タンムーズ(タンムズ)
シュメール神話、アッカド神話の神。イナンナ/イシュタルの夫である。
各国語での表記
アラビア語:تمّوز Tammūz; ヘブライ語 תַּמּוּז, 現代ヘブライ語 Tammuz, ティベリア式ヘブライ語 Tammûz; アッカド語 Duʾzu, Dūzu; となっている。 この神は、シュメールの牧羊の神ドゥムジ(Dumuziまたはドゥムジッド/Dumuzid)を源とする。その名は〈忠実な息子〉の意。
Tammuzという名はアッカドのTammuziからきたもののようで、初期のシュメールのDamu-zidを源にしている。これが後に標準シュメール表記のDumu-zidになり、アッカド語ではDumuziになった。フェニキアではアドニス(Adonis)となり、後にギリシャ神話にも取り込まれた。
バビロニア農業暦に組み込まれた服喪の儀式
バビロニアでは、その名の元となった神タンムズを讃えてタンムズの月が決められた。現代のユダヤ暦はバビロン捕囚以降のものが基になっているので、ユダヤ暦でもタンムーズは月の名前の一つになっている。古代の中近東やエーゲ海沿岸地方では、夏至の到来と共に服喪を行う習慣があった。
バビロニア人は、昼間の時間の減少と夏の炎熱が死に始める時期を、タンムズに六日間の「葬式」をあげることで区切ったのである。その儀式はエルサレム寺院(Temple in Jerusalem)の扉にすら見られ、改宗を進めるエゼキエルをおののかせた。
エゼキエル書 8.14
かくして彼は我を連れ北を向いたる神の家の扉に着きたり。そこにはタンムズ(の死)を嘆く女達座りき。彼、我に語りて曰く『これを見たか、おお、人の子よ。再び振り向いて見よ。そうすればこれよりも遥かに忌まわしいものを見ることになろう。』
*次の場面では神殿に背を向け、東を向いて拝む男達の姿が描写される。これらのことから、タンムーズは太陽神であると考えられる。
実在の王との関係
神話シュメール王名表では、ドゥムジの名を持つ王は二人いる。
- 洪水の前にバド・ティビラを治めていた5番目の王、羊飼いドゥムジ。
- 「漁師ドゥムジ、クア(Kua)を100年間治めた」と載っているウルク第1王朝の第3の王
これらはたびたび混同されるが、シュメル神話においてドゥムジとイナンナの息子であるルラル神はバド・ティビラの主神であり、ルラル神を祭るバド・ティビラのエムシュ・カラマは古くはドゥムジを祀ったものであるとされているため、洪水前のバド・ティビラ王である羊飼いドゥムジをイナンナの夫ドゥムジとするのが定説である。
今回の投稿の発端は以下。
その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
エレミア書1:6
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
エレミア書の冒頭は、モーセとマリアを思い出させます。民のリーダーとなり、出エジプトを命じられたモーセ。やがて救い主となる男の子を産む、と受胎告知を受けたマリア。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
モーセ「わたしは、いったい何者でしょう」 pic.twitter.com/4JGI5UJhc0
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
マリア「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」 pic.twitter.com/WsLUCBdZke
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
これらの場面はよく似ています。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
1. あなたには大きな役目がある、と告げられる。
2. わたしにはそのような役目は受けられない、と答える。
3. 神があなたと共にいる、と告げられる。
この聖書箇所を読むと「あなたには大きな役目がある、と告げられる場面は人生にはしばしばある」ということをいつも思います。そして「自分はそんな器ではない、まだ若いし、準備などできていないし、それに、それに…」と言いたくなる気持ちのことも。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
そして、こんなことも思います。自分の役目というものは、告げられなければわからないものかもしれません。自分が思う自分の姿は、実は正しくないのかもしれません。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
自分のことは自分がよく知っている。自分の役目は自分がよく知っている。自分の能力や器は自分がよく知っている。そんなふうに思うけれど、いつもそうなのか。本当にそうなのか。実は「自分のことを知っている」と思うこと自体が傲慢なことではないのか。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
神がいつも共におられること。必要な力はちゃんと与えられること。しかしながら、そのような神を信頼し、その役目を受ける態度が必要なこと。その様子を思い巡らせる。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
「自分の役目はこう」と思うだけではなく「自分の役目はこうだと思っているけれど、神さまは何を私の役目だとご計画しておられるのか」と考える。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
「自分の能力はこう」と思うだけではなく「自分の能力はこうだと思っているけれど、神さまは何を私に与えてくださるのか、何をすでに与えてくださっているのか」と考える。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
それは、自分の世界を自分で決める態度から、神との対話を通して自分の世界を探っていく態度かもしれない。そのような態度は、自分の世界を想像以上に広げる。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
神との対話を通して本当の自分の姿を探っていく。役目や能力も探っていく。「神を信じる」態度がなければ対話はできない。「自分はすべてを知っている」と思っていたのでは何も聞こえないし、そもそも問いもしないだろう。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
愛する天の神さま。あなたは素晴らしい方。天地万物をお創りになり、私を住まわせてくださる方。あなたに感謝します。あなたの恵みは私に充分です。この小さきものがどのように生きていくのか、どうぞ教えてください。しもべは聞きます。主よ、お語りください。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
必要な力はすべて主が与えてくださるので、感謝します。主よ、あなたは備えたもう方だからです。あなたがいつも共におられるので感謝します。恐れることなく、あなたに信頼して、今日の一日も歩ませてください。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
天候のため、非常に多くの方が大変な目に合っています。病のため、たくさんの方が苦しみ、恐れを抱いています。神さま、どうぞ一人一人に必要な力を与えてください。慰めと励ましと助けを与えてください。あなたにできないことはありませんから感謝します。
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
私たち一人一人を愛してやまない聖なる主、イエスキリストの御名前によって祈ります。アーメン!
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
> わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りませんhttps://t.co/Xqe7yagLoX
— 結城浩 (@hyuki) 2020年7月28日
そんな感じで以下続報…