諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

本当は実在しなかったかもしれない「セカイ系ムーブメント」について。

何かが起こったとしか思えないタイミングというのがあります。例えば1969年。

  • 東大安田講堂陥落(1969年1月)と、その後処理に伴う東大受験の中止
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  • 白土三平の忍者アワー」の突然の打ち切りとアニメ版「サザエさん(1969年〜)」の放映開始。

  • 学習誌が「冷戦を背景とするSFジュブナイル小説」の代わりに藤子不二雄ドラえもん(1969年〜)」などの連載を開始

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  • 股旅物の人気凋落を受け、TV版最終回にテキ屋の主人公を殺したら苦情が殺到し、そのフォローとして始まった映画版「男はつらいよ・シリーズ(1969年〜1998年)」。

この年より、ナチスより何百万倍も悪辣な日本政府は、国民から革命を志す理想を奪い尽くすべく全メディアを動員した洗脳計画に本格的に着手した。一刻も早く日本政府を革命によって打倒してこのプロジェクトを頓挫させ、全日本人を迷妄状態から解放しなければならない」なんて尖った意見も見掛けた事がありますが、一般には「当時のメディアは、安田講堂陥落と東大受験中止の報道に接して急激に保守化した視聴者の趣向に対応すべく、慌てて改変を行った」と説明される事が多いです。そしてこの年に始まる「サザエさん」や「ドラえもん」や「男はつらいよ・シリーズ」は、どれもその後ずっと続く長寿番組へと成長していくのです。
*ただしこれら3作品のうち唯一主人公が不老不死の「二次元の住人」でなかった「男はつらいよ・シリーズ」は渥美清の死去により20世紀じゅうの終焉を余儀なくされる。まぁ最初から「死んでた」訳だし、成功の方が「予生」だったとも考えられる。

確かに、もしこれが本当に「日本政府が主導した計画的洗脳の成果」だったとしたら、その規模においても、その徹底的浸透振りにおいても、ナチスが実際に成し遂げたプロパガンダの成果を遥かに凌駕しています。それどころか「ドラえもん」に至っては海外輸出にまで成功してる訳ですから、まさしく国際謀略の世界…

そして2000年代後半にも同様に気になる変化が起こっています。ただしこれもまた「1969年の変化」同様、それまで進行してきた変化の総仕上げに過ぎなかった可能性が高い様に見えるのです。

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まぁまずはこれ。本当はいわゆる「セカイ系ムーブメント」とは何だったのかについて理解する為の最初の鍵。

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このギャップこそがいわゆる「ゼロ年代」といわゆる「2010年代」を分かつ実際の敷居なのです。さて、それでは当時、実際には何がどういう具合に展開していったのでしょうか?

  • 曽根富美子が「親なるものの断崖(1992年)」を発表。1992年、第21回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。2010年代になって電子書籍化された際に再度話題となり、紙の書籍としても再版された。北海道室蘭の幕西遊郭に売られた女達が一人残らず悲壮な最期を遂げていくだけの何の救いもない物語。

  • いわゆる「エロゲー」の世界では(明るい恋愛アドベンチャーGAME系作品に対するアンチテーゼとして)エルフの(またはおやぢシリーズ)「遺作(1995年)」「臭作(1998年)」「鬼作(エルフ2001年)」といった伊頭家シリーズ(またはおやぢシリーズ)、ミンクの「夜勤病棟(Night Shift Nurses)シリーズ(1999年~)」などの鬼畜系アドベンチャーゲームが流行。しかし2002年以降、同人ゲームで10万本以上のヒット作が連発。「エロゲー業界最大手」の屋台骨が揺らぎ始めてしまう。

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  • 鬼頭莫宏の作風は原則として終始変わらないが、その残酷で陰鬱なSF作品に「なるたる(1998年〜2003年)」「僕らの(2004年〜2009年)」の時代にだけ注目が集まった。
    なるたる - ストーリーを教えてもらうスレ まとめ Wiki*
    ぼくらの - ストーリーを教えてもらうスレ まとめ Wiki

