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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】【今や八方美人的スタンスは国際的に死亡フラグ】「民族アイデンティティの台頭」と「リベラル派とイデオロギーの死」について

これまで外国人から言われた最も衝撃的な言葉。それは「我々は本当にこれから先もずっと関西人も日本人と信じる振りを続けねばならないのか?」でした。

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基本的には「どんなに日本語を勉強しても関西弁は聞き取れない絶望感が言わせる言葉」「関西人のアイデンティティは、外国人が一般に抱いている日本人のイメージから明らかに逸脱している」といったニュアンス。日本人側からいわせてもらえば「スティーブン・セガールは大の日本通で日本語もそれなりにペラペラだが、元妻から習った関西弁の女性言葉なので、マッチョなイメージを崩さない為に日本のマスコミからインタビューを受ける際には可能な限り封印している」エピソードくらい「現実は小説より奇なり」な印象。

そういう私も「実は中国人なんて仮想の存在に過ぎないのかもしれない。実際に知ってるのは北京人や上海人や東北人(ドンペイレン)とかそんなのばっかり。そもそも福建人って本当に中国人から仲間扱いされてるの?」なんて思った事があります。
*検索すると「寄らば大樹の陰(挨着大树有柴烧)」とか「大樹の影は涼しい(大树的阴影凉爽)」なんて表現が頻出する。この立場からも「中国人なんて仮想の存在に過ぎない」説は有効?

Korean」はなお酷い…ちなみにここでいう「Korean」は韓国系+北朝鮮系+朝鮮族。ネット上では(スペイン語ポルトガル語投稿者が一括りにされてる様に)「ハングルも併記する集団」でひとまとめに認識されています。原則として区別する方法がないからでもあるんですが、ネイティブ韓国人なら使用語彙である程度まで北朝鮮系や朝鮮族は識別可能といいます。そして彼らの言うに「韓国人を自称してるのに英語でしか投稿しない&対話に持ち込もうとすると投稿とアカウントを消して逃げる」タイプは、ほぼ「北朝鮮系や朝鮮族工作員」とみて間違いないとか。

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朝鮮王朝時代の文献に「我々の共通アイデンティティは党争好きの一点である。だからどこまで細分化してもキリがない」なんて名言があります。その伝統が今日に至るまでずっと継承されてる感じがしてなりません。これまでの投稿において「北朝鮮人や朝鮮族がバックにいるとしか思えない過激さを誇る)一部韓国左派」については弾劾しかしてきませんでしたが、それもこれも「全Koreanに対して八方美人的に振る舞う方法はない」なる諦観ゆえ。圧倒的多数派の一般的韓国人の立場に立って彼らを一緒になって弾劾し「日本の法曹界の赤化振りも酷いが、韓国人も外交部と司法部を何とかした方がいい」みたいなスタンスを取るのが一番角が立ちません。日本のリベラル層みたいに迂闊に中国共産党歴史観を支持して「モンゴルもウイグルも古代からずっと中国領だったのであり、中国人がモンゴル人やウイグル人に加える仕打ちに口を挟むのは内政干渉」といった立場に立つと、モンゴル人やウイグル人から「日本ではリベラル層こそ帝国主義者植民地主義」と弾劾され続ける覚悟を決めなきゃいけません。要するにそういう事なんです。
*「全Koreanに対して八方美人的に振る舞う方法はない」…どうやらそもそも「ソウルっ子」の観点からは釜山人や全羅道人が同じ韓国人とは映ってないらしい。下手したら慶州人や忠清道人すらその範疇に入るか危うい。この緊張感から出発しない限り、どうしてKorianコミュニティの間で「そもそも身障者や日本人や黒人や東南アジア人を同じ人間として認める事が差別」なる主張が一定支持を獲得するのか見えてこないのである。せめてもの救いは、そうした連中がKorianコミュニティ全体を俯瞰すればあくまで少数派に過ぎず、マジョリティ(多数派)とは対立関係にある事かもしれない。

*いわゆる「沖縄独立運動」も、アメリカ側の「ならば基地機能の一部を台湾に移転する」発言で岐路に立たされた感がある。間違いなく国際的な「紙の戦争(Paper War)」の一環に過ぎないのだが、国際情勢に疎い日本のリベラル層は困惑している模様。この方面でも「単純明快過ぎる八方美人は死亡フラグ」なるトレンドが表面化しつつある模様。

こういう状況を踏まえての「そしてアメリカ」。かつての投稿で「米国中道派の目から極右と極左が区別出来なくなりつつある」と指摘しましたが、考えてみればこれ、日本のネット上に生じた「在特会もしばき隊も同類だろ?」なんてコンセンサスとほぼ一緒なのです。

*驚いたのは国際SNS上の「オルタナ左翼(Alt-Left)=チンピラ無政府主義者(Anarcho-punk)」でさえ、トランプ大統領就任式に便乗した高級車放火や商店街襲撃への連座は忌避した展開。彼らはファッション的にはチンピラ無政府主義スタイル(Anarcho-punk Style)を好むけれど、中身は案外ずっと中道寄りなのかもしれない。まぁ以降も「国際SNS上の関心空間に陣取る中道派」に合流する事はないんだろうけど。

