最近話題のこれ。
とんねるず番組でフジ謝罪 「性的少数者を差別」の批判 https://t.co/1J4XzyAG1F
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2017年9月29日
差別しておいて、差別じゃないふりをして、それでも差別だって声をあげるひとを、差別じゃなくて冗談なのにマジになって顔真っ赤とか言って笑うんだろ?
— 紙魚エビ (@bookfishswim) 2017年9月28日
誰かが差別のために死んでも、所詮知らないところで自分より価値のない誰かがいつの間にか消えただけだもんな?
おまえが殺してるんだぞ。
「ホモ」が笑われる世界ではバイセクシャルもレズビアンも嘲笑対象で、「普通」から外れた者達は笑い者にされるという見せしめの効果を果たすからね。
— 蛻 (@memento_sonne) 2017年9月28日
マイノリティーはみんな心のシャッターを下ろしてひとしきり傷つくんだ。
保毛尾田保毛男っていうコントのキャラなんだよね、とんねるずの。こういうのみんな大好きでさ、勿論当時のゲイ達はこれを見て青ざめながら「隠さなきゃ」となったわけだよね。保毛尾田保毛男と言われてしまうからね。ちゃんと言えるの?テレビの中で、これはやっちゃいけない冗談なんだって。
— うさきこう (@usakikou) 2017年9月28日
フジ社長のクソみたいな「傷つけちゃったならごめんね?」っていう、さも「大したことじゃないけど声がでかいやつが騒いだので謙虚に謝罪した」って体を取れば、同じように差別でゲラゲラ笑ってた自称「自分は差別ない」勢が擁護してくれるから人生楽でいいよな
— あるてん@TU10_アメ69 (@I_r_o_n_Y) 2017年9月29日
とんねるずの"ホモネタ"への抗議の話で思い出したけど、木梨憲武がやってた"ノリコ"というキャラクターもルッキズム丸出しの"ネタ"だった。。いわゆる"ブサイク"なキャラクターをそこに出てくる演者と視聴者が笑う構図。これは今なお続いてるか...とんねるずに限らず。
— くりりゅう (@kuriryu) 2017年9月29日
*20世紀後半におけるLGBTQ層の「隠し通さねば生きて行けない」人生観からの脱却…それについて語らずしてこの問題について触れる事は許されない?
それに対してこういう立場を取る人達も存在します。
自分から殴るのは、あっちがこっちを知らなくても悪影響を与えてくる人(政治家とか)か、間接的に不快な目にあわされた回数が一定を超えた人。
— 島国大和 (@shimaguniyamato) 2017年9月29日
まぁそれでも殴りにいかないのが、正しい社会人の在り方だ。
同世代の売れてる芸人比較において、最も芸能界でしか生きていけない風なのに、芸能界にしがみついていこうという気持ちが一番ないというのが、明石家さんまと石橋貴明の最大の共通点なので、この二人が刺激の強いことやってる時は、これで業界から消えてもいいやぐらいの狙いある行動と見ていいよ。
— おりた (@toronei) 2017年9月29日
石橋貴明は(それこそ鶴瓶がちんこ出したのと同じように)かなり意識的に仕掛けたと思うけど、意図が批判者はもちろん、擁護者や賛同者にもほぼまともには伝わらんだろうから失敗だろうなあと思うけど、このぐらいの失敗で叩かれて消されるのなら、さっさと消えてやるよ的なところはあると思う。
— おりた (@toronei) 2017年9月29日
表現者として、「たとえ他人が傷つく表現でもやらずにはおれない」となったのなら、それは表現の自由ある限り、発表の自由はあって当然で出すなとはいえないわけよ。だからといってそれを批判する自由は当然あるし、地上波テレビという場所でやるレーティング・ゾーニングの問題は当然指摘されるべき。
— おりた (@toronei) 2017年9月29日
