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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【インターステラー】【君の名は】【ネタバレ】「あの場面」は一体何だったのか?

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新海誠監督作品「君の名は」。多くの人が「本殿(口噛み酒が備えてあるところ)」における「あの場面」をクリストファー・ノーラン監督作品「インターステラー(Interstellar)」の五次元場面と重ねた様です。
新海誠監督自身は五十嵐大介「魔女(2003年〜2005年)」の影響を挙げている。

  • クリストファー・ノーラン監督自身は「あの場面」について、スタンリー・キューブリック監督作品「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey、1968年)」へのオマージュと述べている。

  • という事はつまり、法華経における「久遠常住(釈迦は時空間を超えて顕現し人類を救済し続ける化身の一人に過ぎないという考え方)」の世界。日本では宮沢賢治が「断じて教化の考えるぺからず,ただ純真に法楽すべし」と自戒しつつ数々の数々の童話の下敷きにした事で知られている。北原白秋が目指した「(遊びに熱中する子供が他のすべてを忘れる様子と重ねた)三昧の世界」とも重なる。
    *そういえば五十嵐大介「魔女(2003年〜2005年)」に登場する「魔女」も時空を超えて一つな存在として描かれていた。

  • 西洋哲学の世界では反ヘーゲル派としてのキルコゲールの立脚点がこれ。「民族精神(Volksgeist)とも時代精神Zeitgeist)ともいうべき超越的存在(要するに神)への完全没入こそ人間の目指すべき最終的自己実現」としたヘーゲル哲学に対して「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(その枠組みの外側に脱却しない限り本当の自由意志や個性は獲得出来ない)」としたのが「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」段階でのカール・マルクス。それに対しキルコゲールはキリスト教徒の立場から「かかる思考停止の悪弊から一切逃れ切った先にこそ時空を超えてキリストの同時代人として生きる道が待つ」と説いた。

    *ある種の行動主義哲学なので、下手に考え込むより宮沢賢治グスコーブドリの伝記」とか読んだ方がスッと頭に入ってくる。とりあえず「石炭袋」やら、ブラックホールやらに突っ込んでみるのは上級者向けだからお勧めは出来ない。全員が天国に辿り着けるとは限らないんだよ!!

  • 「インターステーラー」の場合、おそらく単なる「2001年宇宙の旅」に対する映像的オマージュというだけでなく、アーサー・C・クラーク幼年期の終り(Childhood's End、1953年)」における「人類の進化を見守るオーバロード」とか、スタニスワフ・レムソラリスの陽のもとに(Solaris、1961年、映画化972年)」における「人間の知性で理解可能な範囲を超越した存在」といった超越的存在がもたらした強烈な反人間中心主義に対する人間中心主義側からの反撃という側面も備えている。
    428夜『地球幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク|松岡正剛の千夜千冊
    *考えてみたら当時から既に半世紀近くが経過しているのである。そろそろ人類は当時から何を継承し、何を捨て去るか決断しても良い頃合いという事かもしれない。

しかしまぁ、私は私であの場面に7世紀末〜8世紀初頭にかけて奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に築造されたキトラ古墳(第8回遣唐使帰還以前)や高松塚古墳藤原京期)の様な大陸風彩色古墳のグランドデザインになってる「古代人の宇宙観」を見てしまった訳で。

それがどういう事なのかについて説明義務を背負ってしまった訳でして。

若杉さんは天文図の描かれた作業環境に注目する。天文図は高さ1・2メートル、幅1メートルの狭い石室の天井に描かれていた。金箔の多くは直径約6ミリ、星と星を結ぶ朱線の長さは約4センチ~1ミリにすぎない。「絵師は常に上を向いた状態で細かい作業を続けた。星座の大きさは5センチ以内と小さく、絵師がミスした可能性もあるのでは」

そもそもキトラ古墳高松塚古墳に込められた「古代人の宇宙観」というのはこういうものです。

  • 人間は死ぬと「魂(古代エジプトにおける「Ka」)」と「魄(古代エジプトにおける「Ba」)」に分離する。「魂(Ka)」は天界に還り、「魄(Ba)」は地上に残される。