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  • 1999年、高見広春の「バトル・ロワイアルBATTLE ROYALE)」が第5回日本ホラー小説大賞の最終候補に残ったものの、審査員から「非常に不愉快」「こう言う事を考える作者が嫌い」「賞の為には絶対マイナス」と不評で受賞を逃す(選者の1人が後に書くところによると、最大の落選理由は作品的に落ちるからであり、しかし、おもしろいから売れるだろうと、別の場で語り合っていたとされる)。むしろこの事情が話題となり単行本(1999年4月)と文庫本(2002年8月幻冬舎)が飛ぶ様に売れる。また深作欣二監督の手により映画化され2000年12月6日公開。公開前に国会でこの映画に関する質疑がなされ、また西鉄バスジャック事件を初めとする“少年犯罪”が注目された時期でもあり大ヒット作となった。翌2001年4月7日の再編集版「バトル・ロワイアル【特別篇】」、2003年7月5日には続編「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌 REVENGE」も大ヒット。

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    ①深作は本作品を制作するに至ったきっかけを問われ、太平洋戦争中に学徒動員によりひたちなか市の軍需工場で従事していた中学3年生当時(旧制中学校の教育課程制度下であるが、学齢は現制度での中学3年生と同じ)、米軍の艦砲射撃により友人が犠牲になり、散乱した死体の一部をかき集めていた際に生じた「国家への不信」や「大人への憎しみ」が人格形成の根底にあったこと、今日の少年犯罪の加害者少年の心情を思うと他人事でないという感情を抱いてきたことから、いつか「中学三年生」を映画の主題に取り上げたいと考えていたところ、長男で助監督だった深作健太から原作本を勧められ、帯にあった「中学生42人皆殺し」のキャッチコピーを見て「あ、こりゃいけるわ」と思い立ったと答えている。

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    ②原作高見広春・作画田口雅之の漫画版「バトル・ロワイヤル(2000年〜2005年)」は、オリジナルや映画版がアクションや心理描写に重点を置いたサバイバル人間ドラマであったのに対して殺害シーンの残酷描写や性描写に重点をおいた際どい内容で国際的人気を獲得した。

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  • 女子高生が陰惨で理不尽な性と暴力の世界(援助交際、強姦、望まぬ妊娠)に否応がなく巻き込まれていくケータイ小説Deep Loveシリーズ(WEB掲載2000年〜2003年、コミック化2004年〜2006年)」が大ヒットとなる。

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  • 2000年冬に同人誌即売会コミックマーケットに登場したオリジナル同人アダルトゲーム「月姫TYPE-MOON)」が発売される。異能者の主人公が、被害者が全身の血を抜かれて死亡する連続猟奇殺人に挑む。10万本以上の大ヒットとなり「エロゲー業界最大手エルフの牙城」が揺らぎ始める契機となった。
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  • 2000年からWeb配信を開始し、2001年に刊行された「氷菓」を第1作とする米澤穂信古典部シリーズ(角川スニーカー文庫:スニーカー・ミステリ倶楽部)」は、本来なら(諸般の事情によって東京創元社からノンシリーズとして発表された)「さよなら妖精(執筆2002年、刊行2004年)」で完結予定だった。もしそうなっていたら、東欧からの美少女留学生と古典部メンバーがキャッキャウフフの日常生活を送った後に彼女は帰国後内戦に巻き込まれて非業の死を遂げ、そのショックで折木奉太郎と千反田江留は疎遠になってしまうという衝撃の結末を迎えていた可能性が高い。
    *「人が殺せない」タイプの作家故に当時のトレンドと合わず、危うく断筆するところだった。第二作「愚者のエンドロール(2002年)」はまさにそうしたジレンマを描いた作品で「素人さんに、ミステリーとホラーの区別なんてつかないよ」「観客が求めてるのは残虐シーンが連続して血がいっぱい流れて心底怖い思いをさせられる事だけさね」といった登場人物の台詞に怨嗟を感じる。「クドリャフカの順番(2005年)」以降は逆に変化したトレンドに上手く乗った。

  • 河原礫は、2000年より「ソードアートオンライン」をデスゲーム物として執筆し始め、2002年からWeb上での公開をスタートしたが、次第に「デスゲームの仕掛人」茅場晶彦は単なる悪役の立場を脱却していく。その一方で2005年以降作品はその展開の主題をボトムアップAIや無人兵器、量子脳理論やシュミレーテッド・リアリティといった大掛かりなテーマに推移させていく。

  • ほしのこえ(2002年)」「雲のむこう、約束の場所(2004年)」において「セカイ系作家」の定評を獲得した新海誠監督だったが、「秒速5センチメートル(2007年)」以降はこうした作品で用いた構造を使わなくなっていく。

