諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】現時点の私における無限遠点(Infinity)について。

Youtubeのリコメンド機能が時々私に思い出させてくれる…

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最後には2020年代向けにこの辺りの概念の成立過程について語りたいんですね。でもそこに至るまでの過程があまりにも遠過ぎる…

 それはそれとして、日本のフェミニズム勢から無駄な「おっぱいぶるぅんぶるぅん」やパンチラ場面を嫌われた新海誠監督劇場版アニメ「君の名は。(2016年)」ですが、海外の第三世代フェミニスト勢の評価は真逆でした。

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彼女達はちゃんとこういった場面が「中身が滝君に入れ替わってる場合」だけ現れる点に気付いていたんですね。「これで性欲を覚える様なら、お前は滝君に性欲を覚えているのだ。Bururururururu!!

で、スピンオフ小説に「ブラのちゃんとした付け方なんて知ったら、手放せなくなってしまう」なんて台詞があり、それにも関わらず親友の早耶香にブラの付け方を徹底指導された場面も覚えていて(というか、そもそも「普通の男はブラは外すものという概念しか持ってない。付けるという概念を備えた男は自分も付けている」は元来海外起源のMemeで、日本のアニメがそれを採択したのが話題になった)「天気の子(2019年)」にゲスト出演した時も「さてこの滝君はブラを付けてるのか付けてないのか」「付けているとしたら三葉は許したのだ。自分とブラの趣味が同じ男を」みたいな話をしてました。まぁ志村貴子放浪息子(2002年~2013年)」で鍛えられた海外女子オタクなんてそんなもの…