諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】オウム真理教といったら「On Your Mark(ジブリ実験劇場)」では?

誰もが口を閉ざしたままみたいなので、あえて書きます。オウム真理教といったら、色々な意味でCHAGE&ASKA現:CHAGE and ASKA)「On Your Mark」のジブリ実験劇場版PV(1995年7月15日)を思い出すべきなのでは?
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「On Your Mark(ジブリ実験劇場、1995年7月15日)」 - Wikipedia

CHAGE&ASKA現:CHAGE and ASKA)が発表した楽曲「On Your Mark」のプロモーション・フィルムとして作成された、スタジオジブリ制作のアニメーション作品。1995年7月15日、映画『耳をすませば』と同時上映で公開された。元々はCHAGE and ASKAが1995年 - 1996年にかけて開催したコンサートツアー「SUPER BEST3 MISSION IMPOSSIBLE」の中で、演出の一環としてコンサート会場で上映されていた。これは、PVを制作する際にASKAからアニメーションでやってみたいと持ちかけ、それならばと宮崎作品のファンであったCHAGEが提案したアイデアだという。あまりの人気ぶりに当時、長編化の打診もあったほどだが実現はしておらず今後もその予定はない。

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  • 監督によると宮崎の事務所にいた押井守が監督を務めた「天使のたまご1985年)」のアンチテーゼだという。といっても、天使だとはいっていないし「風の谷のナウシカ原作1982年〜1994年、アニメ化1984)」に救世主として降臨する「鳥の人」かもしれない。

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  • 本作に対し、監督は「歌詞をあえて曲解し悪意に満ちた映画に仕立てた」「暗号のような物をいっぱい入れてある」「いつか来る未来に生きるということをイメージして制作した」と語っており、この為見る側によって異なる解釈が存在する。作中では故意に不自然な描写が多く見られ、冒頭で主人公が乗っていると思われる黄色い車と、ラストの黄色い車の車種が異なっていたり、逃走の際に一度墜落したはずの自動車が、別のシーンでは飛翔しているなどが挙げられるが、これは宮崎駿の後期作(ハウルの動く城」「崖の上のポニョ)の特徴を先取りしている。ちなみに主人公2人がラストシーンで乗る車は、黄色いアルファロメオジュリエッタスパイダーである。
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  • 岡田斗司夫は本作を、ほとんど戦力の無い相手を無差別に殺戮する行為から目をそらした一人の警官が空想に逃避する物語で、天使の少女は初回の襲撃シーンで死んでいる少女(白い衣服が翼に見えている)だと解釈している。また、ラストで自動車が横道に停車するのは、2人が放射能や大気汚染で死亡したからであると指摘している。
    *そういえば主人公(Aska)のテーブルに積み上げられた花束やプレゼントは(襲撃の際に負った精神的トラウマを原因とする)配置換え(あるいは退職もしくは休職)を暗喩していると見て取れなくもない。そして「(もしかしたら妄想の中にしか存在しないかもしれない)謎めいた協力者(Chage)」や「(既に死んでいたりして)妄想の中でしか救済し得ない少女」といったマクガフィン(MacGuffin / McGuffin、話を先に進める為の舞台装置)はアメリカン・ニューシネマ(New Holywood)の典型的物語文法の一環だったりする。

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  • また謎めいた「On Your Mark」の歌詞について、当時既に薬物中毒患者だったAskaが、その状態の自分について自虐的に歌ったものと解釈する立場もある。そう考えると、ますますアメリカン・ニューシネマ(New Holywood)との親近性を強く意識する展開に。
    *歌詞中で歌われる「自転車に乗って走り出すと常に、流行(はやり)の風邪をひく」「それでもやめない。夢の斜面を見上げると、行けそうな気がするから」なる表現が、何らかの形で背後に(後期ハイデガーいうところの)集-立(Ge-Stell)システム(すなわち特定目的実現の為、無理してまで手持ちリソースを総動員しようとする権威主義的体制)が存在する事を暗喩している。ならばそれは現実世界の何に該当するのだろうか。宮崎駿監督は、これを「人間社会を不可逆的に便利にはするが(公害を蔓延させる)現代テクノロジーや(放射能汚染をもたらす)原発」に見立てた。だが、確かに音楽活動の維持に麻薬摂取が不可欠な状態に陥ってしまったAskaが「(心の中では「もう限界!!」と悲鳴を上げつつ)夢の心臓めがけて、僕らと呼び合うため」この状態を続けざるを得ないと宣言した作品とも見て取れなくはない。