世界全体を俯瞰すると、緩やかに「現状維持派(漸進派/修正主義)」と「現状懐疑派(急進派/一揆主義)」への二分が進行している様に見受けられます。その過程で八方美人的スタンスを旨とするリベラル派やイデオロギー至上主義が破綻し、存続の危機に立たされているといった感じ。今アメリカで起こっている事はその延長線上で理解可能だし、おそらく日本にとっても他人事ではないという話です。

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それでは改めて、 これまでしばしば参照してきた「国際SNS上の関心空間」について…

ここでは「女性」「黒人」「カソリック」が三大勢力をなしている様に見えます。

*これまでも繰り返してきた様に「(「オルタナ右翼Alt-Right)」供給源でもある)絶え間なく冗談を言い続ける事で自分を常にHighに保ち続けようとしているものの、その実何も信じてないニヒリストの若者層」も相応数常駐しているが、彼らは集団として行動する事がない為、こういう形で可視化する事はない。

ところでこの(カテゴリー基準が全くバラバラな)三集団の共通点は何? 当事者達いわく「Facebook上での冷飯組」なのだそうです。あちらさんは「一見さんお断り」の「実際の人間関係に根ざしたローカル交流網」に細分化されているので確認は不可能ですが、どうやら「Facebook残留組」は全体的に見て「Non-Establishmentな白人プロテスタント男性」中心という傾向が見て取れるという話らしい。

実はこの層、民主党の大票田でもあった筈なのに、昨年の大統領選ではリベラル層から「トランプ・サポーター」として集中攻撃されてモチベーションを喪失。大量の投票棄権者を出したとされています。そういえば「オルタナ右翼Alt-Right)の巣窟」としてマスコミから総攻撃を受けたReggitも、原則的にはリベラル派の本拠地。八方美人の筈が気づいたら周囲全員を怒らせて敵に回して四面楚歌…最近のリベラル派は国際的にそういう展開を辿ることが多くなってる気がします。「自分は無条件に正義の側に立っている」なんて驕りがそうさせるのでしょうか?
*一方、国際SNS上の関心空間でも(トランプ候補に投票した)中道右派と(ヒラリー候補に投票した)中道左派は本当にすっかり混ざり合ってるので迂闊に喧嘩も出来ない状態に。

*「Facebook残留組」…これまで注目してきた「国際SNS上の関心空間」は、2012年以降顕著となった「SNS回覧投稿のリッチ・コンテンツ化とモバイルのFirst Screen化」を契機に形成されたと目されている。しかし実はそれが最大の動きではなかった様で、最近では(「国際SNS上の関心空間」の一環として最盛期を迎えながらその後衰退を余儀なくされたVine勢力を併合した)Instagramアカウントの影響力が伸長している。要するにFacebook離脱組」の圧倒的多数はInstagramに流れたとも見て取れる。

*こういう流れとは別にアメリカには「当人の意識は進歩派」「第三者の目には守旧派」の福音派が混ざってくるからややこしい。そして「貴方も私と同じ様に考えるべきです」とか言い出さない「リベラルな福音派アカウント」なら、普通にネット上に偏在しているのである。

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*高齢化が進んでいるとはいえ、政治的には無視できない規模なのでトランプ政権はとりあえず彼らの顔色を伺う事にした模様。問題は彼らが活気付くと「韓国の(かなりの確率で赤化が進行した)支部」も勢いを増す事にあったりする。実際、国際SNS上の関心空間もこれまで幾度か「韓国系の福音派の手先」の襲撃を受けてきた。基本的に中東でイスラム教徒に強引な布教をして国際問題を起こしたりしてる連中と同じメンタリティ。「自分は(貴様ら蛆虫と違って)無条件に正しい側に立っている」みたいな強い信念に支えられてるから、下手な「(北朝鮮人や朝鮮族がバックにいるとしか思えない過激さを誇る)一部韓国左派」よりタチが悪い。少なくとも後者は、不利な状況に追い込まれたと悟ると投稿とアカウントを消して逃げる。

某韓国人のネット投稿「韓国で仏教勢力は弱化される...(한국에서 불교의 세력은 약화되어...)」: 2017-01-27 15:20

1990年代の韓国では仏教が 30%、プロテスタントが20%、 カトリックが10%という比率だった。それで「合算すれば仏教と同規模」なんて主張がなされる事もあった。

ところが2010年代には仏教が 20%、プロテスタントが35%、 カトリックが 15%という比率になった。少なく見積もっても仏教が 20%、 キリスト教が30%。 カトリックが10%。合算すればキリスト教の数が仏教の2倍以上となったのだ。これは若い世代から仏教信者がほとんど消えた事と密接な関係がある。

既に韓国はキリスト教国家に変貌しつつあるのかもしれない。実際、まだ仏教は現存する名跡を中心に名目上存続するとはいえ、裁判所から敵視されている。最後の拠点たる名跡ですら都市再開発名目で裁判所が下す命令によって次々と破壊され、周辺の山地や田舍への撤退を余儀なくされている。その一方ではカトリック聖堂やプロテスタント教会が移転を強要される事は滅多にない。かくして既に都心部キリスト教一色に染まりつつある。