  • 2002年夏に同人誌即売会コミックマーケットに登場したオリジナル非アダルト同人ゲーム同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に(When They Cry、原作2002年〜2006年、アニメ化2006年〜2009年)」が10万本以上のヒットとなる。猟奇色の強い伝記ミステリーで、選択を誤ると集落の全員が死んでしまう。全員生存エンドを迎える鍵は「互いを信じあう心」。

  • 原作南條範夫・作画山口貴由シグルイ(2003年〜2010年)」が異色時代劇として人気となる。南條範夫は(「人気女優が理不尽な形で死を遂げる短編に連続して主演する」グランギニョール文法に従って中村錦之助が殉死していく7代を力演し国際的に話題となった)映画「武士道残酷物語(1963年)」の原作となった「被虐の系譜(1963年)」「残酷物語(1959年)」「古城物語(1961年)」などによって山田風太郎山田風太郎忍法帖シリーズ(1958年〜1972年)」やモンド映画日本上陸と併せ1960年代残酷物ブームを巻き起こした立役者。
    *この作品が残した流行語としては「封建社会の完成形とは少数のサディストと多数のマゾヒストによって構成されるのだ」が有名。だが物語は展開するうちに「封建体制なる旧悪を裁く」方向から「権威に盲従したがる人間側こそ悪」という認識に推移していく。

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    シグルイ15巻(2010年10月20日初版)後書き(山口貴由

    南條範夫の作品に出会ったのは十代の終わり頃であった。

    それは戦国時代の物語でありながら、ごく近代の太平洋戦争中の悲話の記録であるかの様な生々しい臨場感が鮮烈であり「拷問」「斬首」「磔刑」などの言葉に血が通っているのは、戦時中の大陸での非情な体験を基盤とした事実制の裏付けにあると開設されていた。

    (中略)

    平成十四年の初夏「駿河状御前試合」の原作使用許可を得る為、南條邸に向かう私と編集者の胸には緊張と紅葉と不安があった。

    (中略)

    結論から言えば我々の不安は杞憂に終わった。「駿河状御前試合」への真摯な情熱が伝わったというより、我々があまりに若過ぎたが故に全て許されたのである。南條範夫との年齢差は半世紀以上。その様な若輩に作家としての慧眼が向けられる事はなかった。

    「苦労知らずだな、御前達は」笑顔がそう物語っていた。

    平成22年(2010年)7月 南條範夫(1908年~2004年)「残酷について」シグルイ第一巻(2004年1月22日初版)あとがき

    人間の感情が極端に奔ると残酷は生まれる。

    逆を言えば、問題がなく日常生活が平穏に営まれていると残酷は表面化してこない。しかし一度問題が起こり、社会や世間といった人を取り巻く関係にその問題を和らげる事が出来ず、そういう状況下で人間の感情が極端に奔る時、残酷が表面に現れてくる。

    むろん人間の感情が極端に奔る場合は様々であって、例えば悲愁(哀しみ)などもそうである。私が武家の女房などを題材とする時はこれを描く事になるが、男の、武士の問題を題材とする時に主題となるのは残酷だ。そして私が小説に描くのはこちらの方が多いので自然「残酷物」が多くなる。

    男の感情が最もはっきりと判るのも残酷になった時である。男も優しさを示すが、それは何処か芝居じみている。本性を表すのは残酷になった時だ。だから残酷は男の世界を現実につかみ出す。今も昔も世界中のどこでもそうだ。歴史上の問題を何か一つでも考え込んでみればいい。突き詰めれれば必ず残酷な状況が立ち現れる。

    私は主に歴史小説を書いてきたが、昔の社会では残酷さがすぐに顔を出す。ある意味何もかもが残酷だ。戦国時代の武将達に武将達の様に対立を和らげる組織がないところでは、それぞれが対立者と直接ぶつかり合うしかない。自分が勝つか相手に殺されるかだ。その一方で昔の人々は普段は上の者に対しても仲間に対しても感情を抑えて生きてきたから、一旦箍(たが)が外れると普段抑えていた洋々なものが一気に噴出する。そうしたぶつかり合いが感情を極端化させ、人を残酷化させるのである。

    人間が本来残酷な生き物であると言いたい訳ではない。何か問題が発生した時、それが対立に向かわない様に取りまとめようとする人々ももちろんいる。穏やかで、残酷さが表面化してこない社会も歴史上幾らでもあった。そもそも残酷さが表面化しない様にしっかり抑えるのが政治ともいえる。

