恐怖政治や大規模な粛清などを特徴とする全体主義、およびそれに通じる思想・体制である。スターリン自身はマルクス・レーニン主義と呼んでいた。


政治理論としての「スターリニズム」の最大の特徴は、スターリン自身が提唱した「世界革命を経なくても(ロシア)一国による社会主義建設が可能である」(一国社会主義論)というテーゼだろう。レーニン、トロツキーをはじめロシア革命期のボルシェビキの指導部は一致した見解であり大前提として「一国による革命と国際革命-世界革命の結合なくして資本家の搾取を廃絶する社会主義体制の建設と確立は不可能である」(世界革命論)を共通の認識にしていた。それは第一インターナショナル以来のマルクス主義の初歩の原則であった、といえる。


またスターリンは、ソビエト政権が戦時共産主義による干渉戦争と内戦での勝利とともに開始させた「新経済政策」(いわゆるNEP)から転換、1928年にゴエルロ・プランを巨大化させた第一次五ヶ年計画を開始する。それは西側陣営にハイペースで追いつこうとする産業化政策であり、軍事力を高めることを目標とし、また、産業化を後方で支援するための農業の集団化(コルホーズ)をセットとした。そこでは、労働者への極端なノルマを課した成果主義(スタハノフ運動)と「富農(クラーク)の絶滅」が叫ばれた。発電所やダム建設などの巨大プロジェクトによって労働者は動員され、強制収容所から「(作り出された)囚人」が無報酬で働き、農作物は強制的に徴発され、広範な飢餓地帯(とりわけウクライナ)と大量の犠牲者を生み出すことになる。これらの政策によりソ連の国力は第二次世界大戦前までにはヨーロッパを超え、アメリカに次ぐ超大国の地位を得た。

  • 現在では、重工業重視による「生産力至上主義」に基づく「社会主義経済建設」の展望も、"スターリニズム"の系譜を引いている思考および志向と言うこともできる。


以下のような、スターリンおよびソ連邦共産党コミンテルン系譜の各国共産党の実践形態・実践結果を総称して、非スターリニズム左翼は「スターリニズム」と定義している。

  • ボルシェビキは、元々野次すらも議事録に残し、政策・方針によっては分派活動の形成を容認する党内民主主義の度合いの強い組織だった。ロシア内戦期に、指導部の強化を目的にして分派形成は禁止されたが、少なくともレーニン、トロツキーらにとっては、「内戦期という非常事態における一時的措置」として位置づけられていた。これをスターリンは、レーニン死後、「党は実践集団であって、討論クラブではない」という命題によって、「一枚岩の民主集中制の絶対原則」として分派形成を禁止する。この「原則」が、「指導部批判=敵対者」と規定される土壌を作り出すことになる。各国の共産党も、例外なくこの「原則」を倣っていくことになるが、この「絶対原則」によって、党内討議・党内民主主義(批判の自由)よりも指導部の「指令」「指導」が絶対化される官僚主義が各国の共産党を共通して蝕んだ大きな根拠となっていく。

  • 「真理は一つであり、その真理に立つ労働者階級の前衛党は各国に一つでしかあり得ない」または「統一した党は労働者階級と革命の司令部であり、司令部がいくつもあったら命令指揮系統が混乱する」とする一国一前衛党論は、自派以外の共産主義党派および共産主義者を排撃し、民衆の運動は自派によって指導されなければならない、とする独善主義の論理として作用する。それは「共産党主導でなければ革命は起きない」あるいは「大衆運動や労働組合などの大衆組織は共産党を拡大するために存在する」「共産党の指導外の運動は破壊してもよい」というような思考をもたらし、「大衆運動の利益」よりも「共産党の利益」を優先する体質を形成してきたと言える。


1930年代にスターリニズムに基いて成立した一国型社会主義(特にその国家体制)を指してソ連社会主義とも呼ばれるこれらの国家が実現したものを社会主義と呼ぶべきかどうかについて長い間、非スターリニズムの党派・活動家の間では議論が戦わされた。


またカール・ウィットフォーゲルアジア諸国の制度の研究から「東洋的専制主義」の概念をつくり、これを適用してスターリニズムを説明しようとした。実際、西側諸国では地理的にも政治的にも民族的にも旧ソ連はヨーロッパとは異質の存在(東方正教会文明)とされ、ユーラシアや北アジアと扱われた。また、孫文の大アジア主義ソ連をアジアの国としている。

 ネット上では、このTweetみたいな考え方を一番よく見掛けますね。しかし以下となると…本当に一体どうなってるの?