  • 葬礼が満たすべき要件は3つ。すなわち①魂(Ka)」の天界への帰還をしっかりガイドする事。②地上に残され「思い出だけの存在」となった「魄(Ba)」をしっかり慰める事。③このプロセスを邪魔する存在を近づけない事。「天井の天体図」「壁面の風俗画」「四方の壁の四神図」はそれぞれそういう役割を持たされている。
    *棺の位置で寝そべらないと全体像が把握出来ないので、この原則が発見されたのは比較的最近だったりする。

この理屈でいうと「寝そべってプラネタリウムを鑑賞してると日常生活が忘れられる人」って、魂が半分彼岸に持っていかれかけてるのかもしれません。

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  • 新海誠監督は五十嵐大介の漫画の大ファンだが、あの世界をそのまま映像化する訳にもいかなくて「海獣の子供(2006年〜2011年)」における「深海は星界に通じてる」辺りの発言をヒントに物語の主題を彗星にシフトさせた。
    *「臍の緒ジョッキン」の場面とかそのまま流用してるし、当人も別に秘密にする気はないと見ました。

  • おそらく「2001年宇宙の旅」の該当シーン同様「観客の脳内を疑問符のDDoS攻撃でオーバーフローさせる」のが目的の場面なので「どうやってオーバーフローさせる意図か」分析する方が手っ取り早い。なまじ知識があると「北斗七星を彗星に差し替えるとどうなるか?」「名前で生を繋ぎ止めるのは儒教だろ?」「冥界は宇宙で、それから切り離される事で人間は地上に生を受ける?」「魂魄理論における記憶は地上に置き去りにされた抜け殻に過ぎず、それを辿ったからといってタイムトラベル出来る訳じゃない。そこで結びの概念の投入?」辺りで簡単にオーバーフローしちゃう。

そもそも実際、キトラ古墳高松塚古墳の壁画のグランドデザインって「何処から来たか」今日なお完全には解明されてないんですね。

古代エジプト人の魂 - Wikipedia

「バー(b3)」はいくつかの側面において現代の西洋の宗教的な「魂」の概念に最も近いものであるが、これはまた個人を独自のものとするあらゆるものでもあり、「個性」の概念に類似したものでもあった。

  • この意味では、生命を持たない物体もまた独自の性質である「バー」を持ち得、実際に古王国のピラミッドはしばしばその主の「バー」であると呼ばれていた。(現代の)魂と同様に、「バー」は体が死んだ後も生き続ける人間の一側面であるとエジプト人たちは信じており、墓から飛び立ち来世で「カー」と合流する人頭の鳥として描かれることもあった。

  • コフィン・テクストにおいては、死後に発生したバーの一形態は身体を持ち、飲食し、性交も行うとされていた。ルイス・ヴィコ・ザブカールは、ギリシアや後期のユダヤ教キリスト教イスラム教で考えられている魂とは違い、バーは人間の一部ではなく人間そのものであったと主張している。純粋に非物質的な存在という概念はエジプト人の思考には実になじみのないものであったので、キリスト教がエジプトに広まった時にはこれを表すためにギリシア語「プシューケー」が借用され、「バー」という言葉は用いられなかった。「バー」の概念は古代エジプト人の思考に極めて固有のものであったので、これは翻訳されるべきではなく、人間の存在状態の1つであるとして脚注か括弧書きで解説すべきものであるとザブカールは結論付けている。

  • 別の存在状態として、『日下出現の書』においてはバーはミイラへと戻り、肉体を持たない姿で墓の外での生活に参加するものとして描かれており、これはラーとオシリスが夜毎に交わるという太陽神学を反映している。

  • バーの複数形である「バーウ(b3w)」は「威厳」「力」「名声」などのようなもの、特に神のそれを意味していた。神が人間のことに介入した場合、神の「バーウ」が仕事をしているのだと言われた。この観点から、統治者は神の「バー」であると見做され、またある神は別の神の「バー」であると信じられていた。

「カー(k3)」は生者と死者を分ける霊的な精髄を指すエジプト人の概念であり、カーが身体を離れる時に死が起きるとされた。

  • クヌムが轆轤で子供達の体を造り、母達の体内へと挿入するのであるとエジプト人たちは信じていた。地域により、ヘケトもしくはメスケネトが各人のカーの創り手であると信じられており、誕生の瞬間に魂の一部としてカーを吹き込むことで生者とすると考えられた。これは他の諸宗教における精神の概念に類似している。

