諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2020年代的風景】「啓典の民」はその誕生自体が尊い?

最近「紀元前1200年のカタストロフ」直前の世界について自分なりに再構築を進めてるところなのですが…

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どうやら「鉄器」「戦車」「(合成弓の射撃にも耐える)精巧な金属製の鎧兜」などをオリエント世界に伝えたのはミタンニ王国を建国したフルリ人っぽいのだけど、実際にこれらを大量生産してメンテナンスする工業力を整え、(大量の宝物略奪と戦争奴隷獲得をもたらす)遠征事業と結び付けたのは…

 こういう話も。

さらにこういう話も。

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旧約聖書に書かれているパレスチナ等の場所・・・アブラハム(血統的ユダヤ人・ユダヤ人の祖等)が神から約束された地、モーセ古代ユダヤ人の指導者、レビ・祭司の祖等)にユダヤ民族に与えると約束された蜜と乳のしたたる地は、現在のパレスチナではない可能性があります。

約3000年位前、ダビデ、ソロモン王が活躍した古代イスラエル王国の地は現在のパレスチナではなくアラビア半島・メッカの南東に位置するアシール地方であるとも言われています。現在、この地はサウジアラビア政府は外国人の立ち入りは一部を除き禁止されており、遺跡探査も認められていません。

多くの研究者等が現在のパレスチナの地をいくら発掘しても古代イスラエル王国の痕跡は見つからないようです。こじつけ地はありますが決定的な遺物は見つかっていません。これらの研究はタブーの一つでもあるようです。

ここでいう「聖書」は、ユダヤ教聖典の「旧約聖書」のこと。この旧約聖書の舞台である、アブラハムが神から約束された地、モーゼがユダヤ民族に与えると約束された「蜜と乳のしたたる地」、ダビデ王・ソロモン王の活躍した古代イスラエル王国の地は、現在のパレスチナ地方ではなく、アラビア半島のアシール地方にあるというのが、この説の根幹である。 

現在のイスラエルの建国されたパレスチナの地をいくら発掘しても古代イスラエル王国の痕跡は、ほとんど見いだせないという。無理にこじつけているのはあっても、決定的な遺跡は出てこないという。

ヘブライ語は、子音のみで表記されていた。実際の読みは、母音を入れて表現されているので、正しい発音は復元しにくかったり、変化するのでもともと古代の地名の復元はむずかしいという。

そのこともあり、前500年頃には、アシール地方のユダヤ人達は、衰退の中で、民族意識もその歴史も失いつつあり、田舎生活者となりはててしまった。

なぜ、このようなことが起こってしまったのか。アシール地方は、大変豊かな土地で、古代イスラエル王国の二代国王ダビデ、三代国王ソロモンの時代に大変繁栄したが、その後、ユダ王国イスラエル王国に分裂し、さらに、アッシリア帝国新バビロニア王国の度重なる侵略をうけ、大変疲弊してしまう。そのために、アシール地方のユダヤ人たちは、当時の交易路でつながれていたパレスチナ地方に新天地を求めて多数移住していった。そして、移住したユダヤ人たちが、アシュール地方の出身地名をパレスチナ地方の移住地につけていった。

江戸幕府のある東京に、日本各地の地名がある。豊臣秀吉の城下町大阪にも日本各地の地名がある。古くは、太宰府のあった福岡にも、日本各地の地名が残っている。このようなことは、ほかにもあるので不思議なことではない。

パレスチナ地方には、聖書に書かれてある地名の場所が、確かにあることが多い。しかし、その位置関係になると、聖書に記述に一致しないことが多いという。ところが、このアシュール地方に当てはめると、聖書に書かれている位置関係が、合理的に考えて一致するという。たとえば、ソロモン王がヤハウェ神の神殿をつくったエルサレムであるが、アシール地方の「アール・シャリーム」が本来のエルサレムであるという。ただ、言語の変化があるので、古代のアラビア半島や古代ヘブライ語の知識が必要であることは言うまでもない。

また、聖書に書かれているオリーブ、イチジクなど植物や、気候自然の風景までも、パレスチナ地方ではなく、アシール地方の説明とする方が、合理的であり、記述に一致するという。

そんな感じで以下続報。