諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者】「正しいものの味方」としての「モスラ」と「鉄腕アトム」

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60年安保の直後に撮影された東映特撮怪獣映画「モスラ1961年)」 …

  • 事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者」がその座に留まり続けるのは、あくまでその振る舞いがどうやっても既存常識の範囲に収まってくれない、すなわち予測が次々と裏切られ続けるうちだけである。
    *わかりやすいのがマイケル・クライトンアンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、1969年)」で「世代ごとに振る舞いが全く異なる」という事実が明らかになるまでアンドロメダ病原体が次に引き起こす現象の予測は外れ続ける。その一方で人類がその知識を獲得した瞬間にそれは「事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者」である事をやめ「(ある程度までその振る舞いが予測可能な)既知の存在」の仲間入りを果たす。そしてまさにその瞬間にこそこの作品のカタルシス、すなわち「真理(アレーティア=自ずと明らかになる秘密)の顕現」が宿っているのである。

  • 後期ハイデガーは集-立(Ge-Stell)システム、すなわち「特定目的達成の為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」は樹立後自己目的化し「真理アレーティアの世界」への到達を却って妨げる様になるとした。
    *逆を言えば「真理(アレーティア)の世界への到達」そのものを目標に掲げる集-立(Ge-Stell)システムは「対応マニュアル化」が完備した時点でその役割を一旦終えてしまう。要するに「怪獣が現れる事が当然化した世界」においては、もはや「新たな怪獣の登場=新たな脅威の登場」とは認識され得なくなってしまうのである。それぞれ「新たな脅威」としての実体を伴っていた「ゴジラ(1954年)」や「ラドン(1956年)」に比べ「ゴジラの逆襲(1955年)」や「大怪獣バラン(1958年)」の作品としてのインパクトがどうしても弱くなるのはこの辺りが理由だったといえる。

  • 行き詰まるとどうなるかというと「問題検討方法の多角化」が始まる、要するに「軸ずらし」が必要となり後期ウィントゲンシュタインいうところの言語ゲームSprachspiel)論やベンヤミンいうところのパサージュ(Passage)論の出番となる。見方を変えればその段階で既存知識体系に居場所を得たという事でもある。

こうしたそれまでの特撮怪獣物の歴史的流れから「モスラ」は自然と「新機軸」に手を出す展開に…

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モスラ(1960年) - Wikipedia

プロデューサーの田中友幸によると、本作の企画原案は、制作の半年ほど前に森岩雄から「怪獣が暴れまわる映画も結構だけど、女性も観られる怪獣映画というのはどうだろう。すごく可愛らしい美人を出すんだよ」と持ちかけられたのがきっかけという。ここから「小美人」の設定が生まれ、田中は文芸員だった椎野英之のつてで中村真一郎を紹介され、中村と福永武彦堀田善衛三者に原作を依頼。こうして公開に先駆けて『週刊朝日』で「発光妖精とモスラ」が掲載された。田中は本作を『ゴジラ』、『空の大怪獣ラドン』と並んで「出来のいい怪獣映画」と自負している。

安保闘争の翌年の作品で、当初世界同時公開が予定されていたこともありロリシカ(ロシア+アメリカのアナグラム。原作では「ロシリカ)として描かれた米国との関係や、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復したはずであるにもかかわらず、外国人の犯罪捜査や出入国管理が相変わらず在日米軍主導で行なわれていること、モスラがわざわざ横田基地を通ることなど、当時の日本の政治状況を反映した描写が目立つ。また、当時の宣材パンフレットには、フェミニズムや先住民問題がテーマとして掲げられている。

当初、モスラが国会議事堂に繭を作り、その周りをデモ隊(安保闘争のニュース映像を利用)が囲むというバージョンが考えられたが、田中友幸の「独立プロみたいだ」の一言で不採用になったという。国会議事堂に繭を作るという構想は、1992年に公開された『ゴジラvsモスラ』で映像化されている。

本作はアメリカのコロンビア映画との日米合作企画映画であり、初稿の脚本ではモスラは「ニュー・ワゴン市」を襲う予定で契約書が交わされた。ただし、後述するように東宝サイドでラストを変更したものの、コロムビア映画から契約違反で抗議されたため、急遽本来の結末に差し戻して、撮影し直された。
アメリカ(ハリウッド)は「モスラ(1961年)」において「自国民の悪党の不正のせいで自国が怪物に襲われ、かつ自国民自身の努力でその悪党が倒されると怪物も満足して帰っていく」展開を望んだのだった。同様にアメリカ(ハリウッド)は「キングコング対ゴジラ(1962年)」では「(アメリカの人気モンスターである)キングコングの(日本の人気モンスターである)ゴジラに対する勝利」を望む事になる。

