インフルエンサーの足切り基準としてフォロワー数を使っちゃうと、どうしても古参のネット廃人のほうが残りがちになる。
— ǝunsʇo ıɯnɟɐsɐɯ (@otsune) 2017年11月15日
だからハンバーガーの宣伝なら「直近にフードの話題である程度RTされた人。ただしこの募集事項が公開されてからの投稿は含めません」みたいに普段の投稿を基準にした方がいい。
もう話題ごとの言及や相関のマッピングはかなり進んでいるので、よほど石器時代の代理店でもない限り効果のないインフルエンサーには話が行かないようになっとる。
— 山本一郎(やまもといちろう@告知用) (@kirik) 2017年11月15日
でもアナログなブランディング企画とかだと普通にはあちゅうとかに話がいくから結構修羅。 https://t.co/I5AfFr8yMc
「コンテンツの質」に徹底してこだわることは、一見すると至極当然のように見えるが、実は、違う。多くの場合、まず、ここが疎かになる。
なぜなら、「コンテンツの質」にこだわればこだわるほど、莫大な「費用」と「人的工数」がかかるからだ。
もし、自身が「コンテンツの質」が高い「商品(サービス)」を創り出す能力がない場合、その能力を習得するために、多くの「時間」を費やす必要が生じることだろうし、あるいは、すでにその能力を習得する人を雇うには、報酬として多くの「費用」が費やされることになる。
それゆえに、起業当初は、必然的に「コンテンツの質」よりも、「ビジネスモデル」を重視する戦略を取りがちである。
「コンテンツの質」を高めることに資金と時間を費やすよりも、「ビジネスモデル」を構築するのに費やしたほうが、費用対効果が高いと、「錯誤」してしまうからだ。多くの起業家やフリーランスも、自分もこの流れに乗らなければと焦り、課金方式などの「ビジネスモデル」を重視する戦略を取ろうとする。そして、多くは失敗する。
『殺し屋のマーケティング』においても、主人公の七海は、「ビジネスモデル」を重視して、最初の起業に失敗している。
それは、なぜか? 理由は、単純明快である。
「コンテンツの質」を重視しなかったからだ。
商品である「殺し」を外注に依存し、ビジネスモデルの構築でビジネスを拡大しようとした。
しかし、考えてもみてほしい。 たとえば、「コンテンツ」力のない商品(サービス)に対して、人は、定額課金を選択するだろうか。「ブランド」力のない人の有料メルマガを取るだろうか。有料サロンに入るだろうか。
もそも、「ビジネスモデル」とは、質の高い「商品(サービス)」があってこその話であって、「コンテンツの質」を担保できないままに、「ビジネスモデル」を考えるのは、まるで中身がないのに包装だけを立派に整えるようなものだ。「コンテンツ」の質を高めるには、莫大な資金と費用を費やす必要があると先に説いたが、それだけは、おそらく、足りないのだろう。顧客に最高の商品を出し続けるのだという「覚悟」が必要となる。
おそらく、その想いやこだわりがあるからこそ、それが顧客に伝わり、結果論的に「行列」が伸びるのだろう。
これって本当に「昭和時代の職人的姿勢」への回帰なんですかね? むしろ「(専門分野以外での妄言は笑ってスルーされる)目利きの時代」への移行の流れの一環」とか認識したら駄目なんですかね?