諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】集団的アイデンティティとしての「彩度の統一」と「個性としての髪色」について。

雑踏を眺める仕事を続けるうちに最近気付いた事。

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キャリアアップに有利?雑踏警備業務検定1級とは|警備マガジン

日本人には無意識のうちに服装の彩度を集団的に揃える習性がある様で、このルールを守らないから外国人観光客(特にアメリカ人)が目立つ。当然、日本人の誰もがこの状況に対する鋭敏な適応能力を備えている訳でもなく(特に男性のセンスは壊滅的)これに自信がない人間は黒やダーク系、あるいは白やアースカラーに逃げる。
*もちろんあくまで確率的なものに過ぎず、例外ならいくらでも見掛けるが「雑踏の長時間俯瞰」をしばらく続けていると「たかが確率」が「たかが気のせい」ではない事実が次第に実感されてくるのである。

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  • こうした「彩度の無意識的統一」は、世界中で「女性のヒジャブ(頭布)が保守的」とか騒がれてるイスラム圏にも存在する様で(アースカラーを貴重にかなりカナフルな領域までカバー)日本へ観光に赴いてもそれなりに上手く溶け込んでいたりする。
    *「それなりに上手く溶け込んでいたりする」…要するに「確率的抽出にそれなりの時間を要する」。その一方で日本人的センスを超越したカラフルな色彩を普通に着こなしていたりして「これが文化の違いって奴か」とはっとさせられてたりもする。
    【画像】ムスリム女性が被る布"ヒジャブ"が今すごいことに。インドネシアのヒジャブ女子のオシャレが止まらない

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    *ちなみにこの次元で「仏教的」とか「ヒンドゥ的」とか体感するのは難しく「アジア=中東的なるもの」と「日本的なるもの」を対比させるのが精一杯。日本人も歴史的に頑張ってはきたのだが…天平時代に輸入した「雅楽」辺りが精一杯で、しかもそれは「異世界特有の色彩」に留まったとも。

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  • その一方で近年になって韓国や中国からの観光客(特に女性)は日本のこうした情景に完全に溶け込む様になった。ある意味「日本人の民族的アイデンティティとしての彩度」への適応を完了させた訳である。これに取り残されていると「我々は観光目的で訪日してる訳ではない」なる商売人アピールを強く感じる様になった。
    *しかも「日本人の民族的アイデンティティとしての彩度」への適応を完了させた観光客は、そのセンスを本国にも感染させていく。おそらくここでいう「イスラム教徒的アイデンティティとしての彩度」もそうして形成されてきたもので、だから現地では普通に共存してきた「仏教徒アイデンティティ」や「ヒンドゥ教徒的アイデンティティ」との区別が難しいのかもしれない。
    来韓する中国人が急増、日本人観光客を圧倒!!|韓国経済.com

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  • その一方でとあるアフリカ系アメリカ人のツアー・コンダクターと飲んだ時に「本当に大阪人は日本人なのか?」と打ち明けられた事がある。標準日本語ならペラペラなのに大阪ではそれが全く通じなかった経験、およびその独特のファッションセンス(アースカラーについてその延長線上でなく対比物としてカラフルな色置きを実践するアフリカ的感性。ちなみにそれは(サハラ交易を通じて養われた)金銀のメタリック的ギラギラ感や豹柄への執着心をも含む)について親近感と違和感を交えて一晩中語られた時の話。確かに彼らには「服装の彩度からして違ってる印象がある。
    *それでも彼が終始しっかり「アメリカ人」であり続けたのが面白かった(あの芸術的なまでに大袈裟な身振り手振りのゼスチャーと語り口調の抑揚感!!)。むしろ日本人である事とは、アメリカ人である事とは一体何なのか…

ああ、やっぱりちゃんと語るのは難しい。でもこうした次元から出発しないと「生まれつきの黒髪で通せる女子は、清純系どころかよほど気が強いか(超絶お嬢様だったりする可能性も含めて)何処か壊れてる」みたいな話に持ち込むのが難しかったりして。

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*そもそも現代社会における「御嬢様」概念の起源とは?
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Chitanda : This isn’t a mixed bath…♨
Houtarou : Heh!
*国際SNS上の人気Memeの一つ。英語の「Mixed」には「気持ちが混乱させられる」というニュアンスも。

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*戦前の日本人は「生まれつき高貴な生活を甘受してきた人達は、入浴時に裸を隠さない(それは従者の仕事)」現実を当たり前の様に甘受していた。おそらく「領主の妻が全裸で町中を引き回された」逸話で有名なゴディバ・チョコレートのロゴの起源も、こうした現実に由来する。

こうした歴史的展開から「それまで無駄毛処理も侍従任せだったが、GHQの地主階級解体政策のせいで侍従が消滅」という過程を妄想し「剛毛千反田家」なるビジョンを妄想した蛸壺屋恐るべし…

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【氷菓】「豪毛 千反田える」イラスト/蛸壷屋 [pixiv]

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*一方、ベクトルとしては「御嬢様概念」のほぼ正反対に当たる「ワル」の概念。本物のストーリート・ギャングを招聘してまで初期マイケル・ジャクソンが伝え様とした「完全に社会を敵に回したワルになり果てる前に、逃げられる奴は逃げろ」なるメッセージには時代を超越する実存不安が埋め込まれていた。シルベスター・スタローン主演・脚本映画「ロッキー(Rocky、1976年)」における南イタリア人(およびスパニッシュ)と黒人のアンビヴァレントな関係を継承しての展開とも。


*そして1980年代日本のラブコメ漫画においては「不良少年と優等生タイプのクラス委員長(黒髪清純派)」のカップリングが何故か大流行。こうした関係の不可思議性が西尾維新〈物語〉シリーズ(2006年〜)」における阿良々木暦羽川翼の歪な関係にまで持ち込まれる事になる。

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*背後にあったのはおそらく「Street of Fire(1984年)」や「Footloose(1984年)」といった青春ミュージカル物の国際的ヒット。中核にあったのはどちらも「周囲を囲む閉塞的世界に窒息しつつ、ついついそれを擁護する優等生的立場を選んでしまう少女がトリックスター的男性に救済される」物語構造、つまりこれも「バルコニー作劇術」の正統派バリエーションの一つ。そういえば新海誠「君の名は(2016年)」もまた一応、明確にこうした過去の物語文法をあえて意識して踏まえている。基本はちゃんと押さえている?