あと20年がもしたら仏教は 10%、 キリスト教カトリックの合算は60%以上に達しているだろう。

*どうやら「対馬の盗難仏像判決」の背景には「それまで仏教を滅ぼす事に専念してきた「赤化したプロテスタント勢力」が、仏教界も十分赤化した事を認め慈悲を示した」みたいな意味合いもあるらしい。目指してるのは科学的マルクス主義の統制下、プロテスタント教徒とカソリック教徒と仏教徒が仲良く共存する世界? あるいはそう見せかけてイニチアシブを握ったプロテスタント教徒が、その後一気にカソリック教徒と仏教徒を粛清し尽くした後に訪れる「調和を回復した世界」? どうやら韓国は(誰よりもまず韓国人の目に)現在そういう方向に向かいつつある様に映っているらしいのである。

どうやら最近日本で話題となっている「韓国人による百体超の仏像破壊事件」もこの次元で理解しなければいけない様です。まずこれが「韓国ではそれが日常茶飯事として行われている英雄的行為」「この事件もまた韓国においてはそうした流れの一環としての英雄譚として絶賛を受ける宿命にある」という事実を知らないと、どうしてこんな事件が起こったかすら日本人には想像だに出来ません。
*「(北朝鮮人や朝鮮族がバックにいるとしか思えない過激さを誇る)一部韓国左派」同様に一般韓国人から毛嫌いされてる。やはり少数派の部類に入るらしいが「自分達は無条件に正しい事を遂行している」と信じてる確信犯揃いな分だけ、前者よりタチが悪いとも。

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まぁ外国人が日本人を「関西人とそれ以外」に大別しようと試みるのと同じくらい無謀な試みなのは承知の上。ただ、これだけ見ても今のアメリカを「西海岸VS東海岸」とか「民主党を支持するリベラル派VS共和党を支持する保守派」みたいな既存の分類で扱うのがいかに無謀かという感触くらいは伝わってくるんじゃないでしょうか。Koreanについても同様。まず出発点はそこという事です。
赤い州・青い州 - Wikipedia

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それでは「リベラル派とイデオロギーの死」以降、アメリカの正義はどういう形で再建される形になりそうなのでしょうか? 

黒澤明監督映画は終始「例え振り切れないにせよ、悪は悪として切り捨てねば、正義は存続しない」というスタンスを守り続けた。これを「GHQ検閲基準の大元たるHays Codeとの悪戦苦闘の産物」と見る向きもある。

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  • 能楽「安宅(あたか)」すなわちいわつる「勧進帳」を原作とする「虎の尾を踏む男達(1944年〜1955年、公開1952年)」は、作中における武蔵坊弁慶義経に対する忠義描写が問題となってGHQ占領が終わるまで公開を許されなかった。
    *「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー(Rogue One: A Star Wars Story、2016年)」においてK-2SOが「The captain says…」を口癖にしながらジン・アーソやキャシアン・アンドーを「止むを得ず」殴りまくるのは、この作品に対するオマージュとも。

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  • 酔いどれ天使(1948年)」では結核病みの若いヤクザ松永(三船敏郎)の最後について脚本家に「ヤクザの最後だ。一切のロマンティックな脚色なくむごたらしく描け」と指示したという。
    *これは奇しくもHays Codeの「観客をギャングやその情婦に憧憬させる展開は許されない」なる条項の趣旨とも重なる倫理的判断である。

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  • 最初にこの主題を本格的に扱ったのはアプリゲール(仏après-guerre=戦後派)犯罪を題材とした「野良犬(1949年)」とされる。ちなみに同年には「静かなる決闘(1949年)」が、GHQ検閲基準の大元たるHays Codeの「政治家や法律家や警官や保安官や役人や医師といった社会に規範を示すべき人物を貶める展開は許されない」なる条項に引っかかって大幅改定を余儀なくされている。
    *「静かなる決闘」の原作となった戯曲の題名は「堕胎医」だが「中絶」の描写はなく「死んだ胎児の搔爬」があるのみ(原作からそうだったかは不明)。またHays Codeの条項には「性衛生学や性病に関する話題を扱ってはならない」とあるが、1949年に設立された旧映倫の規定ではこれが「性病は人道的・科学的観点から必要な場合以外、素材としない」に緩和されている。「静かなる決闘」には、こうした方針変更の告知目的で制作された側面もあるという

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  • 羅生門(1950年)」では登場人物の一人が最初「自殺」したと目されるが、実際には「決闘の結果としての死」だった事が明らかとなる。
    *真相は自殺だった横溝正史「本陣殺人事件(1946年)」の映画版「三本指の男(1947年)」も結末が書き換えられ「自殺」とは無関係の展開に。ちなみにHays Codeは「トーキー化による映画の影響力増大」を警戒して制定された経緯から「原作の小説や芝居では許されていた条項違反が映画化に際して厳しく取り締まられる」ケースがしばしばあった様である。

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  • 「生きる(1952年)」における政治家や役人に対する批判がマイルドな領域に収まっているのはGHQ占領時代の判断基準残滓、あるいはその意向を継承した旧映倫に対する配慮とも。
    *同様の問題意識を、より直接的な形で表現したのが「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」とも。

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  • 没シナリオ「侍の1日(1952年)」は(自作「虎の尾を踏む男達」を含む)GHQ公開禁止映画が大量に封切られた年でもあった。この事から(それまで言及すら禁じられていた)切腹を題材に「(江戸時代、庶民から倫理的規範の実践者として尊敬されていた)武士の本来あるべきリアルな姿」を描こうとした可能性が指摘されている。
    *ただし武士が「倫理的規範の実践者」を標榜する様になるのは、それが「武功次第でいくらでも成り上がれる戦闘者」から「巨大な官僚機構の歯車の一つ」に変貌した江戸時代後期。「見事な切腹」が記録に残されるのは武士がまだまだ戦闘者の残滓を止めていた時代に限られるので、企画自体に無理があったとも。