モスラ中村真一郎福永武彦堀田善衛という3人の文学者による小説『発光妖精とモスラ』を原作として生まれました。小野さんによると「モチーフとして中村が「変形譚」、福永が「ロマンス」、堀田が「ヒューマニズム」を分担」したそうです。また、『広場の孤独』や国共内戦期の中国を描いた『歴史』、南京事件をテーマとした『時間』などで知られる堀田善衛の参加がモスラの世界に〝社会性〟とでもいったものをもたらしたのかもしれません。

また、小説の中で福永武彦は詳細なモスラ神話を作り上げていました。その神話世界ではモスラは「母─子」関係といえる行動原理が持たされています。「映画『モスラ』と後続のモスラたちが母性的イメージをもっているのは、〝妖精である母を守る怪獣である子ども〟という関係が成立している」のです。さらにいえば「母性というより女性ともっと明確に結びつく」ものであり、「モスラは長年飼育されてきたカイコガと同じく人間から完全に自立して自由に活動する怪獣ではない」とも小野さんは指摘しています。

つまり、はじめからコミュニケーションが不可欠である関係を背負って生まれてきたのがモスラだったのです。

それはまた、モスラが正しいものの味方であるということでもあります。小美人は無垢な妖精ということなのですから。すると、小河内ダムに出現して都心部へ向かうモスラの進撃路というものが意味を持ってきます。

小野さんはこう記しています。「やはり気になるのは、横田飛行場、通称横田基地を破壊しながら進む場面である」と。この基地はモスラ誕生の前年の「一九六〇年からはじまったベトナム戦争の激化で、横田基地の注目を浴びることになるし、すでに一九五五年には、立川基地の拡張工事に反対する砂川事件など記憶される出来事もあった」場所です。

それは〝正しくないもの〟を破壊するというようにも読みとれるのです。

小説では繭を作る場所は国会議事堂となっており、さらに加えて「それを排除するために、自衛隊が出動となるのだが、私たち三人は(中村真一郎福永武彦堀田善衛)はそこで、日米安保条約を持ち出し、この条約によって、日本政府はアメリカ軍に出動を要請し、議事堂の周りは安保反対の群衆がとりまく」(中村真一郎の『発光妖精とモスラ』あとがき)という案もあったそうです。前年の'60年安保反対運動の影が差しているのは明らかです。

モスラは、水爆実験がもたらす被害の人類への警鐘というより、日米安保条約と米ソの冷戦構造を浮かび上がらせる怪獣であった。しかも、一九三○年代の象徴ともいえる国会議事堂の上で成虫になる印象的な場面をもつことで、空爆したアメリカ軍にも、六○年安保の国民運動にもなしえなかった、国会の物理的破壊を実行しようとした」。さらには「モスラの成虫への「変態」が、そのまま日本に固着した関係を破壊あるいは打破する変形譚となり、ニュース映画を挿入して迫真性を与えることで、前年の現実の出来事と交叉させる思いがあったはずだ」という小野さんの指摘はこの作品を政治的に解釈しすぎたとはいえないようです。なにしろ'60年安保反対運動で命を落とした樺美智子さんの名前を連想させる人物まで登場しているというのですから。

アメリカの傲慢さを暴く問題作」となる筈が、アメリカ(ハリウッド)側から、かえって「それを待ってた」と喜ばれエンターテイメントとして消費されてしまった悲劇…というよりそもそもアメリカの大義って「我々はしばしば間違いを犯すからこそ、それを糺し続ける事で正義が保たれていく」な訳で「格が違った」ともいえそうです。ここで思い出すのが「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」としたカール・マルクス経済学批判Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の一節…

実際、60年安保を契機に「それまで自分達が信じてきた様な明るい楽観的な未来はそのままの形では訪れないのかもしれない」と考え込む様になった漫画家もいました。「ロボット精霊流し1960年)」発表を契機に次第に自作の「絶対間違った判断を犯さない正義のロボット」の判断力を疑う様になっていく「鉄腕アトムMighty Atom、1952年〜1968年)」の手塚治虫がそれで、しまいにはとうとうそのアトム自身に「私の判断では人類は生き延びない方が良いという答えが出てしまったんです」とまで言わせてしまうのです。
*そして最終的にアトムは「自らの停止」の方を望む事になる。