    *後者の解釈だと筋運びが(正気を保ち続ける為に)薬物依存症に陥りながらギャングの親玉としてアメリカン・ドリーム獲得を目指すキューバ移民が暴走の果てに破滅するブライアン・デ・パルマ監督 / オリバー・ストーン脚色 / アル・パチーノ主演映画「スカーフェイス(Scarface、1983年)」と重なってくる。

    *ちなみに「Askaの薬物中毒は原発推進派の工作」なんて陰謀論も。オウム真理教蜂起の真の目的は「世界征服による核のない世界の実現」だったのであり、だから日本政府(及び黒幕たる国際コングリマリット)から本気で潰され、巻き添えでAskaも薬を盛られた廃人にされてしまった? 

同監督による「風の谷のナウシカ」と比較対象にされるこの作品の絵コンテの脱稿は1995年1月で、オウム真理教による地下鉄サリン事件の2か月前であった。

ところで、アメリカン・ニューシネマ(New Holywood)的世界観において「ある種の語り部として物語全体に関わる主人公」「(妄想の産物かもしれない謎めいた協力者」「(既に死んでいたりして妄想の中でしか救済し得ない少女」を描いた作品といえば以下辺りが挙がるのです。


*「ある種の語り部として物語全体に関わる主人公」…もちろん「On Your Mark」には「東海岸物の金字塔」として著名なF・スコット・フィッツジェラルド華麗なるギャツビー(The Great Gatsby、1925年)」で「語り部」をつとめる「中西部からのお上りさん」ニック・キャラウェイの様な存在は登場せず、その事自体が「(多様的で多態的な展開を背景に)鑑賞者に解釈を丸投げする」スタイルの採用を意味しているとも。

  • ロードムービーにしてカーアクション映画でもある「バニシング・ポイントVanishing Point、1971年)」。回想にしか登場しない「結局救えなかった無名の少女」に(大した動機付けもないのに)孤立無援のカーチェイスを続ける主人公を後援し誘導し続ける盲目のラジオDJスーパー・ソール(語り部の役割を兼任)。車でサンフランシスコ到着を目指す辺りが「西海岸物」の典型的パターン。