一番の問題は、今後、とんねるずやたけしがどういう思いや考えがあってあれをやったかを理解できずに、上っ面だけで語る奴らがたくさん出てくることのほうが地獄です。もう具体的にいうと爆笑問題とか、おぎやはぎとか、岡村さんのことなんだけどさ。
— おりた (@toronei) 2017年9月29日
保毛尾田保毛男がここまで叩かれる。時代は意外に早く移ろう。5年後にはデブネタもトレンディエンジェルもNGかな。
— 一色伸幸 (@nobuyukiisshiki) 2017年9月29日
これは本当にそう思う。
— 一色伸幸 (@nobuyukiisshiki) 2017年9月29日
僕は不愉快な番組や苦手な人が出ると、すぐにチャンネルを換える。 https://t.co/Kr8RFh04YA
フジととんねるずは叩きたいけど、レイザーラモンHGやトレンディエンジェル、さらにおねえタレントの自虐はOK。
— 一色伸幸 (@nobuyukiisshiki) 2017年9月29日
その程度のことかな、と思います。
不愉快な描写があった時、僕はすぐにテレビを消す。抗議はしません。お笑いでもマジでも、自由を奪うことは僕たちの首を締めることだから。 https://t.co/qHgytK0o0m
むしろ叩きたくて夢中で見ているような……。
— 一色伸幸 (@nobuyukiisshiki) 2017年9月29日
だとしたら、ずいぶん悲しい社会です。
♪弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く…… https://t.co/cf4f7eM3wx
*ここで興味深いのは「チーム★アメリカ/ワールドポリス(Team America: World Police、2004年)」におけるLGBTQ層への下品なギャグの連打をLGBTQ層自体は大喜びしたという辺り。彼らにしたら「ちゃんと分かってる人間にいじられる」方が「人道的理由から画面への登場を一切許されない」状況より、遥かに「人道的」なのである。
まさしく「歴史観の交通整理」が必要な状況みたいですね。
フジテレビ系列で放送されたバラエティ番組。毎週木曜日 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていた。お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明・木梨憲武)と多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された。 1989年から1994年までの6年間、バラエティ番組で年間平均視聴率1位を記録し『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』と並ぶ、とんねるずの代表番組の一つとなった。
不定期特番時代
元々は同局・火曜日の19:30-20:54に放送されていた『火曜ワイドスペシャル』(後の『カスペ!』)のスペシャル番組だった(パート1 - 4まで)。パート4の1コーナー「仮面ノリダー」のウケも良く、パート5を待たずにレギュラー番組へと昇格。とんねるずの肖像権の複雑化の絡みで再放送やDVDソフト化がないものの、放送ライブラリーで1987年10月13日放送分を閲覧する事ができる。
*番組名は本番組の誕生のきっかけだった『火曜ワイドスペシャル』のとんねるず起用を決定した日枝久の名を冠して『ヒエダさんのおかげです』にしようと、とんねるずが提案したが、スタッフの反対により『みなさんのおかげです』に落ち着いた。そもそも当時、とんねるずが結成6周年と言う節目もあって『みなさんのおかげです』になったと言われている。
レギュラー放送時代
レギュラー番組に昇格した1988年10月からはコントがメインの番組としてはまだ当時珍しかったステレオ放送で放映された。当時はドラマコントがメインの番組構成で番組後半にゲストの歌を1曲流すなどの放送内容が中心であり、音声の臨場感を伝える役割を果たしていた。この体制は後番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』に至るまで続けられる事になる。