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逆に「良いも悪いも使用者次第」という姿勢を貫いて壮絶なアクション対決描写を供給する職人に徹っする事で時代の変遷を生き延びたのが「忍法帖シリーズ1958年〜1974年)」の山田風太郎であり、「鉄人28号1956年〜1966年)」「伊賀の影丸1961年〜1966年)」「仮面の忍者赤影1966年〜1967年、TVドラマ化1967年〜1968年)」の横山光輝だったという次第。

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そう「正義の味方」が登場する時、常に問題となるのは「誰の正義か?」なんですね。街を牛耳るギャングといった「誰もが身近に感じる現実の脅威」のみを相手にしてればよかったバットマン月光仮面の時代や遠くになりにけり…

ところで1970年代に入ると石ノ森章太郎原作「仮面ライダーシリーズ1971年〜)」「人造人間キカイダー1972年)」や永井豪デビルマン1972年〜1973年)」の様に「(正義のヒーロー側の掲げる正義と悪の組織側の掲げる正義の規模や視聴者への訴え方こそ違えど一応は対等な立場からの衝突」なる図式が登場して荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険1987年〜)」へと継承されていきます。基本的に21世紀に入っても通用する優秀な物語構造ですね。

仮面ライダーシリーズ(1971年〜) - Wikipedia

各作品の内容は、主人公などが仮面ライダーと呼ばれる戦士に変身し、怪人と総称される敵と戦うというものである。しかし同じく東映が制作している特撮ヒーロー番組である「スーパー戦隊シリーズ」と異なり、仮面ライダーシリーズは明確なフォーマットが確立していないのでテーマや演出は作品によってまちまちとなる。

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平成年間の数作品のプロデューサーを務めた白倉伸一郎は「仮面ライダー」を成立させるための最低限の要素として、以下の3つを挙げている。
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  • 同族同士の争い…シリーズ第1作『仮面ライダー』では、主人公もその敵である怪人も、ともに悪の組織「ショッカー」によって生み出された存在である。
    *「デビルマン」の主人公「アモン=不動明」もそうだったが「人間」不動明と合体した際に身体支配権を奪われて人間側に。ハル・クレメント「20億の針(Needle、1950年)」を嚆矢に「ウルトラマン・シリーズ(1966年)」を経て岩明均寄生獣((1988年〜1995年)」に継承されていく国際的にもメジャーで重要な物語文法。

  • 親殺し仮面ライダーがショッカーを倒そうとするのは、すなわち自分の生みの親を滅ぼそうとすることである。
    *実は1970年代初頭にまで遡ると(物語冒頭において主人公兜甲児が祖父の天才科学者兜十蔵博士より、両親を研究の犠牲としてしまった贖罪に「それに乗れば神としても悪魔としても振る舞える究極兵器」を受け取る)永井豪マジンガーZ(1972年〜1973年)」とか(「ピノキオ」や「鉄腕アトム」の先例を踏まえ「生みの親たる光明寺博士の亡くなった息子をモデルに制作された人造人間」「良心回路が不完全で軍産共同体ダークに操られ、この組織への協力を拒み続けていた光明寺博士の拉致に手を貸してしまう(後に奪還に成功)」「だが良心回路の完全化は機械への逆戻りとして拒絶し続ける」)といった複雑なバリエーションが存在した。いずれにせよ「複雑な親子関係」が重要な主題として組み込まれたのは間違いなくアメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)の影響。そして当時の「親殺し譚」のひとつの完成形がオリバー・ストーン脚本映画「コナン・ザ・グレート(Conan the Barbarian、1982年)」における主人公コナン(演アーノルド・シュワルツネッガー)と魔術師タルサドーム(演「ダースベーダーの中の人」ジェームズ・アール・ジョーンズ)の擬似親子関係とされている。

  • 自己否定仮面ライダーが勝利できたとしても、彼自身の出自がショッカーにあるので、最後には自分を消さなくてはならない。
    *「コナン・ザ・グレート(Conan the Barbarian、1982年)」において「ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年)」を象徴的に阻止したアーノルド・シュワルツネッガーは「ターミネーター2Terminator 2: Judgment Day、1991年)」においても、ラストで敵の刺客を倒した後で自らの意思で溶鉱炉に消えていく。そうか、当時のアーノルド・シュワルツネッガーは「仮面ライダー的ダンディズム」の体現者だったんだ…

