「資本主義の挽臼」は何でも擦り潰す?
今回の投稿の発端は以下のポスト。
漫画とマーケティング(特に広告)の連動かぁ。「資本主義の挽臼」理論①近世までチョコレートは貴族でもないと口に出来ない高級菓子だった。②産業革命導入と大量生産で庶民も買える価格に。③こうして欲望は減少していき、最後には叶えるべき夢がなくなり0エントロピーの熱死状態に、はいつ破綻した? https://t.co/3vPnVmKFi7
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
そもそも「ゴビノー伯爵の人種エントロピー論」などに由来する「資本主義の挽臼」理論自体、庶民の消費を当て込まねば成立しない大量生産大量消費時代が到来して主要消費者の座から追われた伝統的インテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層が始めたもの。https://t.co/L80Meo3kwX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
そこには独特の僻み意識も内在していましたが、同時に絶対王政(日本では江戸幕藩体制)解体に伴う下級貴族(日本だと特に士族)没落が、庶民の文化レベルを引き上げる展開も。まさしくバルザック「人間喜劇」の世界。そして樋口一葉の様な元士族作家も登場。 https://t.co/IUGUiipPF6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
こうした時代にはピカレスク・ロマン(スペイン反騎士道/悪漢小説、16世紀-17世紀)からビルディングス・ロマン(ドイツ教養小説、18世紀-19世紀)に至る流れは「フランダースの犬」の様な「孤独な天才の悲壮の死」でなく「遍歴者の終着地発見と幸福な結婚」で終わる様に。https://t.co/rKFb6yXvd1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
そしてフランスに「ジャン・クリストフ(1904年-1912年)」、ドイツに「魔の山(1924年)」が登場した様に、日本では尾崎紅葉「金色夜叉(1897年-1902年)」中里介山「大菩薩峠(1913年-1941年)」吉川英治「宮本武蔵(1935年-1939年)」などの大衆小説の影響が戦後のスポ根に継承。https://t.co/THaWYjwjRP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
少女文学が恋愛沙汰を扱える様になったのは戦後になってから。当初は「これは日本の物語ではないですから」方便としてファンタジー、SF、(名画やTV派ホームドラマに由来する)外国譚の体裁を取る必要があり、結果として少女漫画は幅広いジャンルを扱う媒体として開花…https://t.co/fyE6DJ2KnI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
同時進行で源氏鶏太「サラリーマン小説」シリーズ(1948年-1974年)や山田風太郎「忍法帖」シリーズ(1958年-1974年)が好んで題材とした封建制残滓、特に「貞女が報われ、毒婦が滅びる勧善懲悪構造」の破壊が進行したのです。https://t.co/fZTNk6rfFN
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
そして、この様な「産業革命当時の出版革命(パルプマガジンから単行本へ)とフィルム(および映画)の発明」に欧米では1950年代から、日本では1960年代から本格化したTV放映を加えた媒体全体を「マスメディア」と捉える「史上初のメディア学者」マクルーハンが満を持して登場。https://t.co/RShNphHXa8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
さらに米国では1950年代から、日本では1960年代から「素材革命(ビニールやプラスティックやこれを用いた加工製品の急激な品質向上」が始まり、こうして新たな質量(ヒュレー)を得た「資本主義の挽臼」の形相(エイドス)はさらなる範囲拡大を達成する事に成功したのでした。 https://t.co/sCriIyo77i
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
プラトン哲学の発展形たるガザーリーの流出ロングでは「神の叡智自体は無謬だが、流出の過程で誤謬が鬱積し、最後には正反対悪まで現れる」と考えました。さらに「だから人類は文明も都市も捨て原始的集落での分散生活に回帰すべき」とまで考えたのがルソーの自然論。 https://t.co/oaAtAZ22fR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
一方、アリストテレスの「質料-形相」論は「形相=それをそれたらしめる情報」と「質料=形相を現実世界に顕現させるの不可欠な材料」がぴったり合わさって存在する「現実態(エネルゲイア)」とその可変範囲「可能態(デュナミス)」こそが実体とし、その変遷を研究。https://t.co/1HEZsx3Mc8
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
現代メディア論的にいうと、さしずめとある物語について、小説版、TV版、劇場版、Game版(New‼︎)が存在してる(全部なしはあり得ない)感じ?ならばマーチャンダイジング(キャラクター商品展開)とは?さらには広告展開における質料と形相とは?「資本主義の挽臼とは何か?」問題、複雑化の一途を…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月8日
そして…
性欲も含めた本能は無限のエネルギー
— ちょこらーたは誤チェスト (@tyokorata) 2023年9月9日
&流行り廃りでエンタメは入れ替わるのがポイントですがコミュニスト(計画経済主義者とも理性主義者とも)には流行という概念がありませんでしたな
— ちょこらーたは誤チェスト (@tyokorata) 2023年9月9日
まぁ、労働者が英国だと「砂糖入り紅茶と食パンとタラのフライ」、日本だと「白飯と鮭缶や牛缶」で喜んでた時代から一気に自動車とか乗り回す様になって貴族の方々が「このままだとあっという間に贅沢の元ネタが突きちまう‼︎」と焦ったというだけの話なので…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年9月9日
そんな感じで以下続報…