*同時進行でCyndi Lauper「Girls Just Want To Have Fun」が大ヒットを飛ばしたのが1980年代の特異性。ならばJanet Jackson「Rhythm Nation」とは「Black and White」とは一体何だったのか?

*まぁ「古代エジプト文明を構築した偉大なるファラオは黒人だった」とした黒人民族主義者に迎合し過ぎたMichael Jackson「Remember The Time」の様な問題作もあった。こうした試行錯誤を経て黒人のアイデンティ探しは続いてきたのである。

*そして1990年代。シカゴの空港で出会ったとある退役軍人の白人老人から「最近の日本人女性は髪をソバージュにして得意げにしたりしてるが、実に醜い(生まれながらの姿の改変は全て醜い)」と嘆かれた事がある。とはいえ当時にして既に普通に「髪をソバージュにして得意げにしててる女性」は日本人だけでなく白人にも横溢していて違和感しか覚えなかったものである。

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この頃から多様性至上主義と多態性修行主義の宿命的対決が始まる。Lana Del Rey 「Once Upon A Dream」を経てShakira「Try Everything」へ。もちろん歴史上「男性的アイデンティティ」も様々な混乱を経験してきたが、次第に登場の当初から「女性は(個我を捨て)一丸となってまとまるべき」と主張してきたフェミニスト陣営も自らの抱える多面性や多態性を意識せざるを得ない局面に追い詰められていく。一方「トリックスター的に外界から姫を救出に現れる不良少年」に変貌して延命を試みた「白馬の王子様」は次第に置き去りに…

*その一方でディズニー・アニメ「モアナと伝説の海(Moana、2016年)」と連動して国際的にアクセス数を飛躍的に増大させたマオリ族のHakaダンス映像。男臭さの究極と思いきや、以降は女性参加が急速に進行。アラジンやフリンライダーの後継者は今いずこ?

*英国のハリー王子も参加した事があるのか…当時ニュースになってた。本物の王子様がここに…


*その一方で「白雪姫の七人の小人のテーマ」が「♪ハイホー、ハイホー、仕事が好き…」と歌われた日本においてはHakaもあくまで「♪頑張って頑張って仕事…」と歌われるのであった。

ここで困った展開に。どうやら冒頭に述べた「日本人が無意識のうちに彩度を集団的に揃える習性」は、女性の髪の色にも及ぶらしいのです。

それでもあえて「黒髪」を通しているタイプは「清純派」どころか一癖あって当然という話も… 

一方、一時的流行に終わってしまった「不良少女の純情」と異なり「黒髪清純派」なる男性の脳内にしか存在しないファンタジーの息は長い…

そこにはやっかみ半分の側面も?

 それにしてもネット上では本当に言われたい放題。 

最近は「チャラ男系好青年」なる対概念まで登場…ある意味ディズニー映画におけるアラジンやフリンライダーの後継枠?

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集団的アイデンティティとしての彩度の統一」 はあくまで無意識下で行われるものなので、それを破る個人の行動に対する直接の非難は行われない様です。ただ「人より目立つ」以上、周囲の反応もそれなりのものに自然と変貌していくだけ。しかも身分制が撤廃された今日では「周囲のそれなりの反応」がネガティブな方向に向かない様にするのがかなり大変な模様…

世界的大ヒット漫画を実写化した映画『鋼の錬金術師』のキャラクタービジュアル発表時には、さまざまな意見がファンから出たが、その中でも注目を浴びたのが、本田翼演じるヒロイン・ウィンリィの髪色。原作では“アメストリス人らしい金髪碧眼の少女”として描かれるウィンリィの髪が、今回の映画では明るい茶髪になっていることが話題を呼んだが、髪色変更の裏には原作者の荒川弘氏の言葉があったことがわかった。

荒川氏に映画のウィンリィのビジュアルについて聞いてみたところ、「逆にわたしは配役が決まった時にガッツリ金髪などに寄せなくてもいいですよと、監督にお話をしていたんです」とあっさり。荒川氏は「それで今回の明るい茶髪のビジュアルになったんです」とも続ける。

また「キャラクターは外見ではなくて中身だということは、作品を通して描いていること」と言うと、「“キャラクター”がしっかりできていれば、わたしは全然気にしていないので」と自身の思いを述べる。むしろ茶髪だったからこそ、功を奏したこともあったようだ。

映画を振り返って「SLのシーンですごくマッチしていた」と笑顔を見せた荒川氏は、「色を落として全体的に暗めにしていたので、反対に金髪にしなくてよかったと思いましたね」とコメント。また“中身”の部分に関しても「本田さんご自身もざっくりした部分があるので、ウィンリィのざっくりした部分と重なっていてよかったです」と太鼓判を押していた。

ドイツにおけるブルネット(Brunet)は特定の色を指す言葉ではなく(各人の個性に対応する)黒毛と金髪や赤毛との中間色全てを指す」 という話を思い出しました。

髪色の彩度を揃えて集団の和を生み出す文化」と「髪色を生得的個性として大事にする文化」は如何に共存していくべきなのか。この話って案外奥が深い?