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  • 「7人の侍(1954年)」における野武士も、「用心棒(1961年)」における「宿場に巣食う悪党達」も、原則としてそれぞれ一切同情の余地なき存在として滅ぼされていく。
    *ただしあくまでその倫理基準は「例え振り切れないにせよ、悪は悪として切り捨てねば、正義は存続しない」という内容なので、あえて「割り切れなさ」を残す描写そのものはあちこちに散見される。

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  • こうした傾向を見るに「悪い奴ほどよく眠る(The Bad Sleeps well、1960年)」において非合法な手段まで用いて復讐を遂行する西幸一(三船敏郎)と板倉(加藤武)の最終的挫折は最初から決定づけられていたとしか思えない側面もあったりする。

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    *ただし黒澤明流の倫理基準をもってしても、正義と悪のグレーゾーンはあくまで残る。「どん底(1957年)」における遍路の嘉平(左卜全、原作における巡礼ルカ)、「椿三十郎(1962年)」に登場する室戸半兵衛(仲代達矢)を含む藩士達、「天国と地獄」で対峙する権藤金吾(三船敏郎)と竹内銀次郎(山崎努)、「赤ひげ(1965年)」における赤ひげ先生三船敏郎)など。実は「生きる(1952年)」における市民課課長(志村喬)や「いきものの記録(1955年)」における猪突猛進型家父長(三船敏郎)の様なロマン主義的英雄タイプも割と容赦なく突き放した視点から描かれている。

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実はむしろアメリカ本国の方がHay Code浸透に手間取ったという皮肉な側面もある。

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こうしてハリウッド映画界には(Hays Codeが勝ったとも、黒澤明映画が勝ったとも、カソリック勢が勝ったともつかない形で)「例え振り切れないにせよ、悪は悪として切り捨てねば、正義は存続しない」という考え方が正義の判断基準の一つとして定着する事になったのだった。 

伊藤栄樹(1925年〜1988年) - Wikipedia

日本の検事総長・東京高検検事長・法務事務次官。「ミスター検察」と呼ばれた。名前の「栄」の正しい表記は旧字体の「榮」。没後、従三位を贈られた。

  • 愛知県出身。検察畑を渡り歩き続け、1985年に検事総長に就任。

  • 就任時のインタビューで「特捜検察の使命は巨悪退治です。私たちが『巨悪』と闘う武器は法律です。検察官は『遠山の金さん』のような素朴な正義感をもち続けなければなりません」と語る。検事達に「巨悪を眠らせるな、被害者と共に泣け、国民に嘘をつくな」と訓示。

  • 検事総長在職当時、雑誌『時の法令』(1986年9月15日号第1289号)に載ったエッセイで、北海道で制限速度を超える速度でレンタカーを運転したことを明かし、物議を醸した。

  • 著書で「検察の限界」ということで「法律による活動の限界」と「力の限界がある」を上げている。日本共産党幹部宅盗聴事件に関連して「よその国の話」「おとぎ話」としながらも「仮に警察や自衛隊というような大きな実力部隊を持つ組織が組織的な犯罪を犯したような場合に、検察はこれと対決して犯罪処罰の目的を果たすことができるかどうかは怪しいとしなければならない」「警察のトップに説いてみよう。目的のいかんを問わず、警察活動に違法な手段をとることは、すべきではないと思わないか。どうしてもそういう手段をとる必要があるのなら、それを可能にする法律をつくったらよかろう」としている。

盲腸癌との闘病を書き綴った『人は死ねばゴミになる』が死後出版された。

◎この「眠らせるな」という表現は、黒澤明の「悪い奴ほど良く眠る」(1960年)から来ているのかな? あの映画は公団汚職をテーマとし政治家の関与を匂わせて終わる。特捜のターゲットとする「巨悪」そのものだ。映画自体は、あまりヒットせず有名ではない。しかしこのフレーズは一度聞いたら忘れない見事なものだ。

ような気はするけど、25年はちょっと経ちすぎ、その間あちこちで形を変えたりして引用されてたんじゃないかな?

そらそうだ。もしかしたら検事仲間うちではよく使ってた業界用語なのかもね。それが市民権を得たのが1985年なのかも。

そして現在…国際SNS上の関心空間は「ウルトラ・フェミニストら過激分子を切り捨てた」女性集団、「Nation of Islam残党=Black Live Matter急進派を切り捨てた」黒人集団、「カソリックでない)キューバ系移民を切り捨てた」 ヒスパニック系集団などの本拠地に。そこでは「例え振り切れないにせよ、悪は悪として切り捨てねば、正義は存続しない」なる倫理的使命感は単なるお題目でなく、日々実践が続けられている日常道徳。ここに八方美人的閉塞状態から抜け出すのに欠かせない重要なヒントが隠されている気がしてならないのです。

「PsychoPass-サイコパス(2012年〜2015年)」第1期最終回(2013年)

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狡噛慎也執行官「悪人を裁けず、人を守れない法律を、何でそうまでして守り通そうとするんだ?」

