諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【サヨナラ2010年代】自らの内なる「本田勝一的なるもの」との峻別。

現在何が進行中なのか見定めるのは困難で、時として不可能ですらありますが、すでに自分の中で如何なるムーブメントが終焉済みか抽出するのは比較的容易です。

f:id:ochimusha01:20191214021813p:plain

べトナム戦争Vietnam War, 1955年~1975年)終焉を契機に「他民族から受けた被害を最大限言い立てる一方、他民族に与えた加害は可能な限り黙殺しようとする民族主義の暴走が本格化。その皮切りとなったのはカンボジアポル・ポトクメール・ルージュ)政権によるベトナム系市民の民族浄化政策開始(1978年1月~)で、これを看過出来なかったベトナム軍がこの政権を一瞬で攻め滅ぼしたカンボジア・ベトナム戦争1978年5月~1989年9月)と、かかる「野蛮人の所業」を懲罰すべく派遣された中国人民解放軍も返り討ちにされて大損害を出し、以降派兵自体がなかった事にされた中越戦争1979年2月)が連続。

戦場の村1968年)」や「中国の旅1972年)」で名を馳せた「人道主義ジャーナリスト本田勝一が、ベトナム戦争終焉や、その後のベトナムと中国の関係悪化を背景にこれら「元スポンサー」から門前払いされる様になり(当時の記事にはその事への恨み節が多いが、共産主義圏のプロパガンダ展開全体を俯瞰すると利用価値が無くなった時点で口封じに殺されなかっただけマシ。というより抹殺コストが見合わない使い捨ての小物と判断された可能性が濃厚)やがてよりによってポル・ポト政権の擁護に走り、その倒壊によって壮絶な実態が明らかになると完全に沈黙してしまった時代とも重なる。

こうした形での「元探検ルポライター本田勝一の凋落と、電通をスポンサーに迎え、ある意味ショウビズ化によって「日本人による探検」の余命を文字通り命懸けで少しだけ伸ばそうとした植村直己の壮絶な最後(1984)は、まさに総力戦体制時代の掉尾を飾るエピソードに相応しいといえよう。

 https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/o/ochimusha01/20170628/20170628103606.jpg
まぁ、それでも今日なお現在進行形で私の文体上の師匠ではあり続けてる訳ですよ。本田勝一先生」。海外での名乗りも「姓は大文字、名は小文字で順番を逆転しない」を貫いてきましたしね。

 かかる人物の足跡を「とある探検家の凋落過程」と整理すると夢枕獏神々の山嶺かみがみのいただき、原作1994年~1997年、谷口ジロー作画の漫画化2000年~2003年、映画化2016年)」について触れざるを得なくなります。

 そうか、要するに2016年における「崇高と戦慄が同居するピクチャレスク\\\(Picturesque)・ブームこそが最後に痕跡を残せた限界だった?