反スターリン主義(反スターリニズム、英:Anti-Stalinism)

https://workerspartynz.files.wordpress.com/2012/01/stalin-statue-pwned.jpg

スターリン主義に反対する政治思想や運動。広義には共産主義の外部からも含めた、スターリン主義への批判・否定の総称。狭義には社会主義共産主義の内部の思想の1つで、既存の社会主義国コミンテルンを系譜とする各国の共産党を「スターリン主義」として批判・否定し、乗り越えようとする立場を指す。歴史的・思想的に多数の立場・潮流がある。


1956年以降のスターリン批判
ソ連共産党第二〇回大会(1956年2月)において、ソ連共産党第一書記フルシチョフがに(1953年に死去した)スターリンの名前こそ直接は挙げなかったものの、それまでのソ連共産党の公式見解である戦争不可避論(資本主義陣営との戦争は避けられないとする考え)を批判して、西側との平和共存路線への転換をはかり、また暴力的手段によるのではなく議会制度を通して平和的に社会主義への移行することが可能であることを呼びかけた事を指す。共産党による一党支配を直接否定する内容ではなかったが、従来のスターリン体制からの大きな転換を意味していた。
スターリン批判

反レーニン主義(英:Anti-Leninism)

http://cdn-ak.b.st-hatena.com/entryimage/265726118-1442049697_l.jpg

政治の分野でレーニン主義(レーニズム)またはボリシェヴィキ主義(ボルシェヴィキズム)に反対する思想や立場の総称。通常は社会主義共産主義の内部からの反対を指すが、広義には社会主義共産主義の外部からの反対や批判も含む。

マルクス主義からの反対


マルクス主義以外からの反対


なおトロツキズムは、反スターリン主義の立場からソビエト連邦を「裏切られた革命」「堕落した労働者国家」と批判するが、「反レーニン主義」ではない。
*「王党派との対峙だけでは反体制派の立場が維持できない」状況が(隙あらば全権を握ろうとするその権威主義的態度をバクーニン無政府主義者達から批判されながらも)理論家としてのマルクスを台頭させた辺りまでは歴史的事実でもあるので容易に理解可能だが(マルクスの知らなかった)普通選挙実施後の議会制民主主義の世界も「マルクスがその存在を承認していない」という理由で否定するなら、ファシズムやナチズムとの差別化が難しくなる。実際、第二次世界大戦後のドイツで形成された「戦う民主主義」の概念は双方に等しく「民主主義の敵たる全体主義」のレッテルを貼っている。

登場した時系列に沿って「(共和主義革命挫折を背景とする)マルクスの主張」→「(国家主義に合流した)改良主義社会民主主義)や修正主義の主張」→「(ロシア革命の現実に呼応した)レーニンやとロッキーやスターリンの主張」→「(1956年のスターリン批判以降台頭した)新左翼運動の主張」みたいに大雑把に把握してるだけだと何を言ってるのかさっぱり分かりません。

  • そもそも「1956年のスターリン批判以前に新左翼運動は存在しない」という前提が崩壊している。19世紀にまでさかのぼって「その登場以前jから既にスターリン主義者は反対者に包囲されており破綻していた」とか叫ばれても、どう反応していいか分からない。「現実と願望の区別など些事に過ぎない」とでも言いたいの?