    「バニシング・ポイント(Vanishing Point、1971年)」

    海兵隊、警察官、そしてオートレースのドライバーで、現在は車の陸送を仕事にしているコワルスキーは、デンバーからサンフランシスコまでの陸送を引き受けていた。普段から麻薬常習者でもある彼は、地獄の天使というバーに立ち寄って覚せい剤仕入れようとしたとき、店の主人とサンフランシスコまで15時間で行くという賭けをすることになる。全速力で飛ばすコワルスキーの車を発見したオートバイ警察が、暴走する彼の車を追跡し始める。コワルスキーがとっさに車を悪路に乗り入れると、オートバイ警察はひとたまりもなく転倒してしまう。何とか警官を振り切った彼は、ユタ州に入ろうとしていたが、コワルスキーを待ち構えていたかのように国境にはバリケードが固められていた。だがコワルスキーはそんなことはお構いなく、減速することなくバリケードを無理やりにでも突破するのであった。そんなコワルスキーの暴走気味なニュースを聞いた盲目のディスク・ジョッカーのスーパー・ソールは興奮して、コワルスキーに通信をして、彼が捕まらないように誘導し始める。警察の通信に介入して内容を盗み聞きし、情報をコワルスキーに流し始めることで、コワルスキーは警察を振り回すようになる。国境を越えてネバダ州に入ると、今度はネバダの警察が彼の追跡を開始した。コワルスキーは自分が警察官であったときのことを唐突に思い出し、上官が少女を麻薬所持の疑いで取り調べの最中に、弱みにつけ込んで少女に乱暴しようとしていたのを止めた。ところが正義の元で行動した彼を上官が逆上して、彼を懲戒解雇してしまうように仕組んだのだった。過去の事を思い出しながら走っていると、スーパー・ソウルが再び通信を試みてきていた。通信から送られてきた情報どおり、数台のパトカーに追い詰められた彼は、やむなく車を砂漠に向けて加速し始めた。警官時代、雪国で恋人のベラと遊んだり、口論したりしたことを思い出したり、また海兵隊員の時に負傷兵を野戦病院へ運んでいる最中、ジープに砲弾が命中して、負傷したことといった昔のことを次々思い出していた。階層に浸っているときに大きな爆発音で意識が現実に戻る、何事かと思い見るとタイヤがパンクしてしまったのだ。タイヤの交換中に、ガラガラヘビに襲われそうになるが、砂金鳥の老人により命からがら助かる。老人は、彼に砂漠から抜け出すルートを教えると、そのままガソリンのある集落まで案内したのだった。

    老人と分かれて逃走を続けるコワルスキーの元に、スーパー・ソールからの情報が入ってくる。今やアメリカだけでなく、全世界規模で自分が注目されていることを知ると同時に、彼の向かう道という道には、既に警察当局の網が張られているとの事だった。途中にコワルスキーはバイクに乗ったエンジェルという男と出会い、荒野の中にある彼の家に連れて行かれた。そこには裸でバイクに乗った女性がいて、コワルスキーに強壮剤や煙草を渡される。

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    その後エンジェルのアイディアで車をパトカーに偽装して非常線を突破したコワルスキーだったが、彼の行く手には巨大なパワー・シャベルが立ちふさがる。コワルスキーの心に一瞬の戦慄が走ったものの、彼は笑みを浮かべながらアクセルを踏み込む。猛然と突っ込んだコワルスキーの車は、火柱を吹き上げて空へと舞い上がるのであった。

  • P.K.ディックの紹介で世に出たK.W.ジーターの「Dr.Adder執筆1972年、刊行1984)」。この作品においては便宜上「(大人の事情で創り出されたカリスマ変態整形外科医」たる主人公に「(既に死んでいたりして妄想の中でしか救済し得ない少女」の役割が振られるが、この人物はどちらかというと「フランケンシュタイン博士の怪物」的存在で、次々と「自らの創造主」への復讐を遂げていく(唯一の例外ともいうべき「主人公がTV放映網に割り込む手伝いをしながら死んでいく盲目の超能力少女」はおそらく「最初の電話回線無断使用者(Phreaks=Phone+Freaks)」ジョイバブルことジョセフ・カール・エングレシア・ジュニア辺りがモデル)。そして最後の最後でP.K.ディックをモデルとする「神出鬼没の伝説的存在たる海賊版ラジオDJ」KICDと邂逅し「(お前の番組で一言、喋らせろ」と話して幕切れとなるが、全ての黒幕たる「世界そのもの」に「Fuck You!!」と中指を突き立てる場面しか想像出来ない。ロサンゼルスを舞台とする、典型的な「西海岸」物。

    *「家父長制(Paternalism)に対する若者の抵抗」を重要な主題とするアメリカン・ニューシネマ映画においては「(既に死んでいたりして)妄想の中でしか救済し得ない少女への執着」の部分が、こうして「創造主への被造物の復讐」なる物語構造に置き換えられたりする。例えばオリヴァー・ストーン脚本映画「コナン・ザ・グレート(Conan the Barbarian、1982年 )」における主人公(演アーノルド・シュワルツェネッガー)と魔道士タルサドーム(演「ベーダー卿の中の人」にして「エクソシスト2(Exorcist II: The Heretic、1977年)」でアフリカの最強呪術師を演じたジェームズ・アール・ジョーンズ)の関係。そういえば「コナン・ザ・グレート」にも主人公の旅に同行して後に彼の生涯の語り部となるコミックリリーフ的呪術師が登場する(原作未登場)。