後に音楽企画やドラマコントが事実上廃止状態となり、通常のバラエティ番組と同様の内容になったことから、2005年夏頃以降は総集編スペシャルと音楽企画の回を除いてモノラル放送(地上デジタルテレビ放送はモノステレオ放送)へと変更されたが、2008年6月5日以降は、再びステレオ放送へと変更されている。
放送休止
1990年4月から同年9月までにかけてはとんねるずが日本テレビ系ドラマ『火の用心』の出演に専念するため、一旦打ち切り、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』が代わりに放送され、ドラマ収録終了後の10月に番組が復活した。
何度も放送休止をするバラエティ番組は稀である(他にも8時だョ!全員集合など)。他に1994年4月から9月までに『ラスタとんねるず'94』、1997年4月から7月までに『とんねるずの本汁でしょう!!』が放送された。
石橋貴明によれば、どちらも番組のプロデューサー石田弘の糖尿病療養期間のつなぎ番組だとネタにされているが『ラスタとんねるず'94』の方は表向きの理由であり、放送の裏には1993年12月に宜保タカ子のロケで富士山麓の天然記念物生息地(氷穴)を爆薬などで荒らし、撮影セットのゴミを不法投棄したことが問題となり、当時、各局や各新聞でニュース報道され、スタッフが処分されて番組も半年間収録が出来なくなったというのが実情である。
その後
フジテレビお台場社屋移転後の1997年7月から後継番組ではなく、『とんねるずのみなさんのおかげでした』としてリニューアルして放送を再開。それに伴い『とんねるずのみなさんのおかげです』の最終回は、新聞のラテ欄では終マークはなかった。『とんねるずのみなさんのおかげでした』では、コントなしでゲストの嫌いな食べ物を見抜く「新・食わず嫌い王決定戦」や「モジモジくん」のコーナーが人気になっている。
放送末期には楽屋落ちが増え、あまり作り込んでいないという印象を視聴者に与えてしまっていたが、木梨がTRFの振り付けのモノマネをした際には本番の数時間前にスタジオ入りし多忙の中練習に励むなど真剣にやるべき演出は決して手を抜かない一面も持ち続けていた。
新井詳「中性風呂へようこそ(2007年)」より
どうして父親は娘から嫌われるのか?
①昭和型マチズモ
*1978年当時の子供達の憧れはTVや漫画の不良で、みんな真似してた。子供にとって大人とは「何をしても痛がらない存在」で、虐め方も「言葉・力・人数の統合芸術的虐め」。「今の方が精神を傷付ける言葉を使うので昔より過酷」というが、当時は至る所で喧嘩が行われて鋳たので目立たなかっただけ。「子供は喧嘩するもの」と思われていた。
- 男も女も「(不潔さ、ペチャパイといった)性別的弱点」をモロ出しにするのが「人間味溢れる演出」として流行。
- 中性的な人やオカマを酷く嫌う。オカマは大抵不細工に描かれ、迫られて「ギャー」というギャグが頻発。
- 美形でお洒落な男は大抵気障で鼻持ちならない役。
②バブル世代特有の(トレンディドラマ的)「男の幸せ」「女の幸せ」のくっきりしたキャラ分け。
*「そんなに男が女より強くて偉くて選ぶ権利がある世界の女ってすっごくつまらない」「なら男になった方がマシ」とか言い出す
- 恋愛決め付け論「女の人生は男で決まる。御前も何時かいい男をみつけて可愛がってもらうんだぞ」
- 美男に否定的「ヒョロクテ弱そうな男だ。女みたい」
- 処女崇拝「(飯島愛を指して)こんな風になったらオシマイだぞ! 傷モノになるなよ!」
- 母づてに聞かされる「新婚早々、浮気されて苦労したのよ。お父さんもなかなかやるでしょ?」
- ホモやオカマを極端に嫌う(これ男? 気持ち悪っ!!)
