ドイツ史
町山智浩の映画ムダ話『カリガリ博士』サンプル - YouTube ドイツのヘッセン州ヴィースバーデン出身のユダヤ人社会学者ヘルムート・プレスナー(Helmuth Plessner, 1892年~1985年)の「ドイツロマン主義とナチズム、遅れてきた国民(Die verspätete Nation.…
19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツの学者は、やたらめったらマルクスの造語「上部構造/下部構造」を使いまくる。 だが、どうもマルクスの意図した使い方じゃないっぽい…どうしてそうなった?
ウィリアム・マクニール「ヴェネツィア(enice: the Hinge of Europe, 1081-1797、1978年)」によれば、732年頃にカロリング家の宮廷で恐るべき戦術が発明された。鎧兜に身を固めた職業戦士による乗馬突撃の一種だが片手に盾、片手に長槍を構えて激突の瞬間…
古代ギリシャ・ローマ文明と欧州文明の連続性は、欧米人が自認しているほど単純なものではない。 例えばローマ帝国時代のガリア属州跡地に出現したフランス王国においては、北フランス諸侯がオイル語を、ノルマン貴族がノルマン語を、南仏の人々がオック語を…
そもそもフランク族(フランス語: Francs, ラテン語: Franci, ドイツ語: Franken, 英語: Franks)とは特定の部族ではない。匈奴(Xiōngnú、紀元前5世紀 - 93年頃)やイロコイ連邦(Iroquois Confederacy/ Haudenosaunee、17世紀~)同様に部族連合の一種であ…
さむらいウィリアム―三浦按針の生きた時代 posted with ヨメレバ ジャイルズ ミルトン 原書房 2005-10 Amazon Kindle 欧州史のある側面は確実に羊毛に覆い尽くされている。巡り巡ってその波は日本にまで到達したが、日本人の反応はあくまで冷淡。三浦按針が…
“All bad precedents begin as justifiable measures(どんな悪しき前例も、最初は正当な方法として始まったのだ)” - Gaius Julius Caesar Faoi móidh bheith saor - ‘’Nymphs of the sword’’, painting by Gordon... 構造主義社会学成立に強い影響を与えた…
カール・シュミットの「敵友理論」は、実際の歴史上においては勝利より自滅をもたらす事が多かった。 もしかしたらそれはキリスト教国教化によって文明人と蛮族の境界線を引こうとした帝政ローマ末期のイデオロギーの亡霊で、今日なおそれは定期的に生贄が捧…
スイスの文化史学者ブルクハルトや共産主義者マルクスが望んでいたのは、あくまで「神聖ローマ帝国の打倒」であって「分裂による拡散」ではなかったという。 とどのつまり時代的制約から「アレキサンダー大王の偉業」とか「帝政ローマの栄光」からそれほど脱…
歴史観が変われば日本の戦前に対する反省も変わる。 スイスの文化史学者ブルクハルト(Carl Jacob Christoph Burckhardt,1818年~1897年)は、ルネサンス期イタリアを分析して「権力は、何者がそれを行使するにしても、それ自体においては悪である」という結…
人間は自己分析の結果、何が悪か認識するとまず真っ先にそれを対立陣営に投影しようとする。まさしくカール・シュミットの「友敵理論」そのもの。
そもそも「世界史とは海の国と陸の国の対決の歴史であったとする世界観」とか「帝国主義そのものを悪とみなし、非武装中立の即時実践を正義と掲げる世界観」みたいな粗雑な歴史観は死角が多い。 例えば以下の様な歴史的悲劇を見逃してしまう。 Relish in Rus…
ハプスブルグ帝国に組み込まれる事を拒絶して独立したスイスの文化史学者ブルクハルト(Carl Jacob Christoph Burckhardt,1818年~1897年)は、シスマ(Schisma、教会分裂)期(1378年~1417年)に領主化した教皇とその背後でのボルジア家やメディチ家の暗躍…
「21世紀は陸と海のたたかい」~400年ぶりの歴史的大転換の始まり~(2010年02月16日) 陸と海と―世界史的一考察 posted with ヨメレバ カール・シュミット 慈学社出版 2006-11 Amazon Kindle こういう粗雑な歴史観が成立しにくいのは、そもそも「陸の…
欧米的合理主義はイタリアから始まった。 しかし19世紀スイスの文化史学者ブルクハルトは「イタリア・ルネサンスの文化(Die Kultur der Renaissance in Italien, ein Versuch、1860年)」の結語で、こうした考え方の登場は、当初むしろ当時の信仰深い人々を…