    *こうした物語文法の嚆矢は横山光輝原作「ジャイアント・ロボ(1967年〜1968年)」における「(自らの判断のみに基づいて)敵組織を道連れとする自爆攻撃」とも。ちなみに東映の渡邊亮徳プロデューサーの原作者横山光輝への依頼内容は、当時の第一次怪獣ブームを受けて「大魔神ウルトラマンのドッキング」というものだったという。

    第22話「殺人兵器カラミティ」において日本だけが保有するロボを妬んだメルカ共和国なる超大国から「技術を開示せよ」と強要された際には「ジャイアントロボユニコーンの平和大国日本支部だけが持っていれば十分です」と突っぱね、メルカ共和国が外国のユニコーン支部を次々と壊滅させるのを傍観しておきながら、第23話「宇宙妖怪博士ゲルマ」では幼稚園の送迎バスを人質に取られるとあっけなく腕時計型操縦機を渡してしまい東京壊滅を傍観する)「秘密組織」ユニコーンの「平和大国」日本支部の甘さの根底には、例によって東映の平山亨プロデューサーの軍事アレルギーがあるようだ。現在発売中のDVD『ジャイアントロボ』VOL.2のライナーノーツのなかで、平山亨は次のように語っている。「ユニコーンを正規軍と考えないで秘密組織と考えたほうがリアリティがあると思ったのは、私の常套手段みたいだ。ギロチン帝王なんて奴と正規軍が闘ったら奇妙な気がするんだなあ」

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    「常套手段」というとおり、巨悪にたいしてヒーローが秘密的に対抗する平山パターンは「仮面ライダー」にしても「超人バロム・1」にしても基本は同じ。つまりは軍につながる国家組織が表立って闘うのではなく、個人や秘密組織の手で誰にも気がつかれないうちに平和が守られているほうが、平山にとっては「リアリティ」があるらしい。
    ぼくには丸っきり反対のように感じられるが、焼け跡世代の人たちにしか分からない「リアリティ」なのかもしれない。
    *しかも最終回においてジャイアント・ロボはユニコーンの「平和大国日本」支部のメンバーの精神的負担を気遣って自らの意思で敵全てを巻き添えにする自爆攻撃を刊行するのである。なんたる独善的で排他的な偽善…ちなみに横山光輝が手掛けた原作版にこの悲壮感はない。

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    *それにつけても同様に上記2条件も満たすジェイムズ・ティプトリー・Jr.の短編小説「たったひとつの冴えたやりかた(The Only Neat Thing to Do、1985年)」のエロ無邪気さと残酷さの対比の完成度は類例としてテッド・チャンあなたの人生の物語(Story of Your life、1998年)」くらいしか思いつかないほどの壮絶さ。後に作者がバイセクシャルで、かつそういう自分の性壁を自己嫌悪しておりその事が「老人性痴呆症が悪化した夫との心中自殺」なる最後を迎えた遠因の一つのいたというエピソードを聞いて納得がいった側面も。「シャンブロウ(Shambleau、1933年)」を嚆矢に多くの作品が「宇宙一の荒くれイケメンが毎回エイリアン美女に総受け状態にされ、しかも毎回あわやというタイミングでイケメン相棒がエイリアン美女を射殺して救出する」筋書きで執筆されたノースウェスト・スミスシリーズ(1933年〜1940年)を黙々と発表し続けたC・L・ムーア同様に20世紀SF界のジェンダー認識問題理解の最大の難関とされている。この物語文法には、そこまで「深淵」を覗かせる力が秘められてもいるのだった。

また、仮面ライダーシリーズとスーパー戦隊シリーズの双方で監督を務めた経験を持つ田﨑竜太は「戦隊と比較してライダーは『個』である」「人間という集合体の中の一番はじっこにいる」「境界線ギリギリのところにいるか、あるいは踏み越えている」のように述べている。これを受けて「共生のための国際哲学教育研究センター」 (UTCP) 上廣共生哲学寄付研究部門特任研究員の筒井晴香は「仮面ライダーとは敵となる異生物と人間との境界線上をさまよい、いずれの側にも安住できない存在である」と解釈している。

やはりここにも「アメリカン・ニューシネマNew Hollywood)」の影響が…

さて「モスラが始めてしまった事」を終わらせるのは、一体誰なんでしょうか?

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