諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2020年代的風景】預言者エレミア

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私のフェニキア人観は旧約聖書から出発しているのです。

タンムーズ(タンムズ)

シュメール神話、アッカド神話の神。イナンナ/イシュタルの夫である。

 各国語での表記

アラビア語:تمّوز Tammūz; ヘブライ語 תַּמּוּז, 現代ヘブライ語 Tammuz, ティベリア式ヘブライ語 Tammûz; アッカド語 Duʾzu, Dūzu; となっている。 この神は、シュメールの牧羊の神ドゥムジDumuziまたはドゥムジッド/Dumuzid)を源とする。その名は〈忠実な息子〉の意。

Tammuzという名はアッカドTammuziからきたもののようで、初期のシュメールのDamu-zidを源にしている。これが後に標準シュメール表記のDumu-zidになり、アッカド語ではDumuziになった。フェニキアではアドニス(Adonis)となり、後にギリシャ神話にも取り込まれた。

バビロニア農業暦に組み込まれた服喪の儀式

バビロニアでは、その名の元となった神タンムズを讃えてタンムズの月が決められた。現代のユダヤ暦はバビロン捕囚以降のものが基になっているので、ユダヤ暦でもタンムーズは月の名前の一つになっている。古代の中近東やエーゲ海沿岸地方では、夏至の到来と共に服喪を行う習慣があった。

バビロニア人は、昼間の時間の減少と夏の炎熱が死に始める時期を、タンムズに六日間の「葬式」をあげることで区切ったのである。その儀式はエルサレム寺院(Temple in Jerusalem)の扉にすら見られ、改宗を進めるエゼキエルをおののかせた。

エゼキエル書 8.14

かくして彼は我を連れ北を向いたる神の家の扉に着きたり。そこにはタンムズ(の死)を嘆く女達座りき。彼、我に語りて曰く『これを見たか、おお、人の子よ。再び振り向いて見よ。そうすればこれよりも遥かに忌まわしいものを見ることになろう。
*次の場面では神殿に背を向け、東を向いて拝む男達の姿が描写される。これらのことから、タンムーズは太陽神であると考えられる。

実在の王との関係

神話シュメール王名表では、ドゥムジの名を持つ王は二人いる。

  • 洪水の前にバド・ティビラを治めていた5番目の王、羊飼いドゥムジ。
  • 「漁師ドゥムジ、クア(Kua)を100年間治めた」と載っているウルク第1王朝の第3の王

これらはたびたび混同されるが、シュメル神話においてドゥムジとイナンナの息子であるルラル神はバド・ティビラの主神であり、ルラル神を祭るバド・ティビラのエムシュ・カラマは古くはドゥムジを祀ったものであるとされているため、洪水前のバド・ティビラ王である羊飼いドゥムジをイナンナの夫ドゥムジとするのが定説である。

今回の投稿の発端は以下。

そんな感じで以下続報…