    *また「ランボー(First Blood、1982年)」において「不審者として地方の保安官に追い立てられるベトナム帰還兵」主人公ランボー(演シルヴェスター・スタローン)と「生みの親」サミュエル・トラウトマン大佐の関係もこれに該当。ちなみにこの作品の舞台はワシントン州

  • マーティン・スコセッシ監督映画「タクシードライバーTaxi Driver、1976年)」における「大都会ニューヨークを舞台に夜の街をただ当てもなく走り続ける元海兵隊のタクシー運転手トラヴィス・ビックルロバート・デ・ニーロ)と少女売春婦(ジョディ・フォスター)の関係。この物語には「語り部」に該当する登場人物が登場しないが、それはあえて「実際にトラヴィスは何をやらかしたのか」鑑賞者の推測に任せる為とも。1960年代後半から1970年代中頃にかけて隆盛を極めたアメリカン・ニューシネマの最後期にして代表的な作品。ニューヨークを舞台に選んだ「東海岸」物。

  • Times Square1981年)」における「永遠の反逆少女」ニッキー・マロッタ(名前からしてイタリア系)と、ラジオ番組でニッキーと主人公の少女を応援しつつ時々「大人の都合」を垣間見させる人気DJジョニーの関係。ニューヨークを舞台にニューヨーク・パンクをBGMに展開する「東海岸」物。


    *この後アメリカ映画界を席巻し、日本の大映ドラマに主題歌を安定供給し続ける事になる「青春搾取(Youth-Exploitation)ミュージカル映画」に「Times Square(1981年)」、ジョン・トラボルタ出世作「Saturday Night Fever(1977年)」「Stain Alive(1983年)」は含まれない。「裕福な住人も多い華やかで都会的なマンハッタンと、ブルックリン橋を渡ったすぐの位置にある労働者街ブルックリンの格差を描く」なんて東海岸風アプローチのせい。「青春搾取ミュージカル映画」といったら「現地の若者が退屈で死にそうになってる田舎街にトリックスター的人物やイベントが上陸」という構図が重要で、この図式を律儀に継承したのが新海誠監督映画「君の名は(2016年)」や、あえて(911事件のあった)2000年代初頭のサクラメント(サンフランシスコ近郊都市)を舞台に選んだ「Lady Bird(2017年)」となる。

    *ちなみに「レディ・プレイヤー1(Ready Player One、2018年)」において「巨大仮想世界OASIS」の創始者となったジェームズ・ハリデーは「Footroseの舞台に選ばれそうな何もない片田舎」出身という設定。彼の生まれ育った街では「青春搾取ミュージカル映画」的展開が一切起こらなかったので、彼は自らそれを始めるしかなくなってしまったのだった。ある意味新しい「ヒロイン」像?

    *そういえば「君の名は(2016年)」は一応形式上「一芸に秀でた職人と家母長の緊張感ある関係」を描く「飛騨女」物としてのフォーマットを満たしているものの、興味深い仕掛けがあって(欧米女子の目には「ジェーン・オスティン流ジェントリー式婿取り作戦」と映る)米澤穂信古典部シリーズ(2001年〜)」における「千反田江留の折木奉太郎攻略戦」の様な展開を迎えない。というか「古典部シリーズ」もその後「二人の距離の概算(2010年)」において家母長支配の暗黒面が如実に示唆され「いまさら翼といわれても」で大前提の崩壊が起きる。むしろ「Lady Bird」におけるサクラメントカソリック系住民のコミュニティの方がある意味終始「盤石」を誇り続けている点が興味深い?

