諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ゾンビ】【レプリカント】【魔法少女】【愛人[AI-REN]】人間(自分)と非人間(他者)の境界線について

1960年代には誰もが「不沈空母」と感じていた伝統的価値観が1990年代以降、急速に崩壊。やっと「新たな安定段階」に到達したのは2010年代以降とも?
*マーベル・ワールドにおいてアベンジャアーズの重要な一角を担う「人工生命体」ビジョン(Vision)は、手塚治虫鉄腕アトム(原作1951年〜1968年、初アニメ化1963年〜1966年)」同様、「善悪の判断が間違いなく下せる」という設定。どちらも「この宇宙の秩序を回復する為に人類は滅亡すべき」なる1970年代的ニヒリズムと複雑な関係を有する。

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*そして何故か予告編に全く登場しないビジョン(Vision)さん…

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日本の魔法少女」はこうした変動期を生き延びたレアケースの一つ。

一方「ジョージ・ロメロ監督のゾンビ映画」は、それ自体が伝統的価値観の崩壊時は「切込隊長」、安定期再到来に際しては「絶対に倒せないラスボス」の役割を担う展開を迎えたとも。
*「日本の魔法少女」が次第に鑑賞者側に「自らの内なる暴力性と一生付き合っていく覚悟」を決めさせていった様に、「ジョージ・ロメロ監督のゾンビ映画」における「絶対他者として外側に排斥されてきた有象無象」もまた次第に「単なる現代文明に対する復讐者」から「新秩序へのパラダイムシフトを促す触媒」へと変遷してきたが、新たなる価値観の内側に完全に取り込まれてしまっては、ゾンビなる概念が本質的に宿す絶対他者性を喪失してしまう。

こうしたムーブメントの背後に常に偏在してきたのは「人間(自分)と非人間的存在(他人)の境界線はどこに存在するのか?」なる根本的問い掛け。そして2010年代に入ると魔法少女達は「あたしって本当にゾンビ。人に恋しちゃいけない存在なんだ」と悩んだり「量産され使い捨てにされる運命に逆らう抵抗者」へと変貌していく事に。

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そして「絶対他者」の象徴として次第に「疑われる存在」へと変貌していくマスコット達の悲劇…
*案外、大源流の一つは岩明均寄生獣(1988年〜1990年)」のミギー辺り? 少なくとも冲方丁マルドゥック・スクランブル(2009年〜、執筆開始1996年頃)」に登場するネズミ型万能兵器ウフコック登場に与えた影響は大きそう。こうした「体内に異物を宿した者の辿る悲劇的英雄譚」の系譜は高橋留美子「人魚シリーズ(1984年〜1994年)」さらにはマイケル・ムアコックエターナル・チャンピオンシリーズ(1961年〜)」のメルニボネのエルリック(Elric of Melniboné)などまで遡る。

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こうした展開の背後には、さらに別系統の「1960年代から生き延びて着た時代の生き証人」の合流を感じます。フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?(Do Androids Dream of Electric Sheep?、 1968年)」に登場する「レプリカント」ネクサス7や「流れよわが涙、と警官は言った(Flow my Tears, the Policeman Said、1974年)」に登場する「デザイナーベービー」シックスの概念…

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要するに最近のトレンドは「人間的存在(自分)と非人間的存在(他者)の境界線の引き直し」。もしかしたら田中ユタカ「愛人[AI-REN](1999年〜2002年)」再評価の流れまできちゃうとか?

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*鑑賞者の立脚点が「第三者」から「当事者」に推移したVRポルノの世界においては「過剰な暴力表現」が慎まれる傾向が著しいという。その流れは不思議にも「他民族が自民族に与えてきた被害について敏感となった分だけ、自民族が他民族に与える加害に鈍感となる民族主義(自分側を完全なる一方的被害者として規定する事に成功すればするほど残酷さを増していく)」といった最新流行の真逆に進んでいる。