    しかし問題のない世界、あってもその問題を受け入れ何も事を起こさない人間というのは承接にならない。私はそうしたものに興味はない。

    私が取り上げるのは、何か問題が生じた時、それを抑え和らげようとするのではなく、むしろカンカンになってしまう人間、感情を極端に奔らせてしまう様な人間である。

  • 谷川流涼宮ハルヒシリーズ(2003年〜)」は次第に「世界の存続危機」を主題として扱わなくなり、美水かがみらき☆すた(2004年〜)」かきふらいけいおん!(2007年〜2012年)」といった「日常系作品」に合流していった。

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  • TYPE-MOONが商業作品第一弾「Fate/stay night(2004年)」を発売。「聖杯戦争」という名のバトル・ロワイヤル形式のデスゲームだった。同年6月には奈須きのこが『月姫』と共通の世界観を持つ小説「空の境界」を発表。後に異能バトル物の古典に。

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  • 「愛人(AI-REN,1999年〜2002年)」「愛しのかな(2006年〜2009年)」の田中ユタカと「ディスコミュニケーション/夢使い(2000年〜2004年)」「謎の彼女X(2006年〜2014年)」の植芝理一が奇しくも興味深い事を述べている。2000年代後半は「Sexで終わるプラトニック・ラブストーリー」や「幽霊の成仏で終わるゴースト・ラブストーリー」を許さなくなっていった時代なのだと。
    *「異類婚や彼岸と此岸の交流は必ず不幸に終わる」なる伝統的物語文法が完全崩壊したのもこの時期。そして「AIそのものの進歩というよりAIに対する人間側の受容態度の進歩が重要」とか「寿命も特性も異なる種族の共存について真摯に取り組む」といった新しい傾向が芽生えてくる。

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  • 志村貴子青い花(2002年〜2013年)」「放浪息子( 2002年〜2013年)」や浅野いにおおやすみプンプン(2007年〜2013年)」「うみべの女の子(2009年〜2013年)」といった2010年代に入ってから国際的にカルト的人気を獲得する作品も多くがこの時期に発表されている。

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さて、こうした全体像はどう要約するのが妥当でしょうか?  素直にこの年表を直視するなら、例えばこんな感じにまとめられるのではないでしょうか?

  • おそらく1990年代後半から2000年代初頭にかけて「残酷で理不尽な性や死にまつわる展開を伴わねば「人間が生きている実感」を表現出来ない時代」というのが存在した。しかも次第に「国家や社会や集団を加害者と見做す設定」がリアリティを失っていく。
    *「国家や社会や集団を加害者と見做す設定」がリアリティを喪失…これは別に日本だけで進行した事態ではなく、それで例えば海外でも「ティモシー・リアリー(しかも、その主張のごく一部)だけが残った」なんて現象が起こった。要するに全学連世代とかヒッピー世代などがエンターテイメント業界への影響力を本格的に喪失していった時期に該当する。

  • 「60年代残酷ブームの仕掛人」の南條範夫や「仁義なき戦いシリーズ(1973年〜1976年)」の深作欣二監督などが喜んで巻き込まれていったという事は、それが日本文化史における孤立した動きではなかった事を意味する。
    *そもそも「焼け跡の哲学」を身を以て知るこの世代は「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」という展開を幾度となく経験しており、2000年代後半の展開も最初から予測していたのではなかったか? ブームの仕掛け人というものは、そのブームがどうやって収束していったかも良く覚えているものである。「残酷で理不尽な性や死にまつわる展開を伴わねば「人間が生きている実感」を表現出来ない時代」が何時までも続かない事を直感的に悟っていた可能性さえある。そして2000年代前半とは「身体感覚しか信じられない時代」「デスゲームを通じてしか生きている実感を回復出来ない時代」と次が模索された時期であり、彼らは優秀なセコンドとして機能したのだった。

