諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【欧州中世】一体、何時を指す言葉?

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 とりあえず「古代」と「近世」の狭間である事実は動かない?

 とりあえず、私のこれまでの投稿では以下の様な認識ですね。

  • 欧州古代(European ancient)…一応国際的コンセンサスに従って西ローマ帝国Imperium Romanum, 395年〜476年)滅亡までとするが、正直欧州中世前期(Early medieval Europe, 5世紀〜10世紀)」と呼ばれるヴァイキング時代Viking Age, 800年~1050年)やマジャール人の欧州侵攻 (ハンガリー語: kalandozások, ドイツ語: Ungarneinfälle, 9世紀~10世紀) 以前については殆ど取扱範囲外。

  • 欧州中世(European Middle Ages)…上掲の様に、このサイトにおいては主にヴァイキング時代Viking Age, 800年~1050年)およびマジャール人の欧州侵攻 (ハンガリー語: kalandozások, ドイツ語: Ungarneinfälle, 9世紀~10世紀) によって存続王家/皇家が事実上「フランス王統系」「イングランド王統系」「神聖ローマ帝国皇統これ自体は以降も血統的には揺らぎ続ける」に絞られた「欧州中世後期(Late European Middle Ages) のみを扱ってきた。この時代における最大の特徴は自助努力が全ての地方分権体制、すなわち「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」の教会組織や職人ギルドや都市連合との共存であり、まさしく「どの時代のどの地域の事象か」特定しない限り、何も語れない。その一方で以下の尺度による峻別なら必要に応じて遂行してきた。

    ①フランス北部に割拠したノルマン系貴族ピレネー山脈以北に割拠したアストゥリアス系貴族、イタリアのロンバルディア地方に割拠したランゴバルド系貴族、フランスのブルゴーニュ地方に割拠したブルグント系貴族らと緩やかな部族連合的紐帯を保ったロマネスク期(Romanesque period, 10世紀末〜12世紀)。およびこれら各勢力が崩壊して以降の英国やフランスにおける中央集権的発展に注目するゴシック期(Gothic period, 12世紀後半〜16世紀)。
    ②中東やイベリア半島や東欧における欧州境界線移動に注目した「十字軍/大開拓時代(12世紀~14世紀。14世紀初頭からの黒死病大流行を契機に終焉)の前後。
    ③(黒死病大流行を契機に始まったポルトガル騎士修道会主導のアフリカ十字軍(1415年~1440年代)を発端とする大航海時代(15世紀中旬~17世紀中旬)の前後。

    そもそも私はアフリカ西回り航路開拓(1498年)以前についてはキリスト文明のイスラム文明に対する優位を全く認めておらず、同時にそれがバロック(伊:barocco, 仏:baroque 英:baroque, 独:Barock)時代(16世紀~17 世紀)の始まりになったと考えている。それはつまりポルトガル宮殿のマヌエル様式Estilo Manuelino, 15世紀後半~16世紀)やジェノヴァ銀行家の応接間の壮麗な装飾をその前史と目している事を意味する。

    「(国家維持に十分なだけの火力と機動力を有した常備軍を中央集権的官僚体制が国民からの徴税で養う)主権国家体制羅civitas sui iuris)」の採用も実はオスマン帝国土: دولتِ عليۀ عثمانيه, 羅:Devlet-i ʿAliyye-i ʿOs̠māniyye, 1299年~1922年)やムガル帝国波: شاهان مغول、英Mughal Empire, 1526年~1858年)や戦国時代日本15世紀末~16世紀末)の諸大名の方が早かったのだが、天下統一に成功して以降はむしろ中央集権性の低下を招いて(少なくとも一旦は)脱落してしまう。

  • 欧州近世(European Early Modern Period 15世紀?~1910年代後半)…フランスや英国やスイスやオランダや北欧やなどにおける「(国家維持に十分なだけの火力と機動力を有した常備軍を中央集権的官僚体制が国民からの徴税で養う)主権国家体制羅civitas sui iuris)」の樹立やヴェストファーレン条約羅:Pax Westphalica、独: Westfälischer Friede、英: Peace of Westphalia,1648年)締結を重要契機とする国際協調体制International cooperation system)始動を重要契機とするが、こうしたシステムが最終的に唯一の選択肢に絞られるのはムガル帝国波: شاهان مغول、英Mughal Empire, 1526年~1858年)、中国清朝(1616年~1905年)、帝政ロシア(Российская империя, 1721年~1917年)、神聖ローマ帝国(独:Heiliges Römisches Reich, 羅:Sacrum Romanum Imperium, 伊: Sacro Romano Impero, 英: Holy Roman Empire、10世紀~1919年)、オスマン帝国土: دولتِ عليۀ عثمانيه, 羅:Devlet-i ʿAliyye-i ʿOs̠māniyye, 1299年~1922年)といった「旧時代の遺物」が一掃されて以降となる。

  • 総力戦体制時代(Total War Period, 1910年代後半~1970年代)…最終戦争論などを背景に国家間の競争が全てとされた時代。冷戦において東側陣営に組み込まれた国によっては「当時は共産主義化/社会主義の導入だけが、そのままでは国際協調体制に加われない後進的状態を克服可能な処方箋だった」なる「共産主義/社会主義瘡蓋(かさぶた)」が語られる。

  • 産業至上主義時代(Industrialism Period, 1960年代〜2010年代?)…国家が「公共サービス/事業の提供主体」として背景化していく一方、従来の国家主義の後釜を商品提供企業やマスコミが狙った時期。産業革命後期(19世紀後半)から始まった鉄道/航路/電信網の国際的整備をその前史とする。

  • ネットワーク時代(Network Period, 1970年代〜???)…概ね以下の三期に分けて語ってきた。これまでの歴史区分より遥かにImagination(想像力)が主導する部分が大きい。

    ラジオ/TV系サイバーパンク/ハイ・ファンタジー文学運動全盛期(1970年代~1990年代)…ある意味ヒッピー文化(1950年代~1960年代)の残滓。担い手と消費者の老化によって1990年代以降次第に衰退に向かうも、科学技術的に時代遅れとならずに済んだ部分だけは「主人公の若返り戦略」などもあって21世紀に継承されたが、2020年代に入って改めて見直しを迫られている。

    CD-ROM系コンテンツ全盛期(1990年代〜2000年代)…ニーズに通信トラフィックが追いつけない部分を大容量メディアが補った形。

    国際的SNS普及期(2000年代後半〜???)…2007年頃からの通信トラフィックの爆発的増大に支えられる。2012年以降スマートフォンFirst Screenとなる。

要するに「人と人が繋がるとはどういう事か?」に注目した歴史観中央アジアに現れては消える遊牧民帝国の例に倣ってモンゴル帝国が交易の自由を保証して栄えた史実から出発し、産業革命導入による蒸気機関車/汽船/電信網の国際的普及を経て、インターネット時代に至るイメージです。まだまだ全然言い足りない感じですが、とりあえず「近代」なる歴史区分概念を「国家主義」「産業至上主義」「輸送/通信トラフィックの増大」に偏微分して消し込む事には成功。未だ「近代の超克」なんて叫んでる様じゃ、周回遅れもいいところ?