諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【距離のパトス】【ピクチャレスク理論】「21世紀的問題」としての復活に至る?

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貴族主義へのノスタルジー維持を目論んだゴビノー伯爵やニーチェレヴィ=ストロースが想定した「距離のパトス(Pathos der Distanz)」理論。

*距離のパトス(Pathos der Distanz)…例えば「貴族=特権階級」の撤廃はエントロピー理論的に「伝統的にエネルギー変換の恒常を担保してきたシステムの失陥」を意味し、究極的には人類の衰退を加速させるといった思考様式。

その概念の成立に当たって「保守主義の父」エドモンド・バークの美学論が重要な役割を果たした「ピクチャレスク(Picturesque)」理論。

*大災害などの「日常の裂け目」を中心に展開する世界観の大源流には「距離のパトス」理論同様に「貴族の優美さは下層階層の粗野な実生活と対比される事によって一層引き立つ」とする貴族主義が潜在している。

これまでの私の投稿に対するアクセス状況から逆算するに、日本人はこれらを「ベルサイユのばら」的な華麗なる王朝文化と「御当地グルメ自慢合戦」の二軸で理解している様です。
*「ベルサイユのばら」の世界オーストリアユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig、1942年)が「フランス革命絶対王政を打倒する事によって人類は新たな進化段階へと突入した」と考えたがるフランスの進歩主義的歴史館に真っ向から反対する形で執筆した評伝「マリー・アントワネットMarie Antoinette、1932年 )」を原案とする。

*「御当地グルメ自慢合戦」…王侯貴族や聖職者とブルジョワ階層ら庶民階層の葛藤を「垂直方向に広がる距離のパトス」とするなら「水平方向に広がる距離のパトス」。日本では江戸幕藩体制下における未曾有の観光旅行ブームにその起源を有する。

一方「特権階層撤廃は人類の文化の衰退を加速させる」なる貴族主義と鋭い対比を為すのが「産業革命による大量生産・大量消費の時代の到来によって王侯貴族や聖職者に代わって消費の主体となった)大衆がそう望むのだから、娯楽供給者側は「大衆が望むもの」のみを、しかも限りなく安価(究極的には無償が望ましい)で供給し続けなければならない」とする「消費者原理主義」となります。
*「大衆が望むもの」…それが何かは随時節操もなく変貌し続け、その事によって生じた倫理的矛盾は全て娯楽供給者側に対する根本的軽蔑に皺寄される。もはや宗教や封建主義体制なんて目じゃない暴君振り?

 日本の江戸幕藩体制下における文化展開の特異性は、ファッションや文化供給の主体が王侯貴族や聖職者当人(および彼らによってパトロネージュされた芸術家)ではなく、歌舞伎役者や戯作者といった「庶民の支持を集めたエンターテイナー」だった点にあるのですが、後者の当時における反権威主義的在り方が「歌舞伎役者が同時に社会的には河原者として軽蔑され差別され抜く」バランス感覚と表裏一体の関係にあった事を忘れてはなりません。

*「ファッションリーダー」…遊郭の高級遊女や男娼が歴史的にこの分野で大きな役割を果たしてきた点ににおいては欧州も日本もそう大差ない。フランス絶対王政下においてはポンパドール夫人の様に「国王に代わって国政を牛耳る側室」まで登場し、これが有名な「マリー・アントワネット王妃とデュ・バリー夫人の対決事件」へと繋がっていく。

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その一方では江戸幕藩体制下においては各身分ごとに多種多様な「」が結成され、自分達の考えを代弁してくれる娯楽供給者をパトロネージュする文化が大いに発達しました。日本の伝統芸能の多くはこれを支えとして存続してきた訳です。

ならば上掲の様な消費者至上主義」は一体いつ頃から日本最大の勢力への成長を遂げたのでしょうか? もしかしたら「消費者がモンスター・クレーマー化する世界の拡大」は「商品供給側が自らを絶対精神(神の高み)まで引き上げようとする世界の拡大」と表裏一体を為しているのかもしれません。

  • それはしばしば「高度成長期におけるハードウェア(箱物)重視と表裏一体の関係にあったソフトウェア軽視の傾向」に起源を有すると説明される。実際、オフコン(オフィス・コンピューター)黄金期期には「システムなんて所詮はハードのおまけ」なんて営業の認識がまかり通り「顧客が幾ら無謀な仕様変更を繰り返しても追加料金は一切発生しない」今日の日本IT文化の基礎が築かれたのである。

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    オフィスコンピュータ - Wikipedia

    日本では、1970年代後半から1990年代にかけて、中小企業の財務会計や給与計算、販売管理といった、全社的な業務処理システムや、大手企業の支社や支店、部門ごとの処理システムの構築用に多く導入され、全国の中小企業や工場の情報化に貢献した。

    メインフレームのような海外からの技術導入とは直接関係なく進化していった。また、日本独自の商習慣や日本語を扱う点などがシステムそのものの設計にも影響し、海外からの進出が困難だった市場でもある。設計は基本的に各メーカーの独自アーキテクチャである。