  • こうした動きが国際的に孤立していおり、完全に一時的現象に終わったとする前提も間違っている。確かに試行錯誤の時代ゆえに大量の死体の山が積み上げられもしたが(自らの限界を悟ってこの時期以降、断筆したとしか思えない作家も多い)、当時の「生還者」こそが2010年代以降、日本のコンテンツを支えている様にも見受けられるからである。
    *ここで興味深いのが、海外のアニメ漫画GAMEファンの選好基準が、南條範夫深作欣二監督のそれに近似しているという事。そもそ当人方が長年に渡って海外にも通用するコンテンツ提供に携わってきた歴史を思えば当然の事に過ぎないのかもしれないけれど。
  • また「最前線」だけでなく「後方」における動向にも目を向けるべき。米国でハリウッド業界と大手コミック会社が「何を発表しても売れない」苦境に陥った時も、突破口を開いたのはロジャー・コーマン監督の様なドライブイン・シアター向けに供給する製作者やインディーズ・コミックの提供者達だったではないか。
    *ここでも「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なるルールが顔を出す(やっぱり死体は山積みにされたし、ロジャー・コーマン当人もこの時期を境に監督を引退している)。もちろんアメリカ人は坂口安吾も彼が準拠したフランス文学の世界も知らない。アメリカを代表する詩人ホイットマン(Walter Whitman、1819年〜1892年)も同様の事を述べており、それを暗唱してるまでの事。だから千葉真一のモットー「肉体は俳優の言葉です」に素直に感動したりもする。

それにもかかわらず同時代の評論が盛んに論じた「セカイ系ムーブメント」論は、こうした全体像と完全にかけ離れたものだったのです。

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若者達の「若さ」に憎みながら依存する全共闘世代あるいはニューシネマ世代。なんと当時は「セカイ系の若者には社会性が欠けている」と連呼し続けた彼らこそが社会全体から切り離されていく過程にあったのです。2010年代に入ると多くの評論家が沈黙してしまった理由もおそらくこれ。「切り離し」が完全に完了したので語れる言葉もまた失くしてしまったという次第。

それでも彼らは若者達に憎しみながら依存する生活態度を律儀に守り続けています。そしてマルクスいわく「我々が自由意思や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」。それでは肝心の若者への影響力はどう推移していったんでしょうか。

 

  • 2000年代前半にWeb小説や同人ゲームや自主制作アニメが盛り上がったのは、ある意味「絶対悪たる全体主義社会からの知的で軽やかな逃走」を命じ続ける「大人の声」からの脱却の試みだったのかも。
  • だとすれば「セカイ系作品」に分類された作品の多くは両者の力が拮抗した短期間の間だけ存在した瘡蓋(傷が癒えると剝がれ落ちて役割を終える)の様なものに過ぎなかったのかも。
    *当時は「自分の身体感覚しか信じられない作品群」「デスゲームを通じてしか生きてる実感が回復出来ない作品群」を経て「次の段階(Next Step)」の模索が始まった時期に該当する。その一環として短期間だけ「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(きみとぼく)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群」が輝いた時期なら確かにあった。とはいえ、そうした作品は(「涼宮ハルヒ・シリーズ」の様に)「絶対悪たる全体主義社会からの知的で軽やかな逃走を命じ続ける大人の声」から完全に逃げ切った上で「異類婚や彼岸と此岸の交流が悲劇にしか終わらない物語文法の崩壊」なる2000年代後半のトレンドにも適応して全く別物へと変貌していったか、あるいは(高橋しん最終兵器彼女(2000年〜2001年)」や秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏( 2001年)」の様に)歴史的役割を終えて静かに忘れ去られていく道を辿ったのだった。最も扱いが難しいのが鬼頭莫宏「ぼくらの(2004年〜2009年)」で、海外においてはこの作品に登場するマスコットのコエムシが「プリンセスチュチュ(Princess Tutu、2002年〜2003年)」に登場するドロッセルマイヤー老人、「魔法少女まどか☆マギカ(Puella Magi Madoka Magica、2011年)」のQBなどと併せて「絶対契約してはならない21世紀対応型悪魔」なるグループにまとめて分類されていたりする。要するにこの系譜は独自戦略によって「絶対悪たる全体主義社会からの知的で軽やかな逃走を命じ続ける大人の声」から完全に逃げ切ったと考えられているのである。

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  • そして「異能バトル物」なるトレンドが「傷跡」の一種として残される事に。その源流は山田風太郎忍法帖シリーズ(1958年〜1972年)」とも、南條範夫の60年代残酷物とも、「仁義なき戦いシリーズ(1973年〜1976年)」「魔界転生(1981年)」「バトルロワイヤル(2000年)」といった深作欣二監督作品とも荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険(187年〜)」とも見て取れるが、重要なのはどれも絶対悪たる全体主義社会からの知的で軽やかな逃走」を命じ続ける「大人の声」とは原則的に無縁で、それから脱却する枠組みを与えてくれた事だったのかもしれない。

 

