純潔のマリアとかいうイギリス長弓兵の射撃姿勢が正しすぎるアニメ
— 偏見で語る兵器bot (@heikihenken) July 13, 2018
これには弓道警察もにっこり pic.twitter.com/rN0wBKla65
そして敵の密集突撃を無効化する背後の杭に、思わぬ歴史あり…
なぜフランス騎兵は反省しなかったのか?
- 「シチリアの晩祷(Vespri siciliani、1282年)」事件後に加熱したアンジュー伯シャルル / シャルル・ダンジュー / カルロ1世(Charles d'Anjou / Carlo I、シチリア王1266年〜1282年 / ナポリ王1282年〜1285年)とアラゴン大王ペドロ3世(Pedro III、アラゴン王/バレンシア王/バルセロナ伯1276年〜1285年、シチリア王1282年〜1285)のイタリア半島を舞台とする一連の闘争において「猪突猛進を尊ぶ」フランス騎兵をアラゴン王国軍がピレネー山脈の辺境地帯から連れてきた野蛮な徒歩の傭兵集団アルモガバルス (アラゴン語Almogabars, カタルーニャ語 Almogàvers, スペイン語Almogávares, アラビア語: al-Mugavari)が粉砕。
- コルトレイクで戦われた金拍車の戦い(1302年)において、溝や泥濘地といった騎兵に不利な地形を最大限活用したフランドル都市連合軍の市民兵が「猪突猛進を尊ぶ」フランス騎兵を粉砕。
- 欧州諸侯軍がオスマン帝国軍と激突したニコポリスの戦い(1396年)において、イェニチェリ歩兵隊が「猪突猛進を尊ぶ」フランス騎兵を粉砕。
- 百年戦争の一環として戦われたアジャンクールの戦い(1415年)においてイングランド軍長弓兵が「猪突猛進を尊ぶ」フランス騎兵を粉砕。
- 「猪突猛進を尊ぶ」フランス騎兵を率いるブルゴーニュ公シャルル突進公が、グランソンの戦い(1476年)やムルテンの戦い(1477年)やナンシーの戦い(1477年)でスイス人傭兵の密集突撃に連戦連敗。遂には自らも戦死してブルゴーニュ公家の男系が途絶える。
- 南イタリアのナポリ王国領で戦われたチェリニョーラの戦い(1503年)において(レコンキスタで鍛え上げられた)スペイン工兵が構築した野戦陣地に篭るランツクネヒト(ドイツ人傭兵隊)の鉄砲隊が「猪突猛進を尊ぶ」フランス騎兵とスイス槍歩兵の密集突撃を粉砕。
それにつけても、本当にどうしてフランス騎兵は反省しなかったのか?
すなわちここに「欧州封建制とは一体何だったのか?」という設問への回答がある?
そう、彼らは「貴族騎兵」だったのです。そして…
古代において精鋭の貴族騎兵や遊牧民による突撃を受け止められるプロの重歩兵部隊という存在自体が貴重なので、古代ギリシャ人は傭兵としてペルシャに雇われたり(アレクサンドロスの東征開始時だとペルシャのギリシャ人傭兵はマケドニア軍のギリシャ兵並みに多い)する
— つむじ伯@顎関節症 (@tsumuji_wind) July 13, 2018
スイス傭兵の古代版? こちらの歴史もそのうち掘り下げてみたいと考えてます。