- 役割決定論「ボタンつける練習するか? 将来彼氏につける練習に…」
要するにどちらも1960年代までは確実に全国規模で根を張っていた(家父長権威主義を含む)戦前既存秩序の残滓。1990年代以降には通用しない。
こうして全体像を俯瞰してみると「日清青春(アオハル)シリーズは何故あんなにつまらないのか?」と、確実に重なってくる部分がある様です。
映画の全盛期は知らない。
— 一色伸幸 (@nobuyukiisshiki) 2017年9月16日
テレビのいい時代は知ってる。連ドラが決まると作家やプロデューサーたちはハワイなどで討ち入りをし、脚本打ち合わせの後は毎回銀座だった。そこでの冗談や遊びが内容を豊かにしていた。
いまはすべてが会議室で終始する。コンプライアンスでも弄ぶしかない。
「TVの全盛期しか知らない作家」には自分達が映画業界を滅ぼしたという自覚がありません。その結果、映画業界がどういう展開を迎えたかも学ぶ機会がなかった様です。
春日太一「仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―」
「苦しくなったからといって裸にしたり、残酷にしたり、ヤクザを出したり……そうまでして映画を当てようとは思わない。俺の目の黒いうちは、東宝の撮影所でエロや暴力は撮らせない」
だが、東映が1960年代の後半に一気に興行成績を上昇させていったのに対し、東宝は会社創立最高成績を1967年に挙げるものの、翌年から急降下していくことになる。
藤本が見誤っていたのは、映画館を訪れる客層の変化だった。これまでは映画館には幅広い層が来ていたが、1960年代後半から1970年代初頭にかけてにかけては二十歳前後の若者が主体になっていった。当時の若者の多くは、学生運動が盛んになる中で、従来にはない激しさと新しさを映画に求めた。その結果、イタリア発のマカロニウエスタン、アメリカ発のニューシネマ、日本でもピンク映画と、従来の価値観に「NO」を叩き付けるような反抗的な「不健全さ」が受けるようになる。
東映はこうした時流に乗り、任俠映画とポルノ映画で隆盛を迎えるが「清く正しく美しく」の東宝は、時代に乗り遅れることになる。老齢を迎える森繁の「社長」シリーズや、三十歳を迎えるのに相変わらず爽やかな健全さで売る加山雄三の「若大将」が、こうした時代に受け入れられるはずもなかった。時代に対応できない東宝は「スター・タレントの養老院」と揶揄されるようになる。
*これが黒澤明監督映画「赤ひげ(1965年)」ラストで赤ひげ先生(三船敏郎)からバトンを渡された保本登(加山雄三)の末路?「今の時代、そんなの作っていても当たりませんよ」
多くの批評家たちが藤本真澄に批判の声を浴びせた。「社長」シリーズのキャスティングの若返りなどがスタッフから持ちかけられるが、それでも藤本は「それでは『社長』ものにならん」としりぞけてしまう。
これまでのパターンを変えようとしない藤本の路線は飽きられ、1968年になると観客動員は一気に落ち込んでいく。特に二週目の客足が悪く、客層の浅さが露呈してしまった。それでも、新たな客層を獲得するのは藤本体制下では困難な状況にあった。
最先端の文化は「(事象の地平線たる)絶対他者の領域」から流入して次第に多くの人々の心を掴み、その一方で時代遅れになると再びこの領域へと押しやられていくもの。そうした「円環の理」を心得てないと必ず「老醜」を曝す展開に。
*最大の皮肉は、こういう部分においては落語やラジオといったLegacy Mediaの方が「先行」してる様に見える事。TVに観客を奪われていった映画界がそうした様に「絶対他者として生き延びる道」を選べば、ある種の不死性を獲得する事もある。あと水木しげる画伯も「自らのルーツが絶対他者の領域にある事を最初から最後まで意識し続ける覚悟」においては並々ならぬものがあったとも。
*「(事象の地平線たる)絶対他者の領域」…そういえば2000年代前半に台頭した新海誠監督は「自主制作アニメ」、TYPE-MOONや07th Expansionは「同人18禁ゲーム」、河原礫らは「Web小説」からそれぞれ流入したのではなかったか?