  • またカーは飲食によって維持されるのであるとも信じられていた。この理由から死者には飲食物が捧げられたが、ここで消費されるのは供物の中の「カーウ(k3w)」であり、物質的な部分ではなかった。エジプトの図像ではカーはしばしば王の2番目の姿として描かれており、このために初期の翻訳では「カー」は「分身」と訳されていた。

こうした概念は古代ギリシャに伝わって新たな展開を遂げる。

  • ホメロスオデュッセイア(Odyssea、紀元前8世紀成立)第11歌「ネキュイア(Nekyia)」に登場する「死せる英雄」ヘラクレスの魂は、その「天界に迎えられた部分」がオリュンポスで永遠の慰撫を受け続ける一方で「地上に残された部分」が今日なお冥界の奥で怪物達と血塗れの戦いを続けている。

  • プラトン「饗宴(Symposium、紀元前5世紀成立)には「パンデモス・アプロディテ(永続しない官能や肉欲を司る地上のアプロディテ)」と「ウラニア・アプロディテ(永続する純粋な精神愛を司る天上のアプロディテ)」の厳格な二分法が登場する。ヘロドトス「歴史(historiai、紀元前5世紀成立)」によれば、当時そうした考え方は地中海沿岸やメソポタミアに広く浸透していた。
    アケメネス朝における宗教

より精度の高い形でこの考え方を継承したのはイスラム諸国のアラビア哲学者や欧州哲学者達で、その考え方は「数学や幾何学や物理学といった厳密な論証に耐え得る科学のみが実在の論拠足り得る」としたルネ・デカルトの演繹推論や「人間の行動の無から積み上げとして表現可能な歴史学もその範疇に入る」としたジャンバッティスタ・ヴィーコ歴史学によって一つの完成形に至る。そうとでも考えないと(アラビア哲学とスコラ哲学の最重要接点たる)13世紀ラテン・アヴェロエス主義論争が何だったか分からなくなってしまうのである。

魂魄 - Wikipedia

中国の道教儒教、伝統中国医学それぞれで理解が異なる。

  • 中国道教の魂魄…魂と魄(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。民間では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。(三魂は「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺」とされる事もある。)

  • 儒学における魂魄現象の解釈…「気は必ず散るものであり、二度と集まることはない」と儒学では定義しているが、これは仏教における輪廻転生という再生産を否定するためのものである。ただし、子孫が真心を尽くして祀る時、子孫(生者)の気と通じ感応することで、この世に「招魂」されるとする。一度、散じた気=魂魄は集まらないとしつつも、招魂の時は特別とする、この一見して矛盾した解釈こそ重要であり、この説明がなければ、祭祀の一事を説明できなくなるためである。この現象に関して、後藤俊瑞は「散じた気が大気中に残存し、再び集まり来ることを許容するものである」としたが、この矛盾した解釈は日本の儒学者を悩ませる種となり、林羅山に至っては「聖人が祭祀を設けたために、鬼神(=魂魄)の有無を半信半疑(中立的な立場)にならざるをえない」としている(『林羅山文集』巻三十五・祭祀鬼神)。これが因となって、日本近世では、無鬼論者(伊藤仁斎)と有鬼論者(荻生徂徠)に分かれた。

  • 朱子学の解釈朱子は張載(11世紀)の鬼神論を読み、世界の物事の材料は気であり、この気が集まることで、「生」の状態が形成され、気が散じると「死」に至るとした上で、人間は気の内でも、精(すぐ)れた気、すなわち「精気」の集まった存在であり、気が散じて死ぬことで生じる、「魂は天へ昇り、魄は地へ帰る」といった現象は、気が散じてゆく姿であるとした。この時、魂は「神」に、魄は「鬼」と名を変える(三浦国雄朱子集』朝日新聞社)。この「魂・魄」から「神・鬼」への名称変更は、気の離合集散の原理の解釈によるもので、気がやって来るのは「伸」の状態であり、気が去っていくのは「屈」の状態であるとして、気の集散=気の伸屈・往来と定義したことから、「神」は「伸」(シン)に通じ、「鬼」は「帰」(キ)に通じ、元へ戻る=「住」(向こうへ行く)となる。ここに、鬼神=気の集散の状態=魂魄と至る。

