この投稿全体を俯瞰すると「20世紀末的浪漫主義の挫折」なる観点が浮かび上がってきます。とりあえずその到達点を「我々の認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」が日常の裂け目から侵入してくる実存不安の顕現と置いてみると…
当時と比較すると2016年以降はむしろ「宇宙全体としては何も起こってないと考える」中心極限定理(CLTCentral Limit Theorem)の基本的承認と、その信頼度の間隙を突く(とはいえ当人の自覚はあくまで不十分な)「信頼ならない案内人」の組み合わせがフィクション作品の基本という方向に集約しつつある様に見えます。
- ジェームズ・エルロイ作品におけるゴシップ雑誌「Hash Hash」の存在。あ、モーリス・ルブラン「泥棒紳士アルセーヌ・ルパン(Arsène Lupin)」シリーズ(1905年~2012年)や、その国際的大流行を受けた江戸川乱歩の「黄金仮面(1930年~1931年)」や川内康範原作「月光仮面(1958年~1959年)」の世界にその前身が?
作品制作に至る過程を分析するとフライシャー版スーパーマン(Super Man 1941年~1943年)の大流行に対する産業報国的側面が浮かび上がってくる。
日本のヒーロー番組の元祖でもある。時代劇と探偵活劇の要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えている。
- ゆうきまさみ作品における「週刊パトス」の存在。
- 新海誠作品における「月刊ムー」の存在。
この話題についても、来年になったら本気出す!!