これまでの投稿でも度々述べてきた「欧州文明の古層にイスラム文化あり」についての第三者による言及例…
ヴァチカンは異教徒の古代ギリシャ人の知識を最初は拒絶したが、すぐにその叡智を悟って憎きムスリムやユダヤの力まで借りて精力的にラテン語訳し、当時ヨーロッパに勃興しつつあった大学で盛んに論争を行った。約100年に渡る議論で爆誕、スコラ哲学
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
中世西欧の大学は教会関係の大学と全然キリスト教と関係ない大学があったらしいんだけど、このアリストテレス哲学に関わる論争をキリスト教中枢部が推奨したので教会関係の大学にエリートが集中して宗教と関係ない大学はいつのまにか消えたらしいっすね(それくらいアリストテレス哲学が衝撃的だった)
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
『レコンキスタはローマ帝国に侵入した蛮族と全く同じ構図をしていた。文化的に遅れた支配者が優れた被支配層から様々な知識を学び、自分達のものにしたのだ』
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
アリストテレス哲学本アラビア語版のラテン語翻訳作業を主導的に行ったのはカスティーリャ支配下トレドのキリスト教高位聖職者らしいっすね
欧米諸国も高度人材呼びたいから色々なシステム作って移転しやすくしてるんだろうけど、貧困と死から逃れるためでもなければ中々人は移動しないんやろうなぁと思う(こなみ)
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
案外人間って産まれた土地を動きたくなくて、『移転の自由』とかいいながら移転しないと思うんですよね。だって金かかるし、異国の習慣を学ばなきゃいけないし、言葉の壁もあるしで苦労だらですやんね。
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
レコンキスタが実は結構リベラルで平和的に行われてたとか『は?(威圧)』と思ったけど、現代だって欧米の多文化主義と途上国での戦争が同時に起こってるからまあ、あんがいそんなもんかも知らんすね(適当)
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
アル・アンダルスの中心都市だったトレドやリスボンは実は11世紀にはキリスト教国の支配下に入り、14世紀のグラナダ陥落までの300年間、先進的なイスラーム文化と後発の西洋キリスト教文化が共存するという今日でも中々ない多文化主義的状況が産まれていたと。
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
そういえばレコンキスタによるムスリムやユダヤ迫害ってだいぶ後の方に起こってるんすね…(レコンキスタ自体は約700年に渡って行われている)
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
あ、違った、800年だ
— けむ (@kemunopasokon) November 22, 2019
取り敢えずメモがてら収録…