*そして2000年代後半以降は「ブレイキング・バッド(Breaking Bad、2008年〜2013年)」や「ゲーム・オブ・スローンズ(Game of Thrones)」といったネットドラマが国際的に影響力を急増させる。ここでは「全てのお茶の間に安心して届けられる様な内容ではない」事が絶対的他者の証となってくる。
終わりません https://t.co/V0THn7KtBh
— 白饅頭(光属性) (@terrakei07) 2017年9月29日
*これは案外「トリミングの問題」なのかもしれない…「現代に通用する形で昔を懐古出来ない」対応の拙さという点においても「時代遅れ」は死にゆく定めにあるとも…
パズーとシータは人生のピークをあまりに早く味わってしまったせいで、結婚しても今後ずっと子供に対して「父さんと母さんな、昔空に浮かぶ城に行ったことがあるんだ」またその話〜!を一生やり続けそうで気が滅入る。
— 飯島モトハ (@mochiunagi) 2017年9月29日
とどのつまり「究極の自由主義は先制の徹底によってのみ達成される」ジレンマは「全てが数字化される世界においては勢力均衡状態の維持だけが生存を担保する(絶対他者との関係において駆除対象たる事を免れる)」現実を直視する形においてのみ解消するのかもしれないという問題提起。
そして欧米の最先端文化の人々が最近繰り返し詠唱し続けているのがこの詩。「ブレイキング・バッド(Breaking Bad、2008年〜2013年)」に引き続き「エイリアン: コヴェナント(Alien: Covenant、2017年)」でも引用があり、もはは知らないでは済まされない領域に入ってきました。
パーシー・シェリー「オジマンディアス( OZYMANDIAS,1817年)」
Percy Shelley’s poem Ozymandias as illustrated by Zen Pencils – A W E S T R U C K _W A N D E R E R
古代の国エジプトから来た旅人はいう
胴体のない巨大な石の足が二本
砂漠の中に立っている その近くには
半ば砂にうずもれた首がころがり顔をしかめ 唇をゆがめ 高慢に嘲笑している
これを彫った彫師たちにはよく見えていたのだ
それらの表情は命のない石に刻み込まれ
本人が滅びた後も生き続けているのだ台座には記されている
「我が名はオジマンディアス 王の中の王
全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」ほかには何も残っていない
この巨大な遺跡のまわりには
果てしない砂漠が広がっているだけだ*オジマンディアス(Ozymandias)はラムセス2世(在位紀元前1290〜紀元前1224年、または紀元前1279年〜紀元前1212年)のギリシャ語名。古代エジプト史上最も偉大なファラオとされる事も多い新王国時代(紀元前1570年頃 〜紀元前1070年頃)第19王朝(紀元前1293年頃〜紀元前1185年頃)のファラオ。
*その末裔はヒッタイト帝国やミケーネ文明を滅亡に追い込んだ「紀元前1200年のカタストロフ」の余波で衰退したが、この詩ではその「盛者必衰の理」が、エジプト遠征を指揮して一旦は皇帝まで上り詰めたナポレオン・ボナパルトの興亡と結びつけられている。メリメがスタンダール「赤と黒(1830年)」をプーシキン「スペードの女王(1834年)」の足許にも及ばない駄作と酷評した基準もこれ。
*すなわち復古王政時代(1815年〜1848年)の欧州は「ナポレオンの天下がどれほど一時的なものに過ぎなかったか」について言及するのが保守系知識人の義務と考えられる一方で、「その太くて短い生き方にこそ倣いたい」と考えるロマン主義が横溢する極めてアンビバレントな状況にあった(ヘーゲルとマルクスの対立の根底にあったのもこれ)。それゆえに、その両陣営を納得させる作品こそが傑作と称されたのである。日本人に「源氏物語」や「平家物語」を選ばせた判官贔屓感情の一種といえなくもないが、時代の要請もあって「英雄の登場を待望する大衆は、嫉妬心からそれと同じくらいの熱心さでその英雄が傲慢さゆえに自滅していく物語を好む」という残酷な側面がより強く前面的に押し出される形となった。
