諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【君の名は】【進撃の巨人】その大ヒットが明らかにした「日本人のファシスト化の進行」?

いやはや、これはまたなんと強烈な…

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GIF Lounge — Hitler being fabulous

「教授、もう観ました?『君の名は。』」

絵玲奈はゼミが始まると早々に尋ねた。サブカルのネタを振って面白い話を引き出して面倒な勉強を妨害しようといういつもの作戦だ。

「もちろん、観ましたよ。でも、困りますね~、そういうネタを振られると」
絵玲奈の作戦は、見え見えだった。

「でも、なんだか今までお話しいただいた話と通じると思うんです。さすがに、こんなにヒットするなんて誰も思ってなかったわけですよね。それって、『進撃の巨人』と同じじゃないですか。もちろん、新海監督は『進撃の巨人』の諫山創さんと違って実績のある人だから全く同じってわけじゃないですけど」

「困りましたね。そういう話をされると思わずはなしたくなっちゃうじゃないですか……」

絵玲奈の狙いどおり、このネタはツボだったようだ、もうひと押しだと絵玲奈は確信した。

「なんだか、『進撃の巨人』の話と同じで、これも社会を映しているんじゃないかと思うと、不安で毎日寝られないんですよね~」
と“不安”というキーワードを入れて適当なことを言ってみた。

「……じゃあ、少しだけですよ」

絵玲奈は“作戦成功”と心の中でガッツポーズをした。

「ちなみに、新海監督の初期の代表作の『ほしのこえ』って観ました?」

「いいえ、観てないです」

「25分の短編ですぐに観られるので、ぜひ。同じセカイ系の作品ですから」

セカイ系?」

セカイ系の説明は後でします。同じセカイ系の作品の『ほしのこえ』と『君の名は。』の決定的な違いはハッピーエンドなのかどうかという点です」

「そう!『君の名は。』はハッピーエンドってとこがいいですよね」

「ところがですね。『君の名は。』は、ハッピーエンドにするために、ストーリーの整合性が取れなくなっているんですよ。逆に言えば、ハッピーエンドにするためにストーリーの完成度を犠牲にしたといっていいと思います」

「たしかに!時間を行ったり来たりして、なんだかストーリーが最後よくわからなくなっちゃったんですよ。でも、物語を追っかけるというより、テンポよく進んでいく展開に楽しく乗せられていくって感じなので、言われるまでストーリーは気になりませんでした」

「そう、意味を深く考えなくてよくて、テンポよく進んでいく展開に楽しく乗せられていくというのが重要なポイントなのです。ストーリーやロジックが多少壊れていても、テンポやリズムよく脳に刺激的な内容を与えていくことが、商業的に成功するためのひとつの方法論で、それを効果的に行なった作品と言えるでしょう。ですから、専門家の人から作家性を排除した大衆迎合作だという批判がありますね」

「なるほど~」

「テンポやリズムよく脳に刺激的な内容を与えていくために、ラッドの音楽が果たしている役割も極めて大きいのです。ラッドの壮大なミュージッククリップじゃないかという人もいますね。ラッド自身がインタビューに答えていましたが、普通の映画音楽の作りとは違ったそうですからね」

「それってどういうことですか?」

「普通の映画音楽は、映像があってその尺にあわせなければならないという制約付きで作られるんですが、この作品は逆で、曲に合わせて映像の尺を変えているんだそうです。つまり、音楽優先の部分があるってことですね」

「へ~」

「さて、ここからが問題その1です。ストーリーやロジックが多少壊れていても、テンポやリズムよく脳に刺激的な内容を与えていくことがウケる傾向が近年どんどん強くなっているように思えるのですが、これって何が起きているんだと思いますか?」

「う~ん、要はストーリーみたいな全体像じゃなくて、単発的な刺激に引き寄せられていくってことですよね」

「そうです。これって実はネットの世界の拡大の功罪だと考えているんです」

「ネット、ですか?」

「日本ではとりわけスマホの影響がバカにできないように思うのです。最近は電車の中でも本や雑誌を読む人の数はめっきり減って、みんなスマホを覗いています。ネットからの情報に人々の情報源は移行しています。本などの長文を読み込んでいくことと、ネットで情報を拾うのとは、脳の使い方が異なるという説があるんですよね」

「つまり、あまりものを考えなくなっているってことですか?」

「ネットによって供給される情報量が膨大に増えて、玉石混合の情報を取捨選択することに脳が使われるようになり、情報の意味を深く掘り下げることに使われなくなる……そういう傾向が出ていると思います」

「長文を読むのに頭が耐えられなくなるってことですね」

「同じ情報量だとしても、狭く深くではなく、浅く広くになっていくわけです。そして、膨大な情報供給のなかで、いかに必要な情報を簡単にピックアップできるかという能力が重要になるので、そちらがどんどん発達してしまうということでしょうね。となると、情報の供給側もできるだけ短い言葉で脳に刺激を与えて、膨大な情報の中でいかに振り向いてもらうかがカギになってきます」

「なるほど。情報が手軽に手に入る反面、失ったものも大きいってことなんですね」

「そのとおりです。問題は、このようなネットの影響によって、政治・経済の分野が由々しき影響を受けていることです。というのは、政治・経済のような専門性の高いちゃんと考えないといけない分野においても、テンポよく脳に刺激のある短いフレーズがウケて、大衆から支持されてしまうからです。それが正しいかどうかは、よく精査されないままに」

「合っているか間違えているかわからなくても、同じ言葉をずっと言われ続けると、頭に残りますもんね。それって危ないことですよね」

「ですね。ネットは言葉の供給を無限にできる道具です。また、双方向であることも大きな問題を与えていると思います。つまり、実際には専門家でない人がいかにもわかったかのように政治・経済を語ることができてしまうからです。ですから意図的な大衆扇動が起きやすくなってしまっていると思います。」

 この文章を読んで「本当にその通りだ!!」とシュプレヒコールする圧倒的多数となったら「確かに日本のファシズム化は完了した」と考えてOK?

とりあえず「君の名は」について安直な批判を展開する前に、小説版やスピンオフ小説版まで目を通して全体像を把握した上でLove Storyとして万人が楽しめる為にどういうトリミングがなされているか確認して欲しいものです。まぁ、そう主張すると今度は「単体として鑑賞可能な仕上がりになってない作品なんて、単なる未完成で三流の失敗作である」とか反論されちゃうんでしょうけど。

国際SNS上の関心空間の未来に少しは明るい展望を見出せた一方、日本の現実は…まぁアメリカのマスメディアの現状もそう大差ないんだけど(何かというとすぐナチスとか、ファシズムとか言い出すあたりまでそっくり)、まだまだ日本人の絶望感が足りてない?

 一方、国際SNS上では4cha兼民を中心とする「トランプ支持者」とオバマ支持者を中心とする「トランプ反対派」の双方が「トランプやっぱり狡猾。絶妙なバランス感覚で周囲に妙なアクションを起こさせる契機を生まない様に配慮してる」と関心する姿が。それでも動かずにはいられない極左と極右の切り捨てが静かに進行中?

 

ちなみにアメリカでは「進撃の巨人」も「ハンガー・ゲーム」も「暴力革命」によって「暴君」が打倒された時点で人気がガタ落ちとなり「歴史の掃き溜め」に放り込まれてしまいました。これもマスメディアにいわせればナチズムとかファシズムの進行って話になっちゃうんですかね?

 それはそれとして、やっぱり現れたか「君の那覇」…