諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「群論における群はポケモン」?

相変わらず群論に着いての知識はさっぱりですが、用語導入とかも始めてしまったのでもう引くに引けません。とはいえ、いきなり「準同型写像」の概念が飲み込み切れな買ったりする訳です。

気分転換に漫画「水は海に流れる」を読んでたら、何とそこにまで群論の影が…完全に逃げ道を塞がれた気分になりました。

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いや、もうこの場面で嫌な予感はしてたんですが、やっぱりきたよレヴィ・ストロースの親族構造!!

 ところでこんなガイドブックを見つけたのです。

群論入門これだけ

イギリスの数学者 A. Cayley により 1878年に導入されたものが次に述べる定義である。

集合 G の2つの元 a, b に対して G の元 a ∗ b が定められていて、言い方を換えれば、写像 G × G → G が与えられていて(このような写像を二項演算 (binary operation) という)、

 

(i) 結合法則 (associativity law) a ∗ (b ∗ c) = (a ∗ b) ∗ c が成り立ち、

(ii) すべての a ∈ G に対して、e ∗ a = a ∗ e = a となるような元 e ∈ G (単位元、unit element、という)が存在し、
(iii) さらに、各 a ∈ G に対して、a ∗ a’ = a’∗ a = e となる元 a’ ∈ G (a の逆元、inverse element、という)が存在する

とき、このような演算の情報をもった集合 G を群 (group) と称する。

とりあえず、よく見かける定義の起源が知れたのは助かりました。

そしてそこに衝撃の一言が…

勉強量とともに既知の群の種類が増えるであろう。何種類の群を空で言えるかで、習得度の目安とできるくらいのものである。

 「群集め」ですか…まるでポケモン…とりあえず最初に紹介されてた「剰余類 (congruence class) 」に取り組む事になりそうです(いきなり群でなく類が出てきた)。以前の投稿におけるN進数概念素因数分解概念の統合とかに使えそう?

ついでに何とか「ルドルフ・シュタイナーの九九」とかも全体構造に取り込みたいんですね。まぁおそらく時間は相応にかかります。

そしてずっと悩んでいた加法単位元(Additive Identity)0乗法単位元(Multiplicative Identity)1の設定問題に光明が…どうやら群論では空集合(Empty Set/Nullary Set)の概念についてを前者を「(0個の因子を足し合わせた空集合で、加法単位元0に等しい)空和(Empty Sum/Nullary Sum)」、後者を「(0個の因子を掛け合わせた空集合で、乗法単位元1に等しい)空積(Empty Product/Nullary Product))」と規約する事で回避するらしいのです。さらに「に変える自然対数関数(Natural Logarithm Function)の二項演算(Binary operation)log(1,base=e)=0は空積の空和への写像(Projection)、和を積に変える自然指数関数(Natural Exponential Function)の二項演算(Binary operation)e^0=1は空和の空積への写像(Projection)」と規約するとも。確かにこれで議論を大幅に短縮可能です。どうして群論入門の説明の多くはこれほど重要な設定を真っ先に挙げないのでしょうか。そのせいで大変な遠回り絵をさせられてしまいました。

対数は積を和に変えるから、空積を空和に写すべきである。そして空積を 1と定義するならば、空和は log(1,base=e)=0 であるべきである。逆に、指数関数は和を積に変えるから、空和を0と定義するならば、空積は e^0 = 1 であるべきである。

とりあえず、こう宣言しておくと後で読み返した時に(良い意味でも悪い意味でも)色々と面白い事になるのに気付いたので…そんな感じで以下続報。