あれ?「(元来は男の妄想の中にしか存在していなかった筈の救われない少女」が次第に血肉を備えた実体を獲得していく様です。そういえば1980年代といえば「女性の時代」…
*「メトロイド(1986年〜)」のサムス・アラン(Samus Aran)もこの時代まで遡る。

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  • ある意味「青春搾取Youth-Exploitationミュージカル映画」の嚆矢を飾った英国人監督エイドリアン・ライン監督の手になる「フラッシュダンスFlashdance、1983年)」の登場。

    フラッシュダンス(1983年) - Wikipedia

    「鉄鋼の町」ピッツバーグを舞台にプロのダンサーになるという夢を抱きながら、昼は製鉄所で溶接工、夜はキャバレーとなる近所のバー、マウビーズでセクシーなダンサーをしながらダンスの練習に励む18歳の女性、“アレックス”アレキサンドラ・オウエンズ(ジェニファー・ビールス)を描く。
    *当時の欧米では当時実際に「溶接や重機の免許を獲得する事で男性に匹敵する給与を稼ぎ出す女性肉体労働者」が現れつつあり、これをモデルとしている。
    フランスにおける女性就労――常識とウソ

    倉庫を改装した家で犬のグラントと共に生活をするアレックスは身寄りがなかったが、マウビーズの同僚ウェイトレスでプロ・スケーターを夢見るジェニー、ジェニーの恋人でコメディアン志望の即席料理人リッチーと親しくしていた。
    *「愛と青春の旅だち(An Officer and a Gentleman、1982年)」において主人公は退廃的な生活から脱する為に海軍士官養成学校の飛行士課程に志願し、同様の道を選択した女性候補生や、貧困状態から抜け出す為に彼らとの結婚を目論む女性達と出会う。こうした青春群像的展開において成功例と失敗例が併記されるのはアレックス・ヘイリー的グランドホテル型展開由来とも。

    ある夜、客の中に彼女が昼間働く製鉄所の二枚目社長ニック・ハーレイ(マイケル・ヌーリー)を見つける。彼はアレックスが従業員の1人であることに気付き、ニックは仕事中に彼女に言い寄るが、彼女は彼のくどき文句を最初ははねつける。また近所のストリップ・クラブのザンジバーのジョニー・C(リー・ヴィング)は彼女をスカウトしようとしていた。
    *こうしたヒロインの「上昇志向」と「下降思考」が特定の恋人候補に象徴される展開、概ねシェークスピア流作劇法(「ロミオとジュリエット」起源というより後期の「複数カップルのカップリングを巡るドタバタ喜劇」)や、ジェーン・オスティン流ジェントリー階層子女処世術に端を発す英国恋愛物に由来する。

    *例えばシャーロット・ブロンテジェーン・エア(Jane Eyre、1847年)」やトーマス・ハーディ「ダーバヴィル家のテス(Tess of the d'Urbervilles、原作1891年、映画化1979年)」に見受けられる「(性倫理に厳しい)聖職者の対等な配偶者となるか、あるいは金持ち(退廃的なジェントリー階層や成金の新興資本家階層)の情婦となるか」という問題意識の持ち方。
    ジェーン・エア(1847年) - Wikipedia


    ダーバヴィル家のテス - Wikipedia

    *あるいはE.M.フォースター眺めのいい部屋(A Room with a View、原作1908年、映画化1986年)」やD・H・ローレンスチャタレイ夫人の恋人(Lady Chatterley's Lover、1928年)」における「(公衆の面前で全裸で水浴したり喧嘩したりする性的にも自由廻達な)労働階層 VS (由緒正しいが退屈で制約の多い)ジェントリー階層」といった対立図式。
    眺めのいい部屋(原作1908年、映画化1986年) - Wikipedia

    チャタレイ夫人の恋人(1928年) - Wikipedia

    良き相談相手である、リタイアしたバレリーナでダンスの師であるハンナ・ロング(リリア・スカラ)に会った後、アレックスはピッツバーグのダンサー養成所のオーディションを受けようと応募の願書用紙をもらいに行くが、用紙にダンス経験や教育の有無を記入する欄があり、他の応募者達はバレエ等ダンスの正規の教育を受けた者ばかりで、独学でダンスの練習を続けてきたアレックスは自信を喪失し、そのまま帰ってきてしまう。

