そういえば大正時代の新聞で併合した朝鮮を「長州人の植民地」と表現しているのを見た事があります。
面白いのは、平均的な日本人は傀儡国家だった満州国のことを、「我々の植民地」だったとは思っていないということだ。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年10月2日
それは陸軍の植民地だったのであり、日本の植民地ではないのだ。
日本人には、自分が明らかに一つの国家の一員であり、したがってその責任も分担するとは思わないところがある。
一方において、一般の日本人が大日本帝国の勝利を熱狂的に迎え、国としての目的への帰属意識が強かったという事実があり、他方、彼らは陸軍の行為を否定することに対し矛盾を感じていない。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年10月2日
というのは、陸軍が自分たちの国家を代表していたとは思っていないからだ。
それは、たくさんある中の一つの集団に過ぎず、大変な迷惑を引き起こした連中だった、ぐらいの感じしか持たないのである。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年10月2日
国家は人によってその意味が違ってくるが、少なくともある程度の存在の一貫性がなければならない。
その陸軍。戦時下において「英国東インド会社についての歴史研究」を禁書とし、研究者を弾圧していました。いろいろな意味で満洲国と比較されるのが余程嫌だったと思われます。考えてみればアメリカ独立戦争の引き金を引いたのも…そして映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズでは完全に悪の組織として描かれていたのです。
1981年5月、アメリカ大統領を訪問した翌日、鈴木首相が自ら連署したばかりの共同コミュニケに書いてあるアメリカ合衆国との「同盟関係」について、一般の意味とは違う同盟関係だと日本の新聞に話し、米政府をすっかり当惑させてしまった。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年10月2日
このような場合、外国側は何か隠された意図があるのではないかとすぐに勘ぐってしまう。
— 歴史bot (@history_theory) 2020年10月2日
まさか、鈴木「首相」が、国家を代表していなかったとは思いもつかないからだ。
K.ウォルフレン『日本権力構造の謎』(原著 1989)
元々社会党から政界入りしたこともあり外交面ではハト派スタンスが時折出る一方で、苦手だった安全保障外交について隙が出る発言を度々修正することがあった。1981年(昭和56年)5月7・8日のレーガン大統領との会談後の共同声明では、日本の公式文書では初めて『同盟関係』という文言が記されたことから、新たな軍事的密約を懸念したマスコミ側から記者会見の場で「今度は同盟関係ということが初めて謳われたが何か軍事的に変わったことがあるか」と、質問がなされた。鈴木は「自由と民主主義、自由市場の経済体制という価値観では日米は全く同じだ。これを守っていこうという立場を含めて同盟関係といっている。軍事的意味合いは持っていない。日本は、平和憲法のもとに、自衛のための防衛力しか持てない。専守防衛に徹する。軍事大国にはならないという点をはっきりさせているので、軍事同盟ということは全然、共同声明の中にも入っていない。」と発言。
鈴木の帰国後、国会等で、『同盟』は軍事同盟を意味し個別自衛権から集団的自衛権への逸脱ではないかと問う声が共産党や社会党から起こり、5月11日の外務委員会において伊東正義外相は社会党の土井たか子の「日米軍事同盟、安保条約という意味を含んだ同盟ということを認識せざるを得ない」という質問に対し、
「軍事的な何らかの関係のあるものを同盟というような言葉を使うのだということであれば、片務的とはいえ安保条約というのは軍事的に関係がありますから、同盟と使ってもいいと私は思うのでございまして」
「軍事というのを日本で考えますと憲法でも制約があるわけでございまして、日本は日本を守ることしかできないのだというのはもうはっきりしているわけでありますから、それ以上広げて軍事同盟なんということはできない、日本は軍事的には個別自衛権しかないのだということはもうはっきりしていることでございます。さっきから土井先生と私がやりとりしております片務的な安保条約、それが軍事的な同盟のようなものじゃないかと言われれば、安保条約を結んだときからこれはあるわけでありますから、それは何も否定しませんが、広い意味ではこれはそういうことも入った軍事関係だということを先ほどから申し上げているわけでございまして」
等と発言。日米安全保障条約や同盟の解釈を巡り、軍事的意味はないとする鈴木の発言との相違が問題視された。また高島益郎外務事務次官も「軍事的な関係、安全保障を含まない同盟はナンセンス」と鈴木を批判。また鈴木も共同声明文が有馬龍夫ら外務省の事務側で一方的に作成され、自身の意向が全く反映されていないことに対し強い不満を示した。外務省内では米側の反応も受けて緊急の協議が行われ、13日、日本政府は統一見解を発表し、『同盟には軍事的側面はあるものの新たな軍事的意味を持つものではない』として鈴木の発言を事実上修正した。
政府見解を受けた14日の外務委員会では伊東外相も「日本とアメリカの間には日米安保条約がありますことは、これはもう厳然たる事実でございますので、そういうことを前提にしておりますことが中に入っているということは、これはもう間違いない、だれもが否定することではないわけでございます。そういう関係を同盟関係と、広い関係を同盟関係という言葉で表明したわけでございまして、そういう言葉を使ったから、何か日米関係の中に新しい枠組みをつくって、そしてそれが従来の枠組みを変えて、新しい枠組みをつくって新しい軍事的意味を持たせる、そういうような意味でこの言葉を使ったのではなく、安保条約の五条関係は憲法からしても個別自衛権であることは間違いないのであり、これを集団自衛権とかそういうものに直していこうとか、そういう意図は毛頭ない」と説明するも、翌15日の閣議では中川一郎・渡辺美智雄・鯨岡兵輔ら閣僚から外務省側の対応に批判の声が上がり、翌16日、責任を取る形で伊東外相・高島次官の両名とも辞表を提出し、事務次官は慰留を受けたものの外相は辞任する。この問題では、鈴木は同盟の解釈について「新たな軍事的意味を持つものではない」「米国の対ソ軍事戦略に巻き込まれるものではない」「わが国が集団的自衛権の行使を前提とするような軍事的な役割りを分担するといったようなことを意味するようなものでは全くない」「安保条約が日米双方による集団的自衛権の行使を前提とする条約に該当しないことは明らかであり、日米双方とも、安保条約の性格をいかなる意味でも変える考えのないことは一致しているところである」などと、軍事同盟を否定する考えを一貫して示した。
なるほど、全体像としてはこういう話だったのですね。実に80年代っぽい…