  • 伝統中国医学における魂…伝統中国医学において、魂とは、肝に宿り、人間を成長させて行くものであり、また、心を統制する働きだとされている。漢字の部首は「鬼」であるが、この「鬼」が現在の「霊」とほぼ同じ意味で、頭にまだ少し毛が残っている白骨死体の象形文字である。左の云は、「雲」と同じで、形のないもの、掴み所の無いものの意味である。魂が強くなると、怒りっぽくなるとされる。

  • 伝統中国医学における「魄」…文字通り白骨死体を意味する文字で、人間の外観、骨組み、また、生まれながらに持っている身体の設計図という意味がある。五官の働きを促進させ、成長させる作用があるとされる。肺に宿り、強すぎると物思いにふけるとされる。外観という意味では、「落魄(らくはく、落ちぶれて見てくれまでひどく悪くなる)の語がよくそれを表している。

そもそも古代中国において魂魄の概念は道教儒教が成立する以前から存在していた。それなら「死後、魂は大気中に、魄は地中に散じてしまう」事態にどう対処してきたのか。何と祭祀の都度「名前」で再集合をかければ良いと考えたのである。古墳における墓碑銘はこれに由来する。

位牌 - Wikipedia

死者の祭祀のため、死者の戒名などを記した木の板をいう。

  • 中国の後漢時代から儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ。死者の官位・姓名を書く霊牌。)と同視されたため、「位」牌と呼ばれる。

  • またその起源は、霊の依代(よりしろ)という古来の習俗と仏教卒塔婆が習合した物ともされる。

  • 日本には禅宗と共に鎌倉時代に伝来し、江戸時代に一般化した。

  • 沖縄にも位牌はあり、また、土地の言葉で祖先を意味するトートーメーも位牌である。

背景に「死者の大気に散じた魂と、大地に散じた魄に名をもって再集合をかける」古代中国思想が存在する。

 そう、どれも「そのもの」じゃないんです。鍵となる北辰信仰を欠いてます。

妙見菩薩 - Wikipedia

仏教における信仰対象である天部の一つ。妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰(ほくしん)妙見菩薩とも呼ばれる。

  • インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教北極星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである。

  • 「菩薩」とは、本来サンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の音写で、「悟り(真理)を求める者」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・声聞・縁覚)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は大黒天や毘沙門天弁才天と同じ天部に分類されている。

  • 道教に由来する古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある。

  • 妙見菩薩信仰には星宿信仰に道教密教陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。 他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。

  • 日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年(1301年)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑を着け、右手に剣を持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し、所伝とおり妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。

  • また、中世においては千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神としており、千葉氏の氏神とされる千葉市にある千葉神社では今日でも妙見菩薩と同一と見なされている天之御中主神を祭神としている。これは、明治維新の際の神仏分離令によって、「菩薩」を公然と祀れなくなってしまった為に採られた措置である。 同様の経緯による神社化は、岩手県奥州市にある日高神社や九戸氏の氏神とされている岩手県九戸郡にある九戸神社、大阪府の星田妙見宮、秩父市秩父神社、千葉県君津市の人見神社、埼玉県飯能市の喜多川神社、茨城県竜ケ崎市の星宮神社および我野神社(あがのじんじゃ)の例など多数ある。

  • なお、千葉神社(かつての「千葉妙見宮」)は源頼朝から崇拝を受けたほか、日蓮も重んじた。また、日蓮宗中山門流の檀越であった千葉氏が妙見菩薩を一族の守護神に位置付けていたこともあり、この縁により妙見菩薩日蓮宗寺院に祀られることが多い。

中国の神。北の星宿の神格化。玄天上帝ともいう。宋代には避諱のため、真武と改名されている。清代には北極佑聖真君に封じられている。上帝翁、上帝公などとも呼ばれる。

天皇大帝 - Wikipedia

神格化された北辰(天の北極)のこと。日本における天皇という称号の起源の有力な候補の一つと考えられている。北斗七星と混同されることもある。

  • 古代中国では地上からは天空のある一点を中心として星々が巡っているように見えることを知っており、そこを北辰と呼び(天の北極に該当する)、宇宙の中心と考えられていた。そして神格化され、道教や日本で使われる称号の天皇にも取り入れられたとする説がある。

