諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】兵士が戦場から戻ると皆Gayになる?

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And we'll all feel gay」は、米国南北戦争の最中に生まれた「ジョニーが凱旋する時(When Johnny Comes Marching Home,1863年)」の歌詞の一節。

ジョニーが凱旋するとき』(When Johnny Comes Marching Home)は、アイルランド出身の音楽家パトリック・ギルモアによるアメリカの民謡または行進曲。『ジョニーが帰るとき』ともいわれる。

南北戦争の最中の1863年北軍のバンド指揮者であったパトリック・ギルモアが、北軍で歌われていた酒宴の歌Johnny Fill Up the Bowl)のメロディに新しい歌詞をつけてバンド曲に編曲したものである。元となった"Johnny Fill Up the Bowl"自体も、17世紀に英国で生まれたバラード曲に適当な替え歌をつけて歌ったもので様々なバージョンが知られているが、南軍兵を擬人化した「ジョニー」(Johnny)に対して杯を満たせと連呼する歌であり、全体として南軍側の政府・大統領・軍隊・人民などを蔑んだ内容となっていた。ギルモアの回想によると、戦場で兵士が口ずさんでいた北軍のはやり歌のメロディーが頭に残り、「ジョニー」の帰還を迎え讃える歌詞をつけたという。

なおメロディーが同じである反戦歌『あのジョニーはもういない』(Johnny I Hardly Knew Ye)は1867年に発表されかつ元は別のメロディが使われており、反戦歌の替え歌とするのは誤りである。

ジョニーが凱旋するとき」は南北戦争当時非常に人気があり、北軍のみならず南軍でも歌われた。また英国でもヒット曲となった。

歌詞勝利し整然と行進して帰還する事を期待する歌詞の為「凱旋」と翻訳されているが英語のタイトル・歌詞には「凱旋(triumph)」などの言葉は無い。「凱旋」に当たる部分は"comes marching home"であり戦地に出立した時と同じ様に「行進しながら家に(帰って)来る」である。本当であるかはともかくギルモアは南軍で戦っていた婚約者の安全な帰還を願う彼の姉妹の為にこの歌詞を書いたと言われる。兵士を鼓舞する為と言うよりかは家族や親しい者の無事の帰還を願う歌詞である。

件の一節は以下の様な形で歌詞に現れます。

ジョニーが再び行進しながら家に帰って来る時には
When Johnny comes marching home again

フラー!フラー!
Hurrah! Hurrah!

私達は心からの歓迎で迎えるだろう
We'll give him a hearty welcome then

フラー!フラー!
Hurrah! Hurrah!

男達は喝采し、男の子達は叫び
The men will cheer and the boys will shout

淑女は皆が迎えに出て来る。
The ladies they will all turn out

そして皆が陽気になるだろう
And we'll all feel gay

ジョニーが行進しながら家に帰って来る時には。
When Johnny comes marching home.

 時が映れば言葉が意味する内容も推移するという話ですね。

ゲイ(gay)は同性愛の人々、特に男性同性愛者を指す言葉である。

本来は「お気楽」「しあわせ」「いい気分」「目立ちたい」といった感情を表すものであった。

もちろん英語であるgayという言葉の由来は12世紀に遡る。

古フランス語のgai からきているそうだが、つきつめればゲルマン語がもとになっている可能性が高いらしい。

1637年までには不品行という連想が生まれだし、17世紀の終わりには「享楽と放蕩にあけくれる」という意味も持ちはじめた。

しかしこれらは、「気まま」さの延長ではあり、「道徳的な制約に縛られない」ということでもある。

ゲイ女」とは売春婦のことであり、「ゲイ男」とは女ったらしのこと。「ゲイ・ハウス」は売春宿を意味していたそうだ。

つまり、20世紀に入るまでこの言葉は特に「ホモセクシュアリティ」を表すものではなかったはずだが、ある時期から性的な意味を持つようになったのである。

20世紀なかばには、中年の独身男を「ゲイ」と呼ぶことが広まったそうだ。

ただこれも、その魅力のなさや、逆にそれゆえに自由であることを表現したもので、まったくホモセクシュアリティをほのめかすものではなかった。

それが映画や演劇といった場で徐々にホモセクシュアリティよりに変化し始める。
例えば「Bringing Up Baby(1938年)」は、ゲイという言葉を明らかにホモセクシュアリティを指すものとして使った初めての映画である。

ある場面でケリー・グラントの服がクリーニング屋に送られてしまい、彼は女物のワンピースを着るはめになるシーンがある。

そのことについて問われた時、彼は「ゲイになっちまったからだよ…いきなり!」と答えるのだそう。

ただ、当時はそれほどまだ認知があったわけではなく、この台詞は、「何かちょっとしたおふざけでもやってみようかなと思って」程度だったのだそう。
実はこのセリフ台本にはなかったらしい。

という事は「ジョニーが凱旋する時」の元歌詞段階でも「淑女は皆が迎えに出て来る(The ladies they will all turn out)…そして皆が陽気になるだろう(And we'll all feel gay)」は十分意味深だった事になりますな。男日照りの果ての乱痴気騒ぎではっちゃけて…「淑女の男日照り」をほのめかす描写ならマーガレット・ミッチェル風と共に去りぬ(Gone With the Wind, 1936年)」にもあったのを思い出しました。

 そういえば米国におけるコロナでの死亡者、とうとう(内戦ゆえに米国が経験した戦争の中でもとりわけ死者数が圧倒的に多かった南北戦争犠牲者数のそれに迫りつつあるんですね…