    ある日リッチーとアレックスがマウビーズを出ると、ジョニー・Cとボディ・ガードのセシルに絡まれる。ニックが仲裁に入り、アレックスを助けたことで2人の関係が始まる。

    ジェニーはスケートの競技会に出場するが2回転倒し敗北する。リッチーはコメディアンになるためピッツバーグを離れロサンゼルスに向かい、彼女は夢に挫折しジョニー・Cと付き合うようになりザンジバーでトップレスのダンサーになってしまう。

    ニックが見知らぬ女性とバレエに来ているのを見かけたアレックスは、腹いせに彼の家の高価な窓ガラスを割る。しかしその女性は彼の元妻で上流出身のケティ(ベリンダ・バウアー)で慈善行事に同行していただけであった。アレックスとニックは仲直りをし、ダンサー養成所のオーディションに再び挑戦する勇気を取り戻す。ニックはコネを使い、アレックスの願書が書類審査にとおり、ダンスの実技オーディションを受けられるように仕向ける。アレックスは自身の実力のみを試したかったためニックに激怒し、ダンスオーディションを受けることをやめた。友人が夢に挫折し、ハンナの突然の死を目の当たりにし自身の未来に失望しかけるが、もう一度オーディションを受けようと決意。

    ダンスオーディションで最初はよろめくが最初からやり直し、ピッツバーグのストリートで見たブレークダンスを取り入れ学び練習してきた様々な表現の伝統にとらわれない独創的なダンスで挑む。初めは全く興味を示さない審査員であったが、予想もしないダンスに圧倒され見事合格を勝ち取る。会場から喜んで出てきたアレックスを待っていたのは、犬のグラントとバラの花束を抱えたニックだった。二人は抱き合い、喜びを分かち合うのだった。
    ブレイクダンスをハリウッド映画として取り上げた最初の作品であり、本作において「伝統的閉塞状況を破るトリックスター的概念」の役割を果たす。

    ブレイクダンス(breakin') - Wikipedia

    1970年代にニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人ラテンアメリカ人の若者達によって発展したストリートダンスのスタイル。 また、アフリカ・バンバータの提案でギャングが抗争をまとめる為に銃撃戦の代わりにブレイクダンスのバトルを用い、発展に繋がったと言われている。

    実は舞台をピッツバーグに移してはいるものの、物語構造的には「(マンハッタンとブルックリンの経済格差に立脚するニューヨーク物」から「(田舎で退屈のあまり死にかけているヒロインの前にトリックスター的英雄が現れる青春搾取Youth-Exploitationミュージカル映画」への過度期にあったとも。そして…


    *ちなみに日本の大映ドラマの主題歌に採用されたのはネバネバ系のこちら。

  • サマータイム・ブルースIndemnity Only、1982年)」や「センチメンタル・シカゴKilling Orders、1985年)」といったサラ・パレツキーSara Paretsky)のヴィク(シカゴを舞台に女性私立探偵 V・I・ウォーショースキー)シリーズを嚆矢とする女性ハードボイルド探偵物の登場。

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    ジェームズ・キャメロン監督映画「エイリアン2(Aliens、1986年)」に登場する「港湾労働者に転落したリプリー航海士」や女兵士達、「ターミネーター2Terminator 2: Judgment Day、1991年)」におけるサラ・コナーの変貌などはこうした系譜に由来する。

  • こうして全体像を俯瞰してみると、むしろシンディー・ローパーGirls Just Want To Have Fun1983年)」やマドンナ「Like a Virgin1984)」の国際的ヒットの踏み込みはいかにも浅かった? ただ一応「女性の時代」を盛り上げる起爆剤の一つくらいにはなったとも。