  • 中国の唐の高宗は 「天皇」 と称し、死後は皇后の則天武后によって 「天皇大帝」 の諡(おくりな)が付けられた。これは日本の天武天皇による 「天皇」 の号の使用開始とほぼ同時期であるが、どちらが先であるかは研究者間でも結論が出ていない。

  • 道教では 「北極紫微大帝(北極大帝・紫微大帝)」 とも成り、また北斗七星が神格化された 「北斗真君(北斗星君)」 と習合した。「北極紫微大帝」 と 「北斗真君」 とは本来は別の神であったが、現在でも分ける場合と同一視する場合とがある。 中国の皇帝や日本の皇室の北斗信仰にもこの同一視が見られる。

中国の皇帝の祭服の左袖には北斗七星、右袖には織女がデザインされている。宮内庁所蔵の孝明天皇の礼服は背中の中央上部にも北斗七星が置かれている。ただし、織女はない。

中国唐朝皇室の道教好きは「臣下の中国人が信奉する儒教への対抗策」とも「冊封史観との相性の良さが気に入ったせい」ともいわれてますが、やっぱりこれも「そのもの」じゃありません。 そんなかんなを総合すると、おそらく最も正解に近いのはこういった説明?

  • 高句麗系渡来氏族の黄文画師は、キトラ古墳高松塚古墳の壁画を手掛けた最有力候補と目されている。彼らの間になら、5世紀一杯続いた中期高句麗壁画古墳の作画コンセプトが伝わっていたとしても何ら不思議はない。

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  • ところで時代はまさに「渡来人=文化先進者」として踏ん反り返ってるばかりではあっけなく滅ぶ弱肉強食の時代。ましてや5世紀から居る古株なんて「もうそれただの日本人だよね」状態。彼らは先進性を維持すべく唐に画師を派遣し、第7回遣唐使(669年)に同乗して帰ってきた人物も居た事が記録に残されている。キトラ古墳の壁画を手掛けたのはこの世代で、高松塚古墳の壁画を手掛けたのは第8回遣唐使(701年〜704年)で帰還した世代とも目されている。

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  • 中華王朝は古くから道教儒教易経を政治利用してきたし、反体制派も道教易経を対抗手段っとして利用してきた。キトラ古墳高天原古墳の壁画のグランドデザインの凄さは、その両方から完全に離れて被葬者の冥福を「科学的に」サポートするのに徹してる辺り。

なにしろ、ただでさえ(100年以上昔に滅んだ)中期高句麗壁画古墳の作画コンセプトを出発点としつつ、唐朝で入手した最先端の天文図や意匠を惜しみなく投入して当時の日本人の「唐文化への憧憬心」したユニーク過ぎる複合コンセプト。

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高句麗壁画古墳の起源は遼東壁画古墳で、さらにその源流まで遡ると中央アジア(西域)あたりに「死者の魂の向かう先としての北辰」なるコンセプトとの複合例もあり、黄文画師が学んだのはズバリそれじゃないかって推測もある様ですが、ここまでゴチャゴチャだと、だんだん何がオリジナルだったかなんてどうでも良くなってきます。
古星図に見る歴史と文化
キトラ古墳に描かれた天文図は何処の星空?
驚愕「キトラ古墳天文図は誰の目から見たって後世の捏造」説だってあるんだよ?

*「28星宿の天井壁画」そのものは中国西域トルファンのアスターナ古墳群(942年築造)でも発見されている。逆を言えば高句麗壁画古墳や遼東壁画古墳では発見されていない。

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そもそも華厳経(3世紀成立)あたりもそうですが「中央アジア(西域)」というキーワードが登場した時点で何でもあり。むしろ「様々な起源が想定可能だが、どれもそれそのものではない」文物以外を探すのが難しいくらいだったりします。しかもその多くが永続せず、跡形もなく消滅して系譜を辿るのがほぼ不可能に…

もしかしたら「時空間を超越して静謐なる無時間の領域に到達する」って辺りが21世紀的なのかもしれません。まぁ肉体も記憶も全部置き去りにしないと辿り着けない領域だし、向こう側で待ってるのは「注文の多い料理店」の山猫みたいな存在かもしれないんですけどね。
宮沢賢治 注文の多い料理店
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