果たして何パス重ねれば辿り着けるやら…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
そういえば、今まで考えた事なかったけど宮崎駿監督が考えた「もののけ姫」エボシ御前の裏設定って… https://t.co/em8r9DUaNE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
①高利貸しに妾として売られた没落氏族の娘で(だから最初から武術の心得がある)②父と高利貸しに復讐して高利貸し業を継承。辣腕家として恐れられる様に、という部分がまさに尾崎紅葉「金色夜叉(1897年-1902年)」における「アイスクリン(氷の女王)」赤樫満枝そのもの。https://t.co/sFjCZQUU76
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
ただし近代化途上の明治時代の倫理観に彼女の様な女傑を一貫して一つの人格として扱う方法が存在せず「時として冷酷な毒婦(資本主義精神の権化)」「時として可愛らしいツンデレお嬢様(お嬢様笑い元祖とも)」「時として刃物を振り回す恐るべきヤンデレ(惨劇は夢オチにされ時間ループ)」と滅茶苦茶に…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
同じ様に「 #君たちはどう生きるか 」における「母親」像もかなりとっちらかっている様に見えます。もうその単位で次元分離してしまうのが正解かも?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
宮崎駿自身の言及によれば、自作中の女性像樹立過程では(実母に対する複雑な思いだけでなく)江戸川乱歩「幽霊塔」に登場する謎の怪美人の影響が色濃い模様。ここで興味深いのが「金色夜叉」原案「女より弱き者」も「幽霊塔」原案「灰色の女」も…https://t.co/IeZCC7dUjY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
19世紀後半から20世紀初旬にかけて大流行した「英米婦人向け通俗小説」からの取材なのに、その後滅んで今日ちゃんとした形では継承されていなかったりする辺り。https://t.co/IJl9fxCUXr
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
特にアメリカの場合、表現規制の歴史がマーク・トウェイン「トムソーヤの冒険(1876年)」を歓迎しつつ「ハックルベリー・フィンの冒険(1885年)」の内容がいかがわしいとまとめて禁書にしちゃう激烈さなんで「女性が愛か富かでふしだらに悩む物語」自体がポルノ以下の扱い…https://t.co/7AMOCe14My
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
出版史的には「婦人向け通俗小説の時代」はハードボイルド文学、スペースオペラ、ヒロイックファンタジー、クトゥルフ神話などの大源流たる「パルプマガジンの時代(20世紀初頭-1950年代)」に接続し、婦人向け通俗小説の伝統も西部劇小説同様これに併合された筈なのですが…https://t.co/Ks3ae6y7kX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
米国女性文学は概ね(狂乱の1920年代と世界恐慌を挟んで)「少女パレアナ(1913年)」「パレアナの青春(1915年)」の内容が「風と共に去りぬ(1936年)」登場により時代遅れとなる辺りから始まるイメージ。https://t.co/E7gTMshQDO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
その一方でもうこの時代には「フラッパー・ガール」とかが禁酒法の産物たる秘密酒場を闊歩してる訳で…今日の日本作品に継承された美意識でいうと「紅の豚」におけるマダム・ジーナさんとか「この世界の片隅で」における「元モガ」黒村径子さんみたいなスレンダー路線?https://t.co/kOAcGdcqzw
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
ここに米国文化最大の特徴の一つ「英国人が紅茶を飲むなら米国人はコーヒーを飲む」ヒネクレ要素が介入。①サイレント時代には宗教保守的庶民の足を劇場に運ばせるべく聖書題材作品が多く、一方(女性向け)ファッショナブル要素と(男性向け)エロティズム要素が欠かせず…https://t.co/URCFtBHwCI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
その結果として「(黒髪の妖女もしくは東欧系スレンダー美女が演じる)妖女サロメの舞」を中心に「贅沢のかぎりを尽くす退廃的なエルサレム神殿で半裸の巫女達がくつろぐ」展開が不可欠となり米国宗教界を激震させたのでした。 pic.twitter.com/hE8rq7ko2Z
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
②そしてさらにトーキー化によってさらなる観客の動員が見込まれる事からハリウッド側(ユダヤ人およびカソリック系アイルランド人)からの自主規制基準としてヘイズ・コード(Hays Code、the Breen Code、Production Code,1934年~1968年)が制定されましたが… pic.twitter.com/G5ihWJ2vBZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
その「ギャングやその情夫を美化せず、正しい結婚と子孫繁栄を奨励せよ」なる主張に従ってフランク・キャプラ監督がスクリューコメディ、ウォルト・ディズニーが「白雪姫」を発表して商業的成功も収める一方、禁酒法を廃止に追い込まれ面白くないプロテスタント側は…https://t.co/xcSmObTnZH
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