常守朱監視官「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです! これまで、悪を憎んで正しい生き方を探し求めてきた人々の思いが…その積み重ねが法なんです!!」 

この作品の脚本を書いたのは虚淵玄。その祖父はアメリカのハードボイルド文学の本質を「あえて泥の大海に蓮の花を探すセンチメンタリズム」と見定め、和風ハードボイルド小説の祖となった大坪砂男。その大坪砂男谷崎潤一郎の門人出身。

  • 実は谷崎潤一郎は、海外の探偵小説の日本文学化に最初期に取り組んだ開拓者の一人でもあったのである。
    探偵小説三昧 谷崎潤一郎『谷崎潤一郎犯罪小説集』(集英社文庫)

  • しかし「蓼喰ふ虫(1929年)」執筆を契機として〈アメリカ映画のやうな晴ればれしい明るさ〉から眼を転じ、日本古来の文楽のなかにある〈何百年もの伝統の埃の中に埋まつて侘しくふるへてゐる光〉へと関心を推移させていく。

  • 大坪砂男は「蓼喰ふ虫(1929年)」に登場する妻の愛人のモデルとされ、丁度この時期以降、事件の余波で谷崎潤一郎の元を離れている。実際に小説を発表する様になるのは日本敗戦後だが、それは谷崎潤一郎が背を向けた〈アメリカ映画のやうな晴ればれしい明るさ〉を継承し、かつ江戸川乱歩にはまるで理解できなかったダシール・ハメットなどのハードボイルド文学を読み込んで重ね、かつその心象風景が戦後の焼け跡の景色とぴったり重なったからだという。

    各務三郎「ハードボイルドの探偵たち」序文

    ハードボイルド小説とはなにか?――非情で簡潔な文体に与えられた小説を指すのか、非情な主人公の活躍する小説を指すのか、それともこの二つの異なった要素を充足させる小説一般を指すのだろうか?……だが、ミステリーの世界にかぎっていえば、次のことが観察できるのではないだろうか?

    • かつてシャーロック・ホームズは、ピストルの弾丸を居間の壁にぶちこみVR(ヴィクトリア女王治世)を言祝いだ。なぜなら、ホームズはなによりもまず臣民(サブジェクト)であったからである。国家への忠誠心は、おのれの信条より上位に置かれていたのだ。

    • ハメットがしがない私立探偵サミュエル・スペードに課した意識――それは市民(シチズン)としてのありかただった(小説の主人公の意識・行動が個人主義に律せられている)。おのれの信条を第一とし、友誼を重んじ、仕事を愛した私立探偵にとって、警察当局の権威がなにほどのものでもなかったことは当然の帰結である。

    ハメット以前の探偵小説と作中の探偵たちはヨーロッパの影響下にあり、有閑階級に属している。しかし虚構のアメリカ私立探偵たちは、西部の拳銃使いにその源を発している。法のとどかぬ地域社会にあって、国家権力は拳銃使いにとって生活上対立することはあっても、味方には決してなり得なかった。信用できるのは小さな地域社会(これは自警団に直結する)とおのれの信条などである。

  • 残した作品の数こそ少ないが、彼が「私刑 リンチ(1947年、映画化1949年)」で掲示した独特の非情な世界観なしに深作欣二監督映画「仁義なき戦い・シリーズ8作(1973年〜1976年)」は成立しなかったとまでいわれている。
    *逆を言えば、1960年代前半までは「チョンマゲを取った時代劇」、すなわち義理人情に厚く正しい任侠道を歩むヒーローを主人公とする虚構性の強い仁侠映画が戦前より世妙を保ち続けたとも。東京オリンピック(1964年)を契機に日本の空気がガラリと変わって、この系統の作品が全く客を呼べなくなったのを契機に二つの路線が派生した。一つ目は既存仁侠映画をパロディ化した松竹配給の山田洋次監督映画「男はつらいよシリーズ(1969年〜1997年)」、もう一つは菅原文太主演「現代やくざシリーズ(1969年〜)」に端を発する実録物路線。そして後者が終戦直後に実際にあった広島抗争の当事者の一人の手記に基づくルポルタージュ(飯干晃一が1972年に「週刊サンケイ」5月26日号から連載開始)と邂逅した時、初めてそれは大坪砂男が書き残した焼け跡の景色と重なったのだった。

    大坪砂男「私刑(1949年、同年映画化)」

    あなたは仁義という字面に騙されて何かこう精神的なものでも期待なさってる様ですが、ここのところ履き違えると洒落にならない結果に陥りますよ。玄人仲間のいう仁義ってのはとどのつまり金銭です。親分子分の間から、仲間内の附合、三下の扱いまで、みんなそれで計算されてる。指一本詰める詰めないの騒ぎですら、ちゃんとそれが幾らに相当するか見積もられた上での駆け引きって寸法です。


    縁日の売店からの上納金の比率から、賭場から得た金銭の分配に到るまで一切の正義が金銭ずくで基礎付けられてる、と。こんな風に仁義を説明したら分かり易いでしょうか。だからおよしなさいというんです。貴方の精神的煩悶の捌け口をそんな所に求めたって、結局今より一掃世知辛い金銭感覚に縛られるだけだとしたら、愚の骨頂じゃありませんかね?