かくして武内直子美少女戦士セーラームーン1992年〜1997年)」が国際的大ヒットを飾る基盤が次第に整えられたのでした。そして同時期には(1980年代をロリ子役として過ごしてきたアラニス・モリセットの鮮烈なデビューや、ますます実体感が備わった「(元来は男性の妄想の中でしか救済され得なかった運命の少女」概念の暴走が進行…

「ニキータ(Nikita、1990年)」 - Wikipedia

リュック・ベッソン監督の手になるフランス映画。深夜のパリの薬局に麻薬中毒の少年少女達が薬欲しさに乱入するが警官隊が到着したことによって銃撃戦となる。彼らは警官隊からの銃弾に全て倒れたかに見えたが一人残った少女(アンヌ・パリロー)が警官を射殺してしまう。警察署に連行された少女は、取調室で刑事に名前を聞かれた際に男性名の「ニキータ」と名乗り、それが彼女の呼び名となった。

ニキータ終身刑が下り、護送されて目が覚めると殺風景なベッドルームに入れられており、ボブという政府の秘密警察官を名乗る男が現れる。彼女はそれまでの自分の記録を消され、別の人間として政府に雇われた暗殺者としてここで訓練を受けて生きるか、それとも死ぬかの選択を迫られる。ニキータは反抗し逃げようとするが叶わず、暗殺者としての訓練を受けることとなる。ニキータは反抗しながらも、めきめきと頭角を現していく。

数年後、ニキータの誕生日……。ニキータはボブに街のレストランに連れて行かれ、手荒い最後の訓練を受けさせられ秘密訓練所の生活を終える。ジョゼフィーヌというコードネームと仮の職業を持たされ、街で一人暮らしすることになったニキータは、スーパーで会計の時にレジに立っていた男・マルコと恋仲になるが、それでも暗殺者としての仕事は与えられる。

ある任務で予定が狂い、その後始末と酷い顛末に憔悴して戻ったニキータに、マルコはニキータの裏の顔を知っていること、それでも愛していることを打ち明ける。裏仕事を止めることを奨められたニキータは一人逃亡し、残ったマルコは後を追ってきたボブに、ニキータの置き土産のマイクロフィルムを渡し、ニキータの行く末を託す。

レオン(仏題Léon、米題The Professional、1994年) - Wikipedia

ニューヨークで孤独に生きるイタリア系移民のレオンは、プロの殺し屋として、表の顔はイタリアレストランの経営者で、イタリア系マフィアのボスであるトニーを介した依頼を完璧に遂行する日々を送っていた。

ある日、「仕事」帰りのレオンはアパートの隣室に住む少女マチルダナタリー・ポートマン)と、彼女の顔に父親からの暴力の痕があることをきっかけに知り合う。マチルダは実の父親であるジョセフだけではなく、義姉のジョアンからも虐待を受けており、義母のマージからはまるで関心を向けられず、幼い弟マイケルにしか心を開けない、閉塞感に満ちたまま日常を送っていた。父親に殴られて鼻血を出しているマチルダにレオンがハンカチを差し出す。「大人になっても人生はつらいの?」と尋ねるマチルダに「つらいさ」と答える。

その翌日、ジョセフが麻薬密売組織の「商品」を横領したことを見抜いたスタンスフィールドとその一味がアパートに乱入し、スタンスフィールドはマージやジョアンを容赦なく射殺。スタンスフィールドは薬の在り処を問い詰めるが、ジョセフが一瞬の隙を見て銃を取ったことから銃撃戦となり、手下の一人が撃ったマシンガンの銃弾がアパート内を乱れ飛ぶことになる。現場は蜂の巣になり、撃たれたことに激昂したスタンスフィールドがジョセフにシリンダーの弾を全部撃ち込んでいる頃には、すでに4歳のマイケルは流れ弾を浴びて死亡していた。家に居たくないと、レオンのためにいつもの2パックの牛乳を買いにでかけ、運良く難を逃れていたマチルダは、帰ってきた頃には家族全員を皆殺しにされていた事を知る。マチルダはとっさに隣室のレオンに助けを求め、レオンはしばし逡巡した後に彼女を保護する。