    オフィスコンピュータ、略してオフコン。日本ベンダーが「独自OS、独自CPU、独自きょう体」という独自路線で作り上げた小型コンピュータは、1960年代から1990年代に全国の中堅中小企業や工場の情報化を後押しした。

    数十のベンダーが市場に参戦。オフコンを売り、その上でシステムを構築する販売店(ディーラー)網を築いた。ラインプリンターやFD(フロッピーディスク)、モデム、POS(販売時点情報管理)レジ、ハンディーターミナル、UPS無停電電源装置)――。販売店は次々と生まれる周辺機器を使い、多様なシステムを作り続けた。

    最盛期の1990年代、シェア3割を握る富士通は1974年の参入から「累計で50万台出荷に沸いた」(神尾彰一エンタプライズシステム事業本部基幹サーバ事業部オフィスサーバ開発部部長)。トップを争うNECは「最盛期の1993年ころは年間8万台を出荷していた」(本永実パートナーズプラットフォーム事業部長代理)という。

    Windowsサーバーの登場で市場は一変する。オープン化の波に抗えないベンダーは「既存資産を守り続ける」として、オフコンOSをWindowsや汎用CPUで動作できるように改変し始めた。

    その後、採算が合わなかったり、技術者を新技術に転換する為に撤退が続出、日立製作所は1993年に、東芝は1996年に事実上の最終モデルを出荷。年間出荷量も2001年の1万170台から2015年の1022台まで大きこ落ち込んだのである。

  • 実際にはその起源は江戸時代に発達をみた「絶対忠義文化(家臣は理不尽な主君に滅私奉公してこそ幸福を得られるという封建的信仰)」にまで遡るとも考えられる。中国から伝来した原義における「士道」は「春秋戦国時代に基礎付けられた)宮仕えマニュアルの一種」で「家臣はどうやって主人を選ぶか」「選んだ主人に対して家臣はどこまで奉仕すべきか(逆をいえば如何なる条件を満たせば見捨てて良いか)」をそれなりのバランス感覚に基づいて説く内容だったが、徳川幕藩体制はこれを「身分制を安定させ不満吸収制度」に変貌させ「士大夫階層」だけでなく庶民にまで普及させて300年前後に渡る太平の世を実現。最近では中国共産党に逆輸入され「和諧社会」と呼ばれる新たな展開を迎える事に。背景にあるのは、まずこれ。

    「お客様は神様です」という呪文 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

    大日本帝国軍国主義に導いたその理念は「国家間の競争が全てだった」総力戦体制期(1910年代後半〜1970年代)と「国民総動員の概念だけ民間企業が継承した」産業(マーケティング)至上主義時代(1960年代〜1990年代)へと継承されていく。一言で言うと、つかこうへい「蒲田行進曲(演劇1980年、小説1981年、深作欣二監督映画1982年)」の世界。
    蒲田行進曲 - Wikipedia

    *いや、より正確には消費者原理主義の暴走は「産業(マーケティング)至上主義時代まではかろうじて保たれていた距離のパトス的節度(「鎌田行進曲」における銀四郎とヤスの共依存関係)」が崩壊したからこそ始まってしまったとも。

    *距離のパトス的節度…欧米においてはなまじこれが保たれていたが故に「インフルエンサーマーケティングの暴走」が見受けられたとも。当時もてはやされた「カリスマへの熱狂的没入には癒し効果がある」なる思考様式、日本を軍国主義に導いたヘーゲル哲学、すなわち「人間は絶対精神(absoluter Geist)との完全合一を果たし、自らの役割を与えられる事で初めて幸福を得る」とした全体主義の残滓が濃厚に感じられる。そして、ここでいう「絶対精神から与えられる役割」が「消費者」に限定されていったのが、ある意味産業至上主義時代の最大の特徴で、この図式において(商品を供給する)企業や(それを消費者に売り込む)マスコミは「絶対精神」の役割を演じる事になる。

  • 産業(マーケティング)至上主義時代(1960年代〜1990年代)における「消費者平準化」の進行に端を発する「購買者を購買活動に動員する原動力」次元におけるエントロピーの急激な増大。すなわち「(各所にエネルギーが多様な形で偏在し、頻繁に様々な展開でエネルギー交換が行われる)低エントロピー状態」から「(空間平準化が進行してエネルギー交換の起こる確率が次第に下がり、それが限りなくゼロへと近く「熱的死状態」が真近に迫る)高エントロピー状態」への推移の余波。

    *そもそも「日本人の平準化」は「前方後円墳築造」「氏姓制度開始」「律令制(文書行政)導入」といった政治分野における中央集権樹立(全国各地に「領土と領民を全人格的に代表する領主」として君臨する地方豪族の)過程にまで遡る。その一方で当時の試行錯誤の足跡ともいうべき「日本書紀」「古事記」「風土記」「新撰姓氏録」などの編纂事業は後世における地方文化の多様性を歴史的に裏付ける重要な根拠として活用される事になった。この次元における「グローバリズム国家主義)のナショナリズム(郷土主義)に対する無関心(言及の放棄)」が両者の共存を可能にしたとも。