    確かに今は法律の力が弱まった闇の世の中だからこそ、妙な仁義が表社会にまで浮上し肩で風切って往来を闊歩してる。それで若い人達は見た目の派手さに騙され、自分も一員となりゃさぞかし良い目が見れそうな錯覚を起こしてる。でもね、迂闊に惹かれちゃ相手の思う壺ってもんですよ。社会を最初っから白い目で見てる連中にとっちゃ、獲物がまた一匹迷い込んできたってな話に過ぎないんですから…そりゃ、そうでしょうよ。飲む打つ買うと三拍子揃っちゃ世間様が相手してくれません。それでも酒・女・博打こそ人生無上の快楽と信じて少しも怪しまない連中の集まりですもの。はなから、てんで常識って奴が違うんです。

    押しの強さは力の証、死んだってそれだけは譲れない。そんな度胸ばかり良いのが世間様から掠りをとって暮らそうっていうんだ。いきおい仁義の厳しさも一通りじゃ済みません。さらにはそれを踏み躙じろうって二重に輪を掛けた無法者まで現れる。そうした連中にはもう確実にヤキを入れるしかない訳で、それが私刑(リンチ)って奴ですね。こればっかりは残酷無慈悲、容赦の余地さえありません。

(自分の身は自分で守るしかない)開拓時代の西部…(マフィアと一般市民が入り混じる)南イタリア系移民のコミュニティ…(誰もが誰をも信用出来ない)敗戦直後の焼け跡状態の日本…まさしく「例え振り切れないにせよ、悪は悪として切り捨てねば、正義は存続しない」なる道徳理念は「タフでなければ生き残れない。タフなだけでは生き残る資格がない」ギリギリ状態の産物なんですね。ただ…

 あ、それってもしかして第三回十字軍に従軍しイスラム教徒に対する大虐殺を経験し「誓いを守り続けねば、心が壊れてしまう」という決意を固めたテンプル騎士団員が「死んでも惜しくない無頼者」を集めて決死の籠城部隊を編成する「アイアンクラッド(Ironclad、2011年)」の事?

こちら元ネタは片岡千恵蔵主演「十三人の刺客(1963年)」とされています。 

片岡千恵蔵主演「十三人の刺客(1963年)」

東映京都撮影所製作、工藤栄一監督の日本映画の時代劇である。文春文庫ビジュアル版の「洋・邦名画ベスト150 中・上級篇(1992年刊)」では1位に選ばれている。実録タッチの作風による集団抗争時代劇として有名で、約30分に及ぶクライマックスの13人対53騎の殺陣シーンは、時代劇映画史上最長とされた。 

  • 13人のプロフェッショナルが1つの目的を果たす。そのためには人と人との情けは「余計なもの」として全て捨てて如何なる困難があってもひたすら最後まで目的を遂行する。それが本作の狙いである。それがため描き方は即物的になり情緒的なものは極力排除される。また本作の場合「明石藩主松平斉韶暗殺」自体はフィクションではあるものの、その根底には徳川家斉の大御所時代が招いた弊害という史実が据えられている。

  • 弘化元年(1844年)、明石藩江戸家老の間宮図書が、筆頭老中・土井利位邸の門前で自決した。明石藩主の松平斉韶(菅貫太郎)の異常性格と暴虐ぶりを訴えた訴状が残されていた。松平斉韶は将軍徳川家慶の弟であり、将軍家慶は次の年に老中に抜擢する意向を示していた。幕閣の知るところとなった斉韶の愚行に老中・土井利位(丹波哲郎)は、幕府としての処罰ができないことから暴君斉韶を密かに排除することを決意する。

  • 苦慮した老中の土井利位は最も信頼のおける旗本・島田新左衛門(片岡千恵蔵)に明石藩主・松平斉韶の暗殺を命じる。新佐衛門は生きて還ることなくこれが最後のご奉公と心に期して、相当の武者十三人を集めて藩主暗殺の計画を練る。その中には甥である島田新六郎(里見浩太朗)、徒目付組頭の倉永左平太(嵐寛寿郎)、島田家食客の平山九十郎(西村晃)、浪人の佐原平蔵(水島道太郎)、襲撃場所とした木曽落合宿の郷士木賀小弥太(山城新伍)などが参加した。

  • 参勤交代により帰国途上の斉韶一行を中山道落合宿で待ち構えることとしたが、明石藩の軍師・鬼頭半兵衛(内田良平)は藩主暗殺の陰謀があることを察知して知略を労す。途中、斉韶一行を尾張藩内を通せずとして尾張藩家老・牧野靭負(月形龍之介)は一行の通過を拒否した。先年子息の牧野妥女(河原崎長一郎)が斉韶によって惨殺され、その妻(三島ゆり子)が犯されたことで遺恨があった彼は島田新左衛門に協力して一行の行程を木曾落合宿に向かわせたのである。その直後牧野靭負は切腹した。新佐衛門は一行の道中で策を講じ、この宿場に向かうしかないように仕向けていた。

  • その間に十三人の刺客は落合宿を要塞化して、自分達の集団の数倍の人数になる斉韶一行を迎え撃つ計画であった。そのため多勢に無勢の不利をカバーするために、宿のあらゆる所にさまざまな仕掛けを設けた。そして一行の動きがしばらく分からず焦燥感に苛まれたが、ついに早朝の朝靄をついて一団の馬蹄の音で一行が宿に近づいて来たことを察知した。ここから明石藩主一行と十三人の刺客との壮絶な死闘が始まる。