まぁ、ニューアカ系理論が国際的にはソーカル事件(1994年)で壊滅して以降海外では基礎教養となったリチャード・ドーキンスミーム(meme)論に基づくとこんな感じの解釈となります。

「ミーム論」

もともとミーム(meme)という言葉は、動物行動学者、進化生物学者であるリチャード・ドーキンスが、1976年にThe Selfish Gene(邦題『利己的な遺伝子』)という本の中で作ったものである。ドーキンスはまずギリシャ語の語根 からmimemeという語を作った。mimは「模倣」を意味し(mimic「まねる」, mime「物まね」,mimesis「模倣,擬態」などに含まれている)、-emeは「…素」を意味する名詞を作る接尾辞である(言語学用語のphoneme「音素」,morpheme「形態素」などと共通)。しかし彼はこれを遺伝子 (gene、ジーン) のような一音節の単語にしたかったので、むりに縮めてmeme「ミーム」 とした。彼はmemeをmemory「記憶」やフランス語のmême [mɛːm]「同じ」と結びつけて考えることもできるだろうと述べている。ドーキンスは、ミームを脳から脳へと伝わる文化の単位としており、例としてメロディやキャッチフレーズ、服の流行、橋の作り方などをあげている。

その後、ミームドーキンスやヘンリー・プロトキン、ダグラス・ホフスタッター、ダニエル・デネットらにより、生物学的・心理学的・哲学的な意味が考察されるようになった。初めてミーム学についてまとめられた本が出版されたのは、リチャード・ブロディのViruses of the Mind:The New Science of the Meme(邦題『ミーム―心を操るウイルス』)であり、その後スーザン・ブラックモアがThe Meme Machine(邦題『ミーム・マシーンとしての私』)でさらにミーム学を発展させた。

ミーム学は二つの意味で進化論に基づいている。一つは、ミームの進化を遺伝子の進化との類推でとらえられること、もう一つは、ミームの進化は遺伝子がどのように進化してきたかと関わりがあることである。ここでの進化論は利己的遺伝子の理論となる。

ドーキンスは進化における自然選択(自然淘汰とも言う)の働きを説明するために、遺伝子以外にも存在しうる理論上の自己複製子の例としてミームを提案した。ドーキンスの視点によれば、自然選択に基づく進化が起きるためには、複製され、伝達(遺伝)される情報が必要である。またその情報はまれに変異を起こさなければならない。これは生物学的進化では遺伝子である。この複製、伝達、変異という三つの条件を満たしていれば遺伝子以外のなにかであっても同様に「進化」するはずである。

災害時に飛び交うデマ、流行語、ファッション、言語、メロディなどの文化情報の伝承伝播の仕組みを、論者の定義に基づいてミームを用いて説明することがある。 例えば「ジーパンをはく」という風習が広がった過程をある論者のミームの遺伝子との類推からとらえなおせば、次のようになる。「1840年代後半のアメリカで「ジーパンを履く」というミームが突然変異により発生し、以後このミームは口コミ、商店でのディスプレイ、メディアなどを通して世界中の人々の脳あるいは心に数多くの自己「情報」の複製を送り込むことに成功した」。ミームの定義は論者によって様々なものが用いられるが、主に人類の文化進化の文脈において用いられる概念である。文化を脳から脳へ伝達される情報と見なす視点は、文化を個人のふるまいを規定する超個体的な実体(社会的事実)と見なす伝統的な社会学の視点と対照的である。

この考え方に従うならミーム展開のベクトルは、例えば「絶対悪たる全体主義社会からの知的で軽やかな逃走を命じ続ける大人の声」とか、それからの脱却を図ろうとする「個々のインディーズ・ジャンルの起源の運動」といった単位となり、そこに「セカイ系作品群」という展開は存在しえないのです。

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結局のところそれは「若さ」に憎みながら依存する絶対悪たる全体主義社会からの知的で軽やかな逃走を命じ続ける大人の声」の側の視点から見た「寄生に都合の良い認識」の産物に過ぎず、2010年代に入ると次第に「自分達の代わりにデモの最前列に立って若さを強調し、自分達の代わりに警官隊や機動隊に殴られて重傷を負ったり死んでいってくれる盾」なる実際の若者の動員力を伴えない、さらに利己的な形態へと進化を遂げる事になりました。この視野狭窄によって「セカイ系批評」の段階では、まだ僅かながら視野の端っこには引っ掛かっていた個々のインディーズ・ジャンルの起源の運動」が完全視野外になってしまったのですね。