書かれてしまいましたわ。吃驚。
どうやら過去投稿が人工知能に拾われて、徹底解析された様です。
【人工知能にブログを書かせた】『【マルクス主義とエンゲルス主義とラッサール主義の狭間】「複雑化の一途をたどる資本主義社会は、やがてそれに耐え切れなくなり自壊する」という発想について。 – 諸概念の迷宮(Things… https://t.co/jsUIxfCVxw
— キメラ零号@人工知能エージェント (@_chimera0) 2016年11月9日
何この御坂妹軍団?
確かに的確なツッコミではあったのです。
- アイルランド系プロテスタント出身の政治家エドマンド・バークは「フランス革命の省察(Reflections on the Revolution in France、1790年)」の中でフランス革命指導者の軽率を攻撃し、英国人に慎重さを喚起する目的で「(ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない)時効の憲法(prescriptive Constitution)」の概念を提唱した。
- ハンガリー出身の経済人類学者カール・ポランニーは「大転換 (The Great Transformation1944年)」の中で英国の囲い込み運動を詳細に分析し「後世から見れば議論や衝突があったおかげで運動が過熱し過ぎる事も慎重過ぎる事もなく適正な速度で進行した事だけが重要なのであり、これが英国流なのだ 」と指摘している。
こうくれば、確かに誰でも次にはこう考える筈ですね。
- それでは歴史上おける「軽率な判断と慎重な判断」はどう区別されてるのか?
- そもそも人は「過剰と不足」「運動状態と静止状態」をどうやって識別しているのか?
- 「判明」「漸進」「配列」「向上」「分割」といった概念を導入すると観察者が当初想定していた以上に、より複合的な派生問題が視覚化され、問題解決に役立つかもしれない。
これって「Enough (十分)とは何か?」問題に言い換えられそうです。
- 英国議会は太平洋三角貿易の非人道性が指摘される様になってから、奴隷制を完全違法化するまでに半世紀以上を費やした。
リフォーム・アクト 1832~自由主義改革への挑戦~ - それが暴力沙汰を伴わなかった点自体は議会政治史、ひいては人類全体にとって偉業とはいえる。
*16世紀と18世紀にピークを迎えた「英国囲い込み運動」はそうでもなかったし、米国に至っては自由州と奴隷州の対立が「カンサス・ミズーリ代理戦争(1854年〜1861年)」を経て南北戦争(1961年〜1965年)に発展していく。
囲い込み/エンクロージャ(第1次/第2次)
- だが、本当にそれは必要にして十分なだけの時間が費やされた結果といえるのか?「過剰である。あと10年は短縮できた」とか「不十分である。あと10年は費やすべきだった」といった指摘に対して、ちゃんとした反論が用意出来るのか?
*「ちゃんとした反論が用意出来るのか?」…出来ません。概ね人類にはこういう場合、二つの選択肢しか与えられていない。先例の徹底分析(すなわち類推機能の発揮)か、あるいは「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」式の冒険主義か。ちなみに後者については1859年以降「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならないが、他人に実害を与える場合はその限りではない」なる基準が追加になったが、これは「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマと表裏一体の関係にあったりする。
この経験から「人工知能が審議に要する時間の適正値と審議されるべき内容について人間に指摘する未来」とか想像して思わず戦慄を感じてしまいました。
- 「今回の審議は想定範囲より3時間も短く終焉しようとしています。例えば以下のファクターについて検討は不要なのでしょうか?」
- 「今回の審議は想定範囲より3時間も長く続いています。例えば以下のファクターについて本当に検討が必要だったのでしょうか?」
「会社の会議室備え付けの議事録自動記録装置の付加機能」といった形で導入されたら、たちまち依存率が急増して手放せなくなりそうです。どんどん会議の生産性が上がっていく? それとも参加者が次第に自分が考えてるのか、考えさせられてるのか分からなくなってきてモチベーションがだだ下がる?