諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【修正主義】【超克主義】どうやら私は筋金入りの「修正主義者」っぽい。

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 昔の投稿ではちょっと曖昧だった部分。

Ratio04(2007年11月29日発行)小林敏明「近代の超克」とは何か

もはや博物館に陳列された化石ほどの扱いを受ける話題となってしまったが、今から百年ほど前、社会主義の運動が国際化しはじめた頃、その運動を舞台に「修正主義論争」というのがあった。これは論争の主役の一人ベルンシュタインプロレタリア独裁や暴力革命を拒否して、あくまで議会における法律の改正を通して社会主義を遂行していくべきだという批判(「社会主義のための諸前提と社会民主主義の任務(Die Voraussetzungen des Sozialismus und die Aufgaben der Sozialdemokratie、1899年)」)を公にしたことをきっかけに、当時の社会民主義党の政策をめぐって巻き起こった論争である。この時に最も激しい批判を浴びせたのが、あのローザ・ルクセンブルグであった。歴史的な論文「社会改良か革命か(Sozialreform oder Revolution?、1900年)」はベルクシュタインを正面から批判した文章である。この中でルクセンブルグは「改良」と「改革」についてこう述べている。

「そのつどの法制定はたんなる革命の産物にすぎない。革命が階級史の政治的創造行為なであるとすれば、立法は社会の政治的やり口である。法律の改正作業は革命から離れた独自の原動力を持っているわけではない。その仕事はただその大改革がもたらした歩みがまだ余韻を残している間、具体的に言えば、前の大改革が世界にもたらした社会形態の枠内においてのみのことであり、まさにここに問題の核心があるのだ」

私はこの論争は単に社会民主党内部での政治路線の対立という次元に止まらない問題を孕んでいると思う。それは近代批判という姿勢をとりながら「近代」という時代をどう捉え、どう対処すべきかという問題をめぐって生じる思想上の対立を、ある意味先取りしている。一言で言えば「近代」そのものをまるごと否定して乗り越えをはかるのか、あるいは「近代」内部に止まりつつ漸進的改革を図るのか。仮に前者を「超克派」、後者を「修正派」と名付けよう。超克派は近代を一つのまとまったシステム、そう言ってよければ固有の限界を有する閉じたパラダイムと認識し、これを根本から否定しようとするがゆえに、短期間で一気に決着のつく「革命」を志向しやすい。むろんここで私がいう「革命」は、これまで左翼陣営でいわれてきたものだけに限らない。どの様な陣営からであれ「近代」を総体としてひっくり返そうとする考え、政策、企て、干渉、クーデター、蜂起等の全てに共通する意図的で急激な変革運動一般を含む。それに対し、これらを危険な冒険とみなし、むしろ部分的「改革」の積み重ねによって少しずつ「近代」を変質させていこうとするのが「修正派」であり、その立場はベルンシュタインの有名な言葉「私には道程こそが全てであって、目標などないに等しい」に象徴されている。こちらでは「近代」は閉じた系というよりむしろ「開かれた社会」ないしは「未完のプロジェクト」としてイメージされる。

そうした観点から先のルクセンブルグの引用を読み返してみよう。彼女は歴史的に時代を画する様なパラダイム変化は革命という「大変革」によってのみ開かれるのであり、個々の改良政策はあくまでそれを追認し具体化するに過ぎないと述べる。そしてこうした発想をベルンシュタインは「非現実的」「ブランキズム」と斥けている。似た様な論争がその後も宗教、政治、経済、歴史、哲学といった様々な分野で発生し、その都度「教条主義」「修正主義」「冒険主義」「日和見主義」といった抽象的で曖昧なジャーゴンが論争の道具として使われてきた。元来キリスト教の概念だった「教条」という言葉が政治の場で頻繁に使われる様になる一方、「修正主義」という言葉の方はいつの間にか「左翼陣営における漸進的で構造的な社会改革路線」という原義を忘れ去られ、今ではもっぱら右派による歴史認識の歪曲を意味する「歴史修正主義」の意味で用いられている。とはいえ全体像を通覧してみれば、概ね論争上の対立軸は「革命か改良か」や「修正か超克か」に要約出来る事が多い。

(中略)

ところでマルクス主義については、マルクスエンゲルスの資本主義批判がドイツでなくイギリスの労働者階級の観察から生まれた事実を見逃してはいけない。彼らはナショナル・エコノミー(National Economy)を批判するが、ここでいうナショナル(National)もまた具体的にはイギリスの事である。つまり彼らの「資本主義=近代」批判は、あくまでヘルムート・プレスナーいうところの「遅れたネーション(Nation)」からイギリスという「進んだネーション(Nation)」に向けられた「他者の眼差し」から出発しているのである。だからこそ資本主義の個々の問題や矛盾を列記する代わりに「資本主義=近代」の本質や根本的メカニズムそのものに注目した。そしてその全体を一つのシステム、固有の限界を有する閉じたパラダイムとして認識し、これに本質的で根本的な批判を加える展開を選択した。

森の中にいる限り、森全体の形は見えない。それが見えるのは森の外に身を置いた観察者、すなわち「他者の眼差し」をパースペクティブとして備えた者だけである。マルクスはこの観点をイギリスとドイツの発展落差を通じて獲得した。「革命」に拘泥し続けたルクセンブルグもまた、そのドイツよりさらに発展の遅れていたポーランド出身だった。またかねてからアミンの従属理論が指摘してきた通り、革命を成功させた国のほとんどはイギリスの様な先進国ではない。ロシア、東欧、中国、朝鮮、ベトナムキューバ。「近代=資本主義」的発達という観点からすればむしろ周辺的地域の方が圧倒割合を占める。冷戦体制崩壊後のラテン・アメリカ諸国でも、まだまだマルクス主義への共感が色濃く残る。様するにこれらの地域において「近代=資本主義」は「他者」なのである。ただし本当に完全な「他者」なら、そもそも視界に入る筈もない。その一方で、これから(自分達も)向かう先という意識もちゃんとあり、だからこそ「(自分達は)遅れている」という意識もまたつきまとう。そしてこうした構造こそが超克型思考の温床となる。

この観点からすれば、私は紛れもない「修正主義者」の一人という事になりそうです。

  • そもそもエドマンド・バークが「フランス革命省察(Reflections on the Revolution in France、1790年)」の中で提唱した「(ある世代が自分たちの知力において改変することが容易には許されない)時効の憲法(prescriptive Constitution)」の概念を自分の考え方の中核に据えている。
  • その延長線上で「今さら何も数値化されてない世界になんて誰も戻れない」という立場に立っている。
  • 過去に「共産主義とは要するにツンデレの事である」と断言する投稿をしたが、こうした上掲の背後にあったのは、要するに上掲文で指摘されている心理状態。

  • 先進国では社会民主主義が採択され、後進国では革命が起こる」と指摘して「修正主義者」の烙印を押されたアントニオ・グラムシを相応に認めている。
    グラムシ没後70周年記念~グラムシ思想の世界的ひろがり

ところで上掲文には続きがあります。「世界で最初に産業革命を成功させた先進国イギリス」に対するコンプレックスを抱えながら「近代=資本主義」の導入に踏み切ったのは何もドイツだけに限りません。フランス…アメリカ…日本…そういえばどの国のマルクス主義者も、少数派ながら…いや、むしろ少数派であるが故に苛烈?