巧みな駆け引きを駆使し、弟の復讐のため殺しの技術を学ぼうとするマチルダは「ボニーとクライドや、テルマとルイーズのみたいにコンビを組もう」というが、レオンは殺しの腕は一流ながら学がない。「根が地面についてないということが自分と同じだ」という理由で、鉢植えの観葉植物だけが友達のレオン。奇妙な同居生活を始めた二人は、やがて互いに心の安らぎを見出すようになり、複雑な感情と信頼を抱いていく。

ある時、マチルダはスタンスフィールドが麻薬取締局の捜査官であることを突き止める。密売組織の背後には、スタンスフィールドを始め、麻薬取締局が絡んでいたのだ。ピザの宅配を装い麻薬取締局に侵入するも、スタンスフィールドに早々に察知され逆に捕まってしまうマチルダ。奇しくも、レオンもマチルダのために、マチルダの一家の殺害に関与した麻薬取締局の捜査官への復讐を始めていた。1人を始末して帰宅したところ、マチルダの置手紙により、マチルダが麻薬取締局にスタンスフィールドを殺害しに行ったことを知る。レオンは早速麻薬取締局へ乗り込み、拘束されていたマチルダを取り返し、一味の内2人を殺害する。

一方スタンスフィールドは、トニー配下の殺し屋が仲間の捜査官を殺害しているのだと目星をつけ、トニーを詰問しに出向く。実はスタンスフィールドこそが、今までトニーを仲介役にレオンに殺しを依頼してきた元締めであった。

全てはレオンの仕業であると確信したスタンスフィールドは、次の日の朝、警察の全部隊を動員してレオンの住むアパートを包囲、突入させた。レオンは激しく抵抗し、その戦いの中マチルダを脱出させることに成功する。マチルダとはトニーの店で落ち合うことにし、レオン自身は負傷した突入部隊員に扮し脱出を試みるもスタンスフィールドに見破られ、あと一歩のところで射たれてしまう。だが虫の息の中、身に着けていた手榴弾のピンを抜き、スタンスフィールドを道連れにレオンは爆死する。

一人残されたマチルダは、トニーに殺し屋の修行をさせて欲しいと頼むが、断られる。レオンの遺産はレオンの意志により、トニーが管理して少しずつマチルダに渡されることになる。マチルダは学校の寄宿舎に戻り、レオンの形見となった観葉植物を学校の庭に植えるのだった。 

キック・アス(Kickass、原作2008年〜2010年、映画化2010年) - Wikipedia

ビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)は、自分を陥れ、妻を自殺に追い込んだフランク・ダミーコ率いる犯罪組織を壊滅させるため、娘のミンディ(クロエ・グレース・モレッツ)に戦闘技術を叩きこみ、ヒーローコスチュームを着せて「ヒット・ガールHit Girl)」とし、ダミーコ配下の売人達を次々に殺していた…

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*ヒットガールのコスチュームの元ネタはおそらく「Times Square(1981年)」における「がらくたシスターズ」の扮装あたり。さらに遡るとシェークスピア劇のローマ時代物における野蛮人の化粧で、軍事迷彩に似たそれはベトナム戦争以降普通に見られる様になって「コナン・ザ・グレート」に登場。こういう部分に連続性が感じられるという次第…

そう、日本人はまずこの次元における総括を改めて求められるのです。世界自体がこういう方向に展開していくに当たって押井守が「天使のたまご1985年)」の中で描いた「(想像妊娠を暗喩するとも見て取れる卵を守ろうとする少女」とは、「On Your Markジブリ実験劇場、1995年)」の中で描いた「聖NOVA'S CHURCHの教団施設の奥で発見された翼の生えた少女」とは、一体何を暗喩していたのかについて…まぁ米国文学における「エミリー・ファッセルマンのウサギ」問題みたいなもので、内容(及びそこから導出される結論)にもかなり相似が見受けられる?