まずはこの認識から出発しないと全てが狂います。日本でいうと「平家物語」冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」なる章句について「時の勝者」が「そんな昔の言葉、覚えてる方が時代遅れでしょ? 俺の成功は、そんな過去の常識の範疇に囚われてなんかないんだぜ!?」と豪語する様なもの。
何故かユニコーン「大迷惑(1989年)」の歌詞におけるリフレイン「この悲しみをどうすりゃいいの。誰が僕を救ってくれるの?」を思い出しました。
*既にこの頃の日本ではもう貧富格差の拡大が始まっていたのである。
どうもあの時代は庶民が高級ワインの飲み比べをしとったそうだぞい。私はガキだったのでよく知りませんが。
— tadataru (@tadataru) 2017年10月2日
*あと「過労死」や「セクハラ」の問題も浮上していた。そして現在へ。
過労死が問題になってるが、根本的にこの20年間何も変わってないところかむしろ悪化してるな。
— pollyКORPIO (@korpio) 2016年10月8日
部活等、学校の管理教育や近代に押し付けられた休むのは悪であり勤勉な日本人は世界の誇りという精神哲学が変わらない限り、労働環境は良くならない。
過労死が問題化したのは1980年代後半だったと記憶する。丁度バブル期であり仕事が幾らでもあった時代である。国鉄民営化等ネオリベ化の初期にあたり労働強化が職種問わず拡大化しつつあった時期と現在的には捉えられる。その後30年間悪化し続けより陰湿化したのは間違いない。 https://t.co/wZ5tU2YIRa
— よーすけ (@yoshimichi0409) 2016年10月8日
「過労死」は1980年代に問題となった。当時は時間管理されない中間管理職に過労性疾患が多発し命を落とした。現在は新入社員の若い命が「過労自死」によって奪われている。労働者を追い詰める過重労働と長時間労働をなくすことは労働組合の最優先課題だ。私たちは安倍政権の労基法改悪を許さない。
— 全国一般労働組合東京南部 (@NUGWNambu) 2016年11月5日
(1)今日は通院の日で、医師と過労死について話をする機会があったのですが、そこで「過労死110番」の活動が始まったのが1988年だと思い出しました。ということは、少なくとも1980年代前半から過労死が深刻な問題になっていたわけです。明治期の女工の過労死などは別にして、現代的意味に
— 大河内満博(社労士講師Oh_coach) (@tomofullmoon) 2016年11月1日
思い出すのは「過労死の認定基準」の話です
— セディ (@flashrocket810) 2017年7月25日
1980年代だと過労死で身内をなくした方々は「働きすぎにより身内が死んだ」という因果関係を示すのにかなり苦労してました
だって企業は「確かに彼、彼女は長時間働いてはいたが、それと彼等が死んだのは何の関係もない。だから我々に責任ない」なので https://t.co/jlx8rCUunC
「企業戦士」から若年層に広がる長時間労働 電通だけではない実態 - SankeiBiz(サンケイビズ) https://t.co/xG7M6aMfdZ「過労死問題に詳しい岩城穣弁護士(大阪弁護士会)は、過労死が社会問題化した1980年代後半より現代の方が対象は広がっているとみる」
— 本田由紀 (@hahaguma) 2016年11月7日
連日の深夜残業・休日出勤をしていると思しき社畜アカウントが突然ツイートしなくなるパターン、忙殺されてツイートすらできなくなったのではなく、うつ病になったり死んでいたりするから皆の周りも気をつけてほしい。
— 白饅頭(光属性) (@terrakei07) 2017年10月1日
「1980年代回顧なんて、こういう風に明るく(上から目線にならず、最先端のレギュレーションを守る形で)ちゃんとやんなきゃ駄目だよ」とふと思ってしまった次第。動画コメント欄の「誰かに死ねって言われたらこの通り生きるって返すんだよ。泥水すすってでも生きろ!」の凄味。さて私達は一体どんな未来に向かって漂流しているんでしょうか?