諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

21世紀とそれ以前の狭間

歴史観が変われば日本の戦前に対する反省も変わる。

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  • スイスの文化史学者ブルクハルト(Carl Jacob Christoph Burckhardt,1818年~1897年)は、ルネサンス期イタリアを分析して「権力は、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」という結論に到達した。ここで断罪されているのは概ね「(領主が領土と領民を全人格的に代表する)農本主義的伝統」の事である。*そもそもスイス自身が、モルガルテンの戦い(Battle of Morgarten、1315年)やゼンパッハの戦い(Battle of Sempach、1386年)によってハプスブルク家からの実質的独立を勝ち取ってから、イタリア戦争(1494年~1559年)に介入してミラノを巡る攻防戦の一環として戦われたマリニャーノの戦い(Battle of Marignano、1515年)でフランス国王フランソワ1世率いるフランス軍に大敗を喫っするまで、熱に浮かれた様にただひたすら支配地域拡大を目指す「農本主義的侵略国家」の時代を経験している。

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  • ところで日頃から「ドイツ系市民をマイノリティの立場に追い込んだオーストリア=ハンガリー二重帝国の立場を許さない」と考えていたヒトラーに率いられたナチスドイツは「全国各地のドイツ市民の庇護」を大義名分に掲げてヨーロッパ全土を支配下に置いた。また政治的経済的に行き詰まった大日本帝国も「アジア植民地の解放」を大義名分に掲げ、アジアの広大な地域を支配下に置いた。エドガー・スノーは「極東戦線 (Far Eastern Front、1934年)」や「アジアの戦争 (The Battle for Asia、1941年)」の中で日本陸軍の再現なき戦線拡大戦略が「プロイセンの狂犬主義」とか「湖を飲み干そうとする野良犬の無謀」と呼ばれていたと記す。その一方で国民党はバラバラの断片に過ぎない諸族統合のヒントをスターリン主義やナチズムに見出そうとやっきになっていた。考えてみればドイツ帝国成立を主導したプロイセン宰相ビスマルクの念頭にあったのは、関税同盟代表としての公益権の連続性確保であり、「プロイセンの狂犬主義」という言葉で連想されるのは一般に(その宗教観の押し付けによって最後は領内の商業都市すべてを敵に回した)チュートン騎士団の東方十字軍や(ビスマルクを失脚に追い込み、第一次世界大戦勃発の遠因をつくった)皇帝ヴィルヘルム2世の無分別な植民地拡大戦略だった。この当たりのイメージはちゃんと整理した上で把握しておかないといけない。

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  • ここで興味深いのは、どちらの国でも敗戦直後、それまで発言を封じられてきた有識者が「(領主が領民と領土を全人格的に代表する)農本主義権威主義の暴走」を指摘している点にある。世界恐慌のせいで政治も経済も崩壊した時代にあって、どちらの国でも「所領の拡大こそが経営再建につながる」といった戦国武将的感覚が庶民を支配した。だからこそ、その反動で両国は戦後復興期に「重工業化の鬼」へと変貌したというのである。*政治家や財界人が国家運営を投げ出した後、ドイツではその財界人や没落を恐れる中産階級を味方につけたアウトサイダー集団(オーストラリア=ハンガリー二重帝国においてドイツ人がマイノリティに転落する悲劇を味わった外国人とか、外交官や植民地商人の子弟とか)が権力を握ったが、日本では基本的には農村からの徴兵で編成された常備軍にそれが押し付けられた。おそらくそうした事に関係のある逸話であると推測される。

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  • 考えてみたら戦前ドイツでは「下部構造が上部構造を決定する」が流行語となっていた。そして(おそらく大日本帝國同様)政治家も財界人も国家運営を投げ出した後に「(領主が領民と領土を全人格的に代表する)農本主義的伝統」への回帰心理と再版農奴制の奇妙な融合が台頭したと目されている。*これについてはどちらの国も戦後、それ自体を責めるというより「政治家と財界人が国家運営を投げ出してしまうと、その後何が起こるか判らない」という反省の仕方をしている。

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  • また資本主義社会化や学歴社会化によって「領主と領民の精神的共依存状態」解体を試みたが、それはノブレス・オブリージュnoblesse oblige=高貴なるが故の強制)なきブルジョワ階層や学歴エリートを生んだだけという反省も見受けられる。

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  • ドイツでは「民族生物学」とでも呼ぶべき奇妙な疑似科学が流行。

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 もちろんこうした展開そのものが旧世代に属するのは言うまでもない。欧州では絶対王政下で極大化した国王と教会の権威主義に反旗を翻した政治的浪漫主義者達の大半が、資本家や経営者と労働者が対峙する産業革命以降の世界に適応できないまま、人知れず自滅していった様に。日本でも敗戦後、GHQの教育改革により「大学出身者=国家経営を善導する超精鋭集団」なる図式が崩壊し、それに抵抗する形で激化した学生運動が「教育の機会均等イデオロギーの浸透によって大義名分を失っていった様に。

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しかし、こうした時代が未だに過去になってない国も存在する。

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我々は何処に向かって漂流しているのだろうか。