考えてみたら「愛人[AI-REN]」は一応こういう流れにおいても「(「マルドゥクスクランブル(2003年〜、執筆開始1996年、漫画化2009年〜2012年)」から「聲の形(2011年〜2014年、劇場版アニメ2016年)」への流れ同様に)過渡期故に顕現し得た奇跡の全部盛り」として決っして忘れてはならない作品の一つでもあるんですね。

愛人[AI-REN] - Wikipedia

遠い未来。

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人類の種の寿命が尽きようとしている。この時代、人間は生まれながらにして虚弱で、本来の寿命を全うできず、大半は生殖能力を喪失している。生物工学を駆使して新しい人間を創造する試みも、遺伝子操作の犠牲者を無数に生み出しただけだった。「人類の余命は200年」という予言が世間ではまことしやかに囁かれている。

移植手術の後遺症で死に瀕している孤児の少年・ヨシズミ・イクルは、ある日、市役所の福祉課に愛人(アイレン)の取得を申請する。愛人は終末期の患者の精神的な救済を目的とした、擬似的な恋人・配偶者である。その正体は、用済みの人造遺伝子人間(遺伝子操作された人間)の記憶を封印し、都合のいい人格を上書きしたものだ。イクルは愛人の欺瞞性に気づいていたが、独りで死にゆく寂しさに耐えかねてこの挙に及んだのである。市役所は申請を受け付け、イクルに目覚めたばかりの少女型の愛人を引き渡す。イクルは彼女をあいと名づけ、家に連れ帰る。翌朝、あいは完全に目覚め、活動を始めるが、彼女はあまりにあどけなく、まるで生まれたての子供であった。あいに世話をしてもらうつもりが、反対にあいの世話をしなければならなくなったイクルは少なからず戸惑うが、いつしか、あいとの暮らしに自身の幸せを見出すようになる。

ナギ・ハルカが、イクルたちの家を訪れる。ハルカはスイックスと呼ばれる遺伝子改良エリートで、イクルの後見人をつとめる一方で、難病に冒された児童のための養護施設・ホームを運営している。ハルカは愛人を取得したイクルを咎め、あいのことをただの「まぼろし」「人形」だと思い込むよう忠告する。「愛人の寿命は、パートナーにあわせて短く設定されている。あいも長くて10ヶ月程度しか生きられない。もしあいが先に死ねば、イクルは悲しみの中で人生を終えることになる。引き返せ」だがハルカの忠告は遅すぎた。イクルは市役所の福祉課に行き、愛人の取得手続きを完了する。ハルカの言ったことは事実だった。福祉課の担当者によると、あいの寿命――再生期間は8ヶ月から10ヶ月で、一度目覚めた愛人の寿命の延長は技術的に不可能だという。イクルは自身の過ちを後悔し、涙を流すが、過ちの代償は余りに大きく、もはや取り返しがつかない。家に帰ると、あいがイクルのためにケーキを焼いていた。最近のあいは心なしか大人び、イクルに対して複雑な感情を抱きつつあるようだ。あいはまだ何も知らない。

時を同じくして、南極の地球港(アースポート)では、カマロ・カレルレン国連事務総長率いる国連特別代表団が、HITOと名乗る集団との会見に臨もうとしていた。HITOは南半球災害に端を発する最終戦争の最中に宇宙から降り立ち、人智を超えた力で大量破壊兵器のコントロールを奪取し、戦争を未然に収束させた。このため、地球港はHITOに「救い」を求める何百万人もの避難民であふれかえっている。しかし国連の見立てでは、HITOの正体は神様でも宇宙人でもなく、遺棄された宇宙コロニーで独自の進化を遂げた人造遺伝子人間だ。カレルレンは、HITOこそが種の寿命に打ち勝つ「新しい人間」ではないかと危惧する。そしてHITOの代表者・キリトが姿を現す。キリトはスイックスに酷似した容姿の男性で、非常に礼儀正しく、友好的な態度で代表団に接する。しかし彼は禍々しいまでに神々しい微笑を浮かべ、自らを「人間」だと名乗る。HITOが新しい人間だとしたら、彼らは種の寿命の尽きた人類に何を与えるつもりなのだろう。救いか、それとも滅びか。

 

 果たして私達は一体どんな未来に向けて漂流しているんでしょうか?