佐藤優によれば「民族主義(ethnic nationalism)」の定義は「自集団が他集団に与えた加害を最小限に見積もりつつ、他集団が自民族に与えた加害は最大限に見積もる態度」だそうです。これって個人単位でも当てはまりますよね? 誰もが自分に関わる話は重大で悲劇的に、それ以外は瑣末で喜劇的に受け止め様とするものです。
もしも、「意味のない話」「くだらない話」「現実的ではない話」「現実には何も役に立たない話」等々、が、不要だったら、友達も伴侶もいらない。人生は、実利だけで支えられるほど、軽くも短くもない。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) November 30, 2018
会話のマナーだのトークスキルだの、思いやりだのを覚えなきゃいけないって言われるのは、何の為か?って話だなぁ。くだらない話で笑って、現実的ではない話で夢を見て、現実には何も役に立たない愚痴をこぼしながらもまた明日があるねって、分けっこするために、必要なんだよ?
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) November 30, 2018
相手の話がくだらないって思ってるのなら、相手に「くだらない」って言わずにいられないのは、なぜ?
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) November 30, 2018
相手の話のくだらなさと、自分の話のくだらなさは、そんなに違うのならば、そこに「誰にとって?」の視点は、ある?
相手のくだらない話に「付き合えない」のなら、相手に自分のくだらない話に付き合ってもらえるはずがないでしょう?
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) November 30, 2018
他人の辛さはくだらなくて、自分の辛さだけがくだらなくない、はおかしいよね?がわからないのは、おかしいよね?
分けっこができないのなら、お金を払って、然るべきところで好きなだけ、自分のくだらなくない話を聞いてもらえばいいんだよ。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) November 30, 2018
無料で、一方的に、分けっこする気持ちも見せないで、相手にぶつけるのはね、それはとても、寂しい結果しか、招かないって覚えた方がいいよ。
そういえば「有料でくだらない話を聞いてくれる場所」の代表格たるキャバクラやスナックって、全国規模でその数を減らしてますね。