諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】最近人気の過去投稿について

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はてなブログ」のアクセス解析によれば、最近以下の投稿の人気が急上昇中との事です。当事者としては「なんで今更この話?」という感じなのですが…

 まず「自分はそれぞれの投稿で何を語ったのか」思い出すまでが一苦労。

フィリップ・D・カーティン氏によれば、アフリカ黒人奴隷の輸出量は1451年〜1600年27万人、17世紀134万人、1701年〜1810年605万人、そして1811年〜70年189万人、合計955万人であったという。それぞれの期間において、ブラジル向け輸出量が占める比率は18.2、41.8、31.3、60.3パーセント、合計38.1パーセント(364万人)となっている(『大西洋奴隷貿易―その統計的研究』、p.268、1969)。

*大西洋奴隷交易においてはポルトガルのブラジル領への輸出量が圧倒的であり、それに次ぐのがカリブ海諸島である。ブラジルの輸出量の多さについては、ブラジル内において奴隷の再生産が行われなかったことが指摘されている。その一方、19世紀前半における奴隷貿易違法化の煽りを食らって「白人領主による種付け」が日常の一部となったアメリカでは「アフリカ系アメリカ人の大半が白人の遺伝子も継承する」「しかも当時は黒人間にすら白人の血が混ざってる事を誇る文化が存在した」状況を黒人運動家はどう考えるべきかなる問題を抱える。まさしくプリンスが映画「アンダー・ザ・チェリー・ムーン(Under the Cherry Moon、1986年)」の中で語った「僕の肌の色はバタースコッチ。君の肌の色はコーヒーブラック。そんな違いなんて容易く乗り越えられなきゃ黒人同士の連帯なんて絶対に成立しないんだぜ?」の世界。そもそもアジアには「アジア人」なんて人種は存在しない。地域間対立が激し過ぎるせいで。

*この流れに1970年代以降(死に絶えた科学的マルクス主義から離れ)「差別」を主題に選ぶ様になった左翼/リベラル層が介入してくる様になったが、混乱を広げている一方にしか見えない。

*実は日本も戦国時代にポルトガル商人から奴隷供給源として重宝されたりしている。要するに恒常的内乱状態が戦争奴隷を安定的に量産し続けるのであって、ここに人種論は直接絡んでこない。

*むしろ重要なのは実証主義的人文科学(Positive Humanities)と科学主義(Scientism)の狭間の薄明の領域に生じた「究極的には売値ゼロ実現の為に(人件費や設備投資を含む)原価ゼロを目指す(暴走した松下幸之助水道哲学の如き)デフレ理論」こそが搾取の本質だという事。

20世紀後半に入ると突如として「植民地的搾取に対する宗主国責任」 なんて概念が大流行しますが、実際の歴史上における搾取は「再版農奴」や「太平洋三角貿易」や「江戸幕藩体制下における蝦夷での昆布漁や琉球王朝での砂糖栽培」や「米国南部における奴隷制綿花栽培」などで、デフレ理論の暴走として説明可能な事が多いのです。

国民概念の起源

概ね欧州絶対王政時代の臣民(Subjects)意識まで遡る。要するに日本においては江戸幕藩体制下で発達した「絶対忠義」の概念。ある意味「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義権威主義」が国家主権論に吸収された結果とも。皮肉にも「気に入らない主人には絶対に仕えない」無政府主義と相性が良い。

要するにそれは進歩主義のいう「均質な国民」のイメージ、すなわちフランス革命の最中にコンドルセ公爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年〜1794年)が命懸けで発表した多数決原理やジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill、1806年〜1873年)が「自由論(On Liberty、1859年)」で述べた古典的自由主義の理念すなわち「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」なる考え方への反動として現れた。カール・マンハイム(Karl Mannheim、Manheim Károly、1893年〜1947年)の「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」によれば「政治や経済といった数理的に平等が実現可能な領域にしか関心を抱かない」「各個人の生涯価値の不平等性への無関心」といった進歩主義ニヒリズムの克服こそがその課題だったという。

市民概念の起源

都市国家時代に直接民主制を支えた自作農階層」や「資本主義的発展が生み出す新興産業階層」などを起源とする。要するに(相応の選民意識を備え、実際に相応の優遇措置を受けている)都市住民である事が本質。上掲の国民概念、すなわち保守主義者の好む「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義権威主義」や進歩主義のいう「均質な国民」のイメージと根本的に相性が悪く、しばしば弾圧対象とされてきたが資本主義的発展が本格化すると概ね王国貴族や聖職者といった地税などの不労所得に依存する伝統的インテリ=ブルジョワ階層に取って代わる。

*この過程でフランスの貴族制は解体され、英国ジェントリー制度は再編されていく。ブルジョワ階層に残れなかった没落者は庶民に流入。これが「大衆文化の一時的引き締め」なる現象を引き起こす。

ならば「インテリ」とは「リベラル」とは何か? まだその答えそのものには到達してませんが、最近導入した「事象の地平線としての絶対他者を巡る黙殺・拒絶・混錯・受容しきれなかった部分の切り捨てのサイクル」として歴史を思い浮かべるアプローチにおいて(安穏な生活に満足せず)時代を動かすトリックスター的役割を果たしてきた感触が得られつつあります。というよりむしろ「トリックスター的役割を一切果たさないならただの穀潰し」という側面も?

フィガロの結婚(伊Le nozze di Figaro、仏Les noces de Figaro、英The Marriage of Figaro、独Die Hochzeit des Figaro、戯曲1784年、オペラ化1786年) - Wikipedia

改めて全体像を振り返ってみると、このサイトの投稿は「搾取の本質たるデフレ理論からの脱却」や「インテリ・ブルジョワ階層がトリックスター的役割を放棄した事の弊害」を言い立てる方向に向かっている様です。すると確かにこの辺りの投稿が原点という事になりそう?