    *しかし産業至上主義時代以降は新たなタイプのグローバリズムが猛威を振るう。例えば養殖技術の発達により、鰻の蒲焼は上流階層の独占物ではなくなり「庶民も努力さえすれば食べられる贅沢品」へと変貌。ただし歴史のこの段階で消費量が爆発的に伸びた訳ではなく、それが起こったのは「中国産の廉価な鰻の蒲焼」が大襲来した1990年代以降。歴史におけるこの瞬間日本人は確実に伝統的スノビズムの対象の一つを失い「個別的なるものへの執着心」の希薄化を経験したともいえる。

    *冷蔵技術の発達はアメリカにおいてブロッコリーやアスパラガスを、日本において(生)卵や納豆を伝統的に特別な食べ物としたが、何時でも何処でも当たり前に食べられる様になった食品についての感動を何世代も持続するのは不可能。そうした歴史は日本における砂糖や海苔についても存在するが、こちらも失われて久しい。確かにエンターテイメントの世界においても「大規模なエネルギー交換の発生」はその対価として「大規模な資源枯渇」を引き起こす傾向を備えているのかもしれないのである。

    *こうした激動期を経て「青春」の意味もまた変遷した?

そして「産業化の進行=個別的なるものへの伝統的執着心の希薄化」という流れはまさしくラリー・ニーブン「魔法の国が消えていく(The Magic Goes Away)シリーズ(1976年〜)」の世界。
*そして、おそらくそこに登場する「全ての魔法資源を蕩尽し尽くして枯渇させるまで回転し続ける独楽」のイメージは経済人類学者カール・ポランニー「大転換 (The Great Transformation、1944年)」が指摘する「市場維持の為に全てをマーケティング化し商品化し熱的死亡状態に向けて均質化していく資本主義という名の地獄の碾き臼」に由来する。

朝日新聞経営陣は敗戦直後「新聞社の最大の責務は社員を食わせ、あらゆる脅威から守り抜く事にある。その責務は完遂したのだから軍部に迎合したプロパガンダ活動について責任を問われる謂れなど一切ない」と開き直った社説を発表。この見解は社外どころか社内にすら通らず「1945年11月のクーデター」が勃発した遠因の一つとなり、戦後朝日新聞の基盤が築かれる事になったとされていますが、むしろ最近では両者の相違を見出すのが難しくなりつつある。そしてまさにこうした「暴走」こそが日本から「総力戦体制時代」や「産業至上主義時代」の残滓を吹き払っていく。ある意味彼らは「風の谷のナウシカ」の世界における「腐海」の様な存在なのかも。

新左翼運動やヒッピー運動やフェミニズム運動を牽引した「家父長制」問題が勝手に一段落したのもこの 時期。要するに元「不良少年」「不良少女」達が親世代に突入し「子供の反抗」を警戒する立場に。

*同時進行で「ゴビノー伯爵の悪夢」再び。「(地球人全ての平準化を目論む)人類補完計画」としてのグローバリズムに警鐘が鳴らされ始める。

こうした流れは意外にも同時に宮沢賢治オツベルと象(1926年)」において白象が喜んで身につけた「ブリキの時計とヤクザな紙靴」が破け「百キロもある鎖と四百キロある分銅」なる正体を表していく過程とも重なっていく訳です。

http://junsakura.tumblr.com/post/163828720944/35年ローンが発明されたのは1960年代だと言われているおそらく高度経済成長に沸いた昭和40年頃

junsakura.tumblr.com

さらには「どうしてソシャゲはガチャと既存のIP(Intellectual Property:知的財産)頼りになってしまったのか?」という問題とも親近関係にあるかもしれません。

こうして概ね私達の消費活動は「モンスタークレーマー化する消費者」と「(魂の釣り合いを欠いたまま)絶対精神化するサービス供給側」の相互確証破壊(Mutual Assured Destruction, MAD)ゲームへと煮詰まってきた訳です。

そして、こうした喧騒の全体像を一歩下がって俯瞰し「寂しく笑う」動きも登場。その起源は「エントロピー増大を覚悟せずには文化的発展も有り得ない悲劇」を直視した「ゴビノー伯爵の悪夢」にまで遡るとも。

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宮沢賢治 オツベルと象

「牢はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのようにへし折られ、あの白象は大へん瘠やせて小屋を出た。

「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。

「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。

おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
*最後の章句に関する解釈は多数あるが、そのいずれもが「この物語の語り部そのものの、この物語自体に対する関心の喪失」に呼応するとしている。「寂しい笑い」はあくまで「資本主義を巡る残酷な物語構造(「モンスタークレーマー化する消費者」と「(魂の釣り合いを欠いたまま)絶対精神化するサービス供給側」の相互確証破壊(Mutual Assured Destruction, MAD)ゲーム)」の外側に常にメタ的に存在し、その内部に留まろうとする人々にとってその表面化は「(挽き臼の回転を止める)最悪の悪夢」を意味するのである。

 さて、私達はどちらに向けて漂流しているのでしょうか?