最近「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」についての数理方面のアプローチが行き詰まってしまいQiitaの投稿が滞っていたのですが、思わぬ方向に突破口が見つかって更新を再開する事が出来ました。
突破の鍵となったのが「Gothの黒」の種類分け。
出発点はこの投稿。
どういう事かというと…
①とりあえず東京ゲゲゲイの「黒」シリーズの世界観を以下の様に置く。
- 原始観測円/球面上において、観測距離無限/観測次元数無限の状態から出発。次元数を減ら続け、距離を詰め続けるもInfinity-1=Infinityなので一歩たりとも観測原点に近付けない(観測値分断問題)。手塚治虫「鉄腕アトム(1952年~1968年)」の「地上最大のロボット」回を原作とする浦沢直樹「PLUTO(プルートゥ, 2003年~2009年)」に登場する「地上の全ての知識を入力された人工知能は人類最高の知性を発揮するかもしれないのに、そのままの状態では起動すら出来ない。しかし、だからといって判断基準にプライオリティ(順序付けと重み付け)を設定すると、その分だけ原初的万能感から遠ざかってしまう」ジレンマを想起させる。そうむしろ問題は啓蒙主義的、すなわち「無限の広がりを否定し、有限基準の列記によって原初的万能感に回帰しようとする」博物学的/本草学的/百科全書的態度そのものが内在する「データベースは結論を出さない」姿勢に内在されているのである。
- この千日手状態を超克すべく、しばしば観測点側を自分側に引き寄せ様と思い立ち、かつ自分の浅ましさに自己嫌悪に陥る。少なくとも「ならば本当はどうしたい?」なる真っ当な反問に対して(状況変化に対応して内容がどんどん推移していく一貫性のない)支離滅裂な答えしか用意出来ない。
古典分野ではヴィクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル(Les Misérables, 1862年)」で想い人を六月暴動(1832年)に巻き込む「悪党一家の娘」エポニーヌ (Éponine)が圧倒的に同情を集め、メインヒロインのコゼット (Cosette)を凌ぐ人気を誇る。
②すると、これと正反対の方向から出発する観測値分断問題が顕現する。
- とりあえず1次元の観測原点から出発するが、距離を幾ら増やしても「数えられる数は無限に到達し得ない」ルールにより観測距離無限状態に到達する事はない。次元数も同様で、幾ら増やしても観測次元数無限状態に到達する事は出来ない。途中で力尽きるのは目に見えている。またこのプロセスそのものはGothではない(どちらかというと、高揚した精神と疲弊し尽くした肉体を対比させたJazz/Rock/Punk文化の対応分野で、まさしくGoth文化の対局)。
*ただし当時台頭してきてその斬新さを評価された「しっちゃかめっちゃか」なアレンジを皮肉る気持ちで書かれたThe Beatles「Helter Skelter(1968年)」には既にこの枠組みを超克しようとする動きが含まれていた。 - この千日手状態を超克すべく、しばしば「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」が投入され、最初から距離の壁も次元の壁もない様に振舞う。それがロマンスとなる展開もあれば、ホラーとなる展開もあるが、いずれにせよ現実に目の前に現れたら大惨事を免れない。
*要するに「CV櫻井孝宏」の世界観?Goth文化と対局の関係にあるJazz/Rock/Punk文化では、ここで特別な内省性を伴う事なく(というよりむしろ高まる実存不安に対して内省性を確立する事を拒絶し抜く=あくまで「認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」を「認識可能範囲対象外=無限遠点の外側」に留め置く為に)Drug耽溺に走る。
Goth文化にもDrugへの耽溺自体はあるが、むしろ積極的に「実存不安をもたらす源泉=認識可能範囲外を跋扈する絶対他者」に向き合い、自発的にそれとの内省的関係を構築しようとする実存主義的姿勢が見受けられる点が異なる。
ここでいう実存不安(Existential Fear)は、現実世界(Real Universe)、すなわちデカルトいうところの「(神の領域から外挿される「(永遠不変の)始原原理」を動力として機能する因果律の集大成たる)機械的宇宙論(Mechanical cosmology)」や、カントいうところの「(経験対象としての)物(Ding)の世界」が「認識範囲外を跋扈する絶対他者」と直接接していない事に由来する。そして唯一の接点候補として無限遠点(Infinity)、すなわち「時空概念の果てる先で待つそれ自体は永遠不変な何か」、龍樹「中論」でいう「あらゆる縁起の絡み合いのさらなる大源流」あるいは法華経でいう「久遠常在の仏」、キルケゴールいうところの「誰もが常に単独者として対峙し続けなければならない心の中のキリスト」、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」に登場するブラックホールめいた「石炭袋」などが注目を集める流れに。
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さらにこの問題についてのヒューリスティクス(英heuristic, 独Heuristik)な解法として「この世界の評価軸が多元的で、かつどれだけの距離を進んでも無限遠点自体には到達し得ない事実をあえて完全に黙殺する」なる荒技が存在する。例えば聖地アッシュールに地上の全ての土地を帰属させるべく死力の限りを尽くした新アッシリア帝国は、その一方でその大義名分がアッシリア人意外に理解不能である事を恐らく察知しており、その是非自体について一切論じてない。太陽に少しでも多く生贄の心臓を捧げ続ける為に戦線拡大を続けたアステカ人についても「サンプル数が無限に増大し続ける状況下では正規分布のみが残る」という理由から他の分布の有効性を一切認めなかった正規分布原理主義者もそうだった。
あまりにもその内容が哲学的=非数理的過ぎてQiitaには書けなかった裏話…