You Tubeのリコメンドで知りました。この辺りが最新のトレンド?
「Princess♂(2019年)」で主題に採用されたサークル・クラッシャー女が「Mister Jewel Box(2020年)」においては、このRapで成功した当人を慢心と破滅に追い込む象徴としての「運命の女(Femme fatale)」に昇格…
そして「人間を慢心と暴走によって破滅させる事で得られる宝石の収集」というと、真っ先に連想するのは(ラブクラフトやクラーク・アシュトン。スミスらがCosmic Horrorの大源流として上げる)ウィリアム・トマス・ベックフォード「ヴァセック(Vathek, 1986年)」ですが、「個人単位でなく挙動単位に宝石が生成され収集される」なる観点からすればミヒャエル・エンデ「はてしない物語(Die unendliche Geschichte、1979年)」やつくしあきひと「メイドインアビス(単行本2013年~、アニメ化2017年~)」の様なオメガ・ファンタジーに含めるのが正しい気もしてきました。
そういえば「はてしない物語/ネバーエンディング・ストーリー」における構成上の「運命の女」は「幼心の君」という事になる?
Pearl Jam「Do the Evolution(1998年)」のMVに登場する魔性の女。彼女については歌詞に一切の言及がなく、まさしく「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」そのもの…
Coverもレベルが高い…
このCoverを視聴して思い出したのが青い文学シリーズにおける坂口安吾「桜の森の満開の下(1947年)」回のジャズ・アレンジ主題歌。そういえばこの作品も「夜長姫と耳男(1952年)」同様ファム・ハタール物の一種ですが、坂口安吾の描くそれでは(地母神的存在感を誇る)魔性の女性キャラが男性主人公の芸術家的自己実現を妨げる障害として現れ、最後(忍耐の限度を超えた)主人公に殺されるをセオリーとしてました。
時代も変われば変わるもの…その重要契機となったのは、もしかしたら海外で「女性は実に太陽であった。 真正の人であった。 今、女性は月である。 他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。」なる著名な提言に実際の神話形成史を重ねてウルトラ・フェミニズム勃興の契機となったバーバラ・ウォーカー「失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets, 1983年) 」が流行した時期、日本の少女漫画界は山岸凉子が「日出処の天子(1980年〜1984年)」の続編「馬屋古女王(1984年〜1985年)」、吉田秋生が(それを読んでショックを受けた夢枕獏が「陰陽師シリーズ(1986年~)」を執筆し始めた)「吉祥天女(1983年〜1984年)」を発表する過程で「家父長制にせよ家母長制にせよ年長者が年小者を拘束下に置こうとする権威主義的体制に過ぎない」なる知見に至り独自の道を歩み出した事かもしれない。
それにつけても、恥ずかしながら…そもそも私はまずネットラップなるジャンルの存在自体をそれまで知らなかったのです。
まずこのジャンルでFAKE STYLEなるユニットの動画が海外で有名に…
選んだ層は国際的に成田 良悟「バッカーノ!(BACCANO!, 原作2003年~, アニメ化2007年)」とか喜んでた流れと重なる様だ?
すかさずYoutubeリコメンドが重ねてきたのがTVアニメ「パンティ&ストッキングwithガーターベルト(Panty & Stocking with Garterbelt, 2010年)」。要するに米国カトゥーン文化と日本漫画アニメ文化のフュージョン黎明期?
一方「Steam Punk + サーカスっぽい民族音楽」という組み合わせで最初に思い出したのがSteam Powered Giraffeの一側面。
Hans Zimmer「Discombobulate(映画版シャーロックホームズのテーマ)」とも重なります。
さらなる大源流には映画「The Elephant Man(1980年)」、すなわち「Eraserhead(1977年)」に始まり「Dune(1984年)」にまで継承されていく、初期デヴィッド・リンチ監督作品独特の「おぞましさと紙一重だった」Steam Punk(というより産業革命)っぽさも散見される気がしますが現在に至るまでに何か大きな改変を経てるっぽい。この流れをとりあえず継承したのは映画版(1990年)のサウンドトラックを坂本龍一が手掛けたマーガレット・アトウッドのディストピア小説「侍女の物語(The Handmaid's Tale, 1985年)」辺りですが、こうした「あくまで暗く歪んだハルコネンっぽさ」が全然直接繋がってる感じがしないのですね…
ちなみにSteam Powered Giraffe自体は、さらにはマカロニ・ウェスタンへの接点まである音楽性の幅広いバンドだったりします。やはり何かしらの時代的選好が進行?
21世紀に入るとさらに「ファム・ファタール(運命の女)」「オム・ファタール(運命の男)」概念の延長線上に「死者の病床に当人がその言葉を拒めない好人物の姿で現れ、自らの死を受け入れさせ、冥界へと誘う」イスラム教の死神アズラエル(Azrael)に由来する系譜が追加された。2010年代国際SNS上の関心空間に集った匿名男子アカウントが選んだ代表が「ヤマノススメ(2011年~)」のここなちゃん、匿名女子アカウントが選んだ代表が「Free!!(2013年~)」のマコトさん…こういう人から「今までよく頑張りましたね。それじゃあ行きましょうか」と手を差し伸べられたら拒めない?
ここからは「死神ここなちゃん」とメキシコ「死者の日」のフュージョンMemeなんてのも生まれました。この流れだと、もしかしたら再照明が当たるチャンスも出てくる?
Tumbrが衰退してからこうした動きにすっかり鈍くなってしまいました。まだまだ全然まとめ切れてないけど、ルイス・キャロル「不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland, 1865年)」の名台詞「現在に留まり続けたければ、全力疾走を止めてはならぬ」が表しているのはまさにこういう状況?