この展開をむしろ「倫理的退廃」と攻撃し「ギャングやその情夫を美化しなければ良いのだろう?」なる立場から「仁義なき戦い」の様な「実録ギャング残酷物」ジャンルが開発され「暗黒街の顔役(1932年)」が発表されたのです。https://t.co/E6vZl9yA2M
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
③さらにややこしい事に映画のトーキー化は(妖艶だが英語がまともに話せない)東欧系黒髪スレンダー美女を駆逐する一方、巨乳でウェストの細い「バービー人形体型の」健康的なアメリカ田舎娘を台頭させたのです。https://t.co/fA3Q9TDk6x
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月21日
当時の宗教対立に由来する奇妙なバランス感覚、太平洋戦争を戦い抜く為の挙国一致体制構築過程にて崩壊。むしろm新旧教陣営が表現規制を競い合う「黄金の米国50年代」が訪れる訳ですが、当時は「ドイツがフランスからの売電で原発ゼロをと買った」様な偽善の時代。https://t.co/lXJyzqoY4z
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
「品行方正で進歩的な正義」を白人ホワイトカラー階層が独占する一方「実際に社会を回すのに欠かせない汚れ仕事」は黒人や移民、英国や日本の様な外国に蔑まれながら押し付けられ、ことごとく視野外に追いやられたのでした。また当時は再版家父長制全盛期でもあり、妻や子供も同様に薪炭を… pic.twitter.com/IBAtm7nCIS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
こんな全方向に無理を強いる体制が一世代以上続く筈がなく「黄金の米国50年代」イデオロギーはヒッピー運動、黒人公民権運動、ウーマンリブ運動などに包囲殲滅される形で一気に「非中心化」。そう南アフリカで「白人の誕生=アパルトヘイト開始」が除け者にされた黒人を団結させてしまったあの流れ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
実は最近、まさに「黄金の米国50年代」分析を通じて構築されたアメリカ社会学、GAFAやクレジットカード会社が「倫理的高潔さ」を求めてくる最近のインターネット社会分析に再利用可能なんじゃないかと考えてたりしますが、それはそれ。https://t.co/tep9KXWuQe
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
話を「宮崎駿作品の分析に有益そうな道具」に絞ると、真っ先に台頭するのがトップクラフトの存在。①芸術至上主義からTV進出が遅れたディズニーの隙を突いて台頭したハンナ・バーベラ・プロダクションやランキン・バス・プロダクションの下請けとして設立される。https://t.co/hRAqo1mczF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
②「海底2万マイル(1972年)」「ホビットの冒険(1977年)」「王の帰還(1980年)」「フライト・オブ・ドラゴン(1982年)」「最後のユニコーン(1982年)」などで名声を上げるも元請けが頓挫(ロジャー・コーマン同様、以降は日本のアニメや特撮作品の海外輸出に傾注)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
この様に日本作品の世界進出黎明期には「イタリアのメディア王」ベルルスコーニの名前も挙がったりして中々複雑怪奇なのです。そんなかんなでトップクラフト時代の作品へのオマージュも少なからず見受けられるのがジブリ作品(さらにはジブリ大好きの新海誠作品)の特徴に。https://t.co/Bub8h9eUnZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
③こうした流れに宮崎駿監督が合流して「風の谷のナウシカ(1984年)」以降「SW的植民地主義(宮崎駿談)でも」「(完全映像化不可能の)指輪物語でもない」ジブリ独自路線が始まる訳ですが、ここで忘れてはならないのが「死の翼アルバトロス」でのエマニュエル夫人オマージュ。https://t.co/LJHQ8jpTxq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
実際、宮崎駿監督は何かのインタビューで「エマニュエル夫人」と「ダーバヴィル家のテス」には映像的に特別なエロティズムを感じる場面があると述べており、後者は例えば「ヒロインが苺を食べさせる場面」などを指す模様。https://t.co/FogJTdb9d8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
「エマニュエル夫人」については(「サンタフェ」のあの柵同様)宣伝にも使われ、作品の顔ともなった「藤椅子フェティシズム」に加え、序盤の「物売りがボンネットをよじ登りフロントガラスの真ん前で「新鮮だよ!!」と叫びながら鶏の首を掻き切る場面」も視野に入れるべき?https://t.co/CbMGMQBNSR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
「新鮮だよ!!」…作中では「ここは欧州じゃないんだ」と観客に周知する重要場面(「アラビアのロレンス」における井戸場面?)。こうした「日常風景の齟齬」を契機に観客に異世界性を周知させる手法、 #君たちはどう生きるか における「継母の鏑矢」に至るまで宮崎駿作品に色々あったという話…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
ああ、やはり上手く収束に向かわない。まぁおそらく宮崎駿監督自身の中でも収束してない話なので…正その過程でまた別アプローチを思いついたので、次回はそちらから。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年7月22日
そんな感じで以下続報…