集団抗争時代劇は1963年7月に封切られた「十七人の忍者(長谷川安人監督)」によって生まれ、その年の暮れに公開された本作によってジャンルとして確立されたといわれている。両作品とも、天尾完次の企画。ただし集団抗争時代劇という言葉は、時代劇映画全般に適用されるものではなく、あくまでも東映京都撮影所で作られる時代劇のみに用いられたものである。

*天尾完次は石井輝男監督作品「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間(1969年)」や1970年代の東映ピンキー・バイオレンス映画のプロデューサーとしても名前を知られている人物。

  • 集団抗争時代劇の特色は以下とされる。①史実に基づいたリアリズム・タッチであること。②モノクロ映像によってそのリアリズムを引き立てること。③権力闘争の結果として集団による乱闘劇がクライマックスに用意されること。こうした集団抗争時代劇が生まれた背景として、テレビの登場によって映画界全体が衰退する中で、スターを大量に抱える撮影所が彼らを有効活用するために「忠臣蔵」のようなオールスターキャストによる集団劇の模索が挙げられる。

  • また当時は滝口康彦「異聞浪人記」を原作とする小林正樹監督・橋本忍脚本・仲代達矢主演映画「切腹(1962年)」や、南條範夫「被虐の系譜」を原作とする今井正監督・中村錦之助主演映画「武士道残酷物語(1963年)」といったリアリズム時代劇が次々とヒットした時代でもあった。
    黒澤明監督映画「7人の侍(1954年)」の共同脚本執筆に参加した橋本忍は、同じ黒澤明監督作品たる「用心棒(1961年)」「椿三十郎(1962年)」を「リアリズム時代劇」にカウントするのをあくまで拒絶する。①(ハードボイルド文学の文法の影響を受けて)物語展開の全てがリアクションの連鎖で構成され、骨太な交響楽的場面展開から程遠い。②(綿密な時代考証から出発した「7人の侍」と異なり)社会的リアリズムの投影が見られない。しかしながら、この見解が全てではない。ジャンル全体で見た場合「武士道残酷物語」はグランギニョール構造(パリのグランギニョール恐怖劇場(Le Théâtre du Grand-Guignol、1897年〜1962年)全盛期を支えた「人気女優が無残な死を遂げる短劇の複数立て」。江戸川乱歩が「蜘蛛男(1929年〜1930年)」や「人間豹(1934年〜1935年)」といった1930年代の通俗小説で採用)に立脚して国際的評価を勝ち取ったし、集団抗争時代劇に至っては東映京都撮影所が模索したオールスターキャスト集団劇の1バリエーションに過ぎなかったりもする。また(黒澤明監督映画では何故か開花しなかった)仲代達矢のエロティズムはむしろ「四谷怪談(1965年)」「他人の顔(1966年)」「大菩薩峠(1966年)」によって開花。さらに国際的には(物語構造など素っ飛ばして壮絶なチャンバラ場面が延々と続く)「大菩薩峠(1966年)」が「用心棒(1961年)」「用心棒(1962年)」と同格の評価を得て自らも「世界のハシモト」に祭り上げられている。

  • クライマックスである、罠を仕掛けられた木曽落合宿での13人対53人の殺陣シーンは、映画のテーマである「平和な時代に人を斬ったことのない侍が刀を持った時の殺陣」を表現するために、1対1の対決を極力避け、集団戦をメインに据えている。撮影にあたっては、殺陣師が殺陣を綿密に指示するのではなく、ヨーイドンの掛け声と共に刀を持った明石藩側の俳優たちを自由に動かし、そこに刺客側の俳優が現われると一斉に斬りかかるというラフな演出を行うことで、斬り合いの混乱をリアリスティックに再現した。また、この作品では手持ちカメラによる移動撮影が採用され、逃げ惑う侍たちや、大人数を相手に修羅場を駆け回る刺客たちの姿をダイナミックに捉えている。
    *鑑賞すると、まず「弓矢や槍は刀より強い」のを否応なく思い知らされる。序盤は敵を死地(身の隠し場所がない広所)に追い込んだ刺客側がこれで相手の数を削る。チャンバラになるのは明石藩側が罠だらけの裏路地に突破口を探す試行錯誤が始まってから「平和な時代に人を斬ったことのない侍が刀を持った時の殺陣」の部分は原則として「気迫合戦(刺客側が明石藩側を気迫で後退に追い込む→突如引き、追い掛けてくる相手を陰に待ち伏せて切る、の繰り返し)」「刺客側の攻撃は一撃必殺だが、腰の引けた明石藩側の殺し方は数に任せた嬲り殺し」として表現される。数に任せて裏路地に突破口を探す明石藩士の動きは流体力学的。刺客側の罠も万全ではなく、虚をつかれた埋め合わせをする場面で少しずつ犠牲者を出していく。

  • 「倉永左平太」役の嵐寛寿郎は、大映京都での『竜虎伝』以来、片岡千恵蔵と16年ぶりの共演であった。当時は時代劇の不振が始まった時期で、プロデューサーの玉木潤一郎も「チャンバラは滅びず、この映画で時代劇挽回や」と張り切っていたという。嵐は本作について「実に傑作だった」と評し、35分間の殺陣は「『七人の侍』よりも迫力おました」と語ったが、興行としては惨敗だった。「時代劇アカンと、東映が見切りをつけたのはこのあたりでおますな」と語っている。興行成功ならず、嵐は「タマジュン残念やったと思います。それから間もなくあの世へ行ってもうた」と玉木を偲んでいる。