  • クロポトキンシベリアにおける各集団の協力体制の実地調査から編み出した「相互扶助を中心概念に据えた無政府共産主義トクヴィルが「アメリカの民主政治(De la démocratie en Amérique、第1巻1835年、第2巻1840年)」の中で語ったアメリカ的地方自治との関連性が興味深い)」を提唱しつつ、ロシア革命成功後は中央政権に対する批判を一切の控えて地方行政に専念。普通に考えれば「思想的に完全に無関係」としか言えない筈なのだけど、無論 カール・シュミットの「敵友理論」に準拠した「理性の声に導かれるまま敵味方を確実に峻別し、敵側とは徹底して対峙しながら、味方側には同化以外の選択肢を与えないのが政治」なる立場からは、そんな中立性など許されるものではない?

  • 中国共産党北朝鮮スターリン主義の忠実な継承者とする考え方は一時期の気の迷いとして存在しただけである」と断言する割には現存するし、内部批判の対象となる事もない。今が「全左翼合同」の時代だから?

全体を俯瞰しているうち、なんとなく「どうして新左翼運動はどうして最終的に内ゲバの殺し合いに発展せざるを得なかったか」「そしてその状況は現在なお一切解決されてない」というあたりまでは理解が進みました。

SEALDsの発信する民主主義が「同調しない国民はバカだから排除せよ」「自分の意見に賛同しない奴は愚かな敵」である事が判明 牛田氏のツイートが炎上 - 政治外交思考新聞

http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/83/2016/0/2/02575f0b8f127003cb06c4dda8b6e4247419216d1470092565.jpg

堀 潤 JUN HORI@8bit_HORIJUN
なぜ宇都宮さんが叩かれるのか?もはや全体主義だな。

UCD@ILLMATIC_UCD
宇都宮さんが市民の足を引っ張っているからです。叩くのはよくありませんが、政治的判断力に著しく欠けているのだから批判はされてしかるべきでしょう。それを一括りに「叩く」という表現にして、全体主義と言ってしまうのはあまりに短絡的です。


UCD@ILLMATIC_UCD
いま、鳥越さんを支持ししないこと、鳥越さんを支持しない人の肩を持つことが、小池百合子を消極的に支持することになるとなぜ思い至らないのか。お客さんなの?当事者意識がないの?現実見れないの?なんなの?


UCD@ILLMATIC_UCD
なに、局面から考えて消極的には極右の小池百合子を支持することにはなるけど、それでも鳥越陣営に不利になるようなことをつぶやいて、それが多様性だとでも思ってんの?それが民主主義なの?本末転倒だから。


UCD@ILLMATIC_UCD
僕は民主主義よりも大切なことは、先ず立憲主義基本的人権を守ることであり、それは何が悪であるかを見極め、徹底的にその悪と戦うことだと思います。民主主義?そんなもの手続きにすぎない。手続き的に善を目指して、根本的な悪を通してどうする。甘いんだよ。もっとギリギリの戦いをしてんの。


UCD@ILLMATIC_UCD
「多様性を認めないのは全体主義だ」とか言う前にもっと真面目に目の前のことを考えてください。そんな紋切り型聞き飽きたわ。

*選挙終了後、鳥越陣営はWEBとSNS上において選挙に出馬していた証拠となるページを全削除。「マネージメント上の配慮により」以降は選挙に出馬した事実を認めない事を宣言した。「マネージメント上の配慮」って一体何?

 こんなやりとりも拾いましたけど、日頃から事あるごとに「民主主義って何だ? 俺達の事だ!!」などとシュプレヒコールして「自分達こそ主権者」という意識を高め続け、カール・シュミットの「敵友理論」に準拠するが如く「理性の声に導かれるまま敵味方を確実に峻別し、敵側とは徹底して対峙しながら、味方側には同化のみを選択肢として与え続けるのが政治」と思い詰め続けてきたら、こんな物言いになるのも仕方がない? まさしく「究極の自由は専制の徹底によってのみ達成される」というジレンマそのものなのである。

http://file.sechin.blog.shinobi.jp/8af6c249.JPG

そういうタイプの人間は明治時代から日本に存在し続けていて、福沢諭吉は「政痴」という呼称を与えています。今こそ復活させるべき用語かもしれません。