  • 「松平斉韶」役の菅貫太郎は、本作での「酷薄な馬鹿殿さま」が十八番になり、『柳生一族の陰謀』、『必殺シリーズ』、『大江戸捜査網』、『暴れん坊将軍』など、多くのテレビ時代劇作品で類似の役柄を演じた。

後世の評価は当時橋本忍ら制作側が執着した「社会的リアリズム」と無関係に下されるのが興味深い。国際的展開に必要なのはあくまで、どれだけその国の伝統的価値観に忠実なのかではなく、単体作品として切り離して鑑賞した場合どれだけ完成度を誇るかなのである。

  • その際に相手国側の伝統的価値観の補完を受けるケースもある(英国における「生きものの記録(1955年)」のリア王見立てや、「悪い奴ほどよく眠る(1966年)」のハムレット見立てなど)。

  • また、当時における「感傷性を一切排除した、権力闘争の結果としてリアリズム・タッチで描かれる集団乱闘劇」の流行について語る上で、山田風太郎忍法帖シリーズ(1958年〜1972年)」や白土三平の貸本劇画「忍者武芸帳 影丸伝(1959年〜1962年)」について触れる事は避けられない。もちろん、こうした「忍術合戦の世界」では、登場人物がどれほど多岐にわたっても「個人技量の衝突」が主な主題である事は変わらない。そこに「集団戦」なる概念を本格的に投入した事こそが(東映京都撮影所が模索してきたオールスターキャスト集団劇の一バリエーションとしての)集団抗争時代劇の新機軸となる訳である。

こうした全体像の背景に(軽薄短小を追求しつつ残酷性に惹かれる)高度成長期独特の時代精神が透けて見える…それがまさに1960年代という時代だったとも。

この映画の製作のキッカケについて、次のような話を聞いたことがあります。
本当かどうかは知りません・・・(^_^;)。

某大監督がある作品のためにセットをつくったが、その一本のために壊してしまうのをもったいないと思った映画会社のお偉いさんが、工藤監督を呼んでこういったそうです。「工藤ちゃん、あそこに時代劇のセットがあるんやけど、壊すのもったいないから、なんか一本撮ってくれんかな? あんたならちゃちゃっと一本すぐ撮れるやろ? 頼むわ!」それで出来たのがこの作品だそうです。セットを壊すのはもったいないという話は本当だと思います。

関ヶ原の戦い(1600年)から245年も経った弘化元年(1844年)にもなると、いかにお侍と言えども、刀を使って人を殺傷した経験のあるものは、ほとんど居なかったらしい(と、せりふにもある)。居合いの名人として紹介される西村晃演じる平山九十郎でさえも、そのような設定になっている。十三人の刺客も五十三人の明石藩士も、どちらも人を切ったことが無い! 一応闇討ちなどは描かれいるので、まったく人を切ったことが無いというわけでもないが…しかし、そういった設定はリアルに感じますね。

そして肝心の落合宿でのチャンバラ合戦ということなんですが、十三人に対して五十三人の多勢をどう攻略するか? そこは分かりやすく、狭いところに追い込んで、動きが取れないようにするという王道作戦で挑みます。この落合宿での死闘、殺陣師が殺陣を綿密に指示することなく、ヨーイドンの掛け声と共に明石藩側の俳優たちは自由に動いてもらい、そこに刺客側の俳優を放り込み、一斉に斬りかかるというブッツケ本番みたいな撮影方式をとったらしい。で、これがまた妙なリアルさを醸し出している。というのも上記の通り、“刀を使って人を殺傷した経験のあるものは、ほとんど居なかった”という設定なので、刺客側は兎も角、明石藩のものは結構逃げ回る!? 宿から逃げることが出来ないようにしているので、狭い空間を大人数が右往左往するのを、手持ちカメラで追いかけるのが臨場感溢れる映像になっていますね。

面白いというか、ビックリしたのが、西村晃の最後。居合いの名人という設定にもかかわらずこの最後か? いやいや、観てのお楽しみというところです。

ただ、これだけではあくまで単なる臣民(サブジェクト)の物語。そういえば当時大流行した山田風太郎忍法帖シリーズ(1958年〜1972年)」や源氏鶏太のサラリーマン小説(1948年〜1970年)もそうで、それに対するアンチテーゼとして「抜け忍」を主人公とする事が多い白土三平漫画が流行した気もします。その意味で黒澤明監督が「司令塔は退役した騎兵隊の元将校たるべきだった」と指摘したのは案外重要。ユル・ブルンナーやデンゼル・ワシントンの演技自体がいくら最高峰でも「七人の侍」における島田勘兵衛(志村喬)みたいな「臣民(サブジェクト)崩れの市民(シチズン)ゆえの屈託」は「アイアンクラッド」でしか見れないのですね。


ああこれ「臣民(サブジェクト)には程遠い市民(シチズン)が、自尊心の拠り所として選ぶべきは一体何なのか?」という話になってくる訳ですね。「タフでなければ生き延びられない。タフなだけでは生き延びる資格がない」。ならば補うべきは一体何?